
2022年最新地政学リスク―『企業の地政学リスク対応実態調査2022』から見る企業動向とは
「調査編」では、PwC Japanグループが2019年、2020年に続いて2022年8月に実施した「企業の地政学リスク対応実態調査2022」の結果について解説します。大きな地政学的イベントを経験した日本企業は今、何を脅威と感じ、どのような対応を行っているのでしょうか。
2022-09-20
「今、私たちは全く新しい時代を生きています」
ロシアによるウクライナへの侵攻で混迷を極める国際情勢を、元米国務長官のヘンリー・キッシンジャー氏はこのように表現しています。一大国が他の主権国家を侵略するという1945年以来初めての出来事が欧州において現実となり、外部環境が劇変するなか、企業には地政学リスクに対応することが今まで以上に求められています。
地政学的経営の必要性が叫ばれる今、企業はどのように国際情勢の潮流を捉えるべきなのでしょうか。数ある地政学リスクの中から何に着目し、どのように対応すべきなのでしょうか。これらの問いに答えるため、本シリーズは前編・中編・後編の3回に分けて、ウクライナ情勢を踏まえた最新の国際情勢トレンド、今後1年にかけて注視すべき10大地政学リスク、そしてこれらを踏まえた企業対応のあり方について解説します。
目下の地政学リスクを検討するためには、軍事・経済・イデオロギーの側面から国際情勢の潮流を把握しておくことが必要です。具体的には「大国間競争の深刻化」「世界経済の細分化」「イデオロギーの経済争点化」という3つのトレンドがあります。ロシアによるウクライナへの侵攻はこうした既存の流れを加速させ、企業リスクを増幅させています(図表1を参照)。
現在の地政学的環境の根底にあるのが、「大国間競争の深刻化」です。米国の衰退と中国の台頭に伴い、米ソ冷戦終結以後の米国一極の時代から、米中二極の覇権争いの時代に突入しています。これを背景に、安全保障(南シナ海、台湾など)、経済(一帯一路、デカップリングなど)、イデオロギー(香港民主派やウイグル民族の弾圧など)の各分野において米中対立が顕在化し、台湾有事や中国企業排除措置などのリスクを生み出しています。
米中対立が深まる中で起きたロシアのウクライナ侵攻は、中露の相対的接近を促しており、「欧米対中露」という対立構造を生み出しつつあります。この紛争の平和的解決が困難とみられるなか、中露が軍事および経済の面で連携を深め、新たな冷戦構造が構築されることが懸念されます。
上記の国家間対立を背景に起こっているのが、「世界経済の細分化」です。自由貿易がもたらした国内産業の空洞化への反発として、以前から保護主義の台頭や脱グローバル化の動きは存在しました。拍車をかけるように、米中競争を背景とした米中デカップリングや、ロシアのウクライナ侵攻を契機とした対露デカップリングが起き、世界経済の分裂が加速しています。
加えて、コロナ禍において半導体やバッテリー、医薬用品などの戦略的重要物資確保をめぐる供給網の国内化および多角化の動きが強まりました。他国に依存しないサプライチェーンの構築に向けて主要国が競争しており、経済安全保障への取り組みが世界経済をより細分化させる恐れがあります。こうした経済動向を踏まえ、企業としても、サプライチェーン戦略やレジリエンス戦略などを再考する必要があります。
安全保障および経済の面での競争と同時に起きているのが、「イデオロギーの経済争点化」です。米ソ冷戦の終結により終止符が打たれたはずのイデオロギー対立が、米中関係悪化などを背景に再加熱し、経済問題として浮かび上がっています。特に、ウイグル民族弾圧を背景とした新疆ウイグル自治区産品の輸入規制にみられるように、中国の人権問題をめぐり経済的措置がとられています。ロシアのウクライナ侵攻を背景とした中露の相対的接近が、「権威主義の中露」対「民主主義の欧米」という構造を生み出しており、イデオロギー対立をめぐる経済分裂のリスクが今後も拡大していく可能性があります。
また、元来は社会運動の1つであった環境問題が、異常気象の増加や社会認識の変化などを背景に、主要な経済イシューとして存在感を増しています。そこに環境に係るルールメイキングをめぐって経済競争力強化を図る欧州の動きや、環境規制厳格化をめぐる先進国と新興国の意見対立といった政治的動向が存在します。さらに、ウクライナ侵攻に伴うロシア産化石燃料の輸入禁止は、エネルギー需給の逼迫やグリーントランジションの見直しといった中長期的課題を生み出し、企業対応をより困難にしています。
上記の3大トレンドは、具体的にどのような地政学リスクとして企業活動に影響を与えているのでしょうか。前編では、今後1年の国際情勢を左右する10大地政学リスクのうち、安全保障分野に関わる3つについて解説します。
