望ましいサイバーセキュリティの未来(自動車業界編)

  • 2025-02-21

はじめに

社会のデジタル化が不可逆的に進展する中で、サイバーリスクも加速度的に増加しています。近い将来、サイバーセキュリティのリソースが今まで以上に不足することは明白であり、企業は戦略的に対策を講じる必要があります。さらに、国家の関与が疑われるサイバー攻撃に対処するうえで、CISOやセキュリティ責任者は、国際政治や地政学リスクに関する知見を持ち、より多様なスコープでサイバーセキュリティ戦略を策定することが求められます。本シリーズでは、CISOやセキュリティ責任者がどのような未来志向のサイバーセキュリティのビジョンを持つべきかを解説します。

私たちは、未来を見通し、そこから導かれる複数のシナリオから次の一手を見定め、迅速に行動を起こすことが、これからの企業の発展に不可欠であると考えます。そこで本シリーズでは、各業界で起こる未来に対して、新たにどのようなサイバーリスクが生じ、それに対する望ましいサイバーセキュリティの未来とは何かを提示します。第1弾となる今回は、自動車業界が対象です。

(B)実用性重視の最低限の機能を備えた低価格SDV

ビジネス戦略:

実用性重視の最低限の機能を備えた低価格SDVは、主にグローバルサウスを含む新興国で展開する戦略です。この戦略では、低コストの半導体を活用したドメイン型アーキテクチャを採用し、コストを抑えながらも高度な機能を提供することを目指しています。最低限の販売価格を実現するためのコスト削減策を講じ、手頃な価格での提供を可能にすることで、グローバルサウス市場での競争力を高めます。

現在、グローバルサウスでは人口ボーナスにより、若年層を中心としたボリュームゾーン世代の数が急速に拡大しています。このため、インフォテインメントと先進運転支援システム(ADAS)に焦点を当てたSDVを通じて、新興市場での存在感を強化し、将来的な成長の基盤を築くことが期待されています。

サイバー脅威:

グローバルサウスの市場開拓においては、目新しいサイバー脅威は特に想定されませんが、近年、途上国におけるサイバーリスクが関心を集めており、そのことを念頭に置いて備える必要があります※6。具体的には、デジタル機器の設定ミスや誤操作によるインシデントの発生、脆弱性を放置し続けることで生じる不正アクセス被害等が想定されます。

また、グローバルサウス市場に進出する際には、進出する国や地域ごとに異なる法規制に準拠することが求められます。特に、自動車業界においては、車両のサイバーセキュリティ、AI、プライバシーに関する法規制が重要な課題となります。自動車OEMメーカーやサプライヤーは、各国・地域の異なる法規制に対応しなければならず、これに伴うコンプライアンス対応コストが増加する傾向にあります。

さらに、「データローカライゼーション」と「DFFT(Data Free Flow with Trust)」の二極化にも注目が必要です。各国や地域が自国のデータ主権を重視する動き、すなわちデータローカライゼーションを進める一方で、グローバルな経済成長を目指すデータ流通の推進(DFFT)も行われています。データローカライゼーションの例として、インドの2023年デジタル個人データ保護法※7では、個人データの国外移転を全面的に禁止していないものの、中央政府が特定の国や地域への移転を制限できる仕組みを導入しています。この法律により、データをインド国内に保存する必要性が生じるため、企業にとってはデータ保存に関するコストが増加します。また、データの利活用においても制約が生じる可能性があり、グローバルなデータ運用における障壁となり得ます。

望ましいサイバーセキュリティの未来:

グローバルサウス市場でのサイバーセキュリティ対策は、基本的に「(A)機能性とカスタマイズ性を適時提供可能なSDV」で示した施策の延長線で検討することができます。加えて、海外現地法人やサプライヤーのリテラシーや文化を考慮し、グローバルガバナンスを強化することが求められます。具体的には、現地法人にCISO(最高情報セキュリティ責任者)やBISO(ビジネス情報セキュリティ責任者)を設置し、ビジネスを理解しながらセキュリティ対策を推進することが望ましいです。そして、国際的なベストプラクティスに従い、認証強化、多層防御、脆弱性管理、異常検知の対策を行い、リアルタイムにセキュリティ状況を監視し対応できる体制を構築することが重要です。

