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2021-02-22
(左から)坂野 俊哉、柳 良平氏
エーザイは「統合報告書2020」において、非財務資本への投資と長期的な企業価値向上の相関性を定量分析によって明らかにしました。非財務資本の強化がもたらす長期的な企業価値向上について、CFOとしてサステナビリティ経営を推進するエーザイの柳 良平氏と、PwC Japanグループ サステナビリティ・センター・オブ・エクセレンスの坂野 俊哉の対談を通じて紹介します。
対談者
エーザイ株式会社 専務執行役CFO
早稲田大学大学院会計研究科客員教授
柳 良平氏
PwC Japanグループ
サステナビリティ・センター・オブ・エクセレンス
エグゼクティブ・リード 坂野 俊哉
※法人名・役職などは掲載当時のものです。
坂野:PwCではサステナビリティ経営は長期的な企業経営戦略として今後の成長に不可欠であると考えのもと、2020年7月にサステナビリティ・センター・オブ・エクセレンスを立ち上げました。本インタビューシリーズでは、サステナビリティ経営を推進しておられる経営層の皆さまにその実践的なお話をうかがうことで、実現に向けての多様なアプローチと鍵を明らかにしていきたいと考えております。
さて、最初に、エーザイがなぜサステナビリティ経営を重視しているのか、という点についてうかがえますか。サステナビリティ経営は、エーザイにどのような価値をもたらすのでしょうか。
柳:当社は、「患者様とそのご家族の喜怒哀楽を第一義に考え、そのベネフィット向上に貢献すること」を企業理念と定め、これを「hhc(ヒューマン・ヘルスケア)理念」と呼んでいます。このhhc理念の実現が当社のパーパス(目的、存在意義)であり、サステナビリティ経営とはまさに企業理念を実現することだと考えています。
当社は2005年の株主総会において、このhhc理念を会社の定款に盛り込みました。hhc理念を「会社の憲法」である定款に盛り込むことによって社内だけでなく、ステークホルダーとも広く共有するためです。私たちが知る限り、これは世界初の試みです。
米国の大手企業のCEOが参加する経営者団体「ビジネスラウンドテーブル」が2019年8月、「企業の目的に関する声明」(Statement on the Purpose of a Corporation)の中で従来の株主資本主義からステークホルダー資本主義への転換を訴え、世界の経営者たちの間で大きな話題となったのは、記憶に新しいところです。
また、フランスでは2019年に新法が制定され、利益以外の目標を達成する責任を負う「使命を果たす会社」が新たな会社形態として採用されました。そして翌年、大手食品メーカーが株主総会で、上場企業としては初めてこの会社形態への移行を採択し、企業理念と目標を定款に含めました。
エーザイがhhc理念を定款に盛り込み、ステークホルダーと共有してきたのは、このような世界の動きに先駆けたものだったと言えます。
エーザイは、「本会社の使命は、患者様満足の増大であり、その結果として売上、利益がもたらされ、この使命と結果の順序を重要と考える」と定款に明記しています。hhcを基軸とした理念経営は、経済価値と社会価値の同時実現を目指す、米ハーバード大ビジネススクールのマイケル・ポーター教授らが提唱したCSV(共有価値の創造)の考え方に近いです。しかし、患者様満足の増大という「使命」が先にあり、「結果」として売上、利益がもたらされるという順番があるところに大きな違いがあり、この「使命と結果の順序」こそが重要だと考えています。
つまり、当社は使命としての患者様への貢献を優先し、その結果として中長期的に経済的価値をつくる。それが成長の原点なのです。
坂野:サステナビリティの取り組みが企業価値につながることを、社内およびステークホルダーの共通理解とするために定款を活用するというのは、独特かつ先進的な試みだと思います。特に長期投資家の理解を得るためには、非常に大きな役割を果たしていると拝察します。
柳:定款にhhc理念を盛り込んだことは、短期的な利益を優先するショートターミズムへのアンチテーゼにもなっています。ヘッジファンドなど短期志向の投資家から、一時的にEPS(1株当たり純利益)やROE(株主資本利益率)を上げるために人件費や研究開発投資を過度に削減するように要求された場合、「定款をよく見てください」と説明できます。定款を変更するには、株主総会の特別決議を経なくてはならず、そうした短期的要求を押し通すことは容易でないことが理解できるはずです。
坂野 俊哉
坂野:短期的な利益とサステナビリティの実現はトレードオフの関係として両立が困難であると捉えられがちななかで、長期的に目指す価値を明確に定款に盛り込み、ステークホルダーに理解してもらうことは大変重要だと思います。どの事業領域に経営資源を厚く配分するかといった戦略的な判断にもhhc理念は影響するのですか。
柳:定款に入れた企業理念では、「いまだに満たされてない医療ニーズ(アンメット・メディカル・ニーズ)の充足」を、患者様をはじめとするステークホルダーへの貢献の筆頭に挙げています。
さまざまなアンメット・メディカル・ニーズの中で、当社が重点領域としているのは、今なお十分な治療法が確立していない神経疾患とがん。この2つの疾病領域に集中して、経営資源を投入しています。
特に、神経領域では疾患の再発率を抑制したり、進行を遅らせたりする作用をもった次世代認知症治療薬の「アデュカヌマブ」の米食品医薬品局(FDA)への承認申請を2020年7月に完了しました。次世代認知症治療薬の開発は極めて難しく、認知症領域においてFDAが2003年以降に承認した新薬はありません。それだけに、この新薬が上市されれば大きな社会貢献になります*1。
