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2021-03-08
(左から)坂野 俊哉、柳 良平氏
柳 良平氏は、ESGとPBR(株価純資産倍率)の同期化モデルに基づいて、エーザイのESG関連のKPI(重要業績評価指標)と企業価値との相関性を定量化する実証研究を行い、その結果を公表しました。その結果、人的資本や知的資本を充実させることが、持続的な企業価値向上につながることを明らかにしました。非財務情報と財務情報の相関性を定量分析し、積極的に説明責任を果たしていくことで、日本企業は市場価値を高めることができるーー。柳氏とPwC Japanグループの坂野 俊哉は、対談を通じてその認識を共有しました。
対談者
エーザイ株式会社 専務執行役CFO
早稲田大学大学院会計研究科客員教授
柳 良平氏
PwC Japanグループ
サステナビリティ・センター・オブ・エクセレンス
エグゼクティブ・リード 坂野 俊哉
※法人名・役職などは掲載当時のものです。
坂野:企業のESGの取り組みが社会・環境にどのような価値を提供しているのか、さらにそれらが実際に企業価値向上にどの程度寄与するのかという点は、投資家をはじめとするステークホルダーとのコミュニケーション上、重要ですが、数値として提示するのは大変難しいものです。PwCでは自社の活動が外部の環境・社会に及ぼすインパクトの評価、さらに非財務要素がめぐりめぐって自社の財務に与えるインパクトの見える化について長年の経験や実績に基づいてモデル化に取り組み、クライアント企業を支援しています。
柳さんは、ESGと企業価値向上の関係を可視化するために、非財務価値の定量分析に取り組んでおられますね。
柳:ESGや非財務情報の価値を顕在化し、企業価値に結びつけるには、ESGとPBRの同期化が求められます。私はIIRC(国際統合報告評議会)が国際統合報告フレームワークを公表した当時から、企業理念である「hhc(ヒューマン・ヘルスケア)理念」に基づく非財務資本の価値関連性についての同期化モデル(IIRC-PBRモデル)を提唱してきました。
こうした概念モデルを提唱する一方で、ESGのさまざまなKPI(重要業績評価指標)と企業価値との関連性を定量化し、正確に把握することが課題だと感じていました。そこで、エーザイをケースとした実証研究を行うことにし、ESGの88種類のKPIについて平均12年さかのぼってデータサンプルを収集(合計1,088件のインプット)し、ESGが企業価値として顕在化するまでの「遅延浸透効果」を考慮して、期差比較のため28年分のPBR(株価純資産倍率)との相関関係について重回帰分析を行いました。
その結果は当社の「統合報告書2020」で公表しましたが、「人件費投入を1割増やすと5年後のPBRが13.8%向上する」「研究開発投資を1割増やすと10年超でPBRが8.2%拡大する」「女性管理職比率を1割改善すると7年後のPBRが2.4%上がる」といった正の相関を持つということを統計学的に有意に得ることができました。これらの分析結果は、エーザイはESGの1割の強化により、5〜10年の遅延浸透効果を考慮に入れるとその企業価値は500億〜3,000億円増大する相関を示唆しています。詳細は拙著「CFOポリシー(中央経済社)」をご参照いただきたいのですが、私たちの知る限り、1企業がESGと企業価値の関係を定量的に証明して開示した世界で初めての事例だと思います。
坂野:イノベーション創出の根本的な要素は人的資本ですから、人材投資やダイバーシティの推進が極めて重要です。一方で、ステークホルダーとその重要性の共通理解を持つことは難しい部分もあります。その点、エーザイは自社のデータを使って定量的に実証されたのですから、説得力があります。
柳:おっしゃる通り、エーザイにおいては患者様貢献のために人的資本や知的資本を充実させることが、中長期的・持続的な企業価値向上につながるということを実証できました。そこで、P/L(損益計算書)では通常、「費用」として売上収益から差し引かれる人件費と研究開発費を「投資」として足し戻し、管理会計上の利益「ESG EBIT」を考え、試算してみました。当社の2019年度の会計上の営業利益は1,255億円でしたが、ESG EBITは3,678億円となります。短期志向による過度な裁量的利益調整を排して、本源的利益であるこのESG EBITを高めることが、中長期的な企業価値創出につながると私は考えます。
