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2022-02-14
医師や看護師などの医療従事者、最新の知見や技術を持つ研究者、医療政策に携わるプロフェッショナルなどを招き、その方のPassion、Transformation、Innovationに迫る対談シリーズ「医彩」。第6回は医療・介護・ヘルスケア領域でさまざまなソリューションを提供する株式会社アルム代表取締役社長の坂野哲平氏をお迎えしました。アルムは現在、医療関係者や行政機関に向けた新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の対策支援ツールや、航空会社やイベント会社がワクチン接種証明などの運営に利用するPHR(Personal Health Record)アプリを提供しています。さまざまな規制に直面しながらも、「社会をよくしたい」との想いで医療現場の課題解決に取り組む坂野氏。そのパッションの源や今後の展望について伺いました。(本文敬称略)
株式会社アルム 代表取締役社長
坂野 哲平氏
PwCコンサルティング合同会社
ディレクター 大森 健
PwCコンサルティング合同会社
シニアマネージャー 小田原 正和
※所属法人名や肩書き、各自の在籍状況については掲載当時の情報です。
小田原:最初に坂野さんの経歴を教えてください。医療ICT業界に参入する以前は、全く異なる業界で活躍されていたと伺っています。
坂野:はい。大学を卒業したのは2001年ですが、企業には就職せずエンターテインメントを中心とした映像配信のベンチャー企業を設立しました。そこでは映像圧縮技術の開発や占いコンテンツの運営などを手掛けていましたが、2014年に映像配信事業を売却し、医療ICTビジネスに参入しました。
小田原:なぜ医療ICTビジネスに参入しようと決めたのですか。
坂野:以前の事業はデジタルを中核に据えていましたが、次のビジネスはデジタルトランスフォーメーション(DX)で大きな変化を起こせる領域がよいと考えました。当初は教育や医療、農業なども含めて注目した中で、2014年に日本で薬事法が改正されたことを契機に、医療の領域にターゲットを絞りました。そして医療機器製造販売業の許可を取得し、医療領域に特化したシステム開発を開始したのです。
医療に関しては全くの素人でしたが、「医療領域はデジタル化が遅れている。だからこそグローバルにプレゼンスを発揮できて、ビジネスが拡大できそうだ」と考えていたんですね。しかし、いざ事業をスタートすると、さまざまな困難に直面しました。
小田原:具体的にはどのようなご苦労がありましたか。
坂野:具体的な説明は割愛しますが、医療業界特有の慣習に戸惑い、申請や認可のプロセスが進まないことが多々ありました。
アルムの主力となっている、医療関係者間でコミュニケーションを取るアプリは、日本で初めて保険適用を受けた医療機器プログラムです。日本では保険適用と薬事承認を受けないと、医療領域のビジネスモデルとして成立しません。ですから、政治家や業界団体、行政、学会など、日本初の事例であったため影響力がありそうなところに片っ端からロビー活動をしました。最終的には学会が積極的に賛同してくれたので保険適用を受けられましたが、残念ながら当初期待していたほどのビジネス規模にはなりませんでしたね。
小田原:このアプリによってどのようなソリューションを提供することを目指したのでしょうか。
坂野:このアプリは、医療関係者同士で患者さんの医療データを共有しながらチャットやビデオでコミュニケーションできるというものです。初めは脳卒中や心筋梗塞、大動脈解離といった急性期循環器疾患をターゲットに開発しました。現在、世界では毎年約1,700万人がこの疾患により亡くなっています。その原因は冠動脈が詰まったり、血管が破裂したりすることなのですが、患者さんの状況を医療関係者が素早く把握し、情報を共有して迅速に治療をすれば助かる確率は高くなるのです。
そこで、医療関係者同士で患者さんの医療データを共有しながらチャットやビデオでコミュニケーションできるプラットフォームがあれば、救える命があるのではないかと考えました。
このアプリを活用すれば、遠隔にいる医療関係者同士が患者さんの検査画像や手術の動画を共有したり、リアルタイムでコミュニケーションしたりすることができます。これまで病院間でデータをリアルタイムに共有することはほとんどなかったのですが、そのニーズはあると確信しています。今後はより広範な臨床領域にも使ってもらえるよう、脳神経や循環器、臓器移植、感染症、腫瘍、外傷など、保険適用の拡大を目指しています。
小田原:「業界のDXを推進する」という理念と、「ビジネスが成立しうる領域」というビジネス的な戦略に基づいて医療領域に参入したとのことですが、お話しいただいたように、デジタル化に消極的な人も少なくありません。保険適用や薬事承認に向けたロビー活動は相当なパッションがなければ実行できないと拝察しますが、その原動力となっているものは何でしょうか。
坂野:パッションと呼べるかどうかはわかりませんが、自分たちが頑張り、医療関係者間でコミュニケーションを取るためのアプリを普及させることができれば、(それを導入しているエリアでは)脳卒中や心筋梗塞の死亡率を低下させることができます。もちろん、最終的な医療行為を担っているのは現場の方々ですが、「自分たちのビジネスは、社会が良い方向に向かう一助となっている」という事実は、事業を継続していく上での大きなモチベーションになっています。
