産業政策と政府の投資

2022-07-01

産業政策におけるステージの転換

日本の経済産業政策は、外部環境や時代の変化に即し、そのステージを転換させてきました2

以下では、当該資料に沿って時代の変遷を概観することに加え、PwC独自の考察として、各時代における「内向き―外向き」(国内志向―海外志向)のトレンドや、施策のターゲットとしての「需要側―供給側」について解説します3

①特定輸出産業育成

1940-60年代は「特定輸出産業育成」の時代とされており、その目線は「外向き」(海外志向)でした。この時代には、産業の高度化を図りつつ、重化学工業を中心とした産業構造への転換が志向されていました。そして、供給側の充実を図ることで、国内の需要を喚起するとともに、海外への製品輸出を積極的に推し進めていました。

②安定成長と国際摩擦

1970-1984年は「安定成長と国際摩擦」の時代とされており、知識集約型産業構造への転換が生じたとされています。また、その目線としては、エネルギー問題などで外向き(海外志向)な一面もありながら、公害問題も生じていたことから、内向き(国内志向)な一面もあるという並列状態でした。この時代には、前時代にあったような過剰供給も一定程度落ち着きを見せ、安定を志向する方針が見られます。

③構造改革

1985-2008年は「構造改革」の時代とされており、規制緩和を通じた「市場原理主義」の思想がこの背景にありました。その意味では、政府による産業政策のプレゼンスがやや低くなった時代でもあります。また、貿易の積極化などの「外向きの目線」と国内市場の整備といった「内向きの目線」が混ざり合っていました。そして、規制緩和を実施したという意味では、供給側の改革により市場(需要側)の活性化を図っていたと考えられます。

④緊急避難的な措置

2009-2012年は「緊急避難的な措置」の時代とされ、世界経済危機(2008年秋)、東日本大震災(2011年3月)により生じた外生的需要ショックへの時限的な対応が実施されました。このため、内需拡大を図るべく、内向きの目線で需要側に働きかけを行った時代でした。

⑤アベノミクス

2013-2020年は「アベノミクス」の時代であり、その施策の中心には「企業―労働者」がありました。すなわち、企業に対する業績改善・生産性向上施策を展開するとともに、労働者に対して雇用の安定化や働き方改革を促した時代でした。この意味では、内向き目線での施策が中心であり、供給側と需要側に同時に働きかけを行っていたと考えられます。

図 産業政策におけるステージの変遷

産業政策における ステージの転換

日本の産業政策における「大企業」の役割

以上のようなステージの変遷があった中でも、日本における産業政策や経済の中心は一貫して「大企業」であったと考えられます。例えば、海外への輸出強化の際には大企業がその主要な役割を果たし4、過去の政策形成過程における検討対象の念頭にあったのは大企業でした5

しかし、諸外国においては、必ずしも大企業が産業政策の中心的対象ではありません。例えばドイツでは、伝統的に中小企業が経済の中心的な役割を担っており、それを支えるためのエコシステムが形成されています6

産業政策や経済の中心に大企業を据えているという点は日本の経済構造の特徴であり、これによって成長がもたらされてきたと考えられます。一方で弊害も生じており、例えば大企業の成長が停滞すると中小企業との取引量などが減少し、経済全体の低成長がもたらされるなどの恐れがあります。

このため、今後の産業政策の方向性を改めて考える上では、「大企業を中心とした産業構造・経済構造」の継続を前提とするのか、あるいはその転換を図るのかによって、そのスキームが大きく異なります。

また、もし方向性の転換を図る場合には、政策実効性の問題も生じます。実際、フランスは日本と同様に大企業(ナショナル・チャンピオン)中心の経済構造が続いていたところ、中小企業の支援施策を拡充することにより、経済構造の変革を図りました。しかし、フランスの有識者に話を聞くと、その評価としては、一次的には中小企業への支援が手厚くなったものの、結局のところ大企業中心の経済構造に逆戻りしてしまったとのことでした。

産業政策の新たなステージに向けて

2022年6月現在、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の拡大に伴う需要構造・供給構造の変化や、地政学リスクに伴うサプライチェーンの強靭化などが求められる中、諸外国では産業政策の新たな在り方に関する模索がなされています。

例えば米国では、社会インフラ投資法7を通じて鉄道・航空といったサプライチェーンの整備を図り、たとえ外的経済ショックが生じたとしても、必要な物資の供給が途切れることのない体制の構築を目指しています。その投資額は総額100兆円を超えるとされていますが、以前であれば、財政赤字の問題や政府による公共投資は自由市場を歪めるとして抑制されていた政策が、「経済安全保障」の観点から優先度が増加したため実行に移されています。

また、ドイツでは連邦政府が2021年に「German Sustainable Development Strategy8」を公表し、対外的には気候変動やSDGsの分野においてEU全体をリードしつつ、国内に対してはデジタル化を進めるための人材育成投資や中小企業支援を拡充しています。この動きは、産業政策に「グリーン」や「デジタル」を包含することにより、新たな社会像を描こうとするものであると考えられます。

