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重篤な疾患への罹患は他人事ではなく誰にでも起こり得るものであり、患者ニーズへの応需は社会全体の利益につながります。「医彩―患者目線の社会改革」では、患者ニーズに合致した、あるべき姿へと変革をもたらすために、患者や患者家族の声を届け、私たちがなすべきことを模索します。
どんなに重篤な病気のこどもであっても、楽しく遊んでこどもらしい時間を過ごしてほしい――。認定NPO法人「横浜こどもホスピスプロジェクト」代表理事の田川尚登氏がこどもホスピスの設立を決心したのは、次女を脳腫瘍で亡くしたことがきっかけだったといいます。日本においてこどもホスピスの認知度は、決して高いとは言えません。田川氏はその一因について「患者やその家族の声が製薬会社やヘルスケア関連企業、そして社会全体に届いていない」と指摘します。
こどもホスピスが当たり前の施設として存在するために、私たちは何をすべきなのでしょうか。お話を伺いました。(本文敬称略)
認定NPO法人
横浜こどもホスピスプロジェクト
代表理事
田川 尚登氏
PwCコンサルティング
上席執行役員 パートナー
ヘルスケア・医薬ライフサイエンス事業部
ヴィリヤブパ・プルック(エディ)
PwCコンサルティング
パートナー
ヘルスケア・医薬ライフサイエンス事業部
高橋 啓
※所属法人名や肩書き、各自の在籍状況については掲載当時の情報です。
左から高橋啓、田川尚登 氏、ヴィリヤブパ・プルック(エディ)
認定NPO法人 横浜こどもホスピスプロジェクト 代表理事 田川 尚登氏
髙橋:
最初に基本的な質問ですが、「ホスピス」とは一体何なのか、詳しく教えてください。そして「こどもホスピス」とはどのような役割を担う存在なのでしょうか。
田川:
「ホスピス」とは治癒が望めない重篤な病の患者さんに対して疼痛や症状を和らげ、残された時間を穏やかに過ごせるようにする「医療とケアを提供する施設やサービス」のことです。「こどもホスピス」は英国を発祥として世界に広がった文化で、WHOが分類した小児期の命に関わる重大な疾患(※)を抱えるこどもの患者さんと、その家族を地域で支える新しいコミュニティのあり方を指します。
※ WHOが分類した小児期の命に関わる重大な疾患:小児期に発症し、生命に関わる重篤な経過をたどる可能性がある疾患を指す。具体的には、がん、先天性疾患、血液疾患、神経疾患、代謝疾患、免疫不全症、腎疾患、呼吸器疾患などがある。
こどもホスピスのミッションは、病気のこどもや家族が直面する「社会的苦痛」「精神的苦痛」「スピリチュアルな苦痛」という3つの苦痛に寄り添い、支援することです。
重篤な病気のこどもを持つ家族は、多くの困難に直面します。まず、治療費や介護に必要な費用など、経済的な負担が大きくのしかかります。また、介護に多くの時間を割かなければならないため、仕事やきょうだいの世話などに支障をきたすなど、家族全体の生活が大きく影響を受けます。さらに、こどもが亡くなった後に家族は「もっとできることがあったのでは……」と自分を責めてしまいます。
そうした家族に対し、こどもホスピスは、地域のボランティアや医療・福祉従事者などと多職種連携を行い、家族を支援する役割を担います。
髙橋:
こどもホスピスの取り組みは、欧州で先行していますよね。日本でこどもホスピスができた経緯を教えてください。
田川:
2012年に大阪の淀川キリスト教病院(内)に開設されたのが日本で最初のこどもホスピスです。ただし、当初は看取りに重点を置く成人向けホスピスのこども版でした。病院とは独立した民間の組織としては、2016年に日本で最初に設立された大阪市鶴見区の「TSURUMIこどもホスピス」です。
髙橋:
田川さんは2021年、神奈川県横浜市に「横浜こどもホスピス~うみとそらのおうち」を設立されました。きっかけとなったのは娘さんの病だとうかがっています。田川さんが活動を始められるに至った背景をお話しいただけますか。
田川:
はい。私がこどもホスピスの設立を決意したきっかけは、次女の死でした。6歳の時に悪性の脳腫瘍(脳幹部グリオーマ)に罹患したのです。この病には毎年50人前後のこどもが罹患し、2年以内にほぼ100%亡くなりますから、病気が分かった時点で余命を宣告されます。治療法は放射線を照射して腫瘍を小さくする「時間稼ぎ」しかありません。絶望の中で家族は、こどもとどのように向き合えばよいかを葛藤するのです。
髙橋:
お辛いですね。
田川:
