
各国サイバーセキュリティ法令・政策動向シリーズ(5)ブラジル
各国サイバーセキュリティ法令・政策動向シリーズの第5回目として、ブラジルのデジタル戦略と組織体制、セキュリティにかかわる政策や法令とその動向などについて最新情報を解説します。
各国サイバーセキュリティ法令・政策動向シリーズでは中国・台湾、インド、シンガポール、メキシコ、ブラジル、米国の近年(主に2023年から2024年にかけて)におけるデジタル・サイバーセキュリティの動向および将来の見通しについて解説します。本シリーズは、グローバル展開している国内企業のIT、サイバーセキュリティ、法務部門の責任者、デジタル政策・規制動向に関心を持つ責任者を対象としています。主要国・地域で進むデジタル政府化の取り組み、セキュリティ法規制、あるいはAI規制のような最新動向を早期に把握し、対応に優先順位を付けたい、向こう数年で発生しうるリスクを理解したいという方への一助になることを目指しています。
第4回目はメキシコについての最新情報を解説します。
メキシコにおける政府のデジタル化の歴史は、1990年代に遡ります。1995-2000年の国家開発計画(西:Plan de Desarrollo Nacional、英:National Development Plan)の下で、会計院および行政開発省が担当した行政近代化計画(西:Programa de Modernización de la Administración Pública、英:Public Administration Modernization Program)と統計局が担当した情報発展計画(西:Programa de Desarrollo Informático、英:Computer Development Program)を開始しました*1。2000年に大統領府に行政革命課が発足し、2001-2006年の国家開発計画では、電子政府促進という具体的な目標が明記されました*2。
2019-2024年の国家開発計画では、デジタル政府に関する計画は明記されていませんが、社会平等を目指す現代化計画の中、高速インターネットの普及が目標とされています。以上をもって2021-2024年デジタル戦略は①行政機関のデジタル政策、および②社会のデジタル政策という行動軸に基づいて憲法第3条-Vのテクノロジー利益享受権と第6条が規定する国民のICTへのアクセス権保障を目的としています。以上の目標を達成するため、①緊縮財政原則(西:Principio de Austeridad、英:Austerity Principle)、②汚職禁止原則(西:Principio de Combate a la Corrupción、英:Anti-corruption Principle)、③デジタル手続き効率化原則(西:Principio de Eficiencia en los Procesos Digitales、英:Digital Process Efficiency Principle)、④情報セキュリティ原則(西:Principio de Seguridad de Información、英:Information Security Principle)、⑤デジタル主権原則(西:Principio de Soberanía Tecnológica、英:Digital Sovereignty Principle)が規定されています。
2024年6月に当選したシェインバウム大統領は1995年にエネルギー工学の博士号を取得した後、研究者として活動し、2000年以降政界に進出しました。メキシコシティ市長としての任期中(2018-2023年)シェインバウム大統領は、デジタルアジェンダの作成およびデジタル庁の設立を目標とし、メキシコシティのデジタル化を推進しました*4。
2025年1月時点ではシェインバウム政権のデジタルアジェンダは、発表内容等からおよそ以下のような内容が含まれると想定されます。
①デジタル化の促進:政府のデジタルトランスフォーメーションを進めるための「簡略化とデジタル化に関する国内法(西:Ley de Simplificación y Digitalización、英:Simplification and Digitalization Law)」の公表*5。国内外関係なく、全てのメキシコ人が利用できるオンライン手続きでの認証手段Llave MXの導入。
デジタル・トランスフォーメーション・アンド・テレコミュニケーションズ・エージェンシー(西:Agencia de Transformación Digital y Telecomunicaciones、英:Digital Transformation and Telecommunications Agency)設立の宣言。
②ソフトウェア開発:メキシコシティのモデルを連邦政府に適用し、全ての行政機関が利用できるソフトウェアリポジトリの作成。サイバーセキュリティ、データ分析、通信政策も対象。
③システムの統一化:行政機関が利用するシステムの相互運用性の確保。
④国民相談窓口:デジタル化について国民の相談を担当する窓口の設立。
「簡略化とデジタル化に関する国内法」は、行政手続きの負担は国民ではなく政府が背負うべきという原則に基づいて、手続きの簡略化、デジタル化、政府機関が保管している書類の提出不要、手続きの統一化、デジタル書類は紙書類と同じ効果とする等を規定しています。
2014-2018年デジタル戦略の採用とともに、大統領府の傘下にデジタル戦略の調整局(西:Coordinación de la Estrategia Digital Nacional*6、英:Digital National Strategy Coordination)が設立されました。大統領府規制の下で、デジタル戦略の作成および実行の他、調整局は次の役割も託されています。
①連邦政府機関のデジタル戦略目標達成の評価。
②デジタルインクルージョンを達成するため、イノベーション、透明性、協力、国民参加を促進する政策の作成。
③連邦政府機関のIT担当者候補の提案。
④公立および私立機関、国際機関、民間企業、国民との連携。
⑤ICT製品、設備等に関する公共調達の作成に参加。
⑥サイバーセキュリティ政策の作成に参加。
