
医彩―Leader's insight 第8回 病院長と語る病院経営への思い―小田原市立病院 川口竹男病院長―
経営改善を実現し、「改善を持続できる組織」に移行している小田原市立病院を事業管理者・病院長の立場で築き、リードしている川口竹男氏に、病院経営への思いを伺いました。
医師や看護師などの医療従事者、最新の知見や技術を持つ研究者、医療政策に携わるプロフェッショナルなどを招き、その方のPassion、Transformation、Innovationに迫るシリーズ「医彩」。第16回はメンタルクリニックの院長であり、都内23社の企業で産業医・カウンセラーとしても活動している精神科医の尾林誉史先生をお迎えします。近年、メンタル不調を訴えるビジネスパーソンの数は増加しています。これは企業経営にとっても非常に大きな課題であり、企業は従業員のメンタルヘルスに対して適切に対応しなければなりません。では、チームのメンバーや自身のメンタルが不調になったとき、私たち一人ひとりはどのように向き合えばよいのでしょうか。お話を伺いました。(本文敬称略)
VISION PARTNER メンタルクリニック四谷 院長
精神科医・産業医・公認心理師
尾林 誉史氏
PwCコンサルティング合同会社
ディレクター
倉田 直弥
PwCコンサルティング合同会社
アソシエイト
佐藤 菜々
左から 倉田、尾林氏、佐藤
※所属法人名や肩書き、各自の在籍状況については掲載当時の情報です。
倉田:
最初に先生が医療の道を目指したきっかけを教えてください。社会人の第一歩は大手民間企業に就職されたと伺っています。
尾林:
はい。大学卒業後、新卒で入社した企業では、主に営業を担当していました。
私が同社に在籍していた2000年代前半、社会ではメンタルヘルスの問題が喧伝されていました。うつ病が「心の風邪」と言われ、ビジネスパーソンの間でも、メンタルヘルスの問題が顕在化していった時期だったのですね。私が産業医の仕事を知ったのもこの頃で、身近な人たちも産業医に相談をしていました。そんな環境の中で、「これからはビジネスパーソンのメンタルヘルスは非常に重要になる」と感じ、自分も産業医になりたいと考えるようになりました。ですから、「お医者さんになりたい」というよりは「産業医という仕事を極めたい」と思ったことがきっかけです。
倉田:
先生は2020年5月、東京・四谷に「VISION PARTNER メンタルクリニック四谷」を設立されました。それまでは長崎県の大規模病院で勤務医をされ、現在も23の企業で産業医として勤務されています。「産業医という仕事を極めたい」というパッションを持ちつつ、なぜご自身でメンタルクリニックを開業されたのでしょうか。
尾林:
産業医として企業のメンタル不調の方と接する機会があり、「この方はちょっとお休みしたほうがよい」と判断するケースもあります。しかし「(休職中は)ここのクリニックに行ってくださいね」とお任せできるクリニックがあまりなかったのです。
また、産業医は多くの場合、休職中の方とは基本的に面談を行うことは少ないようです。そのため、休職中の方の様子は分からないので、復職を適切に判定するのは難しいことです。休職中は「どのように過ごせば症状が改善するか」といったことも診られませんし、また主治医の立場に立てば「なぜ休職に至ったのか」というプロセスも十分に分からないことが多い。誤解を恐れずに言えば、「産業医の活動は中途半端だな」と思ったのです。それがクリニックを設立した動機です。
倉田:
なるほど。産業医は患者さんと向き合う機会が限られているのですね。
尾林:
メンタルクリニックは自分から積極的に行く場所ではありませんよね。ちょっと(メンタルが)しんどいなと感じてクリニックのホームページで情報を集めようとしても、うつ病や不安障害の説明は書かれていますが、そのクリニックにはどんな先生がいるのか、どのような治療をするのかはほとんど書かれていません。これではメンタルがしんどい方が先生に診てもらいたいとはならないと考えました。
私はそうした方たちの不安を解消し、メンタルクリニックに通院する敷居を下げるようにしました。例えばクリニックの内装は、落ち着ける「サロン」をイメージしました。理想はお茶を出しながら世間話をするように診療する。そういった空気感を大切にしています。
VISION PARTNER メンタルクリニック四谷 院長 精神科医・産業医・公認心理師 尾林 誉史氏
PwCコンサルティング合同会社 ディレクター 倉田直弥
佐藤:
次に企業の「健康経営」について教えてください。近年、多くの企業が「健康経営」を掲げて従業員のケアに注力しています。PwC Japanグループも、健康経営を重要視しています。こうした状況を先生はどのようにご覧になっていますか。
尾林:
健康経営は米国で提唱された概念で、その目的は医療費の削減です。それが日本では、「健康経営銘柄」や「健康経営優良法人認定制度」など、独自の解釈がつきました。ただし、日本においても、健康経営の主な目的が医療費削減であることに変わりはありません。不調で従業員が休みがちになったり休職してしまったりすれば、企業としては生産性の低下を引き起こします。ですから、企業全体の生産性を向上させて企業価値を高めるといった観点からも、健康経営を推進している企業は増えています。
