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2022-10-11
メタバースが企業や私たちの生活に影響を与えると言われて久しい昨今ですが、果たしてメタバースの経済側面における本質的な価値とは何にあるのでしょうか。経済を本質的に解釈するための方法の1つに「経済価値」という考え方があります。これについては、1999年に出版された『経験経済』(B・J・パインII, J・H・ギルモア著*1)において、現代でも通じる興味深い言及がなされています。同書の中では、経済はどのような業界であれ、「コモディティ経済→製品経済→サービス経済→経験経済→変身経済」という経済価値の変化が必要であると説明されています。
上記の経済価値を、コーヒーを例にとって説明すると以下のようになります。
以下は、経済を織りなすさまざまなファクターを5つの経済価値で表したものです。
経済価値 | コモディティ | 製品 | サービス | 経験 | 変身 |
---|---|---|---|---|---|
経済システム | 農業経済 | 産業経済 | サービス経済 | 経験経済 | 変身経済 |
経済的機能 | 抽出 | 製造 | 提供 | 演出 | 誘導 |
売物の特性 | 代替可能 | 有形 | 無形 | 思い出に残る | 効果的 |
重要な特性 | 自然 | 規格 | カスタマイズ | 個人的 | 個性的 |
供給方法 | 大量貯蔵 | 在庫 | オンデマンド | 一定期間見せる | 長期間維持する |
売り手 | 取引業者 | メーカー | サービス事業者 | ステージャー | ガイド |
買い手 | 市場 | ユーザー | クライアント | ゲスト | 変革志願者 |
需要の源 | 性質 | 特徴 | 便益 | 感動 | 資質 |
本稿では経済価値の観点から、メタバースの経済側面における本質的な価値が何であるのかを論じます。なお「メタバース」という言葉は広義ではありますが、ここでは、「仮想空間上でアバターを用いてコミュニケーションを行うこと」を定義の1つと考えます。また、「ユーザーがフィジカル世界の現実の自分から仮想空間上でのアバターへと変身する世界観」とも言い換えることができます。上記の変身経済と同様であるとは厳密には言えませんが、この変身するという世界観を「自身の変身」「経済価値としての変身経済」というダブルミーニングの側面から見た場合に、メタバースにはどのような強みや魅力があるのでしょうか。検討する価値は大いにあると考えます。
メタバースにおけるアバターを用いたコミュニケーションには、個人の開放・変身という側面があり、それがポジティブな効果をもたらすという研究結果や調査結果は一定数存在します。例えば、学習塾がメタバースを用いた教育サービスを提供したところ、アバターによる変身の効果によって質問の数が増えているという結果が出ています*2。このような事例は、PwCコンサルティングの「大規模メタバース社内イベント実証実験」でも明らかになっており、役職や性別などの属性や見た目を伏せた形でのコミュニケーションには一定のポジティブな効果があると推察されます。
そのような中では、現実に存在する「私」と、メタバース上の「私」をどう変身させるのかが重要なテーマとなります。変身というからには、現実の「身」が「変」わることが重要であり、「どの部分が」「どの程度変わるのか」の組み合わせで、無限の「私」を味わうことができるはずです。すなわち、有限である1度の人生の中で「私」を複数回生きることが可能であるとも言い換えられます。
では、どのように「変身」することでメタバース内でのstickiness(粘着性・定住性・滞在時間)は増えていくのでしょうか。考え方としては、現実に存在する「私」を複数の軸で定義し、その軸でずらしていくというのが1つの考え方になるでしょう。例えば、20代、男性、日本人、コンサルタント、家族持ち、神奈川県在住という「私」が、70代、女性、デンマーク人、美容師、孫10人、パリ在住という「私」(なかなか現実には存在しないプロフィールかもしれませんが、それが変身であるとここでは考えます)を生きると考えてみましょう。もっと軸をずらすならば、人間ではなく南太平洋を泳ぐクジラでも、北欧で飼われる犬に変身しても構いません。企業で言えば、競合企業のマーケティング部長に変身した場合にどのようなことを考えるか、あるいは消費者に変身した場合にどのような不満が見えてくるのか、といった具合です。
要するに、メタバースでは現実の「私」の延長線上にある「私´(私ダッシュ)」として存在するのではなく、全く異なる「私」として変身経済の文脈で存在することが、「現実のようにリアルですごいメタバース」の壁を越えられるメタバースの価値だと考えます。現実に存在するものを再現して「現実に近い」という価値で勝負するとしたら、本当に旅行に行くことには勝てないですし、本物の友人とカフェでお茶を飲むことには勝てないでしょう。そうではなく、「現実には存在せず、生まれ変わらない限りなり得ない自分になる」という変身経済の文脈でこそ、メタバースは価値を帯びてくるのではないでしょうか。
では実際に、変身経済という側面からメタバースを考えてみましょう。経済価値の指標になぞらえると、今までのリアル空間のモノをそのままメタバース空間に移植したようなモノは、経験経済と言えるでしょう。メタバースにおける変身経済とは、メタバースが持つ変身と掛け合わせて、個人が独自の体験をできるようカスタマイズされたメタバースと捉えることができます。具体的には、リアルの移植ではなく、メタバースでしか体験できないような非現実な体験を自分の肉体から分離させて体験できる世界観です。例えば、宇宙空間や海中など、リアルに存在するが物理的には行くのが難しい空間の体験や、アニメやゲーム、映画などのエンターテインメントの世界観に没入できるような体験などが、メタバースの変身経済という側面で本質を表しているのではないでしょうか。
