東日本大震災および能登半島地震からの復旧を通じた新たなコミュニティモデルの創出

第3回 東日本大震災からの「復興×まちづくり」を進める女川町に学ぶ

  • 2024-06-18

2024年の元日に発生した能登半島地震は、改めて日本がいつ何時も震災と向き合い続けなければならないことを示しました。そして、私たちにできることは備えることです。

しかし、いつ何時も全てに対して、備えきることは費用対効果の観点から現実的ではありません。そのため、コミュニティのレジリエンス向上やインフラの強靭化、各人の意識醸成などの推進が欠かせません。こうした課題認識は既に広く定着しているものの、新たに何をすべきなのかが見えないのが現状ではないでしょうか。

私たちは本連載を通じて、激甚災害に係る行政運営上の課題や震災復興のナレッジ共有、論点の提示、復旧復興の在り方、デジタル活用を通した新たなコミュニティづくりなど、いくつかの論点を発信したいと考えています。

そして、私たちのナレッジを少しでも多く公開することで、どこかで、誰かのお役に立ちたいと考えています。

能登半島地震の復興に関わる皆様が少しでも前向きになり、少しでもホッとする時間ができ、また悩みや想いを語り合うきっかけを持っていただけたら――。そうした想いでコラムシリーズを書かせていただきます。

4. 町民の想いを知るためのアプローチ

町の大部分が津波被害に遭った当時の女川町は、復興後の“まち”の姿を想像することが難しい状況でした。

しかし、住民なくして“まち”は成立しません。

そこで、発災直後から「女川で暮らすこと」を想像しやすいように、災害FMラジオや避難所への情報発信など、積極的に情報公開を進めていきます。

時には、後に状況が変わり誤情報を発信してしまうこともあったそうです。一方、「女川で暮らすこと」を少しでも想像してもらえるように、その時点で持つ情報を積極的に情報発信することを心がけていました。

正確性を高めるために情報を精査することは重要です。しかし、情報共有の遅延は疎外感や不安感を冗長することにもつながります。有事には積極的な情報公開と迅速な訂正、真摯な対話が欠かせません。

また、住民中心のまちづくりに向け、町は町民へのヒアリングを実施しました。避難所にいる方、二次避難先の方、町外へ避難された方など、置かれた状況はさまざまです。

そして、役場も被災し、住民情報がありません。仮に住所が判っても、その場所に家がないなど、平常時のヒアリングとは勝手が異なります。

そこで、町民同士の口コミを活用するなど、さまざまなアプローチを通じて情報を発信し、会場への移動を考慮し、住んでいた地区ごとでのヒアリング会場設置や、避難所でのヒアリングなど、約2年をかけて90%近くの町民にヒアリングを実施しました。

第1回のヒアリングでは基礎情報の収集、第2回のヒアリングでは再建に向けた希望調査を主として実施しています。また、ヒアリングは役場職員が実施し、メモ作成を外部企業に委託するなど、町民が話をしやすい環境づくりを進めていることも特徴的です。

図表3 町民意向カルテ

5. 町民が希望を持つ会議の進め方

町民意向カルテの情報だけを基にまちのグランドデザインを構築し、名ばかりのまちづくり会議を進めていたとしたら、今日の女川町はなかったと考えます。

女川町では、町長も参加する広聴会が約240回開催され、まちのグランドデザインを町長自らが語り、町民との対話を進めています。

そこでも、役場や事業者の置かれた状況、回答可能な領域、タイミングなどを踏まえ、行政とFRKがつなぎ役として協働することで、一体感を持った議論を進めています。

円滑な業務遂行を優先する際は、前提条件を提示し、議論の範囲を絞ることが有効です。また、まちづくり会議のように多種多様な意見が不規則に発せられる場合、進捗に大きな影響が出る事項を隠したくなる気持ちも分かります。しかしそれでは、多くの住民が納得感を持ったまちづくりやシビックプライド醸成、まちづくりの自分事化を推進することは困難です。

女川町の広聴会・復興デザイン会議では、建設コンサルタント会社と独立行政法人都市再生機構(UR)と行政が事前に検討した具体的なゾーニング案を基に議論が進められています。

議論内容は完全公開とし、誰でもコメントして良いという雰囲気が醸成されています。結果、行政事務の負荷は非常に高くなります。しかし、当時の担当者から「非常に忙しかった。しかし、広聴会を通して街が良くなっていくイメージ、住民がまちを自分事として捉えて本気で議論している熱量を感じた」と伺っています。

これは被災直後から女川で暮らすことを想像してもらうために進めていた“まちの自分事化促進”の成果だと考えます。

まちづくりには状況変化により、議論の前提条件が変わることが多々発生します。そうした事態が起きる可能性があることを伝えながらも、その時に見えている情報を真摯に発信することで、町民の不安解消・街に住むことへの解像度の向上に効果的です。広聴会や復興デザイン会議、真摯な情報公開により、行政・議会・町民・産業界の信頼関係が強化され、今日の女川町につながっています。

6. おわりに

本稿で紹介した女川町の取り組みは、復興過程のほんの一部です。

被害状況から復興計画の検討変遷までの詳細は「女川町 復興記録誌」(女川町HPにて公開)に記載されています。

本件は日本に1,700以上ある市区町村の中で、稀な1つの事例かもしれません。しかし、希望の1つとして、改めてここに示したいと考えます。

気候変動により、今後の災害の激甚化が予想されます。また、人口減少が加速する未来では、従来のアプローチで対応しきれない事象が増えることも容易に想像できます。

そのような状況を生き抜くためには、被災現場の最前線にいる官公庁や地方自治体の職員だけでなく、支援に入る可能性がある事業者、被災者の1人になる可能性がある私たち個人もこうした事例を学び続け、備える必要があります。

そうした地域の復興事例を日本全体のナレッジとすること。

時間や場所の制約を打破するテクノロジーを活用し、ステークホルダー同士の知の協働により人口減少社会におけるアセット不足を補っていくこと。これらが現代のレジリエンス強化を実現すると確信しています。

女川町の皆様には、能登半島地震での被災自治体との会議において、惜しみなくナレッジを共有していただきました。

この場を借りて、改めて感謝申し上げます。誠にありがとうございました。

執筆者

林 泰弘

パートナー, PwCコンサルティング合同会社

Email

犬飼 健一朗

マネージャー, PwCコンサルティング合同会社

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連載「能登半島地震の災害復旧を通じた新たな日本のコミュニティモデルの創出」一覧

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