*1 2018年に全世界で5,000万人が認知症に罹患しているとされ、2030年には8,200万人、2050年には1億5,200万人に達すると推計される(「World Alzheimer Report 2018」)。また、認知症の関連コストは医療費、介護費、家族による介護などの負担を含めると2015年で8,179億ドルと推計される(「World Alzheimer Report 2015」)。
また、hhc理念の観点から、最新鋭の医薬品開発だけでなく、「医薬品アクセス」の向上も重視しています。その代表例が、NTDs(Neglected Tropical Diseases:顧みられない熱帯病)の抑圧に向けた取り組みです。NTDsは、アフリカなどの開発途上国、新興国では深刻な社会問題であり、貧困などの理由で必要な医薬品を入手できない人が数多く存在します。
NTDsの一つに、リンパ系フィラリア症がありますが、開発途上国のみに遍在する病気であるため、商業的に市場を成立させることが難しく、長い間治療薬が普及していませんでした。その結果、約1億人が罹患、あるいは罹患リスクにさらされていました。そこで当社は、治療薬である「DEC錠」(ジエチルカルバマジン)をインドのバイザック工場で製造し、世界保健機関(WHO)と共に無償提供することにしました。2013年10月に提供を開始し、2020年3月末時点で19.9億錠を供給しています。WHOは、世界17カ国でリンパ系フィラリア症の抑圧に成功したと発表しています。
「無償提供は株主価値の破壊ではないか」という批判も一部にはありました。しかし、当社は単なる寄付ではなく、「プライスゼロのビジネス」と捉えてこの事業に取り組んでおり、長期的に見れば株主価値向上や市場創造へとつながる「投資」と考えています。
医薬品アクセスへの貢献によって、開発途上国・新興国でエーザイのブランドエクイティが向上しますし、社員もアフリカまで行くことで、スキルやモチベーションが向上しています。これによって、将来的に新興国ビジネスの拡大も見込まれます。
また、DEC錠を製造することでインド・バイザック工場の稼働率が上がり、原価が低減しました。工場従業員の労働意欲も高まり、離職率が下がることで、生産性が改善しています。これによって、先進国の工場からバイザック工場への一部の薬剤の生産移転が可能となりました。このように、DEC錠の「プライスゼロ」ビジネスは社会・関係資本、人的資本、財務資本の面でアウトカムを創出しており、CFOとして、超長期視点でのNPV(正味現在価値)はプラスになると試算しています。まさに、事業を通じた企業理念の具現化であると言えると思います。
坂野:政府や民間保険会社が薬剤費を抑制する動きが世界的に広がっており、これは製薬会社にとって経営上のリスクとなっています。NTDsの抑圧を含めて医薬品アクセスの向上に注力することは、医薬品メーカーとしての信頼を高め、社会・関係資本を強化することにもなりますね。ご紹介いただいた取り組みはまさに長期的な企業価値の向上につながる投資の事例だと思います。
柳 良平氏
坂野:機関投資家がESG投資を増やしているといった外発的な動機からサステナビリティ経営に取り組み始める企業もあるなか、エーザイはhhc理念という内発的動機からサステナビリティ経営に長く取り組んでこられました。この10年で投資家の目線はどう変わりましたか。
柳:当社のIR(投資家向け広報)チームは、国内外の投資家と一対一のミーティングを年間約700件行っています。私もCFOとして、毎年200件程度の個別対話を続けています。近年はESGにフォーカスした面談が増えており、この5年間でESG関連の面談比率が5%程度から30%以上にまで増えたというのが私の印象です。
世界のサステナブル投資の資産残高は2018年で30.7兆ドル*2に上り、資本市場に出回る資金の約35%がESG関連とも言われています。これは、私が個別対話から得ている印象と近いものです。
*2 「Global Sustainable Investment Review 2018」(Global Sustainable Investment Alliance)
米国の代表的な株価指数であるS&P500構成銘柄の市場価値を見ると、1975年は約8割が有形資産、2割が無形資産という割合でしたが、2015年には逆に有形資産が2割、無形資産が8割となりました*3。つまり財務情報で説明できる企業価値は2割しかなく、非財務情報による投資家への説明が非常に重要になっています。
*3 Ocean TOMO, LLC(2015), 「Strategic Finance」2017年5月、IMA(Institute of Management Accountants)
坂野:長期志向の投資家は、非財務情報のESGと、ROE、PBR(株価純資産倍率)などの財務情報の長期的関係を統合的に説明してほしいと企業に求めています。そのことが、柳さんの調査からも明らかになったのですね。一方で、短期志向の投資家はどうでしょうか。
柳:hhc理念を定款に入れていることから、主に長期投資家と向き合えばいいのですが、一般論としてCEOやCFOは短期投資家とも公平に対話の機会を持たなければなりません。ただ、株価は基本的に超長期のキャッシュフローの現在価値を反映したものなので、短期的にもそれを織り込んで動きます。本来、企業価値に何が影響しているかという点では、長期投資家も短期投資家も分析の視点は共通しているはずです。
最近は短期志向のヘッジファンドやアクティビストファンドと議論していても、相場がESGで動くので、短期ポジションでもESG評価が高い企業の株を買い、評価が低いところは空売りするというスタンスもあるようです。短期投資家に向き合うときも、非財務情報に基づく説明が重要であることに変わりはないと思います。
(後編へ続く)
出所:Strategic Finance, May 2017 IMAを基に柳良平作成
出所:RY Global Investor Survey 2007 – 2020を基に柳良平作成
『SXの時代 究極の生き残り戦略としてのサステナビリティ経営』(日経BP刊)では、経営者インタビューとともにサステナビリティ経営実現に向けた実践的な内容をご紹介します。