ベンチャーの場合、資金調達の面で苦しい思いをすることが少なくありません。その時に起業家として踏ん張れるのは、「自分たちは社会性のあるビジネスをしている」というパッションがあるからです。投資家の方たちも、そうしたパッションに共感し、支援してくださっているのだと思います。
大森:アルムは当初からグローバル市場でビジネスを展開されました。現在、このアプリは世界30カ国の950施設に導入されていると伺っています。一気にグローバル市場に打って出た理由を教えてください。
坂野:ビジネスの観点から、2つの理由がありました。1つは資金調達です。大規模な資金を調達する際、「日本市場での拡大をめざします」といっても、調達可能な金額には限界があります。ですから「グローバル市場を攻めます」と言わざるを得なかったのです。
もう1つは日本市場だけに限定する危うさです。医療領域のDXにニーズがあるとはいえ、(人口減少を考えれば)日本市場はこの先縮小します。また、実績を重視する業界を変えていくには一定の時間がかかります。ですから、日本市場の変化を待っているよりも、グローバル市場を攻めた方がマネタイズしやすいと考えたのです。
とはいえ、グローバルマーケットでビジネスを展開するには、莫大なコストがかかりました。ピーク時には1カ月で3億円ぐらい投入しましたから、映像配信事業売却で得たお金はあっという間になくなってしまいました。
小田原:海外でのビジネスは日本でのそれと比較して、どのような部分が異なるのでしょうか。例えば、成功する国の特徴などはありますか。
坂野:成功する国・地域の共通点は、医療現場のニーズがあり、規制面で外国企業の参入が許容されていることです。うまくいかない国・地域には、「外国企業が国内の医療情報にアクセスすることを禁止する」という厳格な規制が設けられています。医療現場のニーズがあったとしても、「国の方針でNG」と言われてしまえば、その先に進めません。
小田原:日本でも医療データの取り扱いにはさまざまな規制があります。実際にビジネスをされている中で改善余地があると感じられる規制はありますか。
坂野:医療データは命に関わりますから、一定の規制は必要です。しかし、医療業界が新しい技術を是々非々で判断しているかと言えば、必ずしもそうではありません。広告規制や薬事法規制も全体最適解にはなっていない場合が多々あります。
例えば、AI(人工知能)技術の導入についても厳しい規制があります。先述した医療関係者間でコミュニケーションを取るためのアプリには、AIで診断をサポートする機能が備わっています。これはAI画像診断支援技術などを用いて(病理を)スクリーニングし、「多分この病気ですよね」という解析結果を出すものです。これにより、医師はAIの解析結果を参照しながら、投薬したり手術したりできます。
患者さんの視点で言うと、診療が医師の経験やスキルに左右されるのであれば、AIがデータを解析してそれを基に医師が判断した方が(医療水準が一定に保たれるという意味で)安心できますよね。しかし、日本の医療制度ではそのようなAI利用に関しても薬事承認を受ける必要があります。
そもそも医師は写真だけで判断しているんです。それらの写真に対して「解析結果」という形で補足情報をプラスするだけの仕組みがなぜ規制されるのか。合理性のある説明ができる人はいないのではないでしょうか。
小田原:医療領域のDX推進は、かなりハードルが高そうですね。
坂野:先ほど医療領域はDXが遅れていると言いましたが、COVID-19の感染拡大により社会全体のDXを加速させることが早急に求められるようになりました。
医療領域は良くも悪くも「人」が重要です。感性症対策は医療機関や保健所、行政だけの頑張りで解決できるものではないことを全世界が学びました。マスクを迅速に流通させたり、ワクチンを開発したりすることも、一企業の努力では実現できません。感染拡大防止は社会全体で取り組む必要があるのです。
残念ながら一連のCOVID-19対策を通して、日本全体のICT活用やデジタル化が遅れていることが露呈しました。こうした現状を認識し、社会を正しい方向に向けていくことは、非常に重要だと思います。
小田原:坂野さんにとってご経験がないところから手探りでチャレンジした医療領域で、アルムのサービスは医療DXの推進に貢献し、イノベーションをもたらしていると考えます。坂野さん自身、イノベーションを継続させるためには、何が必要だとお考えでしょうか。
坂野:私たちが開発するアプリはあくまでもツールであり、それをどのように発展させるかは現場の使い方次第です。また、ツールをほかのどの領域に拡大するかといった戦略は、さまざまな業種業界の事情を熟知しているコンサルティング会社などの力を借りる必要があります。
例えば、私たちが提供している別のソリューションでは、医師や看護師、理学療法士・作業療法士・介護士・ヘルパーなど、地域包括ケアに携わる現場関係者の間で情報共有することができ、現在はCOVID-19対応の現場でも活用されています。
具体的にはCOVID-19に罹患して自宅や宿泊施設で療養している人のバイタルデータを医療関係者間で共有し、迅速な対応につなげています。ですから、私たちが医療DXを推進してイノベーションを起こしたというよりも、現在のニーズがこのソリューションに対して新たな価値を与え、それが結果的にイノベーションにつながったと考えています。
