これからの病院経営を考える

第10回 新時代のフォーミュラリは何をもたらすのか

  • 2023-08-31

フォーミュラリに期待される効果と浸透に向けた課題

国内において「フォーミュラリ」の厳密な定義はありませんが、米国病院薬剤師会では「医療機関などにおいて医学的妥当性や経済性などを踏まえて作成された医薬品の使用方針」としています*3。要するに、「地域や院内の推奨医薬品リスト」と言えるでしょう。フォーミュラリには「院内フォーミュラリ」と「地域フォーミュラリ」に分類されており、その特徴は以下のようになります(図表1参照)。

図表1 フォーミュラリの分類と特徴

フォーミュラリの導入により期待される主な効果としては、次の3点があげられます。

1点目に、医師や薬剤師で構成された検討チームが収集した情報をもとに、院内または地域において処方の標準化を図ることが可能になります。また2点目として、薬剤の標準化により医師や薬剤師の業務効率化が可能になります。さらに3点目として、現在国内で標準薬に推奨されている医薬品は後発品であることから、長期収載品からの切り替えによって医療機関、患者、保険者いずれも薬剤費の負担が原則として軽減されます。特に薬剤費の削減については、健康保険組合連合会の試算では3大生活習慣病治療薬の降圧薬、脂質異常症治療薬、血糖降下薬の3剤のみで計3,100億円と試算されており、大きなインパクトが期待されています*4

しかし、地域フォーミュラリに比べて比較的導入が容易とされる院内フォーミュラリの国内導入率は10%未満であり、今後導入予定の医療機関も合わせても28%に留まっていることから、導入拡大の兆しが見えるものの、まだまだ高い水準とは言えません*1。医療機関においてフォーミュラリの導入が困難な理由としては、関連する診療科の医師の同意取得、検討チームの設立、作成・改定時のデータの収集および分析などに係る業務に対するマンパワーが不足していることが挙げられます。また、院内ルール整備が困難なことに加え、診療報酬としての加算算定がないことも背景にあります。

一方で厚生労働省の調査によると、フォーミュラリを導入した病院の70%以上がそのメリットを実感していると回答しています。具体的には薬物治療の標準化による安全性の向上、医薬品の購入費削減による経営改善、患者の経済的負担の軽減などが理由として挙げられています。フォーミュラリの導入には障壁があるものの、その満足度は高いと言えます(図表2参照)。

図表2 病院におけるフォーミュラリの導入率と満足度

厚生労働省はフォーミュラリの運用に関する通知文を発出

このような状況の中、国はフォーミュラリの導入を促進するため、2023年7月7日にフォーミュラリの運用に関する通知文を発出しました(図表3参照)。厚生労働省はフォーミュラリ導入の目的を「有効性・安全性・経済性を踏まえ、患者にとって最適な薬物療法を提供すること」と定義しており、医薬品の処方を制限するものではないとしています。また、最新の情報に基づく更新の必要性や利益相反への対応、運用状況の公表など適時の情報開示を促し、透明性の担保に留意することを明記しています。

図表3 厚生労働省保険局医療課より発出された通知文の概要

英国では全ての地域でフォーミュラリが厳格に運用されている

国民皆保険制度を有し、比較的、日本と医療制度が近い英国では、全ての地域において地域フォーミュラリが導入されています。政府から独立した研究機関であるNICE(National Institute of Health and Clinical Excellence)が地域フォーミュラリの指標となるガイドラインを作成し、Prescribing Management Committee(処方管理委員会)が地域に合わせたフォーミュラリを作成しています。医師がフォーミュラリに含まれていない薬を選択すると、電子カルテ上に自動的にフォーミュラリ内の代替薬剤が提示され、それによって薬剤費がどの程度削減されるかまで表示されるシステムを備えています。また、「全処方薬に対するフォーミュラリ外の薬剤の処方割合」が医療機関ごとに公開されている点からも、厳格に運用されていると言えるでしょう。

英国のNHS(National Health Service)がフォーミュラリの導入を検討した際には、医療政策検討に係るステークホルダーだけでなく、専門家や患者、一般市民などを巻き込んで議論を重ね、世論を醸成した上で、制度を変えていくというステップが踏まれており、その結果としてフォーミュラリが受け入れられたという背景があります。日本で同様に進めるにはまだハードルは高いですが、NPO法人日本医療政策機構が実施した世論調査では、医療政策に自身の声を反映したいと考える市民が半数以上であると報告されています*5。また、日本医療政策機構は政策形成過程に患者や市民の参画を提言するなど*6、フォーミュラリ導入に向けた機運を醸成する動きが芽吹いていると言えるでしょう。