1つ目のリスクは、東アジア・欧州の有事リスクの増加です。2022年2月から続くロシアによるウクライナ侵攻には終わりが見えておらず、対ロ制裁の長期化が予想されます。この紛争や対ロ制裁の長期化は、サプライチェーンの混乱やコモディティの供給不安の継続を意味し、企業活動に多大な影響を与えることが予想されます。一度紛争が終結した場合も、再発するリスクがあり、こうした企業への影響が再び顕在化することも考えられます。
加えて、この紛争を契機にスウェーデンとフィンランドがNATO加盟に向かい、NATO加盟国が東欧への軍事配備を強化するのに対し、ロシアがこれらの国々にサイバー攻撃や軍事的挑発行為を行う恐れがあります。西側諸国の重要なインフラや企業に対するロシアのサイバー攻撃は既に行われていますが、攻撃がさらに拡大し、社会基盤を担う企業の活動に支障が生じる、ないしは、企業情報が流出するなどのリスクが考えられます。
ロシアのウクライナ侵攻を契機に有事発生リスクへの懸念が高まるなか、特に、台湾をめぐる米中対立に注目が集まっています。東アジアにおける軍事衝突リスクとして、南シナ海や東シナ海をめぐる緊張は以前から高まっていましたが、ロシアのウクライナ侵攻を受け、中国の台湾侵攻への警戒感が高まっています。そのため台湾における有事リスクを想定し、台湾への依存度が高い半導体などのサプライチェーンの多角化が加速しており、関連製品を扱う企業においては、政策動向の把握や調達戦略の見直しなど、対応が求められています。
懸念が高まる一方で、短期における有事発生のリスクは低いと見られています。その背景として、中国が台湾本土制圧に必要な軍事能力を未だ有していない、侵攻時に想定される対中制裁や経済混乱の影響が非常に大きい、習近平政権は秋の党大会における3期目再選に向けて内政課題に注力したい、といった理由が指摘されています。
しかし、8月初旬の米ペロシ下院議長の台湾訪問によって軍事的緊張が高まっており、今後、中国によるさらなる軍事威嚇行為が偶発的な衝突につながる危険性もあるため、予断を許さない状況です。中国政府が8月10日に発表した台湾白書は、「平和的な統一のために最大限の努力を続ける」としつつも、「武力行使を放棄しない」と強調しており、軍事衝突のリスクがあることを物語っています。
また、ウクライナ情勢や米中対立を背景に中露がどこまで軍事連携を強化するかが注目されます。現在、中国はロシアに対する国際的な非難や制裁についてややロシア寄りの立場をとっています。ウクライナ侵攻支援に向けた対ロ武器提供はしていない模様ですが、日本周辺などで中露共同軍事演習を行い、日本やその同盟国である米国への圧力をかけています。さらなる中露軍事連携は「米欧対中露」冷戦構造の定着や軍事衝突リスクの拡大につながりかねず、その行方が懸念されます。
米中間の競争をさらに激化させうるリスクとして、両国の内政動向があります。2022年10月には中国の党大会、11月には米国の中間選挙が予定されており、これら重要イベントの前後で米中の対外政策が強硬化する可能性があります。
バイデン政権の支持率は、インフレ加速や経済減速、中絶や銃規制などの内政課題をめぐり低下傾向にあります。直近では、半導体産業への公的投資などを含むCHIPSおよび科学法(CHIPSプラス法)や、気候変動対策や薬価引き下げ、財政赤字削減などを柱とするインフレ削減法の成立など、同政権は大きな成果を上げています。しかし、こうした成果が支持率回復に直結しておらず、中間選挙では苦戦が予想されています。
この状況で、バイデン政権が求心力向上のために対中外交を硬化させる可能性があります。内政課題に直面した政権が、国内の批判をそらすため、敵対国に強硬的な立場をとるのは国際政治の常套手段です。また、超党派の対中強硬論が存在するなかで、選挙戦において共和党がバイデン政権の対中外交を弱腰であると批判することも想定されます。既に、バイデン政権がペロシ下院議長の訪台を明確に支持しなかったことが、共和党議員による批判の的となっています。これを契機として、バイデン政権が対中外交を硬化させることが考えられます。
一方の習近平国家主席も、党大会における3選に向けて、弱腰な姿勢を見せることはできません。新型コロナウイルス感染症の鎮圧、中国経済の立て直し、政治基盤の強化などの内政課題を優先し、米国との衝突を避けたい習近平政権ですが、米国が対中政策を硬化させているため、断固とした姿勢を示す必要があります。対米強硬の声は共産党政治指導部や人民解放軍、世論の一部に存在し、政治基盤強化を狙う習近平国家主席は対抗姿勢を取らざるを得ません。