例えば、経済産業省が実施している「健康経営度調査」を見ると、企業のトップが健康経営の最高責任者を担う割合は、2014年度(健康経営銘柄の開始年度)では5.3%でしたが、2021年度には77.2%にまで増加しています。実際、経営者が自ら陣頭指揮を執って健康経営に取り組んでいる企業も少なくありません。企業のブランディングという観点からも、積極的に取り組むことは良いと思います。
佐藤:
先生のクリニックには経営者から健康経営に関する相談があると伺っています。
尾林:
そうですね。「健康経営をやりたいんだけど、どうしたらいいですか」という、具体的だけど漠然とした質問を受けることはよくあります。その際には「まずは形から入りましょう。法令を遵守しましょう」とお話しします。具体的には、従業員に対するストレスチェックや健診結果の確認といった、基本的なことから始めるのです。
健康経営に魔法の杖はありません。手っ取り早く何かをやれば、すぐに効果が現れるという施策はないのです。地道ですが定期的にストレスチェックをしたり、従業員同士で歩数を競うウォーキングラリーをしたりといった取り組みを行い、それに対して従業員がどのように反応するか――楽しんでいるのか、負担に感じているのか――を見極めることが大切です。
余談ですが、メンタルの復調度合いをチェックする手段として有効なのが、「グループで料理をする」ことです。レシピ投稿サイトを運営する企業で働く知人から聞いたのですが、グループで料理をすると、エンゲージメントとモチベーションが非常に高くなるそうです。そういった活動に従業員が参加しやすい企業文化を醸成することも、健康経営の一環と言えるでしょう。
佐藤:
PwC Japanグループでも従業員同士で歩数を競うウォーキングラリーは実施しており、私も楽しく参加しています。
健康経営を推進するにあたって先生にお聞きしたいのが、「どのようにゴールを設定するべきか」です。例えば「メンタル不調による休職者をゼロに」と掲げても、そもそもその仕事が合っていない従業員は、どんなに頑張っても不調になってしまいます。規模がある程度大きい企業であれば、「メンタル不調による休職者ゼロ」は現実的ではありません。そうなると「何%までの休職率なら許容するのか」という設定が難しいのです。健康経営のゴールは、どのように考えればよいでしょうか。
尾林:
大前提として、休職率が高かったり、メンタル不調に陥る従業員さんがいたりするということをマイナスと捉える必要はないと思います。私が産業医として約10年間務めている会社の経営者は、「メンタル不調で休職することは、怪我で休職することと同じ」と仰いました。私はその言葉を聞いて、「メンタル不調の理解がここまで進んだ。ようやく花開いてきたな」と感じました。
その経営者がすばらしいのは、健康経営のゴールを従業員の社会復帰と捉えていることです。メンタル不調になった人が復職して会社に定着したか、自社に戻らず転職した元従業員もきちんと働けているか、までを追い、それをゴールとしているのですね。メンタル不調になる人の比率が下がることは良いことで、数字的にも確認しやすいですが、究極的なゴールではありません。
もう1つは「従業員の健康が保たれないと、良質なアウトプットができない」という考えで、従業員の健康に対する取り組みを「ポジティブ指標」とすることです。例えば、ある企業では「週に3回以上運動をしたか」「睡眠がきちんととれているか」といった項目を点数化し、従業員にどのくらい達成できたかを自己申告してもらっています。つまり、従業員自身が継続的かつ自発的に自分の健康状態を確認し、その意識を高めているのです。そうした数値を「ポジティブ指標」として発信することで、顧客や取引先からの信頼も得られると考えているのです。
倉田:
健康経営は企業が各従業員に対し、どれだけ真剣に向き合おうとしているのかを測るものだと思います。従業員の立場や置かれている状況は、人それぞれで、従業員がメンタル不調になったとき、「上長や同僚がどのように接することがよいのか」に重点を置いて取り組めば、結果として組織全体の生産性向上に貢献するはずです。こうして考えると、健康経営はインクルージョン&ダイバーシティにもつながる取り組みですね。
佐藤:
次にメンタルヘルスに対する管理職の取り組みについて教えてください。はじめに倉田さんに伺いますが、管理職という立場はメンバーのメンタルヘルスに気を配りつつ、自身のケアも考えないといけませんよね。倉田さん自身はこの2つを両立するにあたり、気を付けていることはありますか。
倉田:
役職が上がるにつれて、どうしてもメンバー一人ひとりに対して接する時間は限られてしまいます。その中でもなるべく不調であるというシグナルを見逃さないようにしています。そのために気を付けているのが、シグナルを出しやすい環境を作ることです。お互いがシグナルを発信すれば、それだけ異変に気付ける機会も増えますよね。
例えば、オンラインミーティングでカメラがオフであれば、メンバーの様子は声で判断するしかありません。ある方は、息づかいでメンバーの健康状態を確認すると言っていましたが、私にはそんな超能力はありません。ですから、オンラインミーティングではメンバーが自発的にカメラをオンにし、ミーティング前には雑談するような、お互いがより多くの情報発信できる環境を心がけています。
