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2023-02-21
医師や看護師などの医療従事者、最新の知見や技術を持つ研究者、医療政策に携わるプロフェッショナルなどを招き、その方のPassion、Transformation、Innovationに迫るシリーズ「医彩」。第11回は東京大学大学院医学系研究科国際保健政策学分野教授の橋爪真弘氏をお迎えしました。
橋爪氏は東京大学大学院医学系研究科で修士号を、ロンドン大学衛生熱帯医学大学院で修士号・博士号を取得し、「プラネタリーヘルス」や「グローバルヘルス」の最前線で活躍されています。気候変動問題が地球規模で顕在化し、人類の健康や生活に多大な影響を及ぼしている現在、私たちはどのような姿勢で気候変動問題に取り組むべきなのでしょうか。お話を伺いました。(本文敬称略)
東京大学大学院医学系研究科 国際保健政策学分野教授
橋爪 真弘氏
PwCコンサルティング合同会社 パートナー
ヴィリヤブパ プルック(エディ)
PwCコンサルティング合同会社 シニアマネジャー
北原 菜由香
PwCコンサルティング合同会社 アソシエイト
安達 萌
左からエディ、北原、橋爪氏、安達
※所属法人名や肩書き、各自の在籍状況については掲載当時の情報です。
安達:
最初に基本的な質問です。医師免許をお持ちの橋爪先生が、なぜプラネタリーヘルスやグローバルヘルスの領域に興味を持たれたのでしょうか。そこにはどのようなパッションがあったのでしょうか。
橋爪:
それはよく質問されます(笑)。「せっかく医師免許を持っているのに、なぜ病院で働かないのか」ですよね。私は学生時代から「発展途上国の医療にかかわる仕事がしたい」という希望を持っていました。
転機となったのは、大学院時代に発展途上国でフィールドワークをしたことです。そこでは劣悪な公衆衛生によって、多くの子供たちが命を落としていました。そうした現実に直面し、公衆衛生や環境疫学、グローバルヘルスといった領域で貢献できると考えたのです。
私は大学卒業後に東京大学大学院医学系研究科で修士号を、ロンドン大学衛生熱帯医学大学院で修士号・博士号を取得し、公衆衛生や疫学研究に携わって今に至ります。そして、気がついたら臨床の現場から長く離れてしまっているという状況になっているのが正直なところです。
安達:
先生が取り組んでいらっしゃるプラネタリーヘルスやグローバルヘルスは、ESG(環境・社会・ガバナンス)を配慮した施策を講じるうえで非常に重要な考えですよね。どのような概念なのか教えてください。
橋爪:
グローバルヘルスは、直接健康にかかわる課題だけでなく、人類の健康に大きく影響を及ぼす社会情勢・環境・経済など、国際社会全体で対処しなければならない課題を包含した概念です。
冷戦以降、人類の活動は急加速しました。特にヒトやモノの移動は国境を超えてグローバル化が進行し、「地域間公平性」の問題が生まれました。経済的な発展を遂げた先進国・富裕層である「グローバル・ノース」の生活・健康レベルは、開発途上国・貧困層の「グローバル・サウス」からの資源と安価な労働力に支えられている面がありますよね。グローバルヘルスは、この健康格差を是正、解消することを目的としています。
一方で、グローバル化の急激な進行に伴い地球環境の大規模な破壊が進んだ結果、「世代間公平性」の問題も生じてきました。これは「現世代の福利の追求が、将来世代の福利と相反する状況を生んでいる状態」を指します。分かりやすくいうと、温室効果ガスの排出や熱帯雨林喪失が引き起こす地球温暖化や気候変動、海洋汚染といった環境破壊による健康被害を将来世代が被る状態です。こうした課題を国の枠組みを超えて解決していこうというのが、プラネタリーヘルスの取り組みです。
プラネタリーヘルスは「人類の未来を形づくる政治・経済・社会などの人間システムと、人類が繁栄できる安全な環境限界を規定する地球の自然システムに賢明な配慮をすることで、世界で達成可能な最高水準の健康・福利・公正を実践する」と定義されています。分かりやすくいうと、「地球が健康でなければ、人間の健康は成り立たない。だから地球環境を考えることは、人類の健康を考える上で必須だ」という考えです。
エディ:
ヘルスケア関連企業や医療機関におけるプラネタリーヘルスの取り組み状況はいかがでしょうか?