自社のグローバルガバナンス強化だけでは、根本的なサイバーセキュリティのリソース不足を解決できません。進出する国や地域における法規制に準拠し、国際政治の動向に応じて自社の戦略を常に見直す必要があるためです。一企業の対策ではなく、社会全体の視点でみた望ましいサイバーセキュリティの未来を以下に示します。

  • 国連機関WP29が策定した国際標準「UNR155」、「UNR156」といった車両サイバーセキュリティ標準だけではなく、IoTセキュリティやAI、プライバシー保護に関する理念が国連で国際的に承認される。この理念に基づき、各国・地域が法規制を整備し、協調的な体制が整備されている
  • 欧州の自動車情報セキュリティ審査基準「TISAX」をはじめとする認証制度でも相互認証が推進され、企業は一度認証を取得するだけで、他の国・地域でのビジネスが可能になっている
  • EV充電インフラセキュリティ「NIST IR 8473」等の国際的なベストプラクティスが知見としてグローバルに展開され、全てのサプライヤーが一定基準以上のセキュリティ対策を実装できている

(C)移動を超えて、生活に融合したSDV

ビジネス戦略:

エンターテインメントやスマートハウスなどのアフターサービスを超えた車外体験を提供することで、既存顧客のロイヤルティを向上させ、新たな価値を提供することができます。モノの価値よりも体験の価値を重視する富裕層をターゲットにした戦略においては、車そのものを主役とするのではなく、顧客に提供するラグジュアリーな体験を重視します。富裕層の消費行動は、他者の羨望を引き起こし、社会的承認を得るような体験によって動機付けられており、このような富裕層の消費行動に応えるためには、自動車OEMメーカー・サプライヤーは以下のようなリッチなサービス開発に注力する必要があります。

  • スマートハウスで視聴していたコンテンツを、車内でも続けて楽しめるサービス
  • AIカーナビを利用して、車内で高級ブランドの商品購入や高級レストランを予約できるサービス
  • 車の走行データを基にしたライフスタイル全体をサポートするコンシェルジュサービス
  • 富裕層向けの自動車ショールーム兼コミュニティスペース
  • 世界中の旅先でシームレスに利用できるモビリティサービス
  • 未発売のコンセプトカー、空飛ぶ車、電動シーグライダー(水上飛行機)等、先端モビリティ技術の体験ができるサービス

サイバー脅威:

富裕層向けサービスにおいては、金銭目的のサイバー攻撃が増加することが懸念されます。生成AIによって作成された巧妙な偽メッセージを利用してフィッシングサイトに誘導し、認証情報を盗み、個人の資産が狙われるリスクが高まります。また、車の位置情報が漏えいすると、個人の行動パターンが把握され、不正アクセスや犯罪行為のリスクが急増します。さらには、海外渡航情報が漏えいした場合、旅行先で犯罪に巻き込まれる、または留守宅が狙われるといった危険性もあります。

ラグジュアリーブランドを提供する事業者にとって、レピュテーション毀損を目的としたサイバー空間での不正行為も無視できないリスクです。富裕層向けブランドは、そのブランド価値と信頼性が大きな資産であり、一度損なわれると回復に多大な時間とコストがかかります。特に、ソーシャルメディアや口コミサイト上での悪意ある投稿や偽情報の拡散は、瞬時に世界中に広まり、ブランドイメージを大きく揺るがす可能性があります。

望ましいサイバーセキュリティの未来:

富裕層向けサービスを高品質で継続的に提供し続けるためには、サイバー攻撃によるレピュテーションリスクを最小化する必要があります。そのためには、業界標準レベルでは十分ではなく、他社の手本となるようなベストプラクティスを目指す必要があります。

