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タイの外交政策は伝統的に中立的なバランス外交、全方位外交を軸とし、米国や中国などのいずれの主要国にも傾倒しすぎないことで安定的な安全保障環境を維持し、経済成長によって軍事政権含め各時代の政権の正当化を図ってきました。
対中関係では、タイは中国との間で領有権問題を持たず、特に2014年の軍事クーデター以降、軍政を批判しなかった中国とは経済関係が緊密化しました。一方で、国境を接さないものの地理的に近い中国への警戒感も存在し、中国による複数のダム建設によって水がめであるメコン川は干ばつ問題を抱えています。オバマ政権の「アジア回帰」を機に米国はタイを含めメコン川流域国への関与を深め、南シナ海や台湾と同様にメコン川の問題に関して中国への批判を強めました。
対米関係では、歴史的にタイと米国は安全保障の同盟関係を保ち、中国の脅威へのバランシングを志向してきました。しかし2014年の軍事クーデター以降は、タイの民主化を求める米国との関係は悪化し、民主主義や人権問題での米国の内政干渉を警戒してきました。
ASEANの原加盟国であるタイは、ASEANの政治・安全保障上の議論には深入りしていません。他方で「地域大国」として独自の貢献を遂げたいとの意向を持っているものの、近年はASEANの盟主としてインドネシアの存在感が目立つ状況です。
タイの一大産業である自動車産業に関して、プラユット政権は2030年までに電気自動車(EV)の国内生産台数を全体の30%まで引き上げる政策を掲げており、バッテリー駆動電気自動車(BEV)への生産・販売優遇措置により市場が拡大しています。日本勢が圧倒的シェアを持つ内燃機関車からEVに市場の切り替えが徐々に進むなか、中国系EVメーカーが相次いでタイへの投資を発表し、自動車産業の勢力図が大転換する可能性があります。
内政面では、2016年のプミポン国王の死去以降、国民の王室観の変化や、2019年の前回の下院総選挙において反軍政を掲げ躍進した新未来党に対する憲法裁判所による解党命令などを契機に、軍政批判を行い、長年タブー視されていた王室改革を希求する若者による民主化デモが度々発生しました。王室の政治への影響力の高さや、王室への侮辱を罰する不敬罪の存在がタイの民主化を妨げてきたという考えが若者を中心に広がっており、親軍政権が不敬罪や緊急事態宣言を利用し、民主化を求めるデモ隊を拘束する事案も発生しています。
一方で近年の国内経済成長の鈍化も、タイ国民の現政権への不満に拍車をかけました。2014年から続くプラユット政権において、タイの経済成長率はマレーシア、ベトナム、インドネシアといった他のASEAN諸国と比較して低水準となっています。貧富の差の拡大や新型コロナウイルス感染症による経済活動の停滞のほか、直近では急速なインフレ進行も重なり、国民生活に大きな影響が出ています。
王室や軍制の改革を求める民主化運動の拡大や、成果が出ないプラユット政権の経済政策、拡大する所得格差といった社会的背景のもと、5月14日に実施された下院総選挙では王室の政治的位置付けや軍制改革、経済問題が主な争点となりました。
軍事クーデターを批判し、司法制度改革を求め、広い層から支持を集めた最大野党「タイ貢献党」の躍進が当初は期待されました。しかし、タイ貢献党が保守層の反発を恐れ不敬罪や王室改革について曖昧な立場を取ったことや、親軍与党「国民国家の力党」との連立や政策面での妥協といった憶測が流れたことで、民主化を求めた若者らの支持を失い、野党「前進党」に次ぐ第2党(141議席)にとどまりました1。
一方で、不敬罪や王室改革、軍の政治介入や強制徴兵制の廃止など、急進的な政策を貫いた前進党はバンコクで33議席中32議席を獲得するという圧倒的な勝利を収めたほか、伝統的にタイ貢献党の地盤であるチェンマイでも議席を伸ばすなど、全国で151議席を獲得して第1党となりました。自由で公正な民主主義の重要性など、新たな価値観の台頭を背景に有権者のほぼ半数を占めるミレニアル世代やZ世代といった若者だけでなく、あらゆる年代の有権者から支持を集めたのが勝因でした。
