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劇的な変化と不確実性に満ちた現代社会において、未来を切り拓いてきたトップランナーは何を見据えているのか。本連載では、PwCコンサルティングのプロフェッショナルとさまざまな領域の第一人者との対話を通じて、私たちの進むべき道を探っていきます。
第5回は、一般社団法人細胞農業研究機構 代表理事の吉富愛望アビガイル氏を迎え、PwCコンサルティング合同会社パートナーの馬渕邦美、シニアマネージャーの片桐紀子と、細胞性食品、フードテックを含めた食文化の現在・未来について語ります。
※対談者の肩書、所属法人などは掲載当時のものです。
対談者
一般社団法人細胞農業研究機構 代表理事
吉富愛望アビガイル氏
PwCコンサルティング合同会社 パートナー
馬渕邦美
PwCコンサルティング合同会社 シニアマネージャー
片桐紀子
(左から)片桐紀子、吉富愛望アビガイル氏、馬渕邦美
馬渕:吉富さん、本日はよろしくお願いいたします。まず簡単に自己紹介をお願いできますでしょうか。
吉富氏:私が代表理事を務める一般社団法人細胞農業研究機構は、約40社の日本企業と海外企業が集まり、細胞性の食品(いわゆる「培養肉」と呼ばれている食品を含む)という新しい分野のルール整備などについて政策提言をしています。とりわけ私は、各省庁や消費者団体、既存の業界、国際機関、WHO(世界保健機構)、OECD(経済協力開発機構)などとコミュニケーションをとる役割を担っています。
馬渕:吉富さんが取り組んでいる細胞農業が注目されている理由や背景について教えていただけますか。
吉富氏:世界的な人口増大と資源需要の増加に伴い、「従来の生産方法では食料供給が追いつかなくなる」と予測されていることが大きな要因です。また、環境負荷の軽減、絶滅危惧、動物愛護の観点や、食物アレルギーを持つ人の新たな選択肢となることも、細胞農業が期待されている背景にあります。
ちなみに、細胞性食品はよく「培養肉」と呼ばれていますが、実はシーフードやチョコレート、ミルクなどさまざまなものを作ることができるんですよ。
馬渕:細胞性食品の市場はどのような状況でしょうか。また、今後の予測などはありますか。
吉富氏:食肉関連企業やライフサイエンス企業が、パートナーシップの締結や投資を進めています。一部の日本企業でも、海外企業と連携し開発に取り組んでいます。
シンガポールでは既に細胞性チキンが販売されており、細胞性食品の関連企業は100社以上あります。米国が最も多く、次いでイスラエルや英国でも注目されています。
「2040年までに3~4割の食肉が細胞性のものになる」と試算されており、消費者のマインドや生産性向上が伸び率に影響するでしょう。
馬渕:注目を集める一方で、課題がいろいろとありそうですね。
吉富氏:はい。ルール整備やローカライゼーションの議論も必要ですし、安全性やコストは大きな論点となっています。2030年までに1kgあたり数百円に生産コストが下がると予測されているものの、消費者が受け入れる価格にできるかが課題です。また、安全性要件をどのように設定するかも考える必要があります。
馬渕:日本の畜産業界にも影響を与えそうでしょうか。
吉富氏:細胞性食品の普及によって、畜産業が持つ伝統的な技術やブランド力を生かして新たな価値を創出することが可能です。細胞性食品と共存・共栄する道筋を見つけることが重要だと思います。
一般社団法人細胞農業研究機構 代表理事 吉富愛望アビガイル氏
馬渕:続いて、片桐さんからフードテックについて解説いただけますか。
片桐:フードテックは、フードとテクノロジーを組み合わせた造語で、AIやIoTなど最先端のテクノロジーを駆使して食に関する問題を解決し、食の可能性を大きく広げていく技術です。そのなかでも、生産領域は「アグリテック」とも呼ばれ、農業に関わるテクノロジーの領域を意味します。
馬渕:フードテックの市場規模も大きく成長していますね。
片桐:世界におけるフードテックへの投資額は、2012年から年平均36%程度成長しており、2020年から2021年には90%の伸びを示しています*1。2020年はフードテック全体で約24兆円、2050年には約279兆円まで伸びると言われています。そのなかで代替肉分野は現在12兆円で、今後130兆円を超えると予測されています*2。
馬渕:フードテックには、どんな課題解決が期待されているのでしょうか。
片桐:食糧危機や栄養不足を補うだけでなく、フードロス問題も解決できると期待されています。また、地球温暖化防止にも寄与できるでしょう。畜産は二酸化炭素の排出量が多く、特に牛はゲップに二酸化炭素の28倍もの温室効果のあるメタンが含まれており、環境負荷が大きくなっています。代替肉や植物由来の環境配慮型の食肉が広がることで、畜産の生産量を減らし、脱炭素につながっていくことも期待されています。
