
SX新時代ー成果を生み出すホリスティック×システミックアプローチ 第2回:ホリスティックに考え、可視化・評価し、全体最適な施策を決めることの重要性
グローバルにおける規制やガイドラインの整備といったルールメイキングに特に焦点を当てながら、ホリスティック・アプローチの重要性を示します。
「ネイチャーポジティブ経営の実践」の連載では、規制やイニシアティブの動向、投資家の動きなども見据えながら、ネイチャーポジティブの全体像と、自然への影響や生物多様性に関する機会・リスクへの企業における取り組みを紹介していきます。第1回は、ネイチャーポジティブの考え方と社会・経済活動への影響について解説します。
「ネイチャーポジティブ」と聞いて、何を思い浮かべるでしょうか。「自然」や「生物多様性」に関連して、北極のシロクマを守る、トキやコウノトリの個体数を増やすなど、希少生物種の保護をイメージする人も多いかもしれません。しかし、ネイチャーポジティブとそれを支える自然資本や生物多様性の保全の主眼は、希少生物だけにとどまらず、人類の社会・経済活動の基盤を守ることです。
「ネイチャーポジティブ」は、単に希少生物種を保護するだけでなく、人類の社会・経済活動の基盤を守ることを目的としています。生態系は微妙なバランスで成り立っており、1つの種が減少するだけで、その影響は広範囲にわたり、経済活動にも大きな影響を及ぼすことがあります。1つの例として、世界の中でも好漁場として知られるカナダの東海岸に位置するニューファンドランド島という場所があります。ここでは、20世紀半ばからの過剰な漁獲の結果、タラの数が激減し、その食物連鎖に連なる生物種、ひいては海洋生態系全体のバランスが崩れてしまいました。これにより4万人にのぼる漁業従事者が生計を失い、魚の加工業や貿易業にも派生。地域人口が減少し、学校の生徒数や公共サービスの利用者数が減るなど、社会インフラや地域経済にも甚大な影響を及ぼしました。
自然資本や生物多様性は、現代の企業が生み出す経済的価値の基盤となっています。例えば、米国で処方される薬剤の多くが天然由来であり、その採取のために自然保護区には年間約80億人が訪れ、莫大な経済的価値を生み出しています。このような生態系からの恩恵の経済価値は、世界の総GDPの55%に相当します1。
しかし、自然資本と生物多様性の喪失は深刻で、主な原因は人間活動です。現代は生命史上6度目の大絶滅期とされ、多くの種が絶滅の危機に瀕しています2。この状況は、農林水産業の発展などによる土地利用の変化、気候変動、汚染などによって引き起こされています。世界経済フォーラムの報告3によると、これらは今後顕在化しうる深刻な長期リスクです。
これに対応するため、自然資本の保全と回復を意味する「ネイチャーポジティブ」が、気候変動対策の「カーボンニュートラル」に続く重要な概念として注目されています。ネイチャーポジティブは、環境だけでなく経済にとっても不可欠な概念と言えます。
ネイチャーポジティブとは、国際的に定まった定義はありませんが、一般的に「自然や生物多様性の損失の流れを止め、回復に反転させる状態」を意味する概念です。これを理解するためには、「自然のノーネットロス」を理解することが不可欠です。ノーネットロスとは、事業活動が生物多様性に与える負の影響を最小化しながら、生物多様性の復元などに向けた貢献活動を行い、生態系全体の損失を相殺するという考え方で、実質的な自然の損失をゼロにするという概念です。
ネイチャーポジティブは、ノーネットロスの均衡をさらにポジティブな方向へと転換させ、現状では損失傾向にある自然を、回復基調に転じさせる状態を意味します(図表1)。
しかし、この概念の定義も世界的な合意がまだなく、基準年や自然の測り方などが明確にされていません。それでも、多くの場面で使用され、支持されています。
ネイチャーポジティブの概念は世界中で広がりを見せています。例えば、2021年のG7サミットで採択された「2030年自然協約」では、2030年までにネイチャーポジティブな状態を目指すことが宣言されました。また、2022年の生物多様性条約第15回締約国会議で採択された「昆明・モントリオール生物多様性枠組」では、生物多様性の損失を止め、回復させるための緊急行動を起こすことが記載され、実質的にネイチャーポジティブの考え方が盛り込まれたと言えます。