下院総選挙の結果を受け、7月10日現在、前進党、タイ貢献党を含む野党8党(合計312議席獲得。以下「8政党連合」)が連立政権を組む方向で調整を進めており、前進党のピター党首が首相候補となっています。
7月13日の首相指名選挙は、定数が500人の下院、250人の上院の計750人の議員による投票で決定されます。勝利には過半数の376票が必要ですが、8政党連合の議席数は312と過半数に届かないため、2017年施行の新憲法のもと軍事政権の機関が任命し、保守派が多数を占める上院議員から支持を受ける必要があります。その他にも前進党のピター党首の首相指名と8政党連合による政権発足を妨げる要素があり、仮に連立政権が樹立されたとしても、その後の安定的な政権運営が困難となる可能性もあります。
首相指名選挙とその後の政権運営の想定シナリオは大きく2つありますが、以下の「シナリオ1」の可能性が高いと考えられます。
首相指名選挙で前進党のピター党首が指名され、前進党、タイ貢献党を含む8政党で連立政権を樹立し、その後安定した政権運営を実現するシナリオです。
8政党連合で連立政権が樹立されるも、不敬罪改正やクーデター撲滅のための司法制度改革に対して国軍など守旧派からの反発が起こり、以下のいずれかのパターンで連立政権が失脚すると考えられます。
不敬罪改正に必ずしも積極的でないタイ貢献党が前進党と連立を組まず、現与党との連立を組むか、政権に加わらない選択を行い、野党が首相指名選挙で過半数を獲得できず、親軍政権が継続するシナリオです。
7月10日現在、タイ貢献党は前進党との連立に前向きな姿勢を見せており、このシナリオの可能性は低いと考えられます。万が一、親軍政権が継続した場合でも、下院で過半数を獲得した民主派政党が不信任案を可決し、内閣総辞職または解散総選挙の選択を迫れることから、親軍政権は短命に終わることが想定されます。また、首相指名選挙における上院議員の投票権は2024年に消失し、以降は下院議員だけで首相選出が可能となるため、民主派政党からの首相選出が容易になります。
タイの今後の内政・外政見通しと企業活動への影響について、先述のシナリオごとに考察します。
(1)内政と経済の見通し
軍事クーデターなどが起きず、人権や民主主義の尊重を掲げる新政権のもとで安定的な政権運営が継続した場合、有権者から支持を集めた王室改革、軍の政治介入排除、強制徴兵制度廃止などが実行に移されることが想定されます。
タイの民主化が安定的に進んだ場合、投資環境の予見性改善につながるでしょう。一方で民主化政策が保守派の反対で順調に進まなかった場合、軍事クーデターの蓋然性が再び高まり、投資環境の予見性はむしろ悪化する可能性があります。
タイ経済は多くの課題を抱え、大きな改善は容易ではありません。タイは他のASEAN諸国と比べて早いペースで少子高齢化が進み、経済成長も鈍化傾向にあります。そのため、生産性を飛躍的に向上させなければ、高所得国への移行が困難な状態である「中所得国の罠」から脱出することが難しい状況です。プラユット政権はこうした課題認識のもと、2036年までに高所得国入りを目指す長期計画「タイランド4.0」構想を2015年に定めました。そしてこの構想を支える政策として「バイオ・循環型・グリーン(BCG)経済」を掲げ、次世代自動車やスマートエレクトロニクスといった12の重点産業分野の投資拡大を図り、産業高度化やイノベーションなどによる新しい経済エンジン創出に向けた施策を進めています。
前進党の公約にも再生可能エネルギーやカーボンニュートラルの推進、産業構造高度化、イノベーション促進などが掲げられており、名称や内容に多少の相違があったとしても、民主政権下でも経済政策の方向性に大きな変化は生じないと考えられます2。
一方で最低賃金の引き上げ、アルコール産業を含むあらゆる業種での独占廃止と公正な競争の促進、中小企業の法人税率引き下げおよび大企業の引き上げ、産休および育休期間の延長、越境大気汚染などの環境規制強化、電力市場の自由化、無駄なインフラ整備の排除といった企業経営やビジネス環境に変化をもたらす公約については、今後もその動向に注視が必要でしょう。
インフラ整備についても新政権の姿勢を注視する必要があります。プラユット政権が進める東部経済回廊(EEC)開発計画について、前進党は維持する立場をとっていますが、タイ貢献党は新たな経済特区を推進し、EEC開発計画自体の見直しを主張しています。