橋爪:
今、ヘルスケア業界は「緩和策と適応策」を重視しています。緩和策とは気候変動の原因となる温室効果ガスの排出削減を目指す対策です。一方、適応策とはすでに生じている、あるいは将来予測される気候変動の影響による被害の防止・軽減を目指す対策です。
一方、医療機関については民間企業と比較し、こうした対策への意識は低いと感じています。今後は医療機関もカーボンニュートラルなどの方向性を意識せざるを得ないと考えています。
エディ:
海外では製薬会社でも輸送過程を効率化し、ガソリンの利用を最小限にして温室効果ガスを排出しないようにするなど、サプライチェーンのカーボンニュートラルを意識しています。こうした取り組みをさらに加速させるための提言があれば、ぜひ聞かせてください。
橋爪:
医療関連分野からの温室効果ガスの排出は、全排出量の4 - 5%程度と推計されています。大した量ではないように見えるかもしれませんが、世界的にみると日本の医療関連排出量は米国、中国、EUに続いて4番目に多く、決して無視できるものではありません。英国では、国営の医療法人である国民保健サービス(NHS)が2045年までにサプライチェーンを含めたカーボンニュートラル(温室効果ガス排出を正味ゼロにする)を達成するという目標を設定しました。日本においても医療関連分野でサプライチェーンを含めたカーボンニュートラルに関する野心的な目標設定が求められるでしょう。そのためのインセンティブを政策的に導入することは有効かもしれません。
北原:
民間企業はリスクと機会という観点で気候変動への対応を考えます。たとえばレピュテーションや訴訟、炭素税、入札条件への気候変動対応度合いの組み込み等がリスクとなり、気候変動対応に寄与する事業創発や、しっかりした対応を行うことによる資本コストの削減等を機会と捉えます。ただ難しいと思うのは、気候変動に関する諸問題は、その発生要因(主には先進国における経済・事業活動)、と影響を受けるエリア(主には開発途上国)に物理的な隔たりがあり、また、因果関係を1対1で示すことができないという点です。このため、民間企業が気候変動対応を行う場合、誰のために、どこまで対応を行い、その結果がどういった成果につながるかを定量的、科学的に把握することが非常に困難であり、活動の方向性や投資ボリュームを定めるうえで悩みを抱える民間企業が多くおられます。
気候変動は解像度を上げないと、自分たちに何ができるのかを考えることは難しいと思います。たとえば2021年11月に英国で開催された国連気候変動枠組条約第26回締約国会議(COP26)では、「産業革命前からの気温上昇を1.5℃に抑える努力を追求する」とした合意文書を採択しました。しかし、数値目標だけ提示されても、それによって社会にどのような影響があるのかを理解しなければ、抑制しなさいと言われたのでやりますというマインドになってしまいます。
また、国際機関や研究機関と民間企業では、気候変動の影響を捉えるスパンに差があるという点についても難しさを感じています。2021年8月に公開された「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第6次評価報告書第I作業部会報告書」では、気候変動による影響を2030年、2050年、最終的には2100年までを見据えて予測しています。しかし、民間企業は3年から5年というスパンで事業計画を考えているため、足元の対応と長期的な計画策定の間にギャップが生まれます。コンサルティング企業である私たちには、橋爪先生が実施されているような研究内容をよく理解し、科学とビジネス両者の認識をすり合わせることが求められていると感じます。
東京大学大学院医学系研究科 国際保健政策学分野教授 橋爪 真弘氏
PwCコンサルティング合同会社 パートナー ヴィリヤブパ プルック(エディ)
安達:
次に気候変動による健康影響について教えてください。真っ先に浮かぶのは、気温が上昇すると熱中症患者が増加することです。
橋爪:
そうですね。直接的な影響は熱中症です。また、TCFD(気候関連財務情報開示タスクフォース)は熱波によって労働生産性が低下すると指摘しています。一方、間接的な影響にはマラリアの蔓延や下痢症、栄養失調などが挙げられます。
WHO(世界保健機関)が2014年に公開した「気候変動が特定死因に及ぼす影響の定量的リスク評価」によると、特に気候変動対策を実施しなかった場合、2030年から2050年の間に気候変動による過剰死亡は、年間約25万人と推定されています。その原因のトップは低栄養(栄養失調)で、次いでマラリア、下痢症、熱関連死亡と続きます。特に影響を受けやすいのはアフリカや南アジアの低所得国などで伝統的な暮らしを営む人々をはじめ、子供・高齢者・都市部の貧困層などです。
