
2022年最新地政学リスク―『企業の地政学リスク対応実態調査2022』から見る企業動向とは
「調査編」では、PwC Japanグループが2019年、2020年に続いて2022年8月に実施した「企業の地政学リスク対応実態調査2022」の結果について解説します。大きな地政学的イベントを経験した日本企業は今、何を脅威と感じ、どのような対応を行っているのでしょうか。
2022-09-26
前編では、国際情勢の3つの大きなトレンドと、安全保障環境が悪化する中で軍事衝突やサイバー脅威といったリスクが拡大していることを示しました。中編では、国際政治上の国家間競争が経済分野にも及び、米ソ冷戦終結後に確立しつつあったグローバル経済に細分化の兆候が見られることについて解説します。
まず注目すべきは、米中を軸とする対立が進行するとともに、欧米対ロシアという新たな対立軸も生まれていることです。この新たな対立軸は、既存の米中対立軸と相互に影響していますが、その行き着く先は未だ見えておらず、注視が必要です。
米国は1970年以降、中国の経済成長を促すことで自由化・民主化への移行を目指す「関与」政策を継続してきました。中国は改革開放路線を推し進め、自由貿易の恩恵を受けて急激な経済成長を成し遂げました。しかし、2013年に習近平体制が発足したことを機に、権威主義的体制の固持や対外拡大主義、それを前提とした欧米経済圏からの自立と国際政治経済の覇権掌握を目指す動きが目立つようになってきました。米国は、国内産業空洞化など自由貿易がもたらした痛みへの反発という国内事情も背景に対中強硬路線に転換し、中国との越境経済活動を規制してきました。追加関税の賦課や特定企業への輸出規制などの施策により、2018年以降、米中経済は徐々に分離してきたと言えます。軍事面で両国は直接対峙する状態にはありませんが、経済政策を手段とした争いは現在も続いています。
ロシアのウクライナ侵攻を受け、日、米、欧は大規模な対露制裁に踏み切りました。制裁の対象に必ずしも該当しなくても、日米欧の企業が自主的にロシア事業を停止したり、撤退したりする動きが相次ぎました。一方のロシアは、欧州が依存しているエネルギー資源の輸出を大幅に減らすことで報復を行いました。撤退した企業の資産接収や、資源プロジェクトにおける外国企業権益への制限など、企業への圧力を強めています。これに対し欧州は、天然ガスの代替調達先確保や使用量削減などでロシア依存からの脱却を模索しています。このように、欧米対ロシアの軸でもデカップリングが進展しています。
中国は一帯一路で欧州への影響力拡大を狙い、ロシアとは一定の距離がありましたが、2022年2月にロシアとの「制限なき友好関係」を宣言して以降、西側諸国の対露非難や制裁には反対の立場を表明しています。自国企業に対しては制裁への不参加を呼び掛け、安価になったロシア産エネルギー資源を大量に購入するなど、ロシアとの経済関係を強化しています。しかし、ロシアの軍事行動に対しては曖昧な姿勢のまま、表立った軍事支援は行わずにおり、中露の協力関係はいまだ明確になっていません。今後、中露関係がより強固になり、欧米対中露のデカップリングが進展するか注目されます。
欧米が参加を呼び掛けたにもかかわらず、対露制裁に加わらず、ロシアとの貿易投資を継続する新興国も多数あります。例えばインドは、ロシア製武器の購入を継続するとともに、安価になったロシア産エネルギー資源の大量輸入を開始しました。ブラジルは、肥料輸入など農業分野での関係を強化しています。このように、民主主義などの共通の価値観を持つ西側諸国と、必ずしもその価値観や行動に従わない新興国の間で分断も生まれており(図表3を参照)、今後、デカップリングが進んでいく可能性もあります。
欧米対中露の対立軸が、米中の対立軸と並び立つものになるか、さらに大きな対立軸が生まれるかについては、これからの動きを注視していく必要があります。
米国、中国、欧州諸国、日本、インドなどは、インド太平洋地域を重要な戦略空間と認識し、各種の経済枠組により地域の経済秩序の構築において主導権を握ろうとしています。
中国は、国際協調・自由貿易を強調しつつ、一帯一路を引き続き推進しています。また、インド不在の「地域的な包括的経済連携(RCEP)」、米国不在の「環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的協定(CPTPP)」(2022年9月時点で中国は加盟申請中)で自国経済圏の拡大を図っています。また、太平洋島しょ国とは経済・安全保障面での関係強化に向け働きかけを継続しており、これらを通じ、インド太平洋地域での影響力強化を狙っています。