また、タイ貢献党は公約の中で高速鉄道網整備や中国政府の一帯一路構想との接続によるタイの南アジア、中東、欧州などへのゲートウェイ化を掲げています。一帯一路構想に基づく昆明・シンガポール鉄道を構成する「中タイ鉄道」をはじめとする高速鉄道建設については、少なくともタイ貢献党は推進の立場を取るでしょう3。ただしアピシット政権下で推進された高速鉄道建設の動向については、その後の政権によって計画改定や一時停止といった紆余曲折を経ており、今後も注視が必要です。
なお、新政権で民主化が進んだとしても貿易・投資の両面で重要なパートナーである中国との経済関係が大きく揺らぐことはないでしょう。国境紛争や安全保障上の理由で中国からの投資や貿易に制限をかけるインドや米国と異なり、中国企業のタイ進出や貿易に制限をかけざるを得ないような要因は今のところ存在しません。
(2)外政見通しと地域バランスへの影響
タイの民主化は、米中対立や台湾有事リスクなどの世界の大きな潮流に影響を及ぼすことはほぼ期待できないものの、ミャンマー問題に関するASEAN全体のパワーバランスの変化は一定程度想定されます。
①ミャンマー問題とASEANのパワーバランスの変化
前進党は、ASEAN諸国間の相互内政不干渉の原則を確認しつつも、ミャンマー国民の意思を尊重したうえでミャンマー問題に貢献する姿勢を示しています。2021年2月に発生したミャンマーの軍事クーデターから2年以上が経過しますが、プラユット政権はミャンマーの軍事政権に対して寛容な立場をとってきました。前進党のピター党首は下院総選挙後の記者会見において、ミャンマー軍政が無視し続ける2021年ASEAN首脳会議での合意事項である5項目の和平計画をミャンマーに遵守させる上でタイが果たすべき役割を認識している旨を述べました4。また、ミャンマーの民主派支援などを定め、中国とロシアによるミャンマー軍政支援への非難を記載した米国の「2022年ビルマ法」の施行を支援すると発表しています5。
こうしたタイの動きは、ミャンマーを巡るASEANのパワーバランスに変化をもたらすでしょう。ミャンマー軍政に対して圧力や介入を意図するインドネシア、マレーシア、シンガポールにタイが加わることで、ラオス、カンボジア、ベトナムといった不干渉の立場をとる国とのパワーバランスに変化が生じ、ASEANの一体性やミャンマーへの影響力行使を狙う中国やロシアとASEANの関係にも変化が生じる可能性があります。
②対米・対中政策
民主化が進んだ場合、対米関係の改善に舵を取りつつも中国との良好な関係維持に努めるでしょう。
前進党は米国との安全保障同盟の維持や、米国が主導するIPEF(インド太平洋経済枠組み)への協力、タイと米国が主催する多国間軍事演習「コブラゴールド」の拡大といった対米関係が改善に向かう政策を公約に掲げています。
インド太平洋地域において中国と覇権争いを繰り広げる米国にとって、タイによる対米関係改善の姿勢は歓迎され、タイにとっても商機と見ることもできます。しかし、前進党もタイ貢献党も今のところ対米経済協力の具体的な内容までは打ち出せていません。例えばIPEFについては、貿易自由化など具体的な交渉材料が無い中で、意義のある合意形成に向けては悲観的な見方が出ており、前進党が掲げる「IPEFへの協力」の内容も不透明です。米国不在のCPTPPについても、前進党やタイ貢献党は明確な姿勢は示していません。
一方の前進党は、アジアの平和構築のために中国との協力も重視し、大国間の対立下でバランス外交をとる姿勢を打ち出しています。最大の貿易パートナーである中国が参加するRCEPは、中国という巨大市場へのアクセス促進効果があり、民主化後も積極的にRCEP活用を進めるでしょう。
③対ロシア政策
ロシアによるウクライナ侵攻について、少なくともタイ貢献党は現在の親軍政権よりも強い論調で非難する立場を既に明確化しています。一方で、西側諸国による対ロシア制裁にタイの新政権が入る蓋然性は現時点で必ずしも高くないでしょう。タイは2022年後半にロシアからの直行便受け入れを再開しており、ロシア人観光客が急増しています。タイの観光業はGDPの約2割を占め、中国からの観光客が減少するなか、観光収入拡大を公約に掲げる前進党のもと民主化が進んだ場合、ロシアからの観光客受け入れは続くでしょう。