安達:
「気候変動に伴ってヘルスケア企業のポートフォリオは変化する」と言われています。民間企業以外でも、たとえば病院などの医療を提供する側は、気候変動に伴って医療体制をどのように変えていけばよいでしょうか。
橋爪:
非常に難しいですね。まずは気温の上昇を食い止めることが第一です。その上で避けられない事態が発生した場合、きちんと対応できる医療体制を構築するにはどうするべきかを考える必要があります。
たとえば、熱中症患者が増え救急車の台数が救急出動要請に対応できなくなった場合、単に台数を増やせばよいという話ではありません。熱中症患者が急増するのは夏場の一時期です。もちろん、気候変動にかかわらず救急車の適正利用は進めていくべきです。ただしそもそも救急車を利用しなくてもよい環境を作ることも重要です。
そうした施策はすでに始まっています。たとえば、最近は街なかにミスト発生装置を設置したり、木を植えて木陰を作ったりして熱中症を防止する取り組みが見られますよね。緑地化と熱中症の関係も、費用対効果を検証しながら進めていく必要があると考えています。費用対効果の検証は、我々がエビデンスを提示し、ヘルスケア業界と一緒になって取り組むことも1つの施策だと考えます。
北原:
日本の自治体は地方分権の構造の中で、気候変動に限らず非常に多くの問題や課題を抱えています。また、地域の産業特性や資源、人口動態によって、優先して取り組むべき課題は異なります。救急体制や熱中症対応を含め各自治体が地域の特性に鑑みて自力で対応しなければなりません。
そのような状況に対し、各自治体がアイデアを出し合って共通の課題に取り組むという方向性も考えられると思います。たとえば、気候変動による物理的な影響を受けるリスクの高い自治体は適応策に取り組み、CO2多排出産業を多く抱えるような大都市においては緩和策に取り組む。そしてそれぞれの施策を特性の似通った市区町村間で横展開するといったアプローチも考えられます。
橋爪:
横展開のアプローチは、将来的に可能性があると考えています。各自治体が自分たちに必要な施策を考えつつ、さまざまなアイデアを出して取り組み、その中でよいものは他の自治体に共有するという方法です。もちろん、ある自治体で有効なものが他の自治体でも有効とは限りません。アイデアをシェアし、その先はそれぞれの自治体が取り組むというアプローチがよいと考えます。
エディ:
横展開については、政府のデジタル田園都市構想の中で明示されていますよね。ただ病院や薬局では患者さんの治療の最適化、QOL(生活の質)の最大化が最優先課題になっています。その先の環境変化まで見据えることはなかなか難しいのが現実です。将来の環境変化や気候変動に配慮し施策を推進するためには、自治体や民間企業などのトップが交代しても変わらず求められる資質、KPIを意識する必要があるのではないかと思います。
北原:
ESG経営の一つのアジェンダに、”サクセッションプランの策定”というテーマがあります。民間企業のトップが交代する際に重要な経営方針が変わらないように、後継者に求める条件を定めるという考え方です。一部のグローバル先進企業はサクセッションプランの中にサステナビリティや気候変動に対する施策を取り入れています。PwCにはそうした民間企業に対してプラネタリーヘルスやグローバルヘルスという概念をインストールしていく役割が求められているのだと思います。
安達:
地域によって差はあると思いますが、今後50年から100年のスパンでプラネタリーヘルスやグローバルヘルスを考えた場合、どのような課題が深刻化するとお考えですか。
橋爪:
1つには「複合災害」が挙げられます。これは、台風が通過した後に気温が異常に上昇したり、洪水や停電が発生して電力が使えず生活が困窮したりといった事象を指します。2020年初頭から新型コロナウイルスの感染が拡大し、医療現場は逼迫しました。その結果、熱中症の患者さんの救急搬送が円滑に行われなかったり、医療機関で適切な処置が受けられないといったことが発生したとしたら、これも1つの複合災害と言えるでしょう。
もう1つ、注目してほしい課題は「メンタルヘルス」です。これまでプラネタリーヘルスを考える場合には、身体的な健康に焦点が当てられていました。そのため、身体的な健康については多くのエビデンスを得ていますし、人々の注目度も高いです。しかし、心の健康が身体的な健康に与える影響は大きく、無視できないものになっています。実際、最新のIPCCの報告書では気候変動の健康影響としてメンタルヘルスをクローズアップしています。
安達:
本日、お話を伺って「自分ごととして気候変動に取り組む重要性」を痛感しました。日本で生活をしていると、地球温暖化の問題は理解しつつも、それが子供たちの栄養失調を引き起こすという思いに至りません。グローバル・ノースにいる人間がグローバル・サウスで起こっている課題をいかに自分ごととして捉えるかが必要だと理解いたしました。先生がこれから特に注力されたい領域を教えてください。
橋爪:
さきほど説明した気候変動による過剰死亡は、将来予測という形で数値を出しています。しかし、これは不確実性が高いです。ですから、研究レベルを上げて予測の“幅”を狭め、確度を上げたいと考えています。
これから特に注力していきたい領域は水系感染症です。水系感染症をテーマにしている研究者は少ないので、貢献しやすいということもありますが、下水整備が十分でない地域で豪雨や洪水が発生すると、汚染された水から下痢症を起こすような病原体が蔓延します。その結果、コレラなどの下痢症のアウトブレイクが発生するリスクが高まります。下痢症のグローバルな将来予測は、デング熱やマラリアといった蚊が媒介するような節足動物媒介感染症とはアプローチが異なります。
適応策として衛生的なトイレや安全な飲料水が提供できれば、下痢症を起こす病原体の影響を減らせます。さらに、まだワクチンが行き渡っていない地域にワクチンを届けることでそのリスクを低減できます。こうした工夫で具体的な適応策を考えてシミュレーションをすれば、効率的な議論ができると考えています。たとえば、シミュレーションの結果をビジュアルツールで分かりやすく可視化すれば、国連関係者や意思決定権を持つ方々に対して幅広く伝えられると考えています。
エディ:
クローン病の薬を扱っている製薬会社が、外出先でどこにトイレがあるかを地図上に表示するアプリを開発しましたが、そうしたアプリは衛生状態のよくない地域でも活用できますよね。すでに利用している基盤を活用するのも有用だと思います。既存のツールを新たな目的のために使うという視点はこれまでありませんでした。
北原:
課題と適応策をセットにしたシミュレーションデータは、政府機関や国連関係機関が必要としているデータです。たとえばJICA(国際協力機構)が環境保護活動に対して投資をしたり、民間企業がODA(政府開発援助)事業に参画する場合のビジネスモデルや費用対効果を考える指針になります。
公的機関の方とODA事業の検討をした際に、費用対効果が見えないと誰が資金の出し手となるべきかの議論が進まないという課題を共有いただきました。シミュレーションがあれば、ビジネスとして成立するラインが分かり、ODAで資金拠出をするべき領域と、民間企業がビジネスとして投資ができる領域の線引きや橋渡しができます。エビデンスを基にしたシミュレーションがあれば、公的機関であれ、民間企業であれ、根拠を持って投資計画を立て施策を推進できると思います。
エディ:
緩和策は民間企業が投資しやすい領域です。まずは、緩和策を確実に行うことですね。そして、計画だけではなく施策を継続的に実行していくことが大切だと思います。
安達:
今後、私たちはどのような視点を持って気候変動対策に取り組むべきでしょうか。
橋爪:
気候変動対策においては、人間の健康は常に優先的に考慮されるべきだと考えます。ですから、ヘルスケアに携わる人・組織がイニシアチブを発揮して行動計画を立て、社会における緩和策や適応策を推進していくことが大切です。
もう1つはエビデンスの創出です。そのためには研究資金と人材が必要です。特に医療人材の育成を目指すのであれば、初等から高等教育、医学部のカリキュラムにプラネタリーヘルスの視点を組み込み、長期的な視点で取り組むことが大切です。さらにヘルスケアの視点から見た気候変動対策の必要性を、医療従事者だけでなく一般の方々にも理解してもらえるような啓発活動も積極的に行っていく必要があるでしょう。
今回、PwCの皆さんとディスカッションをして感じたのは、「予測の先のリアクション」の重要性です。私は研究者として将来予測などを定量化して公開しています。しかし、「そのエビデンスを活用して具体的にどのようなアクションをとるべきか」「どのようなアクションが効果的なのか」までを十分にフォローしていなかったと思います。
今後はエビデンスの公開と同様に、具体的な課題解決のソリューションに直結するような活動や、その有効性評価ができればよいと考えています。本日はそうしたアイデアを頂きました。
エディ:
私たちもアカデミアで生み出される知見とPwCの持つ知見を組み合わせながら、ヘルスケア業界のクライアントが気候変動に対する取り組みを推進できるように支援していく必要があると感じました。ありがとうございました。
PwCコンサルティング合同会社 シニアマネジャー 北原 菜由香
PwCコンサルティング合同会社 アソシエイト 安達 萌
パートナー, PwCコンサルティング合同会社
安達 萌
アソシエイト, PwCコンサルティング合同会社