書籍『経験経済』では、経験経済を「1度の経験を一定期間見せ、思い出に残すこと」と定義しています。一方で変身経済を「長期間持続し、その人の資質を中核にしながら変身をガイドすること」と定義しています。すなわち、メタバースの世界で他人になるという経験を1度だけ楽しむのではなく、継続的にメタバース内のもう1人の「私」を生き、それが長期間持続するのです。その果てには、現実の「私」にすら影響を与え、本質的な変身をガイドする可能性もあるということでしょう。現実ではあきらめていた「なりたい自分」(現実とは遠い軸にある「私」)がメタバース内で生き生きと存在し続けるに連れて、現実の「私」にもポジティブな影響が及び、現実の「私」が進化していくということです。
例えば、音楽のコンサートにメタバース上で参加することは経験経済です。現実の私のアバターが、コンサートを楽しむ側として存在しており、一定期間の経験を通じて感動し、それが思い出として残ります。一方の変身経済では、ステージ上でパフォーマンスをする側に変身をすることができます。現実の「私」ではない「私」がどのような目線で会場を見渡し、拍手喝さいを浴び、アンコールの声を舞台袖で聴くという感覚を味わうのです。ステージに上がるまでの道のりをメタバース上の「私」が味わうということでもよいでしょう。すなわち、「誰かを見る」という客観から「誰かになる」という主観への変革であり、これを長期間継続することで、現実の「私」が良い方向に変身するというのが、私たちが考えるメタバースの変身経済における価値であると言えます。
メタバースを現実の経験の拡張として捉え過ぎると、「現実には勝てない」という考えに行き着くでしょう。「対面での面談にはメタバースでの会議は勝てない」「現実の旅行先を疑似体験しているだけ」など、メタバースの経済価値を低く見る声も散見されます。そこで本稿では、経験経済としてではなく変身経済としてメタバースを活用する観点を提案しました。メタバースにおいて現実では経験できない経験を得たり、「私」を並走させて生きたりすることで、現実の「私」がポジティブに変身していくのであれば、そのガイドとしてのメタバースの利用価値はさらに高まると私たちは考えます。
最後に、メタバースの変身経済における価値を企業が享受するための具体的なアクションの例を記します。あくまで例示ですので、ディスカッションを通して、さらに多様な活用方法が出てくることを期待します。
自由闊達な発言を促すために、誰かが分からないように「私」に変身して会議を開催します。特にアイデア発散型の企画会議では、参加者の発言を促すことが重要です。現在は、日ごろのオフィスから場所を変えてのオフサイト会議やキャンプ施設を活用した会議などが代替案として活用されていますが、参加者の外見は変わりません。パワーバランスやチーム内のダイナミクスを超えたディスカッションをメタバースで実現することで、これまでになかったビジネスアイデアが生まれるかもしれません。
管理職に登用される前に、実際に管理職に変身し、半年から1年かけて、管理職の靴を履いて生活します。どのような視点で意思決定をするのか、所属企業の理念が日々の仕事にどう反映されるのか、部下をどうマネジメントするのか、といったことを、机上やグループワークではなく、本当の部下(部下の気持ちを理解したい上司が変身しているかもしれませんが……)を相手に日々学びます。なりたかった自分、本当の自分、これから目指すべき自分……。現実の世界で管理職になる前の登用訓練としてだけでなく、従業員が自らの人生の意義を顧みる場としてメタバースを活用する日が来るかもしれません。
対象とする顧客(ペルソナ)を理解する上では、グループインタビューやアンケート調査、あるいはオブザベーションが有効と考えられてきました。しかし今後、実際に顧客の立場に変身し、サービスを受ける際にどのような感情の変遷があるのか、どのようなことに不満を覚えるのかを疑似体験していくのが一般的になるかもしれません。
文化人類学者が、研究対象となる民族を調査する際に、自身の顔にペイントしたり同じ服装を着たりするなど、同化して距離を縮める姿がよく見られます。研究対象側の緊張の緩和や仲間意識の醸成が目的ではあるものの、学者自身が研究対象に変身することで相手をより深く理解することができ、さらなる発見に近付くとも考えられています。こうした循環を消費者理解に活用すれば、よりニーズの高い、画期的なサービスが生まれることも夢ではありません。
PwCコンサルティングは、業界に先駆けて2021年12月にメタバースコンサルティングサービスを始動しました。以来、多くの企業から問い合わせを受け、実際のサービス提供に至っていますが、この分野のリーダーとして企業のメタバース活用を考える際には次の段階、すなわち変身経済の側面からメタバースを捉えることが重要ではないかと考えています。
コロナ禍を経て、個人や組織が自らの存在意義を自問自答する機会が増えています。多様な視座や価値観を、変身を通して実感できるメタバースの活用方法に、私たちはまだまだ考えを巡らせる必要がありそうです。
*1:『[新訳]経験経済―脱コモディティ化のマーケティング戦略』〔B.J.Pine and J.H.Gilmore、岡本慶一・小高尚子 訳、ダイヤモンド社、2005年〕