これに対して米国は、中国に対抗する必要性を感じつつも、これまでWTOやFTAを通じて推進してきた自由貿易への反発が国内では強いことから、TPPへの復帰など、市場開放を伴う貿易協定の締結は国内政治的に難しい状況が続いています。こうした状況を打破し「自由で開かれたインド太平洋」の実現を目指すため、安全保障面では米英豪安全保障協力(AUKUS)、日米豪印戦略対話(QUAD)の枠組で対中姿勢を鮮明にするとともに、FTAに代わる新たな経済枠組として「インド太平洋経済枠組(IPEF)」を発足させ、経済面でもインド太平洋地域への影響力強化を模索しています。IPEFは、貿易、サプライチェーン、インフラ・脱炭素、税制・反腐敗の4つの柱から参加国が関心分野を選んで交渉に参加するという緩やかなスタイルを取り、かつ、市場開放の要素を含まない点で、これまでの自由貿易協定とは異なっています。この新しい形態は、市場開放に後ろ向きな国も参加を検討することができるというメリットがありますが、米国市場へのアクセスを求める国にとっては参加による経済的利益が不明確という課題もあり、効果に関しては交渉の進展と内容の明確化を待つ必要があります。
こうした米中の動きに対し、インド太平洋地域の諸国の反応はさまざまです(図表4を参照)。米国の同盟国である日韓に加え、インドやフィジーもIPEFへの参加を表明しましたが、ASEAN諸国は、10カ国中7カ国が参加するに留まりました、一方で、中国のCPTPP加盟は、その正式申請から1年が経過した現在(2022年9月現在)も、現加盟国全ての同意は得られていません。太平洋島しょ国においては、ソロモン諸島が中国との安全保障協定を締結したものの、地域の国際協力枠組である太平洋諸島フォーラム(PIF)は中国との貿易・安全保障協定の締結を見送るなど、一枚岩ではありません。これまで地域の安全保障を担ってきた米国、オーストラリア、ニュージーランドが経済面でも関与を強めるなど綱引きが続いています。このように、インド太平洋地域における米中による陣営化は未だ途上と言える状況です。
企業にとって、RCEPなどのメガFTAやIPEFのような経済枠組の推進は、広域経済圏の形成とルール共通化による域内の公平性確保により、越境ビジネスのコスト減少と機会拡大をもたらします。また、インド太平洋地域の取り込みを目指す各国は、インフラや科学技術などの分野で経済協力の強化を打ち出しており、こうした経済協力プロジェクトが商機となる可能性もあります。他方で、大国による囲い込みが進めば地域の連結性が後退することも考えられ、今後の情勢に注意が必要です。
2000年代を通じ、企業は、全世界的な自由貿易を前提にグローバル最適化されたサプライチェーンを構築してきました。しかし現在、経済安全保障などの観点から、供給網を国内化、そして多角化させる動きが顕著になっています。
鉱物などの資源については、2010年の中国によるレアアース輸出制限以降、代替技術開発や供給体制の複線化などの努力が展開されてきました。近年はさらに、世界的な半導体不足、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックを契機とする医薬品・医療物資の囲い込み、中国ゼロコロナ政策による供給網の寸断などを教訓に、重要物資や生活物資についても、他国(特に少数の特定国)に依存することは危険であるという認識が広まりました。
各国政府は、こうした状況に対応する政策を打ち出しています。米国は、重要物資のサプライチェーン見直しを実施してリスクと対応を検討するとともに、国内回帰の促進や、地政学的リスクの低い同盟国からの調達を強化する「フレンドショアリング」を推奨することでサプライチェーンの多角化を図っています。
欧州では、EUが「開かれた戦略的自律」をコンセプトに、輸入依存度の高い重要物資の安定供給に向けた支援を開始しています。レアアースについては、2020年9月に官民協働の原材料同盟(ERMA)が発足し、気候変動対策に必要な重要鉱物に投資する基金を2023年にも設立予定など着々と取り組みを進めています。半導体についても2022年2月に欧州半導体法を発表し、最新半導体の研究開発、設計、生産までのエコシステムを域内に形成することを目指しています。日本でも、経済安全保障推進法が2022年5月に成立し、対象物資の検討が開始されるなど、重要物資のサプライチェーン強靭化について監督強化と支援が行われています。
企業は事業戦略上の判断に際して、純粋な経済性以外にも、規制による事業活動の制限や利用可能な各種支援など、多様な要素を考慮すべき状況が生まれています。調達や生産活動のコスト増や競争環境の変化も考えられ、各国の法制度の整備に係る情報を収集・分析し、不断に対処することが必要になっています。
情報技術分野でのイノベーションは、情報インフラや各種接続先デバイス、媒介される情報量の差が国力を左右する状況を生み出しました。安全保障上も、ハイテク分野において技術的覇権を握ることが非常に重要です。このため各国は、ハイテク分野を中心とする国内チャンピオン企業の育成や国内企業の優遇、他国の大手テック企業の弱体化、自国の知的財産保護を目的とした各種政策を展開しています。
中国は、ハイテクなどの高付加価値産業における世界的地位を高めるため、欧米や日本から自国に知財を移転する政策を取り、これが米中対立の大きな争点となってきました。中でも、重要製品の国産化を目指す中国政府が、国産品優遇や外国製品排除を通じて政策的に市場創設を行っている可能性が指摘されてきました。例えば、2018年頃から「安全可控目録」「信息化応用創新目録」という品目リストの存在が取り沙汰されています。内容のみならず存在自体も明らかにされていませんが、中国企業が開発した基幹技術を用いる製品がリスト化されており、政府機関にリスト掲載品の調達を義務付けていると言われています。また2021年公表の「政府調達輸入製品審査指導標準」では、医療機器や海洋・地質探査機器を対象に、政府調達における国産品比率が設定されており、国産品を優遇する方針を明確にしています。
