
東日本大震災および能登半島地震からの復旧を通じた新たなコミュニティモデルの創出 第3回 東日本大震災からの「復興×まちづくり」を進める女川町に学ぶ
行政、議会、町民、産業界の4者が連携することで東日本大震災での甚大な津波被害から復興しつつある女川町の取り組みに着目し、「復興×まちづくり」を検討するにあたってのポイントを紹介します。
私たちはさまざまな潜在的リスクに囲まれながら暮らしており、そのリスクは予期せぬ形で顕在化します。世界規模での感染症の流行、地形を変えてしまうほど甚大で広域に及ぶ自然災害、日常的に起こりうる可能性がある交通事故や疾病、また不平等が固定化する社会構造の中で起きる虐待やいじめなど、規模や発生原因、表出の仕方はさまざまですが、私たちは多くの社会課題と向き合いながら生きることを余儀なくされています。
昨今、テクノロジーの開発スピードはますます加速し、私たち生活者の日々の生活の至るところに組み込まれています。そのテクノロジーの中には、まだ扱い方が見えていないものや、規制があいまいなため課題が山積しているものもあります。しかし、このスピードを止めることはできません。予期せぬ大きな困難がいつ私たちの目の前に立ちはだかるか分からない現代においては、個人、組織、国家のそれぞれがさまざまなテクノロジーを活用する能力を身に付け、磨き続けることで、困難を乗り越えることが求められていると考えます。
日本は自然災害が多い国であり、言うまでもなくこれまでも被害の抑止や防止に取り組んできました。しかし、発災自体を防ぐことはできません。私たちにできることは、起きるかもしれない災害に備えておくこと、発災をより早く正確に予見すること、被害状況をより早く正確に把握すること、1日でも早く復旧することです。
これからも災害をはじめ、困難は日常的に起こります。また、それらが同時多発的に発生し得る、ポリクライシスの時代が到来します。わたしたちは、困難を乗り越える能力を身に付け、磨いていくことが求められています。
変化に対応し、強くしなやかに生きることを表す「レジリエント」という言葉があります。この言葉の要素を分解すると、「立ち直る力」と「耐える力」に分けられます。「耐える力」とは、苦難に満ちた言葉にも聞こえますが、「我慢する」ということよりも、その状況を皆でポジティブに楽しみながら乗り越えるというニュアンスも欲しいものです。困難な状況をどうやって乗り越えようかと考える際にポジティブな思考をフル回転させれば、未来に対してより前向きに、積極的になることができるのではないでしょうか。本稿では、「困難をポジティブに乗り越える力」を「レジリエントケイパビリティ」(resilient capability)と呼ぶことにします。
“エコ”は昭和においては「環境問題」「公害問題」と表現され、ネガティブな印象を与える言葉でした。しかし、現在“エコ”は、環境や社会に良いことをしようというポジティブな言葉になりつつあります。レジリエントケイパビリティをポジティブな言葉や活動として世の中に浸透させることで、困難をポジティブに乗り越える力が日本や世界に広がることを願います。
例えば、災害が発生した際に避難所は最低限の暮らしに必要な衣食住を充足させることが当面の目標となりますが、結果として劣悪な環境にならざるを得ないこともあります。避難所に対する印象をポジティブなものに変え、困難を乗り越える力を磨く機会として前向きに立ち向かうマインドセットや行動が災害発生時の基本になることを日本から世界に広めていきたいと考えています。
2024年の元旦に発生した能登半島を中心とする地震は、人々に大きな衝撃をもたらし、日本中を悲痛な気持ちでいっぱいにしました。一刻も早く復旧・復興を成し遂げて、未来に向けて希望を持つことができる状態にすることが強く求められています。
被害が特に大きかった能登半島の6市町の皆さんにとって「もどる」は大きな願いであり、成し遂げるべき目標であります。しかし、地震前と同じ暮らしに「もどる」ためには、道路や港などのインフラの整備、農業や漁業を以前と同じように営むことができるための事業環境の整備などが求められます。
また一方で、能登半島の6市町は、地震が発生する前から人口減少、世帯減少の傾向があり、高齢者が占める比率も高く、全ての方が震災前と同じ場所、同じ仕事、同じ家に「もどる」のか、個々に丁寧に意向を把握しながら考えていく必要があります。どのように「もどる」を実現することが6市町の皆さんにとって適切なのか、その判断は極めて複雑で、難しいものとなります。
「ふるさと」に「もどる」ということは、かけがえのないことです。それを認識しつつ、発想の転換を図ってみます。もし物理的な場所と論理的な場所が一致していなくても、それ以前と同等の暮らしや、人と人とのつながり、引き継がれてきた文化を再現できれば、心の痛みは緩和されるのではないでしょうか。住居や施設の移転・再編を前提としつつも、以前と同様の「暮らし方」や「文化」を再現することで、思い出やつながりを失うことなく、安心や安定を手にすることができるのではないでしょうか。その前提には人と人がつながり合えるコミュニティが必要であると考えています。
いま、デジタルソリューションの進化は加速しています。豊かさをもっと追求するために使われ、私たちはより豊かになるための方策を試案します。一方で、これからはネガティブインパクトを最小化するためにも、予期せぬリスクを回避するためにも、デジタル技術を使うという発想が必要になります。
例えばエストニアでは、有事に備えてデジタルIDやデジタル通貨などの技術を活用して国民のつながりを平時から実現しています。コミュニティのデジタルシフトを実現し、コミュニティの価値を高めようとしているのです。日本においても、もしもの困難に備えてコミュニティのデジタルシフトを実現することは有用であると考えます。
能登半島地震の復旧・復興を考えることは、日本における新しいコミュニティのモデルの1つを具現化することに通じます。単にデジタル技術の活用にとどまらず、国・広域自治体・基礎自治体の役割分担を新しいコミュニティにあわせて見直していくことも欠かせません。本連載では、コミュニティのデジタルシフトを選択肢の1つに含めることとその有用さを解説し、日本における新しい形のコミュニティの実現に向けた取り組みの第一歩として、東日本大震災後の宮城県女川町の取り組みや、能登半島地震からの復旧・復興の様子を踏まえながら提言を行っていきます。
行政、議会、町民、産業界の4者が連携することで東日本大震災での甚大な津波被害から復興しつつある女川町の取り組みに着目し、「復興×まちづくり」を検討するにあたってのポイントを紹介します。
災害が発生した際には、国・都道府県・市町村が連携することで被害の拡大を防ぎ、迅速に復旧を図ることが求められています。 国と自治体の連携の現状と、今後検討すべきことについて考察します。
東日本大震災や能登半島地震からの復旧、復興を考えることは、日本における新しいコミュニティのモデルを具現化することに通じます。コミュニティのデジタルシフトがそのための選択肢の1つとなることと、その有用さについて解説します。