坂野:ESGと企業価値の相関分析やESG EBITの開示について、投資家の反応はどうでしたか。
柳:ESGと企業価値の相関を定量化したことで、投資家とは数字という共通言語をもとに対話できるようになりました。ESG EBITについては、一部からは「人件費には、企業価値にとってプラスとなる人件費だけでなく、価値を棄損する人件費もある」といった批判も一部にありますが、例えば米国の大手運用会社のインパクト投資責任者や英国のESGを重視する年金の幹部、日系の大手運用会社のESG投資責任者、最高投資責任者(CIO)などからは前向きな評価をいただきました。
坂野:長期投資家と同じ目線で建設的な対話ができるというのは、非常に意味のあることだと思います。エーザイの投資家とのエンゲージメントが、一段上のステージに上がったと言えるのではないでしょうか。
柳:かつて、営業キャッシュフローに人件費、研究開発費を足し戻すことを提唱したことがありますが、そのときは今回ほどの支持は得られませんでした。やはり、重回帰モデルで、ESGと企業価値の関係を統計的に実証できたことが大きかったと思います。
柳 良平氏
出所:柳良平分析
坂野:エーザイのように、ESGや非財務資本の価値を可視化し、長期的な企業価値と結びつけて説明する試みは他の企業にとっても関心が高いと思います。そうした試みを行うには、どこにチャレンジがありますか。
柳:定量分析を行うためには、「IIRC-PBRモデル」のような概念モデルを組み立て、それに基づいてリサーチ設計する必要がありますが、大多数の企業は同じモデルを使うのは難しいので、まずは自社に適合した概念モデルを作る必要があります。
また、実証研究ではサンブル数が重要です。エーザイでは前述のように88種類のESG関連KPIを抽出し、遅延浸透効果を考慮して平均12年分のデータを収集しました(合計1,088件のインプット)が、社内を回ってデータを集めるのは苦労しました。それでもやり遂げることができたのは、背景に企業理念とCEOのESG経営に対するコミットメントがあったからだと思います。
私たちは今回、1万通り以上の統計処理をしました。つまり、1,088件のESGのKPIと28年分のPBRを可能な限り照合して重回帰分析を行ったわけです。この部分は、自社単独でやるのはハードルが高いでしょうから、拙著「CFOポリシー」などから先行研究の回帰係数を使ったり、外部の専門家の協力を得たりするのがいいと思います。
坂野:非財務価値の定量化・可視化を進めていくためには、社内のデータ整備やデータの取り方を含めたマネジメントシステムの変革も視野に入れる必要がありますね。
柳:内部統制ルールを定め、管理会計データとして非財務情報を日常業務の中で長期にわたり収集していくとか、データの品質や分析の確からしさを外部専門家に担保してもらう仕組みなども必要でしょう。
ただ、最も大きなチャレンジは、非財務価値を可視化・定量化することではなく、企業理念の根幹を固め、それを組織に浸透させることです。エーザイは1992年にhhcを企業理念に制定してから30年近くかけ、CEOのコミットメントでhhc理念を浸透させてきました。
hhc理念の独自性は、「患者様とそのご家族の喜怒哀楽を第一義に考え」という点にあります。エーザイでは、患者様やご家族の喜怒哀楽に寄り添うために、社員一人ひとりが就業時間の1%を患者様と共に過ごす「hhc活動」を実践しています。毎年世界の約1万人が、年間で2日ほどを患者様と共に過ごしています。
hhc活動は、一橋大学の野中郁次郎名誉教授が提唱した知識創造理論における「SECIモデル」(*4)をエーザイの理念経営と融合させたもので、患者様と話をしたり、一緒に食事をしたりすることで、患者様の目線で考え、言葉にならない思いに共感する「共同化」のフェーズを体験しています。