産業界でも、ネイチャーポジティブ経済を目指す動きが始まっており、世界経済フォーラムは2030年までにネイチャーポジティブ経済への移行によって最大10兆米ドルのビジネス機会が見込めると報告4しています。持続可能な開発を目指す企業約200社のCEO連合体である「持続可能な開発のための世界経済人会議(WBCSD)」は、2022年にネイチャーポジティブのロードマップを示し、注目を集めています。日本でも環境省によって「ネイチャーポジティブ経済移行戦略」が2024年3月に策定されました。同戦略では、日本におけるネイチャーポジティブへの移行による経済効果や雇用効果を明らかにし、移行により生まれるビジネス機会を提示することを目指しています。
各種取り組みを調整し着実な成果へつなげるため、ネイチャーポジティブへの動きを取りまとめる試みも始まっています。2023年には、自然保護組織や研究機関、企業が一体となって「Nature Positive Initiative」を立ち上げました。この取り組みは、ネイチャーポジティブという語の定義や整合性、用法を調整し、2030年までに具体的な成果を出すことを目指しています。ネイチャーポジティブの意味についての一致した理解がない中で、このInitiativeの動向や成果に注目が集まっています。これからのNature Positive Initiativeの役割は、企業にとっても重要となるでしょう。
ネイチャーポジティブには厳密な定義がないものの、この概念を実現するためには、「自然資本」と「生物多様性」への適切な対処が欠かせません。
自然資本とは、森林、土壌、水、大気、動物など自然界でつくられるあらゆる資源の「ストック」を指し、生物圏と非生物圏の両方を包含する概念です。これらのストックは「生態系サービス」と「非生物的サービス」からなる便益のフローを人類にもたらします。生態系サービスとは生態系プロセスから生じる恩恵で、水の涵養・貯留、食料供給、気候調整などが含まれます。非生物的サービスは生態学的プロセスに依存せず地質学的プロセスから生じる便益で、鉱物やエネルギー資源、地熱、風、潮流などを含みます。こうした生態系サービスと非生物的サービスが人類の社会・経済活動の基盤となっています。
一方で、すべての生物の間の「変異性」は、異なりやばらつきがあることを指す概念で、種内の遺伝的な多様性、種間の多様性、生態系の多様性の3つのレベルに整理されています。生物多様性が豊かな環境では、生態系サービスも向上する傾向があります。
こうした自然資本と生物多様性が生み出す生態系サービスに、私たちの社会は大いに支えられています。日本の例を挙げると、国土の60%以上が森林であり、これらの森林は木材供給、山菜などの食料供給、土壌維持や地下水の涵養、洪水防止・緩和、土砂災害防止、大気や水源の浄化、二酸化炭素吸収、川や海への栄養供給、豊かな景観の形成、森林浴などによる精神・健康への貢献など多くの恩恵を提供しています。自然資本の損傷や生物多様性の喪失はこれらのサービスの劣化を引き起こす可能性があります。
生態系サービスはビジネスにも深く関連しています。PwCは2023年に発行した報告書で、さまざまな産業や資本市場が自然、すなわち生態系サービスに大きく依存していることを示しました5(図表2)。
農業や林業を含む5つの産業では、直接的な事業活動による経済的価値のすべてが自然に依存しています。このカテゴリーの5つの産業を合わせた経済的価値は13兆米ドル超となり、世界のGDP総額の12%を占めています。
自動車、小売・消費財・ライフスタイル、不動産、鉱業・金属を含む11の産業ではサプライチェーンと直接的事業活動が生み出す経済的価値の少なくとも35%が、銀行・資本市場、保険・アセットマネジメントを含む4つの産業では35%未満が、中程度または高度の自然依存度を示しています。全体としては、世界のGDP総額の55%(約58兆米ドル相当)が、中程度または高度に自然に依存して生み出されていることが示される結果となりました。
このように、自然資本と生物多様性の保全は、人間社会の持続可能性だけでなく、経済活動にも深く関わっています。次回はネイチャーポジティブ実現に向けた様々な規制やソフトローについて解説します。
1 PwC (2023)『自然関連リスクの管理:正しく把握し、適切な行動につなげるために』
2 IPBES (2019)『生物多様性と生態系サービスに関する地球規模評価報告書』
3 World Economic Forum (2024) “The Global Risks Report 2023 19th Edition”
4 WEF(2020) ”New Nature Economy Report II – The Future Of Nature And Business”
5 PwC(2023)「自然関連リスクの管理:正しく把握し、適切な行動につなげるために」
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