今秋の中間選挙と党大会が終わった後も、米中の内政動向に注意が必要です。民主党が中間選挙に敗れ、共和党が下院多数派となる公算が高いなか、次期下院議長となる見込みの現共和党下院リーダー、ケビン・マッカーシー氏は、議長になった場合に台湾を訪問すると公言しています。習近平国家主席が再選を果たした直後の訪台となれば、習政権としても強硬な対応を取らざるを得ません。中国軍が、ペロシ下院議長の訪台時よりも激しい軍事的威嚇行為に走り、緊張がさらに高まる恐れがあります。
こうした大国間競争の激化を背景に拡大するのがサイバー脅威です。国家主導によるサイバー攻撃とそれに伴う民間企業への被害は以前から拡大傾向にありました。ロシアによる2016年米大統領選挙中のサイバー攻撃や2017年のウクライナへのランサムウエア攻撃(NotPetya)、中国による民間企業の機密情報を狙ったサイバー攻撃、ロシアの関与が疑われる2021年の米最大の石油パイプラインへのランサムウエア攻撃など、多くの事例が存在します。実際、PwCが2021年10~11月に実施した第25回世界CEO意識調査によると、世界全体のCEOの約半数が自社に悪影響を及ぼすグローバルな脅威として、サイバーリスクを挙げています(図表2を参照)。
既に常態化したサイバー脅威は、ロシアのウクライナ侵攻に伴うサイバー攻撃によってさらに拡大しています。近年はサイバー攻撃と物理的な攻撃の併用が主流になっていますが、ウクライナにおける紛争は史上初の大規模なハイブリッド戦争といわれています。ロシアはこれまでにも、エストニア(2007年)、ジョージア(2008年)などとの紛争に際し、政府機関のみならず通信、銀行、メディアなどの企業にサイバー攻撃を行ってきました。しかし、ウクライナ侵攻のような大規模な軍事侵攻の文脈で、戦略的にサイバー攻撃が行われた前例はありませんでした。
こうした史上初のハイブリッド戦争が繰り広げられるなか、その影響は企業活動から国家サイバー戦略策定まで幅広く及びます。企業の観点からは、ロシアのサイバー脅威の継続が目下のリスクとして挙げられます。ロシアは、既にウクライナの政府機関、重要インフラ、民間企業に対してサイバー攻撃を行っていますが、上記にあるように、ウクライナへの侵攻が長期化するなかでさらなる攻撃が懸念されます。
ロシアのサイバー攻撃の矛先は、対ロ制裁をする西側諸国にも向けられており、日本を含めた他国企業への影響が懸念されます。加えて、マルウェアなどのウイルスはインターネットを経由し、攻撃対象以外の組織にも影響を与えかねません。実際、Cybereason社の試算によると、NotPetyaの被害は対象のウクライナに留まらず、全世界で12億米ドルにも上っています。今後も同様なサイバー攻撃が行われ、世界的な被害が出る可能性があります。
国家サイバー戦略の観点からすると、各国が自国のサイバー攻撃能力やセキュリティ規制を強化することが想定されます。例えば、台湾有事における中国のサイバー攻撃の可能性が指摘されていますが、人民解放軍はウクライナにおける紛争を事例研究することで、台湾侵攻に際し、より高度なサイバー攻撃の実行を計画していると見られています。米国のペロシ下院議長の訪台をめぐって、中国の関与が疑われるサイバー攻撃が発生していることからも分かるとおり、有事に及ばない緊張状態においてもサイバー手段を用いた威嚇行為は今後も継続するでしょう。このような状況を背景に、日本では2022年5月に経済安全保障推進法が成立しました。重要インフラのセキュリティ強化に関する法規制強化が加速しており、企業には対応が求められています。
上記のように安全保障環境が悪化するなか、軍事衝突やサイバー脅威といったリスクが拡大しています。一方、こうした国家間競争の影響は、経済やイデオロギーの分野にも及んでいます。次回以降では、これら他分野における地政学リスクの詳細と、それらを踏まえた企業対応のあり方について解説します。
「調査編」では、PwC Japanグループが2019年、2020年に続いて2022年8月に実施した「企業の地政学リスク対応実態調査2022」の結果について解説します。大きな地政学的イベントを経験した日本企業は今、何を脅威と感じ、どのような対応を行っているのでしょうか。
国際情勢の3つの大きなトレンドと注目すべき10のリスクなどを解説する「2022年最新地政学リスク」。後編では、国家間競争において環境や人権といったイデオロギーが地政学的争点となっている現状を取り上げるとともに、地政学的動向を踏まえて企業が負うリスクと今後の対応の在り方について解説します。
国際情勢の3つの大きなトレンドと注目すべき10のリスクなどを解説する「2022年最新地政学リスク」。中編では、国際政治上の国家間競争が経済分野にも及び、米ソ冷戦終結終了後に確立しつつあったグローバル経済に細分化の兆候が見られることについてを解説します。
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