*4 組織内の暗黙知と形式知を交換し、移転していくプロセスを「共同化(Socialization)」「表出化(Externalization)」「連結化(Combination)」「内面化(Internalization)」という4つのフェーズでモデル化したもの。
一例を紹介すると、エーザイの海外子会社に勤務する外国籍社員が、東京での研修に参加した際に小児がん病棟を訪問し、がん患者の少年と1日を過ごしました。その社員は、言葉は通じないはずなのに涙を流しながら、少年がどのような思いでいるのかを理解したそうです。
坂野:社員の皆さんが就業時間の1%を患者さんと過ごすことで、共感や新しい発見があるということですね。つまり、hhc活動はイノベーション理論における、「知の探索」に当たるとも言えるのではないでしょうか。
柳:確かに、hhc活動による「共同化」を通じて、製品の改良や新製品開発につながった例もあります。例えば、認知症治療剤の「アリセプト」は小さな錠剤ですが、hhc活動で認知症患者様と一緒に過ごした社員は、嚥下機能が低下した患者様が錠剤を飲み込むのに苦労している場面を見ました。すぐに研究者にフィードバックした結果、アルツハイマー型認知症治療剤としては世界で初めての内服ゼリー剤の開発につながりました。
このように、理念が浸透し、それが新たな価値を生むまでには長い時間と努力が必要です。うわべだけESGに取り組んだとしても、真の企業価値創造は成し遂げられません。
坂野:共通の理念を基盤に新たな価値創造に取り組まれていることがよく分かりました。日本企業の非財務資本の価値が顕在化すれば、企業価値が高まるというのが柳さんのお考えですね。
柳:日本には企業理念に基づいて長期的な視点で経営に取り組んでいる企業が多く、私は日本企業のESGをはじめとする非財務資本の潜在価値の高さを確信しています。しかし、海外の投資家と毎年約200件の面談を続けていると、日本企業の価値創造に関する彼らの不満を感じることが多いのも事実です。
例えば、PBRについて言うと、PBR1倍の部分は純資産の会計上の簿価であり、1倍を超える部分は非財務資本と捉えられます。過去10年の国別のPBRを比較すると、概ね米国が3倍前後、英国が2倍前後であるのに対して、日本企業はほぼ1倍で推移しています。つまり、非財務資本の価値が市場から付加価値としてほとんど認識されていないのです。これは、世界3位の経済大国として、「不都合な真実」ではないでしょうか。
非財務資本の価値を長期的な企業価値とどのように結びつけ、市場価値としてどのように顕在化させるか。その問いに対する統一の解はありませんが、少なくとも欧米企業に比べて、日本企業はその説明責任が大きいことをよく理解すべきだと思います。
1社1社がその説明責任を果たすべく、非財務価値を顕在化し、投資家との対話を繰り返していけば、日本企業全体としての市場価値は少なくとも英国並み、現在の倍くらいになってもおかしくないと私は考えています。
坂野:非財務情報の定量化と、財務情報との因果関係の分析に取り組む日本企業が増え、そうした数字を基にしたエンゲージメント活動が広がることで市場価値が高まります。そのようなポジティブなサイクルを回すために、PwC Japanグループでもより総合的なご支援を強化してまいります。
坂野 俊哉
出所:Bloombergデータを基に柳良平分析
環境、社会、ガバナンスの取り組みを重視するESG投資が注視されていますが、その取り組みが真に企業価値の向上に寄与すると示すことが企業には求められています。エーザイのように非財務資本と財務的な価値の関係性を数値で示すという試みは、このような社会的要請に対する一つの解としてとても意義深いものです。サステナビリティ経営を進める上では非財務情報の見える化、数値化は避けては通れないと言えます。PwC Japanグループでも非財務要素の短・中・長期的な財務への影響についての知見と経験に基づき、この度独自に開発したインパクト評価ツールなども活用し多面的に支援していきます。
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