
財経部門の業務プロセスを変える生成AI活用実証実験の裏側――チャットボットの枠を超えて、真の生成AI変革を実現
業務プロセスの改革を目指す大手商社の三菱商事株式会社とPwC Japanグループは、共同で生成AIを用いた財務経理領域の業務自動化の実証実験を行いました。専門的な知見とテクノロジーを掛け合わせ、実験を成功に導いたプロジェクトメンバーの声を聞きました。
大手商社の三菱商事株式会社(以下、三菱商事)は、中期経営戦略2024で「MC Shared Value(共創価値)の創出」を目標に掲げる。社員が価値創出に進むには業務プロセスの改革が不可欠であり、財務経理業務の効率化も急がれる。そこで同社は、PwC Japanグループと共同で、生成AIを用いた業務自動化の実証実験を行った。専門的な知見とテクノロジーを掛け合わせ、実験を成功に導いたプロジェクトメンバーの声を聞いた。
(左から)坂元、川崎、角谷、若山氏、西原氏、高橋氏
――三菱商事の財務経理業務ではどんな課題を抱えていましたか。
西原氏:当社は2022年、「中期経営戦略2024 MC Shared Value(共創価値)の創出」を策定しました。当社がこれまで培ったトレーディングや事業経営のノウハウ、グローバルに張り巡らされたネットワークから得られる知見などをつなぎ、改ためてグループの総合力を発揮することで、新しい価値を生み出すことを目的とした取り組みです。
三菱商事株式会社 主計部 部長代行 兼 業務プロセス統括室長 西原 直氏
“商社は人こそが最大の財産”と言われますが、それは社内にいてひしひしと感じます。戦略を進めるうえでの要である、社員一人ひとりが価値の創出に専念する環境を整えるには、まずは業務プロセスを改革し、無駄な作業を減らしていくことが求められていました。
私たち財務経理部門が所管する業務の現場では、社員は多くの手作業に追われ、煩雑で属人的な作業も多く残っている実態がありました。しかし、当然これらは、毎日の出納から決算、税務申告など、定型業務でありながら会社にとって必要不可欠な仕事です。これらの業務を財務経理部門だけでなく会社全体として、いかに効率よく行うかが課題でした。
業務プロセス変革にあたり、私たちが意識していたのは、「三角形を逆三角形に」というフレーズです。従来の業務の比重を三角形にして表すと、一番下にある定型業務の量が一番多い。そして一番上には、会計データなどを分析して洞察を得るという、本来社員が注力すべき仕事があるのですが、そういったクリエーティブな業務に十分に時間を使うことができません。これを逆さにして、財務戦略の洞察などに使う時間を増やす、すなわち「三角形を逆三角形に」という発想です。そして、それを実現させるための重要な要素の1つがAIだと思っていました。
――PwCコンサルティング合同会社(以下、PwCコンサルティング)は、三菱商事の財務経理部門の業務プロセス変革を支援されていたそうですね。
坂元:はい、当社で私は総合商社に対するコンサルティングサービスの担当をしており、2023年から、三菱商事の財務経理部門の業務効率化、生産性向上について一緒に検討させていただいてきました。
三菱商事では基幹システム(ERP)の刷新も計画されていたため、これを業務変革のチャンスと捉え、2030年を見据えた業務モデル変革を進めるうえで、基幹システムとその周辺の業務プロセスをどう設計すればいいか両社で協議を進めていました。その中で、変革のカギを握るのはテクノロジーの動向ではないかということで一致しました。
西原氏:昨今の生成AIの急速な進化を調べ上げていく中で、生成AIは使い方次第で経理業務との相性が非常にいいのではないかと直感的に感じました。
これまでも、財務経理に関わる構造化されたデータの自動処理や、データ連携の仕組みは積極的に導入してきました。ですが、構造化されていない請求書、契約書などの帳票類は、これまで自動化のスコープ外でした。生成AIは、そこを自動化する突破口になるのではないかと思い、そのアイデアをPwCコンサルティングにぶつけてみたのです。
――その意見を聞いてどう感じましたか。
坂元:2024年の現時点で、2030年にAIがどう進化し、業務でどこまで使えるようになるのかを正確に予想することはできません。また、財務経理業務に生成AIを使うことは少し時期が早いのではないかという意見もありました。
しかし、まず今できることを知らなければ、2030年の業務プロセスの将来像を描くこともできないだろうという三菱商事の考えには賛同しました。そこで、現時点でどこまでできるかを確認するため実証実験(PoC)を行うことが決まりました。
――実証実験では、どういった業務を効率化しようと考えましたか。