2024年11月にシェインバウム大統領は、行政手続きのデジタル化を担当するデジタルトランスフォーメーション庁(西:Agencia de Transformación Digital、英:Digital Transformation Agency)という新しい機関を設立することを発表しました*7。デジタルトランスフォーメーション庁がデジタル戦略執行のほか、現在インフラ運輸通信省(西:Secretaría de Infraestructura,Comunicaciones y Transporte、英:Secretariat of Infrastructure,Communications and Transportation)に託されている電気通信対策の作成を担当します。さらに、郵政システムはデジタルトランスフォーメーション庁の下に置かれる予定とされています。
2014-2018年の国家安全計画(西:Programa Nacional de Seguridad、英:National Security Program)では、サイバーセキュリティ文化の促進が目的とされ、国民向けの説明会が行われました。また、分野ごとのサイバーセキュリティ計画等が規定されています*8。
2017年に、ICTの重要性とその利用に伴うリスク、およびサイバーセキュリティ文化の必要性を理由とし、サイバーセキュリティ国家戦略が公表されました*9。サイバーセキュリティ戦略は2030年までに、「レジリエンスメキシコ」を目的として、3つの原則、5つの戦略目的、および8つの行動軸で構成されています。
戦略の原則は次のとおりです。
①人権視点:表現の自由、情報へのアクセス権、プライバシー権のような人権に配慮したサイバーセキュリティ対策の採用。
②リスクマネジメント中心:不確実な状況の防止および対応対策に基づいたサイバー空間のリスクや危機への対応能力の確保。
③学際的連携:オープンおよび透明性がある、様々な分野の参加を可能とする幅広いアプローチの採用。
これらの原則を実現するため、以下の戦略的な目標が設定されています。
①社会と権利:国民が、サイバースペース上で生活改善のために、様々なやり取りを安全に行えるような状況の創出。
②経済とイノベーション:サイバーセキュリティの強化による経済の保護およびイノベーションの促進。
③公立機関:行政サービスの継続的な提供を確保するため、公立機関のシステム保護。
④公安:サイバー犯罪の防止およびその検査の強化。
⑤国家安全:国家安全の危機となるサイバーセキュリティリスクへの対応強化。
以上の戦略的目標を達成するため、以下の行動軸が定められています。
①サイバーセキュリティ文化:公立私立機関、民間企業、国民が持つサイバーセキュリティに関する知識や通常の行動と定義され、その文化の普及を目的とする。
②能力開発:リスクマネジメント、サイバー空間の機器、国家レジリエンスを強化するのに必要な社会、学界、公共部門、民間部門能力の発展かつ強化を目的とする対策を講じる。
③連携と協力:各行動軸の調整およびサイバーセキュリティ環境の統合を目的とする公私の機関、学界、市民社会の総合連携対策を採用する。
④ICTの研究、開発、およびイノベーション:国家サイバーセキュリティを促進するためにICTの研究、開発、イノベーションを行う。
⑤技術的な標準:サイバーセキュリティ標準を作成する。
⑥重要インフラ:ICTを利用して重要インフラの管理に伴うリスク、脆弱性を減少させるための対応方法や手段を定める。
⑦法的枠組みおよび自主規制:サイバーセキュリティの法的な枠組み、およびICT関連企業の自主規制の適切性を確保するための必要な対策や手段を規定する。
⑧評価かつフォローアップ:サイバーセキュリティ戦略の目標達成評価および社会的かつ経済的な影響の確認によって改善可能な部分を特定するための評価方法を定める。
国家サイバーセキュリティ戦略は、メキシコ国家全体、市民社会、学術界、民間セクター、公的機関が、ICTの恩恵を最大限に享受するために策定しなければならない一般的な行動を反映した文書であり、5つの戦略目標と8つの行動軸を提案しています。8つの行動軸は、3つの原則に従ってアクションが策定されます。
これらの目標を整理したのが以下の図です。
図表:サイバーセキュリティ戦略の目標(外側)、行動軸(内側)、原則(下部)
また、2023年に国家防衛省(西:Secretaría de la Defensa Nacional、英:National Defense Secretariat,SEDENA*10)がハッキングされたことをきっかけに、サイバーセキュリティ法案が提出され、2025年1月時点では議論中です。さらに、シェインバウム大統領のデジタルアジェンダには国家サイバーセキュリティ計画(西:Plan Nacional de Ciberseguridad、英:National Cybersecurity Plan)を作成する目標が記載されていますが、2025年1月時点では公表されていません。
メキシコではサイバーセキュリティに関連する複数の組織があります。国家警備隊のCERT-MXは行政機関および重要なインフラについてのセキュリティインシデント、警察庁のCERT-MX*11はサイバー犯罪の防止かつ調査、国家警備隊の傘下のCERT-MX*12はサイバー攻撃、重要インフラの保護、サイバーセキュリティに関連するガイドライン作成*13を担当としています。また、国民安全保護省(西:Secretaría de Seguridad y Protección Ciudadana*14、英:Citizen Security and Protection Secretariat)のサービス、サイバーセキュリティ技術的発展総合局はサイバーセキュリティについてのガイドライン*15およびアラートを公表しています。
国家防衛のレベルでは2016年に創設されたSEDENAのサイバー空間指令センター(西:Centro de Operaciones del Ciberespacio、英:Cyberspace Operation Center)に、陸軍および海軍のサイバーセキュリティかつサイバー防衛活動の調整およびSEDENAのCERTとしての役割も託されています。また、2022年に設立された海軍のサイバー空間調整局(西:Coordinadora General del Ciberespacio*16、英:Cyberspace General Coordinator)は、海軍サイバー空間戦略およびそれに関連するICTかつインフラの保護を担当しています。