このように、諸外国では産業政策に「経済安全保障」や「グリーン」、「デジタル」を包含しつつ、特定産業の保護・育成を目的とした施策から、より高次の国家戦略の達成に向けたツールとして活用されるなど、産業政策自体の位置づけが見直されています。

そして、この背景には国益の保護があり、地政学リスクなどを含む国際情勢やプライマリーバランスなどを踏まえた国内の財政状況、加えて国内の産業構造や雇用の状況などを勘案した上で、投資の決定がなされています。この点、もはや国家安全保障に近い次元での意思決定がなされていると考えてよいでしょう。さらには、所得の「分配」についても、トリクルダウンを前提とした自由市場によるものか、あるいは社会的弱者の保護などを優先し、政府として先導するのか、その方針の在り方が問われています10

これらのことから、日本においても、今後産業政策自体の位置づけが変化するとともに、その重要性が一層増加し、投資内容の決定には多様な視点が必要となることが予想されます。

そして、国家安全保障としてのリスクヘッジの観点に加え、多様な価値観を実現するための望ましい社会・所得の流れの在り方を模索するという考えに基づくと、「大企業のみ」に対して投資を行うこと(投資先の偏り)は、見直される可能性があります。その場合、どのような産業政策の在り方が求められるでしょうか。さらに議論を深めていく必要があります。

1 経済産業省「第28回産業構造審議会総会」
https://www.meti.go.jp/shingikai/sankoshin/sokai/028.html

2 経済産業省 第28回産業構造審議会総会「資料2 経済産業政策の新機軸」
https://www.meti.go.jp/shingikai/sankoshin/sokai/pdf/028_02_00.pdf

3 本稿では、産業政策という用語を狭義の「政府による特定産業の保護・育成」から、広義の「政府や企業の取り組みを通じた産業構造の変化やマクロ経済成長を誘導するような経済的施策」まで含むものとして用いる。また、分配という用語については、狭義の「政府による所得の再分配」から、広義の「政府や企業の取り組みを通じた所得、情報・データ、スキルなどのフローに係るエコシステム」まで含むものとして用いる。これらの背景には、「産業政策および分配施策それ自体の在り方の変化」がある。

4 平成28年度「中小企業白書」によると、海外への輸出を行っている企業数は、大企業よりも中小企業のほうが多いものの、年間輸出額56.80兆円のうち中小企業が占める割合は3.38兆円とわずか1割弱にとどまっている。

5 企業数では99.7%が中小企業であるものの、例えば製造業における付加価値額は大企業が47%を占めるなど、経済における影響力の大きさが異なることから、政策の対象として想定されることが多かったと考えられる。

6 人材育成も同様で、日本において政策形成の前提となっていたのは、大企業の「メンバーシップ型」かつ「年功序列」のキャリア構造であるが、ドイツをはじめとする諸外国では、必ずしも大企業の人材育成を前提として政策形成がなされてはいない。しかし、近年では日本でも「ジョブ型」雇用の拡大を含め、その見直しがなされている。

7 The White house「Fact Sheet: The Bipartisan Infrastructure Deal」
https://www.whitehouse.gov/briefing-room/statements-releases/2021/11/06/fact-sheet-the-bipartisan-infrastructure-deal/

The White House「PRESIDENT ‘BIDEN’S BIPARTISAN INFRASTRUCTURE LAW」
https://www.whitehouse.gov/bipartisan-infrastructure-law/

8 The Federal Government「German Sustainable Development Strategy」、
https://www.bundesregierung.de/resource/blob/974430/1940716/1c63c8739d10011eb116fda1aecb61ca/german-sustainable-development-strategy-en-data.pdf?download=1、2021

9 例えば、以下の文献では、地政学リスクなどといった国際的なバリューチェーンの変化において確保が困難とされる物資の確保など、産業政策とEUの自律性の関連が深く考察されている。

EUROPEAN COMMISSION「COMMUNICATION FROM THE COMMISSION TO THE EUROPEAN PARLIAMENT, THE COUNCIL, THE EUROPEAN ECONOMIC AND SOCIAL COMMITTEE AND THE COMMITTEE OF THE REGIONS」
https://ec.europa.eu/info/sites/default/files/communication-new-industrial-strategy.pdf

10 経済産業省 第28回産業構造審議会総会「資料1 ウィズコロナ以降の今後の経済産業政策の在り方について」
https://www.meti.go.jp/shingikai/sankoshin/sokai/pdf/028_01_00.pdf

執筆者

篠崎 亮

ディレクター, PwCコンサルティング合同会社

Email

長沼 裕介

シニアアソシエイト, PwCコンサルティング合同会社

Email

萩原 桐平

マネージャー, PwCコンサルティング合同会社

Email

{{filterContent.facetedTitle}}

{{contentList.dataService.numberHits}} {{contentList.dataService.numberHits == 1 ? 'result' : 'results'}}
{{contentList.loadingText}}

{{filterContent.facetedTitle}}

{{contentList.dataService.numberHits}} {{contentList.dataService.numberHits == 1 ? 'result' : 'results'}}
{{contentList.loadingText}}