尾林:
管理職の振舞いで大切なのはきちんと褒めることです。また、ポジティブな声掛けや、ちょっとした雑談も不可欠です。一生懸命仕事したことや、工夫が見られたことに対してねぎらいの言葉をかけたり、ミスがあった場合はその内容を具体的に指摘し、改善方法を一緒に考えてあげたりすることです。我が子のように心配してあげる。そんなスタンスが必要なのかと思っています。
倉田:
一方、自身の管理は「自分を知る」ことだと思います。好き・嫌い、得意・不得意を把握し、違和感を持つ“境界線”を見極めることが重要かなと。そうすることで、気持ちや体調の変化に気付きやすくなります。こうした感覚は大切にしています。
尾林:
今、倉田さんが言われた「自分を知る」ことはセルフケアの観点からも非常に重要です。
哲学的な話になりますが、セルフケアのポイントは自分の感情・感覚に向き合うことだと考えます。つまり、今自分が怒りを感じているのか、機嫌が良いのか、そしてそれは何に起因しているのかを把握することです。当たり前のように聞こえるかもしれませんが、自分の感情を他人ごとのように見過してしまう方が実は多いのですね。
自分自身の感情と向き合う際、大事なのは感情や感覚はコントロールできないという前提に立つことです。例えば怒ったり落ち込んだりしたときに、「こんなことで腹を立てるなんて、自分は大人げない」「こんな言葉で傷つくなんて自分は弱い」と自分を責めてしまいがちです。しかし、それは間違っています。もちろん、反省するのは間違いではないですし、怒ったり落ち込んだりするのもはじめのうちは仕方がないことです。
大切なのは自分の感覚を研ぎ澄まし、湧き上がる感情と向き合うことです。一時期アンガーマネジメントという言葉が流行りました。アンガーマネジメントの本質は、怒りの感情自体は抑えられないことを理解し、その感情をコントロールすることです。
PwCコンサルティング合同会社 アソシエイト 佐藤菜々
倉田:
先生がおっしゃるとおり、私も自分の感情に向き合うことを大切にしています。例えば怒りを感じるのは自分が嫌なことをされたり、こだわりを持ってることに対して、別のことをされたりしたときです。ですから、そうした感情を持つことは、自分の好き嫌いやこだわりを知ることでもあるのです。その時は怒りを感じても「そもそもなぜ自分は怒りを感じるのか」を把握し、「そうならないようにはどのように行動すればよいのか」を考えるようにしています。
尾林:
私は自分が良いパフォーマンスができる心の領域を「レジリエンスゾーン」と呼び、自分の感情の起伏を把握して、そのゾーンに当てはめるようにしています。例えば怒りの感情が強くなって「このまま怒り続けると、つまらぬ言動をしそうだ」となった場合、どうすればレジリエンスゾーンに自分の感情を当てはめられるのかを考えるのです。これがセルフマネジメントだと思います。
倉田:
最後に、先生がよく患者さんにお話しするという「何とでもなる」の考えを教えてください。メンタルが不調を来したとき、人間は将来を悲観したり物事をネガティブな方向に考えたりしがちです。どうしたら「何とでもなる」と発想を変えられるのでしょうか。
尾林:
現代は時間を浪費せず、目標に向かって効率的にたどり着くことが良しとされていますよね。その気持ちも分からなくはないのですが、一見無駄だと思われることでも積極的にチャレンジする姿勢が大切だと考えています。
こういう言い方をすると、「先生は結果的に(医者という)よい方向にいるからそんなことが言えるんですよね」と冷やかされます。冒頭に申し上げたとおり、私はサラリーマンから医師に転身しました。それについて「華やかですね」という方もいらっしゃいますが、実は、寄り道・わき道が多い人生です。
自分が現在メンタルクリニックで患者さんと向き合えているのは、医師ではない時期があり、自分が医師であるということに対して常に自問自答しているからです。さまざまな立場・視点を持てたことが、患者さんと向き合う際に役に立っていることは間違いありません。
倉田:
先生のお立場とは比較になりませんが、コンサルティングもスマートな仕事だと言われることが多いです。しかしながら、試行錯誤を繰り返し、とんでもない大回り道をしながら結実しないこともあります。そんな時、最終的には「何とでもなる」「何とかなる」と考えられるようになると、すごく気持ちが楽になりますね。
尾林:
もちろん、何ともならなくて苦しんできたという反論がごまんとあることは承知です。しかし、「何とでもなる」という発想は、物事をうまくいかせるための魔法の考え方です。つまり、「何とかなる」という感覚は、自分自身がリラックスし、困難と向き合う気持ちを後押ししてくれるからです。
当然、「何とかなる」と常に思い続けて、何もしないことは良くないです。「何とかなる」という境地に達するには、反芻・反省・七転八倒を繰り返し、悪あがきすることです。悪あがきは苦しいのですが、結果的に知識や経験が得られます。ですから「最後は何とかなる」と腹をくくってやっていただきたい。私もそんな気持ちで毎日を過ごしています。
倉田:
悪あがきしながら自身を成長させ、「何とかなる」と考えられるような自分になりたいですね本日はありがとうございました。
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