ステークホルダーにどのような影響を与えるのか

フォーミュラリの浸透は、医薬品を取り巻くステークホルダーにもさまざまな影響を及ぼすと考えられます。具体的にどのような影響を与えるのかを検討してみましょう(図表4参照)。

図表4 フォーミュラリ導入に係るステークホルダーとその影響
  1. 患者
    フォーミュラリに基づく処方は、最新のエビデンスをもとにした標準的な処方を可能とするため、専門医が少ない地域においても、標準的な薬物治療が受けられるようになります。日本の医療課題の1つとされる、医師の偏在による医療格差縮小への貢献が期待されます。また、後発品の使用促進がもう一段進むことで、薬剤費の自己負担額が軽減されます。
  2. 製薬企業(先発品メーカー)
    先発品メーカーは大きな環境変化にさらされることになります。事業性の観点では、国内で既に導入されているフォーミュラリには、糖尿病領域の先発医薬品であるSGLT2阻害薬やDPP4阻害薬、循環器領域のNOACといった売上の柱となっている製品も含まれており、フォーミュラリでの推奨有無が製薬企業の売上に大きく影響します。

    また、フォーミュラリの導入によってパテント切れ後の後発品への切り替えが加速し、先発品や長期収載品の早期売上低下が懸念されます。さらに、フォーミュラリ導入の対象となる疾患領域では、新薬を市場に投入してもフォーミュラリの改定時期によっては迅速な採用が進まず、市場への浸透が遅延する可能性があり、製品ライフサイクルに変化が生じるでしょう。

    開発の観点では、経済性に関するデータが求められる可能性があり、製造の観点ではフォーミュラリの導入や改定による推奨品の変更によって地域ごとの必要供給量が変動するため、それに応じた供給管理が必要になるといった影響も考えられます。

    最終的にフォーミュラリが当たり前に存在する社会になると、新薬は今よりもさらに経済性を備えた製品力の高い薬剤だけが生き残ると考えられます。
  3. 製薬企業(後発品メーカー)
    フォーミュラリ導入によって長期収載品が後発医薬品に置き換わる可能性が高いため、売上の増加が期待されます。

    ただし、国内で既に導入されているフォーミュラリには銘柄が明示されている例も存在し、自社製品が選択されなかった場合には、売上が大きく減少するでしょう。また先発品メーカー同様に新製品の市場浸透の遅延やフォーミュラリ推奨の有無による必要供給量の変動も想定されます。
  4. 医療機関
    フォーミュラリ導入に伴う薬物治療の標準化により、医師の専門領域にかかわらず医薬品が処方できるようになるため、処方の標準化が期待されます。特に、医師の数が相対的に少ない地域における開業医には、自身の専門領域に限らず、総合診療的な能力が求められる場面が多く、そういった医師の処方時の判断や負担をサポートする面からも有用と言えます。また、取り扱う薬物の品目数が集約されることで、入院患者の持参薬確認や院内在庫管理といった業務が簡便化され、負荷軽減が期待できます。加えて、医師の嗜好に基づいて選択されていた薬剤が医師の交替を機に廃棄されるといった、いわゆる同種同効薬の残薬問題を改善する一手にもなります。

    病院経営の観点においては、特に後発医薬品の採用割合が低い医療機関は、フォーミュラリの策定を契機として材料費の削減効果が期待されますが、収支を考えるうえでは、薬価差益に与える影響の見極めが必要になります。当社のこれまでの経験を踏まえると、フォーミュラリの作成過程で病院の組織内連携が活発化することこそ、病院経営の観点からは大きなメリットとなると言えるでしょう。
  5. 地域
    フォーミュラリの導入検討に向けて地域の医療機関が参画する組織を立ち上げることによって、地域における医療連携の促進が期待されます。地域フォーミュラリを導入する場合においては、調剤薬局を含めた全ての医療機関の在庫管理の簡便化が進み、医療従事者の業務負荷軽減や薬剤費を含むコスト削減につながる可能性があります。

フォーミュラリ時代に求められること

製薬企業はセールスマーケティング部門だけでなく、全社一体となった対策が必要

(1)セールスマーケティング部門ではフォーミュラリを踏まえた戦略立案を検討すべき

製薬会社(先発品・後発品問わず)のセールスマーケティング(S&M)部門では今後、単一の医療機関ごとにアプローチするのではなく、どの地域でどのようなフォーミュラリが導入されるのかを速やかにキャッチする体制を構築する必要があります。AOL(エリア・オピニオン・リーダー)選定基準の再考や、重要AOLへのより早期(開発段階など)のアプローチが必要になるかもしれません。また、企業によっては従来のように全国をカバーするのではなく、特定のエリアに特化する戦略をとることも選択肢の1つになります。
また、現在は処方権のある医師をメインターゲットとした営業体制が敷かれていますが、フォーミュラリ導入を主導するのは地域の主要な医師会、薬剤師会、地域医療連携推進法人であることが想定されるため、疾患領域によっては医師以外のキーステークホルダーとの接点を今まで以上に確保する必要があると考えられます。