小田原:社会ニーズがイノベーションの源流なのですね。
坂野:皮肉なことですが、COVID-19は医療業界で遅れていたデータの集約と利活用を大きく前進させました。これまで病院や保健所は主にFAXを活用していましたし、そもそも医療現場がインターネットに接続すること自体が希でした。しかし、COVID-19対策として一挙に官民データ連携や医療現場のインターネット接続が進んだのです。
ワクチン開発も遠隔診療もデータを集約しなければ実現できません。ですから特定の製品がイノベーションを起こすというより、行政や医療業界を含めた社会全体のニーズがイノベーションを起こしていくものだと考えます。
小田原:今後、インパクトのあるイノベーションが起こりそうな医療領域はどのあたりでしょうか。
坂野:1つはPHR(Personal Health Record)の領域だと予想しています。現在PHR関連のアプリ数は日本向けだけで何千もありますが、ビジネスとして成立しているアプリはほぼゼロです。その要因の1つは、国民の「自分の健康管理にお金を払う」という意識がそれほど高くないことにあります。
しかし、COVID-19でこの状況は一変しました。私たちが提供している救命・健康サポートアプリは、日常の健康を管理・記録すると同時に、救急時の応急手当や一次救命処置ガイドなど、いざという時にサポートできる情報を一元的に管理できるものです。このアプリは現在、感染症対策としてさまざまな場面で活用されています。なぜなら、ワクチン接種・PCR検査・抗原検査などの情報を一括に集約して管理できるからです。
例えば、飛行機に搭乗したり野球観戦したりするのには、ワクチン証明や検査証明が必要です。こうした証明のデータ管理にはPHRアプリが必須ですから、航空会社やプロ野球の球団がPHRアプリを購入しています。COVID-19がなければ、「球団がPHRアプリを買う」ことは考えられませんでした。実際、このアプリに対する需要は急伸しています。
小田原:PHRが登場した当初は「最初にデータベースを作成する」というビジネスモデルでしたが、あまり機能しませんでした。PHRはさまざまなサービスとAPI(Application Programming Interface)連携し、多くのユーザーが活用することでデータが蓄積されていきますよね。利用者にとって付加価値の高いサービスを提供するには「PHRアプリ間同士の横のつながり」が大切であり、そうしたコラボレーションからイノベーションが生まれると考えています。
坂野:そうですね。もう1つ、イノベーションが期待できるのは未病領域です。例えば米国では糖尿病の血糖値をセンシングデバイスで管理するツールが販売されています。こうしたデバイスから取得したデータを活用し、エビデンスに基づいたヘルスケアサービスができるようになれば、全く新しい市場が広がると考えています。
現在、オンライン診療には大きな期待が寄せられていますが、実際に活用している人はほとんどいません。原因の一つは、患者さんのバイタルデータが十分ではないため、診療につなげられていないからです。IoT(Internet of Things)やセンシングといった技術を活用してさまざまなバイタルデータを取得し、医療機関と共有して未病の段階から適切な健康管理ができれば、病気の発症を抑えられるかもしれません。その結果、社会全体の医療費削減にもつながるのです。こうした潮流は、今年(2022年)から3年後ぐらいのタイムスパンで起こると予測しています。
大森:最後に今後の展望を教えてください。PwCでも「医療DX領域に参入したい」というご相談をいただく機会が増えました。ただ、お話を伺っていると、さまざまな課題に直面されています。こうした企業が医療DXでビジネスを展開するためにはどのようなことに留意すべきでしょうか。
坂野:私たちも含め、今、医療DXでビジネスを展開している企業は、すごく良いチャンスをいただいていると考えています。COVID-19の影響で全人類の行動変容が起き、生活様式も一変しました。そして、多くの国では医療予算を大幅に増額し、国民の生命と暮らしを守る努力をしています。製薬会社や医療サービスを提供している企業にとっては、将来を見据えた新たなチャレンジに投資ができるタイミングです。実際、製薬企業の業績は好調ですし、経営戦略にDXを掲げていない企業を探す方が難しい状態です。
先述したとおり、医療領域のビジネスで問われるのは「社会性」です。「自社ビジネスの成長が人々の健康を促進したり、医療リソースへのアクセスを容易にしたりするのか」といった社会的意義を軸にして、ビジネスの方向性を決めることが大事だと考えます。
私はそうした方向付けにはコンサルティング会社や、シンクタンクが大きな役割を担うべきだと考えています。「その企業が持つ技術がどのような付加価値を生むのか」といった気づきを得られる情報の提供や、適切なタイミングで必要とされている領域にサービスや製品を提供できるよう、支援していただきたいと考えています。
大森:私たちも、全世界の目が医療領域に向いている今の状況は、医療全体の底上げを図る絶好のタイミングだと考えます。視座を高く持ち、どのように活動すべきかを常に自問しながらクライアントを支援していきます。
本日お話しいただいた「社会全体をよりよくすること」は、PwCのパーパスである「社会における信頼を構築し、重要な課題を解決する」ことにも通じます。それを忘れることなく、今後の活動につなげていきたいと考えています。本日はありがとうございました。