こどもにとって一番安心できるのは、家族と過ごすことです。ですから、「家族でこどものやりたいことを一緒に楽しめる時間と場所作りを支えてくれる空間があれば」と考えたのです。たとえ短くとも密度の濃い時間を共有できれば、死別しても心の中で一緒にいると感じられると思ったのです。残された家族が前向きに立ち直るためにも、こどもホスピスの必要性をすごく感じました。
次女が他界した1998年は、「こどもホスピス」ということばもその存在も社会的に理解されていませんでした。しかし、日本には次女と同じように治療の望みがない病気を抱えている境遇のこどもが約2万人います。そして私と同じ思いを抱える家族もいるのです。ですから、「こどもホスピス」は日本のあらゆるところにあるべき施設だと考え、まずはこども病院の医療環境を変えていく目的で2003年に友人たちとNPO法人「スマイルオブキッズ」を立ち上げました。
髙橋:
「こどもホスピス」の設立には、医療関係者はもちろん、行政などのステークホルダーを巻き込んだ取り組みも必要だったのではないでしょうか。
田川:
スマイルオブキッズ活動の第一歩は2008年6月、神奈川県立こども医療センターの近くで長期入院するこどもに付き添う家族の滞在施設「リラのいえ」の開設です。当時は小児専門病院でも付き添い家族の居場所がありませんでした。
こどもホスピスを横浜市に設立できたのは、同じくこどもホスピスの必要性を訴えていた看護師さんから多額の遺贈を受けたことが大きな要因です。これを機に2017年7月にこどもホスピス設立を目指す新組織として、NPO法人「横浜こどもホスピスプロジェクト」を立ち上げ、本格的に準備活動を開始しました。
「リラのいえ」の建設では、神奈川県から無償で土地を借りることができました。一方、「こどもホスピス」の建設は、横浜市議会にその意義を説明するなどの働きかけを行い、最終的に横浜市の支援を取り付けることができました。「横浜こどもホスピス~うみとそらのおうち」の運営には年間5,000万円程度かかっていますが、国や自治体からの助成金と個人・団体からの寄付があり、利用者の負担は1日1,000円です。
髙橋:
「こどもホスピス」の設立や普及を加速させるためには行政の理解や支援が重要だと思います。行政の動きはいかがですか。
田川:
2023年設立のこども家庭庁には、「こどもホスピス専門官」という窓口ができました。この窓口はこどもホスピスに関する政策の立案と推進、こどもホスピスの意義や役割に関する広報・啓発活動といった役割を担っています。これまで厚生労働省の中に窓口すらなかったことを考えると、大きな前進です。
「横浜こどもホスピス~うみとそらのおうち」の設立には、横浜市医療局の支援がありました。具体的には、こどもホスピスが「小児がん等で生命を脅かす病気のこどもと家族の療養生活支援施設」という位置づけで、横浜市の保健医療プランに組込まれました。これにより、横浜市が所有する土地の無償提供と人件費の一部補助が実現されています。
PwCコンサルティング 上席執行役員 パートナー ヘルスケア・医薬ライフサイエンス事業部 ヴィリヤブパ・プルック(エディ)
PwCコンサルティング パートナー ヘルスケア・医薬ライフサイエンス事業部 高橋 啓
エディ:
日本の場合、医療費は保険が適用され、一部が無償化されていますが、「病気と付き合いながら日々の生活を充実させる」ための支援は十分ではありません。そもそも「病気を治す」という定義が「投薬や手術で疾患を治す」になっています。
田川:
ご指摘のとおり、日本の病院とは「疾患を治す場所」です。治療による回復が見込めないこどもたちは、こどもらしく遊び回ることもできずに病院で亡くなっていきます。しかし、どんなに重篤な病気のこどもであっても、学びや遊ぶのための時間は大切です。残念ながら社会全体ではそれが理解されていません。
髙橋:
病気のこどもに対しては「勉強は遅れてもいいから、ゆっくり治療しましょう」と“気を遣って”しまいがちです。しかし、「学校を休んでいい」というのは、本来こどもが属するコミュニティから切り離すことと同じですよね。
田川:
多くのこどもは入院中も学校や同級生のことを気にかけています。「学校のことは気にしないで……」というと、逆に不安を煽ってしまいます。クラスメイトがお見舞いに来て学校の情報を定期的に伝え、「自分は孤立していない」と実感できれば、入院生活も頑張れると思います。
髙橋:
日本ではこどもホスピスの社会的な認知度を上げていくことが大きな課題です。社会の中でこどもホスピスが当たり前の存在になるには何が必要でしょうか。
田川:
私の経験から1つお話ししましょう。こどもホスピスを設立するにあたり、ドイツのデュッセルドルフにあるこどもホスピスを訪ねた時のことです。
ホスピスの近くで道に迷ってしまい、近くの公園で遊んでいたこどもたちに場所を訊ねたのです。すると、そこにいたこどもたち全員がこどもホスピスの場所を知っていて、「こどもホスピスがあることがこの町の誇り」と言って現地まで案内してくれたのです。ここまで社会に浸透していることに驚きました。
こどもたちが「町の誇り」と言えるということは、親も「こどもホスピスとはどのような存在なのか」を正しく理解しており、こどもたちが教育現場で「社会全体で支える」という姿勢を学んでいる証です。
髙橋:
すばらしいですね。私はこどもホスピスが社会に浸透するためには、「患者力」が必要だと考えています。患者力とは、患者さん自身が病気についての知識を深め、主体的に医療者と対話しながら治療に取り組み、病気と向き合いながらも毎日を充実して過ごそうとする姿勢のことです。患者力が社会全体に広がることで、こどもホスピスの理解も深まっていくのではないでしょうか。
こどもたちが病気を通じて生きる意味合いを学ぶことは「患者力」を高めることにもつながり、患者さんを地域全体で支えていく社会風土が醸成されると考えています。地域の方々に理解を深めてもらうために、どのような活動をしていますか。
田川:
「横浜こどもホスピス~うみとそらのおうち」の設立を機会に横浜市とつながりができ、さまざまな地域とのネットワークを持つことができました。例えば横浜市金沢区の小学校では、校長先生方の理解もあり、近隣小学校の全校児童に向けて「こどもホスピスとはどんな場所か」を語る機会を得ました。これをきっかけに、こどもたちが施設の見学に来るなど、交流する機会も増えました。こうした活動を通じ、少しずつ理解が広がっていることを実感しています。
例えば学区内外の小学校で行われている総合学習では「まち探検」という授業があります。これはこどもたちが学区内のお店を選択し、その仕事内容を調べて発表する授業なのです。この授業で「うみとそらのおうち」が取り上げられ、ホスピスについて学ぶ機会となっています。
また、近隣学区の小学校たちは、「うみとそらのおうち」を利用するこどもたちが体に負荷をかけないでも楽しめる遊びを考案してくれました。車いすの子も利用していることを知っていたこどもたちは、座ってできる風船バレーボールや洗濯ばさみの射的ゲーム、磁石とクリップで魚釣りゲームを作り、どのように遊ぶのかまでを映像で紹介してくれました。
髙橋:
「使う側の目線」で物ごとを考え、寄り添うことができる。われわれのワークショップより凄いですね。
髙橋:
社会全体が病気を理解し、支えていく。その中で患者さんは社会とつながりを持ち、患者力を高めながら日々の生活を充実させていく。そうした社会を作っていくことが大切ですね。
エディ:
そのためには医療従事者や製薬会社も「治療」の観点だけでなく、患者さんの立場に立って治療過程全体を考える必要があります。治療の前後に起こる問題にも目を向け、誰がどのようにサポートできるかを考える。医療従事者や製薬会社の人々は「目の前の患者さんが自分の家族だったら同じような対応をするのか」を常に自問し、患者さんと向き合っていくことが重要だと思います。
髙橋:
製薬会社や医療機器メーカーなど、ヘルスケア関連企業の方とお話をするなかで痛感するのは、彼らと患者さんの生活が切り離されている現状です。彼らは患者さんやその家族が何に苦しんでいるのかをもっと理解し、より深く関与したいと考えています。しかし、法的規制や倫理的配慮などさまざまな制約があり、具体的な方法が見いだせていません。
田川:
私は脳腫瘍のこどもを亡くした親の立場から、患者会での活動を続けていますが、医療関係者との連携は十分ではないと感じています。もちろん、製薬会社も病院との関係や、法規制などの制約があるのは理解できますが、患者家族との直接的なつながりはほとんどありません。
治療法の研究開発に携わる人々に、治らない病気と向き合うこどもや家族の実情を知ってもらうことで、研究意欲を高めてもらえると考えています。患者さんや家族の声が企業に届いているのか、届いていないとすればその理由は何なのかを明らかにして、働きかけをしていきたいです。
次女を脳幹グリオーマで亡くしてから27年近くが経ちますが、今なおこの病気の治療薬はできていません。こうした現状を変えていくためにも、患者さんや家族と医療関係者との連携を深めていく必要性を強く感じています。
エディ:
製薬会社は規制やコンプライアンス上の理由から、患者さんや家族と直接コミュニケーションを取れないので、患者さんの生活スタイルの変化や思いを深く理解することが困難という課題があります。
一方で、変化の兆しもあります。これまで各製薬会社は新薬開発に邁進してきましたが、業界全体として新薬開発の限界が見え始めています。そのような状況の中で「治療」の考え方を再定義する動きがあります。製薬会社は従来の「病に対してもっとも効果が期待できる自社製品は何か」という製品中心の視点から、「疾患を抱えた患者さんが自分らしく生活するにはどのようなケアが必要か」という患者中心の視点に移行しつつあります。つまり、自社製品だけでなく、他社のプロダクトやサービスと組み合わせ、患者さんを包括的に支援していく動きが少しずつですが始まっています。
髙橋:
何よりも重要なのは、患者さんとその家族が何に苦しんでいるのかを理解することです。規制やコンプライアンスがその妨げになってはなりません。
髙橋:
最後に田川さんにうかがいます。こどもホスピスが当たり前の存在として社会の中に広がっていくため、コンサルタントには何ができるとお考えですか。コンサルタントに期待することを教えてください。
田川:
こどもホスピスの必要性を真剣に感じているのは、亡くなっていったこどもたちや遺族にかかわった医療従事者だと想像します。こどもホスピスの施設を作るにあたっては、組織作りや事業計画、人材・資金の確保など、やるべきことが山積します。事業を立ち上げた経験がない人がこれらを行うのは無理なので、協力してくれる仲間のサポートが重要です。
残念ながら志が立派でも、プロジェクトが立ち行かなくなるケースは少なくありません。その原因としては、仲間同士で目指すゴールがきちんと話し合えていないことや、事業計画を一緒に考えてくれる伴走者が不在であることなどが挙げられます。
私は営業の仕事が多かったので、このプロジェクトを立ち上げる際には、NPOが主催する事業計画や資金計画についての講座を受けて学びました。もちろんそれらは役立ちましたが、現状を把握し、各プロジェクトの規模や地域性に合わせて段階的に支えてくれるコンサルタントの存在は欠かせません。個々の役割をまとめ、1つのゴールに向かうために何をなすべきかを一緒に考えてくれる存在は絶対に必要だと思います。
髙橋:
ありがとうございます。エディさんにうかがいます。こうした期待に私たちコンサルタントはどのように応えていくべきでしょうか。
エディ:
コンサルタントにとって事業支援は得意領域です。そのなかで、常に考えなければならないのは、事業を継続的に動かしていくことです。患者さんやその家族の目線でこどもホスピスを動かしていくには、患者さんの多様なニーズに寄り添い、常に「患者さんとその家族が幸せな時間を過ごすには何をすべきか」を考えることです。それを実現するには、私は以下の3つが不足していると捉えています。
「社会の育成」とは、こどもホスピスとその利用者の方々が置かれている状況に対する理解です。私は病気や治療に対する理解が、断片的であることを危惧しています。患者さんのニーズは病気の進行や外部環境によって変化します。こうした部分を理解するための教育はまだまだ足りていないと思います。
「変革するエコシステム」とは、田川さんのように頑張っている方たちを継続的に支援するエコシステムの確立です。こどもホスピスの普及に尽力する方々は、固い意思とさまざまな考えを持ち、今の社会が抱える規制の欠陥に気づきながらそれを変えるために努力されています。しかし、志や善意だけでは事業は継続できません。ですからステークホルダーや行政当局を巻き込みながら、事業の継続性を確保しつつ、支援の仕組みを構築していくことが不可欠です。そのためには投資が必要ですよね。
私たちヘルスケアコンサルタントは、こどもホスピスに携わる方々を中心に、製薬会社や医療機器メーカー、病院などを巻き込んで、橋渡しができるようなエコシステムを構築する必要があります。エコシステムの中でプレイヤーの役割を適切に設計し、働きかけていく世界を構築するためには、病気と向き合う人々を支え、問題のある規制などを変えていく広い視野と行動力が求められます。
髙橋:
当事者の方々の声が規制によって覆い隠されてしまえば、その声は届きません。ニーズがあり、解決すべき社会課題があるにもかかわらず、それを伝える努力をしないことは、マーケットと向き合う者として、またコンサルタントとして誠実ではありません。
私はそうした人々の声がコンプライアンスに反することなく正確に伝わるよう、最大限努力したいと心から思います。本日はありがとうございました。
パートナー, PwCコンサルティング合同会社