また、最高の体験を顧客に提供するために、「ユーザブルセキュリティ」を意識したサービス設計が必要です。ユーザブルセキュリティとは、システムの安全性を確保しつつ、ユーザーの利便性を高めることを目指す取り組みです。具体的には、安全性が高く誤操作が起こりにくいパスワードレス認証等の技術を採用すること、分かりやすいエラーメッセージを表示することが挙げられます。

富裕層向けサービスへのサイバー脅威に対して、望ましいサイバーセキュリティの未来を以下に示します。

  • ハイブランドを維持するためにサイバーセキュリティを強化し、他社の手本となるようなベストプラクティスを実践している
  • SNS等でのブランド毀損を最小化するため、ブランドモニタリングを徹底している
  • 「ユーザブルセキュリティ」を意識したサービス設計により、富裕層がストレスなくデジタル技術を利用できている
  • 最高級の安全性とサイバーセキュリティに取り組む姿勢について、普段から顧客とコミュニケーションを行い、ブランドの価値や経営姿勢を明確に伝えている

(D)自家用車を超えて、遊休車両の活用や社会課題解決に資するSDV

ビジネス戦略:

社会課題解決に資するSDV戦略とは、都市や過疎地の社会課題の解決を目指す取り組みです。自動車業界が政府や自治体と連携し、車両販売に依存せず、総合的なモビリティサービスで収益化を目指す戦略です。

世界の主要都市では、都市部への人口過密化が今後さらに進むことで、道路の渋滞、公共交通の遅延等が慢性化する懸念があります。自動運転バスを普及させることに加え、普段使っていない個人所有の自家用車をロボタクシーとして活用することで、都市のモビリティを改善する取り組みを推進する必要があります。

一方、地方においては、過疎化が進む地域の移動手段の確保や物流に関する課題が顕在化することが予想されます。日本では、地方の若年女性人口が減少するため自治体の4割が最終的には消滅する可能性があるとした分析が公表されました※8。運送会社は地方へ荷物を届けることが採算的に難しくなるため、一部の県では中長期的に荷物が運べなくなる事態が生じる可能性があります。このような課題を解決するためには、自動運転トラックを普及させ、ドライバーに依存せずに長距離の輸送を行うことが必要です。また、地域内の移動や物流の確保のために、小型の自度運転車両や配送ドローンの導入も推進する必要があります。

これらのモビリティサービスは、自動車業界だけでは実現が難しいため、政府や自治体と連携してモビリティ最適化のための交通運行管理システムを構築し、長期間運用していくことが求められます。

サイバー脅威:

社会課題解決に直結したSDV戦略を推進すると、サイバー攻撃被害が物理的な被害に直結しやすくなります。特に懸念されるサイバー脅威は、交通運行管理システムへのサイバー攻撃です。交通運行管理システムは、主に交通トラフィックを常時モニタリングし、自動運転車両に渋滞を解消するようルート指示を出すものです。このシステムが大規模なサイバー攻撃を受けシステムが停止すると、市民生活やビジネス活動が長期間にわたり麻痺する可能性があります。

また、運行データの盗難や改ざんも懸念されます。モビリティサービスに関連するデータには、位置情報、運行履歴等が含まれており、これらが悪意ある第三者に渡ると、犯罪に利用される可能性があります。さらには、これらのデータが改ざんされた場合、サービスの信頼性が損なわれるだけでなく、交通事故やトラブルの被害が発生することも考えられます。

国家の関与が疑われるサイバー攻撃にも注意が必要です。国家主体のサイバー攻撃者が都市のモビリティサービスに破壊的なダメージを与えた場合、その影響は大規模災害に匹敵します。国家が支援するサイバー攻撃者は、非常に高度なサイバー攻撃手法を用いるため、完全に防ぐことは難しいです。したがって、インシデントの早期発見と被害の最小化に取り組むことが重要です。

