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2020-04-01
PwCは「社会における信頼を構築し、重要な課題を解決する(Build trust in society and solve important problems)」をPurpose(存在意義)として掲げています。このPurposeのもと、私たちが自治体の方々と協力して、それぞれの地域が抱える課題にアプローチする事例をご紹介します。
左から須田町長、PwC 宮城、青山氏、小松氏
対談者
宮城県女川町 町長 須田 善明氏
宮城県女川町 産業振興課 公民連携室 室長 青山 貴博氏
特定非営利活動法人アスヘノキボウ 代表理事 小松 洋介氏
PwCコンサルティング合同会社 公共事業部 パートナー 宮城 隆之
2019年3月、PwCコンサルティング合同会社の30名のメンバーが、東日本大震災からの迅速な復興を遂げた町として知られる宮城県女川町を訪問、現地で活動するNPOや地域コミュニティの方々との対話や視察を通じ、自分たちに何ができるのかを考える「社会課題体感フィールドスタディ」を実施しました。その訪問がきっかけで社内に誕生したのが「Social Impact Initiative(SII)」です。部門横断型のコンサルタントチームが社会課題を解決しながら、ビジネスでも優位性を示すモデルの構築を支援するSII。現在、「ソーシャルイノベーションの支援」「ソーシャルインパクトマネジメント手法の確立」「ソーシャルファイナンスの普及」など、社会課題解決のためのさまざまなソリューションの研究開発を進めています。今回は、SIIのメンバーが女川町とともに取り組んだ「社会的インパクトマネジメント」の活動について関係者が振り返りながら、取り組みの見える化がもたらした価値や今後のまちづくりの可能性を考えました。
宮城県女川町 産業振興課 公民連携室 室長 青山 貴博氏
社会課題体感フィールドスタディ(2019年3月)
宮城:
私たちが初めて女川町を訪れてから、およそ1年がたちました。今でも女川の駅に降り立った時の驚きをよく覚えています。目の前に広がるこの活気のある町並みが、本当にあの津波被害に遭った町なのかと。それから皆さんにお会いして話を聞き、その情熱的な姿勢にもすぐに魅了されました。何と言っても、行政と民間が協力し合い、一丸となってまちづくりに取り組んできたことが肌で感じられて、大きな感動を覚えたのです。その時の感動をこのまま終わらせてはダメだと思い、東京に戻ってすぐにSocial Impact Initiativeというチームを立ち上げました。
小松氏:
私は女川町の中間支援組織の代表として、PwCコンサルティングの皆さんが最初にお越しになった際の研修プログラムのアレンジなどを担当しました。講演の後も、一緒に町歩きをした時も、研修後の懇親の席でも、皆さんがとにかくたくさんの質問をされていたのが印象的でした。社会課題や震災復興に関心の高い方たちが多くいらっしゃる会社なのだなと。研修後にお礼のメールを送った時に、宮城さんから「ご一緒できることがあれば、こちらもすぐに動きます」と返事をいただき、こんな風に町に強い関心を寄せてくれる方々とぜひこの先もつながりを持って、いろいろな展開を考えていければ面白そうだなと思っていました。
青山氏:
私は最初、「世界屈指のコンサルティング会社の人たちが来るから、そこで話をしてくれ」と頼まれて(笑)。何をしゃべったらよいのか悩みつつ、いつも通りの話、つまり震災から8年間(当時)、自分たちがどんなことをしてきたかを話しました。そうしたら本当に質問が多くて、参加された社員の皆さんの熱意を感じました。
SIIは社会課題解決のアプローチとして、活動や投資によって生み出される社会的・環境的変化(社会的インパクト)を可視化し、ポジティブな社会的インパクトを大きくすることを重視しています。女川町が掲げるまちづくりの基本方針などをもとに、まずインパクト評価対象を(1)人口増加、(2)災害強度の強化、(3)財政の安定の3つとし、目指すべきインパクトゴールを「社会増減/可居住面積の増加」「財政力指数の向上」と設定しました。ゴールを実現するために重要となる要因の洗い出しでは、現場ヒアリングに加え、全国約1,724の地方公共団体のクラスタリング分析を行い、女川町と共通の社会構造を持つ地方公共団体を統計的に導き、比較を行いました。また、女川町における社会的インパクトがこれまでどのように形成されてきたのかをたどるべく、リソース(ヒト、モノ、カネ)や環境資源などを起源に社会へのインパクト(変化)までの因果関係を表すロジックモデルによる整理を行い、結果、女川町のソーシャル・パフォーマンス・ドライバー(成功要因)は、全体最適を議論する土壌と現状の課題解決と未来への投資の実施であると特定しました。
