PwC Japanグループでキャリアを積んだ後、新たな道を切り拓いて活躍している卒業生がたくさんいます。どのようなスキルや経験が、その後の仕事に生かされているのでしょうか。藤井陽介さんは、あらた監査法人(現PwC Japan有限責任監査法人)を卒業後に中国・東南アジアでキャリアを積み帰国。現在、中小製造業の譲受および経営支援を行う株式会社技術承継機構に参画しています。今回は現在の仕事に生きているPwC時代の経験や、将来の展望について語ってもらいました。
話し手
株式会社技術承継機構
執行役員
藤井 陽介氏
聞き手
PwC Japan有限責任監査法人
パートナー
久禮 由敬
※法人名、役職、インタビューの内容などは掲載当時のものです。
久禮:
藤井さんは2007年12月にあらた監査法人に入社し、2011年まで在籍されました。その後、中国など海外に渡りキャリアを積み、2018年に株式会社技術承継機構という事業会社の立ち上げに参画されたと伺っています。まず同社に参画された経緯やお仕事について詳しく教えてください。
藤井:
日本では高齢化に伴う後継者不足により、廃業の危機に瀕している黒字企業が増加の一途をたどっています。日本の中小企業はおよそ336万社ですが、そのうち黒字の中小製造業は12万社存在します。技術承継機構は、事業承継に課題を抱えている有力な中小製造業の技術・技能を次世代につなぐことをミッションとし、企業の譲受および譲受後の経営支援に取り組んでいます。
技術承継機構は中学・高校の同級生である新居英一が立ち上げた会社です。創業者本人のパーソナリティ、会社の存在意義や成長可能性に面白さを感じて創業最初期から参画することにしました。また私はこれまで、会計、コンサルティング、投資の各領域を歩んできましたが、それらのキャリアの集大成として技術承継機構で創業とIPOに挑戦したいという思いがありました。
久禮:
技術承継機構は一般的なファンドとは違う、使命・特徴を持っておられますよね。ぜひ、特徴や強みがあれば教えていただけますか。
藤井:
当社は製造業を営む会社の譲受を行う会社ですが、ファンドとは異なり譲り受けた会社を再譲渡しないことを最大の特徴としています。再譲渡を前提とするファンドはどうしても目線が短期的になり、必要な支出を怠るなど、企業経営において歪みを生みがちです。一方、技術承継機構は再譲渡しないという原則を徹底的に保持し、長期的目線を経営陣と共有しながら譲受企業の価値向上を目指します。
技術承継機構の社是は「スピード」「ポジティブ」「やりきる」の3つです。当社が掲げているコンセプト自体はそれほど複雑ではありません。ただ実際に会社を譲り受けた後に地道な改善活動を続けることは簡単ではありません。その点でしっかりやりきる胆力・能力があるメンバーがそろっていることが我々の競争優位性であり、差別化のポイントだと自負しています。
久禮:
譲り受けた後、再譲渡しないという志を貫くのはとても大変だと思います。特に、創業、起業後に、すぐに新型コロナウィルス感染症のパンデミックに直面し、並々ならぬご苦労があったのではないでしょうか。
藤井:
1件目の譲受が完了したのは2019年11月です。その後、コロナ禍を経て2024年1月に10件目の譲受が実現しました。順調に会社の譲受を実現できているのは、コロナ禍においても経営方針を曲げず会社の信用力を積み上げてきた結果だと考えています。
久禮:
お話を伺っていて、「譲受」という言葉を使っておられるのが、とても印象的です。
藤井:
ありがとうございます。再譲渡しないという原則に加え、私たちは単語1つひとつの使い方も徹底しています。例えば、会社の譲受について我々は投資や買収という言葉は用いず「譲受」と表現しますし、会社を譲り受けた後のプロセスについてもPMI(ポストマージャー・インテグレーション)という言葉は用いず「バリューアップ」と表現します。あくまで譲り受けた会社が主語であり、技術承継機構は無色透明の存在として中小企業のプラットフォームになることを目標としています。
株式会社技術承継機構 執行役員 藤井 陽介氏
久禮:
藤井さんはどうして公認会計士を目指そうとしたのですか。
藤井:
私が公認会計士を目指そうと考えたのは大学1年の頃でした。社会的な信頼を得るために、何らかの資格が欲しいと思ったことがきっかけです。大学2年から勉強を始めましたが、試験範囲は広大で、大学3年の時に同期が就職活動をしている中で試験勉強に打ち込んでいたのは辛かったです。試験に合格したのは大学を卒業して1年目でした。大学の卒業式にも出ず、アルバイトで予備校費用を稼ぎながら勉強していた日々を今でも鮮明に覚えています。
久禮:
就職活動せずに試験だけ受けるというのは、なかなか勇気がいることですね。その後、無事に合格されて入社されたと。
藤井:
はい。あらた監査法人では当時SPA(システム・プロセス・アシュアランス部:現在のリスクアシュアランス部)と呼ばれていたシステム監査をメインに遂行する部署を希望し配属されました。SPAではシステム出身のSEと会計監査出身の公認会計士がタッグを組んで、システム監査に限らずさまざまなアドバイザリー業務を行っていました。当時の監査法人の中では変わった部署だったと思いますが、そこでアソシエイトとして社会人キャリアをスタートさせました。
久禮:
あらた監査法人や配属先としてSPAを選んだ理由についても教えてください。
藤井:
PwCのブランド力や新丸の内ビルディングが職場として魅力的に映ったという新卒っぽい動機があったものの、一番の決め手となったのはリクルーターだった方が語っていた「ITを駆使した監査の未来」というテーマでした。当時、ITにも強い関心があった自分にとってこの話はとても新鮮で、普通の会計監査よりも面白いと思い入社を決心しました。
久禮:
PwC時代にさまざまな経験をされたと思いますが、特に印象的だった仕事について教えてください。
藤井:
一番印象に残っているのは、アドバイザリーチームと組んで実施したフォレンジック調査のプロジェクトです。会計不正が行われた会社に入り込んで具体的な不正金額を固める業務です。
SPAはシステム領域を担当しますので、基本的に仕事はパソコンとデータの中に限られています。不正に直面することは限定的ですが、フォレンジック調査で耳にした従業員の方のお話や金額はとても生々しいものでした。不正の手口や影響額について調査を通じて明確にする際に、初めてそれまでの会計監査業務だけからでは得られなかった、一味違う体験をしました。紙とデータの上でのみ理解していた数字が、非常にリアリティあるものとして理解できるようになったのです。
久禮:
フォレンジック調査には自ら手を挙げて参画したのですか。
藤井:
いいえ、上長から急遽お声がけいただきました。会計不正を解明するフォレンジック調査は突然起こるものです。それまでに割り当てられた仕事の種類や実績から、急遽立ち上がったチームにおいても臨機応変に対応できると評価してもらえていたのかもしれません。
久禮:
非定型な事象について考えていけるタイプ、あるいはとにかく前に進みながら答えを見出すことができるタイプだと、周囲が藤井さんの突破力を評価し、信頼していたのでしょうね。ご自身はPwCで培った経験やスキルについてどう振り返っていますか。
藤井:
ハードスキルとしては、公認会計士の見習いとして帳簿の理解と表計算ソフトを扱うスキルなどが身についたと思います。今でも当時磨いたスキルセットは資産として役立っています。
ソフトスキルとしては、どのようなプロジェクトにアサインされても最後まで働く胆力や、プロフェッショナルとしての精神性を学ばせていただきました。例えば、スポーツでは膨大な練習を行うことで、美しく無駄の無い動きを得ることができます。仕事も一緒で、体に染みつくほどの量の仕事をこなしていくことで、自ずとその仕事量が質に変化すると個人的に考えています。実際、PwC時代に学んだ「やりきることの大切さ」は、今でも私の自信につながっています。
久禮:
自分のスキルアップやキャリアの蓄積を認知するのは難しいと思いますが、藤井さんが自身の仕事の質の変化を感じたのはどのようなタイミングですか。
藤井:
正直、あらた監査法人で仕事をしている時はあまり自覚できず、ただ必死に働いていました。一方、キャリアを変えるたびに前職で培っていた自分のスキルセットが磨かれていると実感することができました。走っている最中は分からずとも、時間が経つにつれ速く長く、そして美しく走れることに気づくイメージです。