望ましいサイバーセキュリティの未来:

モビリティサービスで解決すべき社会課題に取り組むためには、一企業の努力だけでは難しく、複数の事業者と自治体が互いにサイバーセキュリティを向上させる「共助」の取り組みを推進する必要があります。共助の視点での望ましいサイバーセキュリティの未来を以下に示します。

  • サイバー空間と物理空間が密接に接続することを前提に、官民が協力する仕組みを構築しつつ、責任分界点を明確にしている
  • 地域ごとにフュージョンセンターを構築することで、サイバーセキュリティだけでなく、防犯や物理セキュリティ、交通運行管理などの監視機能を一カ所に集約させ、地域の安全・安心を包括的にモニタリングしている
  • インシデントが発生した場合には、バックアップや代替手段に速やかに切り替えるオペレーショナルレジリエンスが構築されており、定期的に官民が連携したサイバーフィジカル減災演習を実施している
  • 顧客や住民のモビリティ関連データの利活用が、地域のセキュリティ向上につながっていることについて啓発が行われており、一般市民のアウェアネスが高まっている

今まで示した日本の自動車産業の取り組み領域ごとの「望ましいサイバーセキュリティの未来」を以下の図表2に示します。

図表2:望ましい未来のための “ドライバー”

図表2 望ましい未来のための"ドライバー”

まとめ

日本の自動車産業が取り組むべき4つの領域ごとに、PwCの知見と公開情報をもとに「ビジネス戦略」、「サイバー脅威」、「望ましいサイバーセキュリティの未来」を解説しました。自動車業界で起こる未来に対して、新たにどのようなサイバーリスクが生じるかを想像し、そこからバックキャスト型で今後取り組むべき施策を導出するアプローチは、中長期の戦略を策定するために有効です。各ステークホルダーが連携して、望ましい未来に備えるため、「政府・自治体」、自動車OEMメーカー・サプライヤーの「経営層」、「CISO・セキュリティ責任者」ごとに推奨事項を以下でまとめています。

政府・自治体への推奨事項:

国家レベルでは、車両サイバーセキュリティやAI、プライバシー等の各種法規制の相互認証を推進し、自動車業界に過度なコスト負担をかけないバランスの取れた仕組みづくりが必要です。また、自治体レベルでは、官民が連携して社会課題解決に資するモビリティサービスを推進し、サイバー空間と物理空間の安全・安心を確保する取り組みが求められます。

自動車OEMメーカー・サプライヤーの経営層への推奨事項:

日本の自動車業界が世界でSDVシェア3割を目指すにあたり、サイバーセキュリティ成熟度の向上は不可欠です。経営層は、サイバーセキュリティが製品品質の一部であるという認識を持ち、取締役会や経営会議での定期的な議論、必要なリソースの確保、社内の啓発推進等、責任者としてのリーダーシップを発揮する必要があります。さらには、社会課題の解決に取り組むため、官民連携をリードし、安全・安心なモビリティサービスを推進することも求められます。

自動車OEMメーカー・サプライヤーのCISO・セキュリティ責任者への推奨事項:

自動車業界のCISO・セキュリティ責任者は、自社のビジネス戦略を深く理解すること、サイバー攻撃情報や技術動向に常にアンテナを張ることはもちろんのこと、国際政治や地政学リスクに関する知見も必要です。それらをインプットとして、中⾧期サイバーセキュリティ戦略を策定するために、社内外の関係者と自社の課題や障壁、打ち手となる施策を議論することが重要です(図表3)。

図表3:CISO・セキュリティ責任者に推奨するアプローチ

図表3 CISO・セキュリティ責任者に推奨するアプローチ

以上

執筆者

上杉 謙二

ディレクター, PwCコンサルティング合同会社

Email

三山 功

パートナー, PwCコンサルティング合同会社

Email

阿部 健太郎

ディレクター, PwCコンサルティング合同会社

Email

奥山 謙

ディレクター, PwCコンサルティング合同会社

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