須田氏:
私も、PwCコンサルティングの皆さんが話を深掘りしながら聞いてくれることに驚きました。そして何より、その後も継続的に足を運んでくれて、その都度、外側からの視点で、私たちがやってきた復興であったり新しいまちづくりであったりについての取り組みを分析し、そして言語化していただけた。それが本当にありがたかったです。
震災後、女川町では国費をたくさん使ってまちづくりを行ってきました。町としては恥ずかしいお金の使い方をしたくなかったし、してはいけないと思っていました。それを肝に銘じて、全国の皆さんに「女川は復興してこういう町になったんだね」と後々、納得してもらえるようなまちづくりに取り組んできたのです。
当時は、何が正解か見えていたわけではなく、感覚的に物事を進めてきたところもあったので、自分たちのやってきたことやなぜそれができたのかという原動力について、うまく説明できないことが多々ありました。それがPwCコンサルティングのレポートのおかげで、かなりクリアになったのです。
宮城:
まずは、女川町が震災後に抱えていた課題と、それに対して町が行ったさまざまなアクション、そこで生じた社会的インパクトを「見える化」することに注力しました。そうすることで、例えば、このインディケーターを変更すれば違うゴールを目指せるといったような、社会的インパクトをマネジメントできる仕組みを作りたいと考えたのです。それができるようになると、投資してくれる機関が出てきやすくなり、お金が回る仕組みが作れます。多くの人を巻き込んでいくことで、社会的インパクトの拡大も可能になるだろうとも考えています。
宮城県女川町 町長 須田善明氏
須田氏:
統計データによる分析には驚かされましたね。震災後、私たちにはどんどん人口が減少していっているイメージしかなかったのですが、女川町の所属するクラスタの、ある期間における可住地面積あたりの人口増加率というデータを示されて、それだと、私たちが思っていたのとは全く異なる結果が出たのです。女川町に実際に住んでいる人間の感覚と全然違っていて、同じ現象でも捉え方によってこんな風に見え方が変わってくるのだと、たいへん勉強になりました。
PwCコンサルティングをはじめとするたくさんの方々のご協力のおかげで、ようやく今、これまでの復興への歩みを外に向けて発信していける時期に来ました。自分たちには、そうする責任があると実感しています。
宮城:
今回、女川町が震災後に奇跡的なスピードで復興を遂げたメカニズムを論理的に構造化して示すモデルを作成しました。これが本当にマネジメントできるものなのかどうか、これから検証をした上で、いずれは復興の成功事例というだけでなく、国内外の多くの地域で起こり得る課題の解決に向けた参考事例として、広く外に発信していければと考えています。
女川町では、20年先30年先の未来を見据えたまちづくりに若い世代が中心となって取り組むという動きが、実は震災前からあったという話も聞いていました。ここには新しいまちづくりを自分たちで進められる土壌があるのだと思います。
青山氏:
はい、確かにそのような気運のようなものが女川町にはありました。2010年、女川町の人口は約10,000人でしたが、その当時に地方銀行が、「2035年に女川の人口は6,000人になる」という予測を出したのです。商工会でも「これはいかんぞ」と危機感を持ちまして。それですぐに「女川まちづくり塾」を作りました。その時から、若者は手を上げ、年配者は若者に任せるという雰囲気が既にあったように思います。
須田氏:
と言っても、意識が特別に高いという自覚はないんですけどね。女川は昔から水産の町であると同時に商人の町でしたから、環境変化に柔軟な風土というのはあるのかもしれません。20年ちょっとで人口が半減するという話を聞いて、すぐに何とかしようという動きがあったこと、震災後はご年配の中のリーダー格であるいわゆる「長老たち」が「あとは若い者がおまえたちの町を作れ」って、すぐに言ったことからも、それはうかがえます。
女川町の分析
PwCコンサルティング合同会社 公共事業部 パートナー 宮城 隆之
特定非営利活動法人アスヘノキボウ 代表理事 小松 洋介氏
小松氏:
宮城さんがおっしゃったように、女川の皆のゼロからイチを生み出す力とさまざまな施策は、被災した地域はもとより、その他の場所でもきっと役立つはずだと考えています。だからこそ今回、PwCコンサルティングがロジックモデル作成やデータ分析でサポートしてくださって、女川の取り組みの成果が10だとしたらそのうちの1しか伝えられていなかったのを、きちんと10にして見せてくれたのはありがたかったです。今後は成果そのものを10から100にしていき、それをちゃんと伝えるところまでご一緒したいと思っています。
これまで「それは女川だからできたんでしょう」と言われることが少なからずありました。そのたびに「そんなことはない」という思いがあったのですが、町長もおっしゃるように、これまではその説明がうまくできなかった。「女川以外でもできるんだ」ということを、PwCコンサルティングのレポートはちゃんとロジカルに示してくれました。私どもNPOには国際協力の経験が豊富なメンバーが多いのですが、彼らをして「女川は学びの宝庫だ」と言わせるほどです。地方創生のヒントということにとどまらず、世界に広げていける事例だと思っています。
宮城:
最初は私たちも、今後の女川町の発展に向けて何か支援ができればという思いがあって訪れたのですが、今は、震災後に女川町が行ってきた取り組みを汎用性のある「女川モデル」として発信していくのが自分たちの使命だと感じるようになりました。「女川だからできたんでしょう」という話に反論するという意味でも、これを女川町が発表するのではなく、私たちのような民間企業が客観性を持って出すのが大事なことだと考えています。
また、小松さんがおっしゃった「世界への発信」は、グローバルにビジネスを展開するPwCコンサルティングとして、ぜひとも進めていきたいところです。調査の結果を町に直接還元するだけにとどまらず、広く社会で活用していきたいという思いでいます。
女川駅から一直線に海へと続く町のメインストリート
須田氏:
女川町としても、最初からPwCコンサルティングに支援を期待して……という感じのお付き合いではなかったように思います。先ほど宮城さんは「使命」と言われましたが、こちらから見ていると、使命感とは別に、女川という町との関わりを面白がってくれているのがいつも伝わってきました。それを見て、私たちとしても一緒になって何か新しい価値を生み出していけるのではないか、とワクワクする気持ちになったのですよ。
宮城:
そうおっしゃっていただけるとうれしいです。
青山氏:
私もただ単純にうれしかったですよ。あの日、この土地に住み残ると決めてそれから夢中でやってきたことを、私たち自身が見えていなかったところまでしっかりロジックモデルにしてまとめてくれました。本当は私たちがやらないといけなかったことかもしれないけれど、次世代につなげ、活用していける資料なのだと、気持ちが新たになりましたね。
須田氏:
過去にやってきたことの見える化と分析をしていただいたわけですが、今度は未来のために、持続的なまちづくりを進めていくプロセスをすぐそばで分析していただきながら、当事者の一人として、一緒に歩んでいけたらなと思っているところです。
宮城さんが「多くの人を巻き込んでいくことで、社会的インパクトの拡大も可能」とおっしゃっていましたが、まさに私たちはそれを「活動人口」と呼んでいて、女川の住人ではないけれど、女川という場でいろいろな活動をしてくれる人たちを、これからもどんどん巻き込んでいきたい。そうやって町の中だけでは賄えないものを外側から入れ込んで、もっと面白いことを、大きく、早く実現していきたいと考えています。
青山氏:
PwCコンサルティングやアスヘノキボウとの連携活動は、起承転結で言えばようやく「起」が終わったところ、という感じです。これからもいろいろなつながりを持ちつつ、「承」や「転」へと発展させていきたいですね。
社会課題解決には、既に多くの社会の担い手が課題改善に取り組んでおり、政府や地方公共団体、多数の非営利団体も多くの施策を実行しています。しかし、日本にはいまだ多くの社会課題が山積みとなり、むしろ複雑化・深刻化の一途をたどっているのが現状です。社会課題解決が進まない大きな理由は、社会課題が構造化されていないことにあります。今の現状に向き合う第一歩は、社会課題の構造を明らかにすること、社会的価値である「社会的インパクト」を可視化することにあると考えています。また、優先的に取り組むべき事項は何かを意識的に選択することが重要です。
一企業・一業界で解決が難しい社会課題に取り組むためには、コレクティブ・インパクト・アプローチをベースとした日本に合った新たな協働の形を開発し、これまでの社会課題の主たる担い手であった政府や地方公共団体のみならず、企業や金融機関の本格的な参入を促す「Social Transformation」が必要です。これらの実現により、社会課題解決は大きく進展するとPwCは確信しています。