高橋氏:経理業務の中で多くの時間を占めているのは、資料を見て、そこから財務、会計、税務に必要な情報を抽出する、といった、目視や手作業を必要とする属人的な業務です。非常に手間を要するここの業務を自動化できないかと考えました。
当社は国内だけで、年間数千社の企業から請求書を頂いています。つまり、数千種類の書式が存在しています。従来「AI-OCR(AI搭載型光学式文字読み取りシステム)」と呼ばれるシステムでは、1つひとつのデータの位置を合わせなければ読み取ることができませんでした。これを数千種類に対応させることはもちろん不可能です。しかし生成AIを使うことで、個別の指定がなくても読み取れるのではないかという期待がありました。
――PwC Japanグループではどのような体制で実証実験に臨みましたか。
坂元:今回の実験は、技術的な開発だけでなく、より財務経理の実務に精通したチームが必要だと考え、グループ内で探したところ、PwC税理士法人に適任の部門が存在することが分かりました。早速彼らも合流してプロジェクトがスタートしました。
川崎:PwC税理士法人は、クライアントから資料を預かり、記帳代行や税務申告業務を日常的に行っています。PDFや紙の資料からの情報抽出およびその後の会計・税務処理を自動化できないかと、所内でもOCRやAIの活用について研究していましたので、今回のプロジェクトは、この取り組みを発展させるイメージでもあり非常に有意義だと感じました。
また、AIを導入するにあたっては当然リスクも伴います。今回の件でも「ハルシネーション」など、いわゆるAIが間違いを犯すといったことも考えられますし、著作権の問題などもある。セキュリティーにおいても財務経理部門では機密情報が非常に多い。そういったところで、財務経理の経験・知見が豊富な私たちだからこそカバーできる点があったと思います。
PwC税理士法人 パートナー 税務レポーティング・ストラテジー 川崎 陽子
――実証実験を行った業務内容について教えてください。
高橋氏:「保証債務台帳」「支払調書」の2つの業務を対象にしました。まず保証債務台帳ですが、様々な取引先から当社に届く保証契約書や、残高証明書、利息の計算書など、多種多様な内容の書類を1つの表形式の保証債務台帳として転記する作業が発生します。
若山氏:この作業を四半期に1度行っているのですが、書式はもちろん、言語も統一されていない資料と格闘して情報を抜き出さなければいけないため非常に大変です。例えばタイ語などなじみのない言語で書かれている書類では、それが何の書類なのか一目で判断することができません。
日本語やアルファベット以外の文字は、簡単に入力・検索することもできないので、そういう場合は、その言語が分かる営業担当者のサポートを手掛かりに進めますが、とにかく手間と時間がかかるうえ、その営業担当者の言葉を信じるほかないという状態になってしまいます。
(左から) 三菱商事株式会社 主計部 業務プロセス統括室 次長 高橋 大輔氏/三菱商事株式会社 主計部 業務プロセス統括室 若山 哲亮氏
角谷:この課題を解決するため、書類をスキャンしてPDFファイルに変換して、決められたフォルダーに入れるだけで、OCRと生成AIを活用して台帳用のデータ抽出を自動で行う仕組みを構築しました。
――開発にはどれぐらいの時間がかかりましたか。
角谷:実証実験は2024年の4~5月の2カ月間でしたが、前半の1カ月は書類のインプットから、OCRと生成AIによるデータ抽出や経理判断処理、AI処理結果のアウトプットまでを一気通貫で自動化するフローを開発しました。
そして後半の1カ月は、出力の精度を上げるために「スプリント(短期サイクルの開発プロセス)」を実行しました。週に1回、双方で集まって改善するポイントを話し合い、翌週までに改善を実施して再び確認する作業を繰り返しました。
(左から) PwCコンサルティング合同会社 ディレクター 総合商社担当 坂元 俊介/PwC税理士法人 シニアマネージャー 税務レポーティング・ストラテジー 角谷 亮太
――生成AIの処理の精度について、三菱商事側はどう感じましたか。
若山氏:実験の前半では、精度は50%と高くなかったため心配にはなりました。書類が複雑で種類も多すぎるため、一連の処理の部分を改善していく手立てを考える必要がありました。
そうした中、PwC税理士法人から「Multi-Agent」という複数のAIが協働する仕組みの構築の提案を頂き、そこから精度が上がっていきました。
角谷:当法人も過去の実装経験から、複雑な書類の読み込みは単純な生成AIの導入だけでは難しいと感じていました。そこで、「Multi-Agent」型の仕組みを導入しようと考えました。