米国をはじめとする各国は、中国による知財窃取への警戒感から、対内投資への審査を厳格化するなどの対策を行ってきました。米国政府はさらに、米国市場への上場審査の厳格化や、中国の大手テック企業に対する禁輸・制裁措置なども行い、ハイテク分野での競争力維持のため知財墨守の姿勢を明確にしてきました。日本も、人を通じた知財流出防止について米国と歩調を合わせた法整備(みなし輸出管理の対象明確化など)を行っているほか、経済安全保障推進法で軍事関連技術については特許非公開制度を導入するなど、対策を強化しています。欧州は投資審査を強化するとともに、大手テック企業への独占禁止法の適用強化、欧州バッテリー指令などによる重要技術情報の開示強制などを通じ、他国企業の力を相対的に弱めて自国産業に有利な市場創出を図る政策を実施しています。
ハイテク覇権をめぐる各種政策により、企業には、自社や取引先企業が規制対象となり、事業上の方針転換を迫られるリスクも生じています。自社の先進的技術が軍事転用されることで、規制やレピュテーション上のリスクを負うことも考えられます。
COVID-19のパンデミックはサプライチェーンに混乱をもたらし、企業の業績に影響を与えました。また、これを契機とする各国政府の景気刺激策によって消費増が進み、同時に行動制限緩和に伴う急速な需要増が進んだことで、物価が押し上がりました。さらに、ロシアのウクライナ侵攻によりエネルギーや食糧の価格が上昇し、各国で深刻なインフレが起きています。物価の上昇により世界各国で政府に対する不満が高まっており、今後政情不安や暴動につながる可能性があります。各国の中央銀行は、インフレ抑制を目的とした金融引き締めを実施しつつあり、急激な利上げによる景気の腰折れが懸念されています。ただし、今後、インフレ基調に改善の傾向が見られれば、2023年にも利下げの可能性ありとの見方も出てきており、金融政策の動向には引き続き注視が必要です。
一方、ウクライナにおける紛争は、小麦や肥料の一大産地であるロシアとウクライナの両国が当事国となったことで、食糧の世界需給に大きな悪影響を与えました。これは途上国を中心に暴動や政情不安をもたらす可能性があり、リスクに注意する必要があります。実際、2007~8年に世界的に食糧価格が高騰した際には、これに抗議する暴動が数多く発生しました(図表5を参照)。これが中東諸国での「アラブの春」につながったとの指摘もあります。
近年、中国やインドなどの経済成長に伴って食糧、飼料、バイオ燃料向け農産物の需要が増したことを背景に、食糧需給は世界的に逼迫する傾向にありました。ウクライナにおける紛争によりロシアとウクライナからの輸入が滞ったことから、両国からの輸入小麦に依存していた中東・アフリカ諸国の中には、食糧不足に陥る可能性がある国も出現しています。
例えば、世界最大の小麦輸入国であるエジプトは輸入量の8割をロシアとウクライナに依存しており、両国からの輸入が滞ったことで小麦価格が高騰しました。主食である小麦の価格高騰が政情不安をもたらすリスクへの警戒から、エジプト政府は輸入元の多角化と国内増産、国内小売価格の固定などの対処に追われました。過去にパンの国内公定価格の値上げを図った際には反政府デモも発生しており、エジプト政府は政情安定化のため小麦価格の安定化政策を継続していますが、これによる財政悪化を懸念する声もあります。
現在、IMFによる資金支援、FAOによる現物支援などの緊急支援が行われており、国連の後押しやトルコなどの仲介も背景に、ウクライナからの小麦輸出船がアフリカ大陸に到達するなど、輸出再開に向けた動きも始まっています。しかし、特に新興国や途上国では、食糧不足やインフレの深刻化に伴う暴動などの政情不安リスクは引き続き高い状況が続くと考えられます。さらに、食糧不足や肥料価格高騰により農村人口が都市に流入すれば、農村部の困窮や都市の治安悪化が進み、これを招いた政府への信頼感が低下することで、その結果としてテロ組織の勢力が拡大することも懸念されます。
穀物供給の途絶リスクが比較的低い日本においてさえも、穀物価格の上昇はさまざまな食品の価格を押し上げ、消費・生産・投資の減少や経済成長の鈍化につながるおそれがあります。
ここまで述べてきたように、グローバルな一体化に近づいていると考えられていた世界経済においては、近年、デカップリングやブロック間競争の激化など、グローバル化の後退とも考えられる事象が生じています。
後編では、イデオロギー上の対立が地政学リスクにつながっていることや、これまで示した地政学リスクに起因する企業活動への影響や対処法について解説します。
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