8政党連合による連立政権樹立後に、司法判断や軍事クーデターなどによって前進党ピター党首が失脚したり、親軍政権が復帰したりした場合、軍事クーデターに反対する大規模デモが発生することが想定され、そこに軍が介入することによって企業活動は一時停滞を免れない可能性があります。政局の混乱やデモ活動が長期化するほどタイ経済は消費や投資といった面で損失を被るでしょう。8政党連合による連立政権樹立が失敗に終わり、親軍政権が継続した場合も、親軍政権の継続に反対する大規模デモなどが発生することにより、経済活動や企業活動が一時停滞する可能性は高いでしょう。
ただし、そうしたクーデターやデモによる経済活動の停滞は、タイ国内に拠点を持つ約6千社の日系企業を含め、多くの企業はこれまでに経験済みです。今後万が一同様の混乱が生じたとしても、ほとんどの企業は冷静に対応するでしょう。
むしろ親軍政権が継続することで経済政策の一貫性が一定程度担保されることは、企業にとって経営の予見性向上につながります。タイランド4.0構想、BCG経済、EEC計画、高速鉄道建設など主要な経済政策は引き継がれ、政策の大々的な転換リスクは軽減されるでしょう。
外政面では、軍事クーデターが発生した場合、対米関係が悪化に向かうことが考えられます。親軍政権が継続した場合、2006年や2014年のクーデターの際と同様に、米国による非難声明に呼応する形でタイの親軍政権は米国との外交面や軍事面での協力関係に制約をかけることが考えられます。
一方で中国は内政不干渉の立場を取り、タイとの政治的友好関係強化に動くでしょう。軍事クーデターが発生するたびに距離を置いてきた米国とは対照的に、中国はタイのインフラ開発を支援し、タイは中国から兵器購入を進めるなど互いに関係を強化してきた経緯があります。貿易や投資の面でも同様であり、プラユット政権初年の2014年時点で14%であった貿易総額に占める中国の割合は、2021年には19%にまで増加しています。対内直接投資(FDI)も、中国は2015年に125億バーツで国別4位であったのが、2022年には774億バーツで首位に浮上しました6。
これまで述べた各シナリオにおける新政権の内政・外政の見通しを踏まえ、企業への影響が比較的大きい点や、新旧政権で政策に差分がある点に絞り、考えられる企業対応について解説します。
(1)タイ拠点の位置付け
(2)競争環境
(3)経済政策
(1)タイ拠点の位置付け
(2)競争環境
(3)経済政策
1 タイ選挙管理委員会 2023年6月
https://official.ectreport.com/overview
2 前進党ホームページ 2023年6月
https://election66.moveforwardparty.org/
3 タイ貢献党ホームページ 2023年6月
https://ptp.or.th/
4 Sebastian Strangio “How Thailand’s Myanmar Policy Could Change Under Move Forward” THE DIPLOMAT, May 24, 2023
https://thediplomat.com/2023/05/how-thailands-myanmar-policy-could-change-under-move-forward/
5 U.S. Government Publishing Office “Burma Unified through Rigorous Military Accountability Act of 2022” April 7, 2022
https://www.govinfo.gov/app/details/BILLS-117hr5497rfs
6 Thailand Board of Investment “Foreign Direct Investment Statistics and Summary” June 2023
https://www.boi.go.th/index.php?page=statistics_oversea_report_st&language=en
坂田 和仁
マネージャー, PwC Japan合同会社