2025年1月時点ではメキシコではAI戦略は作成されていませんが、いくつかの法案は議論されています。2023年5月にAIおよびロボット工学の倫理的な利用規制法案(西:Ley de Regulación Ética de la Inteligencia Artificial y la Robótica、英:Ethic Regulations for the Use of AI and Robotics Act)が提出されました。この法律において、人権尊重、男女平等、その他の基本権を保護しつつ、AIおよびロボット工学は社会的な利益のために用いられるとする原則を定め、AIおよびロボット工学の倫理的利用委員会の創設も提案しています。
また、2024年4月からAI規制連邦法案(西:Ley Federal que Regula la Inteligencia Artificial、英:AI Regulation Federal Act)が上院で議論されています。この法律は、EUのAI法のようにAIの利用についてリスクベースのアプローチを採用し、国内外を問わず、メキシコで提供されるAIサービスプロバイダ等に適用されます。
メキシコは2014年以降のデジタル戦略に基づき、国民へのネットワークアクセス拡大など、基礎的な部分から徐々にデジタル化の取り組みを強化しています。サイバーセキュリティ法案整備は2023年の防衛省のハッキングをきっかけに整備が進められています。AI法案はEU AI法と同じリスクベースアプローチを採用する予定であるため、EUとメキシコに事業展開している企業は、今後メキシコでもEUと同じような準備が求められると考えられます。
*1 JOSÉ RAMON GIL-GARCIA,JUDITH MARISCAL AVILÉS,FERNANDO RAMÍREZ HERNÁNDEZ,Gobierno Electrónico en México: Antecedentes, Objetivos, Logros y Retos, 8 Buen Gobierno 8, 15 (2010).
*2 Id at 19.
*3 https://agendadigital.cultura.gob.mx/documento/estrategia-digital-nacional-2021-2024(2025年1月31日閲覧)
*5 https://mexiconewsdaily.com/news/sheinbaum-bureaucracy-paperwork-law-digitalization-mexico/(2025年1月31日閲覧)
*6 公式サイト:https://www.gob.mx/cedn.
*7 Presidencia de la República,Presidenta Claudia Sheinbaum presenta la nueva Agencia de Transformación Digital para simplificar trámites y evitar la corrupción,https://www.gob.mx/presidencia/prensa/presidenta-claudia-sheinbaum-presenta-la-nueva-agencia-de-transformacion-digital-para-simplificar-tramites-y-evitar-la-corrupcion(2025年1月31日閲覧)
*8 例えば、海軍は、サイバー空間の組織的戦略(西:Estrategia Institucional para el Ciberespacio 2021¡2024、英:Cyberspace Institutional Strategy)を公表していますhttps://www.gob.mx/cms/uploads/attachment/file/661788/Estrategia_Institucional_Ciberespacio_SM.pdf(2025年1月31日閲覧)
*9 https://www.gob.mx/cms/uploads/attachment/file/399655/ENCS.ENG.final.pdf(2025年1月31日閲覧)
*10 公式サイト:https://www.gob.mx/sedena(2025年1月31日閲覧)
*11 公式サイト:https://www.gob.mx/epn%7Cpoliciafederal/articulos/centro-nacional-de-respuesta-a-incidentes-ciberneticos-de-la-policia-federal(2025年1月31日閲覧)
*12 公式サイト:https://www.gob.mx/gncertmx(2025年1月31日閲覧)
*13 ガイドライン一覧:https://www.gob.mx/gncertmx?tab=guias(2025年1月31日閲覧)
*14 公式サイト:https://www.gob.mx/sspc(2025年1月31日閲覧)
*15 Secretaria de Seguridad y Protección Ciudadana,Ciberguia 2.0, https://www.gob.mx/cms/uploads/attachment/file/805352/ciberguia-2-12-22_.pdf(2025年1月31日閲覧)
*16 公式サイト:https://www.gob.mx/semar/articulos/coordinadora-general-del-ciberespacio
※本稿は、早稲田大学法学学術院講師・パナマ共和国弁護士のロドリゲズ・ルベン氏に調査協力いただきました。
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