農林水産省ではフードテック協議会を開催し、その中で宇宙食の作業部会なども開催されています。市場・政府ともに、フードテック領域が非常に盛り上がっていると言えます。
馬渕:食の安全担保の観点では、どうでしょうか。
片桐:食の安全性が脅かされないようテクノロジーを活用し、食品供給までのトレーサビリティ管理が期待されています。また、農業や外食産業では労働力不足も懸念されているため、テクノロジーの力で省力化することも求められています。
PwCコンサルティング合同会社 シニアマネージャー 片桐紀子
馬渕:続いて、細胞性食品を含めた食文化の未来について議論しましょう。まず、細胞性食品の健康面でのメリットについて改めて考えてみます。
例えば、アスリート向けにデザインされた肉を作ることや、完全に骨なしの魚を作ることができるかもしれません。介護現場では魚は人気の食材ではあるものの、骨を完全に取り除くことが難しいと言われています。もし完全に骨なしの魚を細胞性食品で作ることができれば、介護現場での活用が期待できるでしょう。
いろいろな場面での活用が期待されますが、日本で細胞性食品が流通する時期、つまり私たちの口に入るのはいつ頃になりそうでしょうか。
吉富氏:私が運営している細胞農業研究機構では、大阪万博の1年前、つまり2024年を目指して準備を進めています。大阪万博で試食ができる、もしくは販売ができるようにしたいと考えています。
ただし、細胞性の食肉やシーフードにはさまざまな種類・製造方法があり、最も検討障壁が低いものから検討を進めています。障壁が低い技術を持つ企業の多くは国内企業です。
しかし、国内企業に標準を合わせすぎると、海外企業の参入余地や国内企業での連携余地を不用意に潰してしまう可能性もあります。国内市場がガラパゴス化しないためにも偏りすぎない形で検討を進めるとともに、日本企業もこの領域に対して考えを海外に発信し、業界情報が国内に流れてくるようにしなければなりません。
馬渕:なるほど。片桐さんは細胞性食品に関する規制の問題など、どのように考えていますか。
片桐:規制の観点では、「食品安全上の規制」と「食品表示上の規制」が避けて通れないテーマだと思います。
食品衛生法は事前承認を得る仕組みではないため、販売段階になってから販売禁止措置が取られる可能性もあります。食品表示では、食品表示法と食品表示基準に沿った議論が必要です。これらの議論に目途が立たなければ、一般流通は難しい状況だと考えます。吉富さん、このあたりの最新動向はいかがでしょうか。
吉富氏:細胞性食品の定義や食品表示、安全性についての議論は、現在進行中です。私が運営している機構の前身団体である細胞農業研究会の提言書に細胞性食品の定義や食品表示、品質管理、衛生の考え方をまとめています。これをドラフトとして省庁に提出しました。
今後は省庁だけでなく、消費者団体や小売業者など、消費者に近い方々との意見交換を通じ、提言内容が妥当かどうかや、消費者目線で混乱が生じないかを議論し、ブラッシュアップしていく必要があると考えています。
馬渕:細胞性食品の業界で、海外と比べて日本企業が有利な部分はどこにあるのでしょうか。
吉富氏:日本企業の強みとなるのは、「より本物に似せていく」といった技術力でしょう。
実際、世界でも類を見ない切り口で細胞性食肉を開発している日本のベンチャー企業もあります。日本では資金調達が進みにくい状況もあるため、強みをより発展させるための取り組みは求められます。量産化・商業化できた際には、グローバルニッチトップを十分狙えると思っています。
馬渕:フードテックや「培養肉」に関して、今後日本企業が世界で輝くために、どういったことが求められそうでしょうか。
吉富氏:まず上市の環境を国内で整えること、そして国として細胞農業領域とどう向き合うか方針を定めたうえで、スタートアップ支援などを進めていくことが重要です。言い換えれば、「産業界にあるさまざまな業界ルールを国際社会に持っていき、ハーモナイゼーションする」ということです。その際は、経済産業省や農林水産省の力が必要になるでしょう。
また、トータルで考えることも重要です。例えば、厚生労働省の視点で考えた場合、国内事業者の現状だけを見て安全性の整理を進めていても、「スケールアップに応じて、リスクをどうとらえるべきか」という発想はなかなかできません。そのため、「今の時点で問題ないとは言いにくい」という状態になりがちです。
そこで、例えば産業界から、海外事例を基に、スケールアップしたときの論点など国内では見えない情報を収集して官公庁に連携するなど、官民一体となった推進が欠かせないと思います。