PwC Japan有限責任監査法人 パートナー 久禮 由敬
久禮:
中国での経験についてもぜひ聞かせてください。PwC卒業後に中国に渡られましたが、何がきっかけだったのでしょうか。
藤井:
きっかけとして大きかったのは2008年に起きたリーマン・ショックです。米国の住宅バブル崩壊に端を発し世界的な信用収縮が引き起こされていくなか、中国だけは約4兆元とも言われる政府による膨大な景気刺激策を背景に右肩あがりに成長を続けていました。2010年には中国のGDPが日本を上回り、「ルックチャイナ」というキーワードが国内でクローズアップされていました。中国に対する関心・興味が募っていく一方で、日本国内にとどまっているだけでは、中国経済の実態を直接肌身で感じることはできず、また、中国語ができる公認会計士も自分の周りにはいませんでした。現地の一次情報に触れることができ、かつ中国語が分かる公認会計士になればプロフェッショナルとして圧倒的な付加価値を生むことができるのではないか。そう考えて中国行きを決めました。
久禮:
日本で仕事を辞めて留学するとなると、かなりのリスクテイクですよね。留学ビザで許される滞在期間は長いようでとても短いと思います。不安や迷いは感じませんでしたか。
藤井:
「とにかく中国に行きたい」という思いが強かったです。とはいえ、あらた監査法人を辞める前に読み書きの勉強は徹底しましたし、有給休暇を使って3回ほど事前に現地視察もしました。肌感覚として中国に行ってもいきなり死ぬことはないなと。不安が全く無かったと言えば嘘になります。さりとて他に行く方法もなかったので必死でした。
中国での生活が3カ月程度経過すると、ある日突然中国語が聞き取れるようになりました。コミュニケーションが取れるようになってきてからは、適応力がぐっと高まりました。
久禮:
素晴らしいですね。中国では、どのようなお仕事をされていたのですか。
藤井:
戦略系コンサルティング会社の中国オフィスに入社しました。最初は順調だったのですが、入社後しばらくすると尖閣諸島の国有化問題が発生して、中国国内で反日感情が急速に高まり、業務にも大きな影響が出ました。具体的には温めていたクロスボーダーM&A案件の全てがボツになったり、どんな提案も白紙になったり、という状況でした。厳しい時期が続きました。
日中関係の改善の兆しが見えない中で、日本からの中国への投資が東南アジアに流れていきました。私もその流れの中でマレーシアやタイの大型案件を経験することができました。
特にマレーシアでの経験は面白かったです。日系企業によるマレーシア企業買収後のPMI案件を会社が獲得したのですが、マレーシアでは実はマレー系と中華系の人々の間の根深い問題があります。そこで、英語も中国語も話すことができて民族的に中立な日本人の自分が本件を担当することになりました。
中国語と英語を駆使し続けるタフな環境でしたが、最後まで食らいついたことで語学力も仕事の能力も一気に成長したと実感しています。
久禮:
中国のみならず、東南アジアでも貴重な経験を積まれたのですね。
藤井:
はい。中国には5年半いましたが、そのうち2年ほどはタイやマレーシアなど東南アジアでキャリアを積むことができました。日本に帰ってからは外資系のプライベートエクイティファンドに勤務し、1年くらい経ったタイミングで新居から声をかけられました。新居の視座の高さ、設立しようとする会社の存在意義や成長可能性に魅了され、当時はまだ紙一枚の存在だった技術承継機構に本格的に参画することになりました。
久禮:
国内外でさまざまな経験をされてきた藤井さんですが、PwCについてはどのような印象を抱いていますか。
藤井:
何より、あらた監査法人は私が社会人として最初に入った会社です。キャリア初期段階で諸先輩方には丁寧にご指導いただき、仕事のイロハを叩き込んでいただきました。思い返せば、私は若輩者にも関わらず、周囲に対してストレートな物言いをしていました。それでも根気強くご指導いただいた当時の上司の皆様には、今でも頭が上がらないです。
久禮:
今でもPwCのメンバーや卒業生とつながりはあるのでしょうか。
藤井:
一部の同期や上司とは今でもつながりがありますし、当社管理部の一人はあらた監査法人の同期です。もう一人の同期には、譲受企業の税務・会計顧問を担当してもらっています。PwC出身の人材はバックグラウンドのチェックに多大な時間をかけることがないですし、何より目線や思いの共有がスムーズです。一緒に働いていてとても心強いです。
久禮:
PwCを卒業後、事業会社や投資ファンド、さまざまな立場を経験してこられたことを踏まえて、改めてプロフェッショナルファームであるPwCについて、どのように感じておられますか。メッセージをお願いします。
藤井:
昨今、コンサルティング業務の産業化とも言うべき状況が生まれているなかで、プロフェッショナルファームにおいても、チームプレーを優先し過ぎる考え方や、社内の評価を気にする方々が増えている傾向があると感じます。社内だけではなく、クライアント、さらには未来の社会に評価されるプロフェッショナルな人材をいかに輩出できるか。それがプロフェッショナルファームに今、問われていることだと思います。
変化の激しい時代です。健全な経済社会の発展を支えることで公益に資するという監査法人の存在意義を勘案すると、今PwCで活躍されている現役の皆様には、大企業はもとより、ベンチャー企業やスタートアップ企業へのアドバイザリーサービスの提供や監査業務の提供、さらには社会全体の信頼性の確保に注力していくことも期待したいです。
久禮:
チームプレーを大切にしつつ、それと同時に一瞬一瞬を個々の力で戦える人材こそ重要であるというご意見はとても参考になります。現在のPwCのメンバーにもぜひ伝えたいメッセージです。最後に今後の展望を聞かせてください。
藤井:
今当社はIPOの準備プロセスを進めています。私自身、開業届という紙一枚から始まった組織が日本の資本市場に出ようとするダイナミズムを現在進行形で味わっています。
IPOを実現することでさらに会社の信用度を上げることができ、譲受企業の視点から見た当社のイメージも大きく変化するでしょう。また大規模な資金を調達することができれば、数百億円、数千億円規模の企業も譲受対象となります。これまでとはスケールの異なる仕事をしていくためにも、IPOによる会社のパブリック化は、次なる大きな飛躍へのターニングポイントになると感じています。
IPO後は、海外企業の譲受も視野に入ってくると思います。当社メンバーの多くは海外での勤務や生活に抵抗が無いですし、事業承継という論点は全世界共通です。日本では製造業を中心に譲受を行っていますが、海外ではまた異なる業種・領域がテーマになるかもしれません。世界的に少子高齢化が進む国が増えていくなか、当社はグローバルかつより幅広い視点で企業価値を高めていきたいと考えています。
久禮:
本日は貴重な話をありがとうございました。時代や場所が変わっても、未来の社会にいかに役に立ち続けるか、という視点で共通の思いを持ち続けていただいていることを改めて貴重に感じました。変化の激しい時代だからこそ、お互いにそれぞれの立場で日々の新しい挑戦を続けていきたいと思います。
藤井 陽介
株式会社技術承継機構 執行役員
あらた監査法人(現PwC Japan有限責任監査法人)にて監査業務に従事。退所後単身で中国に渡り、HSK最高ランクの6級を取得。戦略系コンサルティング会社の中国オフィスにおいて上海・東南アジアで5年勤務し、日系および現地企業にコンサルティングサービスを提供。技術承継機構参画当初は豊島製作所の譲受に尽力。豊島製作所部品事業部の経営およびタイ子会社社長として海外子会社の成長を推進。現在は執行役員管理部長として技術承継機構の管理面を統括。
久禮 由敬
PwC Japan有限責任監査法人 パートナー
経営コンサルティング会社を経て、2006年あらた監査法人(現PwC Japan有限責任監査法人)に入社。財務諸表監査、システム監査、データ監査、内部統制監査、コーポレートガバナンスの強化支援、ガバナンス・リスク・コンプライアンス関連支援、グローバル内部監査支援、不正調査支援、BCP/BCM高度化支援、統合報告関連の調査・研究・助言などに幅広く従事。ステークホルダーエンゲージメントオフィス、基礎研究所担当パートナーを経て、2023年7月よりトラスト・インサイト・センター長を兼任。