例えば、1人の人間に100の仕事を同時に与えると、それだけでパニックになってしまうのと同じように、AIも1つのAIに多種多様なデータやタスクを与えるとミスが多くなります。そこで、請求書専用AI、契約書専用AIといったように書類タイプごとにAIを複数並べて、それらを協働させるシステムを作りました。言うならば、個々のAIに別々の「人格」を持たせたようなイメージです。今回のプロジェクトでは、5つほどのAIを用意し、それらを統括する「管理職」的なAIも加えて業務プロセスを自動化しています。
――支払調書を処理する実証実験ではどのような違いがあったのでしょうか。
高橋氏:こちらは、書類の内容を読み取って、税法上の支払調書に該当するのかを生成AIに判断させる検証を行いました。そのため、書類から情報を抜き出しただけの保証債務台帳よりも一段レベルの高い処理だと思います。
当初はAIに税法を読み込ませそれを基に判定させたのですが、これだけではいい結果は得られず、インターネット検索の情報などを追加することで精度を上げることができました。
角谷:現在のAIは、まだ税法を正確に解釈して判断することができないケースが多いです。そこで、より具体的な事例を文章に追加したり、ネット検索で得た支払先企業の事業概要などの情報を加えたり、過去にあった類似取引や判定結果を読み込ませたりと、様々なソースからの情報を集約してAIに投入することで精度向上を実現しました。
――今回の実証実験の結果をどのように感じていますか。
高橋氏:満足のいく結果になったと感じています。「Multi-Agent」の効果が大きかったのもそうですが、さらに精度を上げていくスプリントの過程で、インプットするデータを工夫すればいいとか、さらにAIを追加すべきであるなどと、PwC Japanグループから毎週新しい改善の提案があったことが、今回の飛躍的な精度改善につながったのだと思います。今回の実験対象業務が財務経理業務でしたので、そこに対してPwC税理士法人の豊富な知見が役に立ちました。今回の実験で、AIは、AI自体の賢さよりも、使い手の工夫と使い方が肝になるのだということを学びました。
若山氏:保証債務台帳に抽出できたデータの正解率は、平均97%と非常に高い精度が得られました。また支払調書の判定も最終的に再現率98%まで上げることができました。この結果には非常に満足しています。
坂元:私も実験当初は心配しましたが、2カ月という短期間で急速に精度が上がっていく状況を目の当たりにして、スプリント段階での生成AIのさらなる可能性を実感しました。今回は財務経理のプロジェクトでしたが、他の業務にも展開が可能で、ビジネスを大きく変えることができるポテンシャルを感じました。
西原氏:今回の実証実験は、汎用的な生成AIを用いた実験だったというのが1つ特徴だと思っています。業務に特化した大量の学習を積み重ねたモデルではなく、いわば普段使いの生成AIで、個別具体的な経理業務において、非常に高い精度が実証され、今後AIの活用余地は広がっていくだろうと強く感じました。この結果を踏まえ、将来的にはAIに任せる部分、人が注力する部分をうまく織り交ぜた形での業務設計をしていきたいと考えています。社員が人にしかできない仕事に注力できる環境を提供できる、生成AIと人がコラボレーションする世界をイメージしながら、今後も業務改革を進めてまいります。
川崎:生成AIというと、チャットボットのイメージが非常に強いと思います。今回のプロジェクトは、実際の業務プロセスに生成AIを組み込み、さらには人が判断する部分も一部生成AIで代替できることが証明できました。チャットボット以外で生成AIが財務経理業務で応用ができることを具体的に確認できたことは非常に革新的な事例になったと思います。
ただし、実際に業務に適用する際には人によるレビューは必要不可欠です。経理業務は企業の根幹を担う情報を扱うため、機密情報はマスキングするなど、データのセキュリティーにはとくに注意する必要があります。AIをはじめとするテクノロジー技術と財務経理や税務の実務の双方に知見を持つ、私たちPwC税理士法人がお役に立てればと思っています。
生成AIには多くの可能性があると思っていますので、今後も生成AIの有効活用の拡大に向けて、さらなる開発を進めていくとともに、多くのクライアントに体験していただけるよう準備に取り組んでまいります。
※本稿は日経ビジネス電子版に2024年に掲載された記事を転載したものです。
※法人名、役職などは掲載当時のものです。
業務プロセスの改革を目指す大手商社の三菱商事株式会社とPwC Japanグループは、共同で生成AIを用いた財務経理領域の業務自動化の実証実験を行いました。専門的な知見とテクノロジーを掛け合わせ、実験を成功に導いたプロジェクトメンバーの声を聞きました。
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