PwCコンサルティング合同会社 パートナー 馬渕邦美
馬渕:細胞性食品がより普及するためには何が必要なのか、さらに深掘りして議論していきましょう。まずは片桐さん、ご意見をお聞かせください。
片桐:大きく2つあると考えています。1つは「消費者に受け入れてもらえるのか」ということ。やはり「本物の肉に敵わない」ということが現実としてあるように感じます。
ただ、ある調査では「培養肉を食べたいか?」という問いに対し、「食べたい」と答えた人は約27%。一方で、「培養肉」が今後社会の食糧危機を解決していく可能性があることを示した上で同じ質問をしたら、「食べたい」という回答が50%近くまで増えたという結果も出ています。「培養肉」の社会的背景を踏まえ、これからの存在価値を伝えていき、消費者に受け入れてもらう活動が大切です*3。
もう1つは、細胞性食品や代替肉を既存産業の食品と両立させながら普及を進める活動です。これに関しては、畜産業界と共存していくためのルール作りも求められるでしょう。
以前、私のチームでは、和牛のマーケティングや知的財産の海外流出を防ぐ仕組み作りをしたことがあります。遺伝資源が流出しないように、知的財産を保護するために家畜改良増殖法という法律があり、他にも法整備が進んでいます。細胞性食品も今後その培養の血清などが知的財産となり、それが流出しない仕組みを整備する必要が出てくると思います。
吉富氏:消費者需要は本当に重要なテーマですよね。やはり、”食”は「食べて美味しい・食べて幸せ」という代えがたい感情を伴うものです。
細胞農業は食料安全保障や環境問題など、「上から降ってくるテーマに対する打ち手」として認識されやすい側面があります。そのため、個人の「食べて幸せ」という部分とどのようにつなげられるか、消費者コミュニケーションが重要になります。特に、安全性や透明性、そして一貫性を保ったコミュニケーションを継続することが大切です。
細胞農業の市場は、国内で受け入れられなかったとしても、海外では確実に伸びていくでしょう。そのため、向き合い方を定めることが求められます。もう産業が伸び始めていますし、“国内産業”として伸ばしていくことは、金銭的メリットだけでなく、生活の質向上などさまざまなメリットがあります。それらをどのように享受していくか、そのための仕組みをどのようにして作るのか、真剣に考えるべきフェーズが来ていると思います。
馬渕:他には、どんな課題があるのでしょうか。
吉富氏:世界で重要な決定を行う会議に、日本も参加する必要があります。そうしなければ、どんどん世界から置いていかれてしまいます。完璧を目指さなくてもいいので、クローズドな議論ではなく、皆が共感できるレベルの論点を国内で整理し、海外に向けて発信する。「この領域に対して日本は意見を持っている」と打ち出していくことが非常に重要です。
そして、対立・競合ではなく、「一緒に市場を作る」という考え方も欠かせません。産業の立ち上がりの段階で、官公庁や消費者団体向けに、業界の意見がバラバラになっている印象を与えてしまうと、健全な市場が成立しないのではないかという不安につながります。
成熟した産業であればさまざまな意見があっても良いと思いますが、現在のような立ち上げフェーズでは、官公庁が分け隔てなく意見を聞いて集約することが重要です。
片桐:立ち上がりの段階は、官民が一丸となる必要がありますよね。どのプレーヤーもリソースが少ない中でこの領域に進出してきているので、いち早く国内で合意形成を取るために、どうするべきなのか考える必要があると思います。
吉富氏:おっしゃるとおりですね。あともう1つ、SDGs(持続可能な開発目標)も細胞性食品に関連していると言えます。例えば、地球温暖化防止や資源節約、食糧安全保障、健康・栄養改善、生物多様性保全など、SDGsの多くが食の領域に関係しています。
細胞性食品が広がることで、これらの目標達成に寄与することが期待されています。今後、この領域に関する研究や取り組みが進んでいくことで、持続可能な社会の実現に向けていっそう貢献することができるかもしれません。
馬渕:普及に向けた課題がある一方で、フードテックや細胞性食品によって解決できることもまだまだありそうですね。吉富さん、本日は貴重なお話をいただきありがとうございました。
*1 AgFunder, “2022 AgFunder AgriFoodTech Investment Report”
*2 三菱総合研究所「令和 2 年度フードテックの振興に係る調査委託事業報告書」
*3 日清食品ホールディングス・弘前大学「培養肉に関する大規模意識調査」
片桐 紀子
ディレクター, PwCコンサルティング合同会社