既に先行する一部の製薬企業では、営業部門から独立した地域連携専門の部署を新設し、対策を取りはじめています。

(2)開発部門・MA部門ではフォーミュラリ導入の対象となりうる疾患領域において、経済性を踏まえたデータを創出すべき

開発部門では特に致死率の低い生活習慣病など、フォーミュラリ導入の対象となりうる領域において、従来の有効性や安全性だけでなく、経済性も踏まえたデータの創出が必要となると考えられます。また、発売間近になるまで薬価が明確にならない日本の薬価制度下においては、MA部との連携により発売後早期に上記データを展開するスキームの構築も必要となるでしょう。
また、先行する製薬企業では既に取り組みが進んでいますが、組織の垣根を超えた情報連携がこれまで以上に求められます。S&MやMAが入手した市場ニーズなどの情報を開発部門にフィードバックするなど、部門の垣根を超えた連携が必要となります。

(3)需要をとらえた供給体制を構築すべき

フォーミュラリで推奨された医薬品の需要が高まることが想定されます。特定地域において需要が高い場合には、他地域での供給が追いつかないなどの状況が発生しうるため、製薬企業は効率的な生産・供給体制を確立する必要があります。特に後発品メーカーでは昨今供給体制が不安視されており、このような足元の課題を解消しつつ、フォーミュラリによる推奨の大前提となる安定供給の強化に向け、多品種少量生産の是正や業界全体の再編を含めた取り組みを検討、推進することが望まれます。

(4)新たな収益事業を検討すべき

フォーミュラリで推奨される医薬品は基本的には有効性と安全性により評価されますが、経済性(薬剤費の削減)も重要な観点の1つになります。これにより、納入価格および仕切価格の低下による売上規模のさらなる縮小が想定されるため、Around/Beyond the Pill(従来の医薬品事業の周辺事業/超えた事業)を含め、新たな収益源となる事業を検討する必要があると考えられます。

地域、医療機関は限られた疾患領域・品目から少しずつでも導入を検討すべき

フォーミュラリ導入については、生活習慣病を中心に、致死率が低く、処方量の多い疾患・品目から少しずつでも検討を進めていくことが重要であると考えます。また、フォーミュラリ作成は薬剤師の専門性を大きく発揮できる領域です。薬剤師のプレゼンス向上にもつながると想定され、薬剤師のタスクシフトの検討も含めてリーダーシップを発揮する必要があります。

フォーミュラリ導入には障壁があるものの、導入をきっかけとした地域連携によって医療圏が強化されることで、ヒト、モノ、データが連携され、将来的には地域、医療機関、患者により多くのメリットをもたらす可能性があります。その中には、患者サポートによる治療アウトカムの向上や、患者・患者家族のQOL向上といった患者中心の医療の実現も含まれるでしょう。このようなことも踏まえ、本稿が地域医療のさらなる充実を考える皆様の一助になれば幸いです。

参考資料

*1:中医協「医療従事者の負担軽減、医師等の働き方改革の推進に係る 評価等に関する実施状況調査」
https://www.mhlw.go.jp/content/12404000/000768017.pdf

*2:厚生労働省「第四期医療費適正化計画(2024~2029年度)について」
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000190705_00001.html

*3:厚生労働省保険局医療課 「フォーミュラリの運用について」https://kouseikyoku.mhlw.go.jp/kyushu/000284764.pdf

*4:健康保険組合連合会「政策立案に資するレセプト分析に関する調査研究Ⅳ」
https://www.kenporen.com/include/press/2019/201908233.pdf

*5:NPO法人 日本医療政策機構「医療の満足度、および医療政策への市民参画に関する世論調査(2023年2月7日)」
https://hgpi.org/research/hc-survey-2022.html

*6:NPO法人 日本医療政策機構「政策提言 政策形成過程における患者・市民参画のさらなる推進に向けて」
https://hgpi.org/wp-content/uploads/Policy-Recommendations_Further-Promoting-Patient-and-Public-Involvement-in-the-Policy-Making-Process_JPN_20220701.pdf

執筆者

小田原 正和

ディレクター, PwCコンサルティング合同会社

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森見 由香

マネージャー, PwCコンサルティング合同会社

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坂田 優樹

アソシエイト, PwCコンサルティング合同会社

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