製薬企業の観点から考察した経済安保推進法 ~医薬品の安定供給に向けて~

経済安保推進法が成立

岸田政権が看板政策の1つに掲げる「経済施策を一体的に講ずることによる安全保障の確保の推進に関する法律」(以下、「経済安保推進法」)が2022年5月11日に成立しました。経済安保推進法は、高度な先端技術の海外流出を防ぎ、経済や生活に欠かせない必要物資を確実に確保することで、経済上での安全保障を確立することを目的とした法律です。

この法律が必要とされた背景には、米国と中国による先端技術をめぐる覇権争いが生じていることや、コロナ禍で各国が医薬品の囲い込みを行ったことなどがあります。政府はこれらを踏まえ、この法律により経済や国民生活に欠かせない「重要物資」を指定し、該当企業の活動を把握することで物資の安定供給を図ることや、他国への技術流出を防ぐことを意図しています。

経済安保推進法は①「サプライチェーンの強靭化」、②「基幹インフラの安全確保」、③「先端技術の官民協力」、④「特許の非公開化」の4つの柱で構成*1されています。このうち①「サプライチェーンの強靭化」は、自社の医薬品が重要物資に指定され得るため、製薬企業に大きな影響を与えることが想定されます(図表1参照)。

具体的には、各製薬企業のサプライチェーンの状況について、国が調査を実施できるようになることが見込まれています。また、「重要物資」に該当する医薬品を有する製薬企業は、供給確保計画を策定し、認定を受けることで財政的な支援が得られるようになります。

図表1: 経済安保推進法の概要と製薬企業への影響

医薬品の高い海外依存と高まる供給不安

国内で生産されている医薬品であっても、主成分である原薬・原材料を海外からの輸入に依存しているという実情があります。「薬事工業生産動態統計調査」(2020年度)によると、医療用医薬品の生産金額の約7割は輸入品です*3。また、品目ベースでも、後発品の原薬の約7割を輸入に頼っています。これら原薬の供給元となる国は多岐にわたりますが、特に依存度が高いのは、中国、インド、韓国、イタリアです*4。このうち韓国、イタリアで製造されている原薬は、その原材料を中国やインドから調達しているケースが多く、実際には、医薬品のサプライチェーンが中国やインドに依存する割合は調査数値以上に高いと考えられています。

このように海外依存が高まった背景として、大きくコスト面と環境規制面の理由が挙げられます。コスト面においては、特に後発品は薬価が低く設定されていることから、国内で製造する企業は原薬・原材料のコストを抑えるため、海外の安価な原薬を輸入する方向へシフトしていきました。その中で、環境に関する規制が比較的緩やかだった中国やインドへの原薬調達が加速したのです。

図表2: 医薬品における製剤化のプロセス

しかし近年は中国においても環境規制が厳格化し、製造が滞る事例が発生しています。加えて、コロナ禍でのロックダウンや各国の輸出規制、ウクライナ侵攻による地政学リスクの高まりにより、医薬品の安定供給に懸念が生じるようになりました。日本においても、原薬・原材料の供給不安により、製品の安定供給が危ぶまれる事態が現実のものとなっています(図表3参照)。

図表3: 日本において原薬・原材料の供給が危ぶまれた事例

医薬品の安定供給に向けた業界団体の動向

医薬品の原薬・原材料の安定供給に懸念が生じたことで、業界団体はさまざまな対策に乗り出しています。

  1. 国による製薬企業に対する国内回帰支援

    国は海外依存度の高い原薬・原材料について、2020年より「医薬品安定供給支援事業」を実施し、国内に製造所を新設または設備を更新する製薬企業などに対して、補助金を支給しています*5。これを受け、実際に国内回帰の動きも見られるようになりました。

    しかしながら、補助制度の対象が一部の原薬に限られるなど、製造コスト面での課題は十分に解決されたとは言えません。多くの企業が既に良質で安価な原薬調達の最適化を図った結果として現在のサプライチェーン構造が成り立っているため、そのような状態で国内回帰を図っても、原材料費・設備費・人件費などに係る製造コストが高騰すれば、収益性の確保は困難です。原薬・原材料の国内回帰を目指すのであれば、薬価への反映を検討する必要があると考えられます。
  2. 学会からの提言と安定確保医薬品の選定

    2019年3月に発生したセファゾリン供給停止問題を背景に、関連する4つの学会が抗菌薬の安定供給に向けた提言を発表しました。これを受け、国は2020年に「医療用医薬品の安定確保策に関する関係者会議」を立ち上げました。

    関係者会議は特に重要な「安定確保医薬品」として、各学会より提案された計506成分のうち、対象疾病の重篤性などの判断基準(図表4参照)に基づいて21成分を「最も優先して取組を行う安定確保医薬品(カテゴリA)」に区分しました。現在、国はこのカテゴリAの成分について原材料製造・原薬製造・製剤化の3プロセスにおける製造所および所在国の把握を進めており、サプライチェーンにおける複数ルートの確保を検討しています*6
図表4: 安定確保医薬品の選定における判断基準

諸外国も安定供給体制の確保を目指し、サプライチェーンの強靭化を企図

医薬品の供給体制の見直しは、日本のみならず欧米諸国でも進められています。

  1. 米国の動向

    中国の台頭と深まる米中対立を背景に、米国では近年、経済安全保障上重要な産業に対して、政府が支援を行う動きが広がっています。そのなかで医薬品に関しては、日本と同様に、サプライチェーンにおける海外依存度の高さが問題視されています。数量ベースでの後発品シェアが、日本は8割弱であるのに対し米国は約9割を占めていますが、その後発品の原薬製造施設の9割弱が米国外に存在しており、そのうちの多くが中国やインドの企業に依存しています。

    こうした状況を踏まえ、医薬品はバイデン政権が取りまとめた、重要製品に関するサプライチェーン強化に向けた報告書*8の対象に盛り込まれました。その報告書の中では、短期的取り組みとして価格優遇措置も含めた原薬製造における国内回帰の支援、中長期的取り組みとして国内での生産力強化に必要な先端技術に対する資金援助、国内で販売される医薬品のトラッキングの各施策を実施することが明示されています。

    一方で、「医薬品の全てに対して国内回帰を図ることは現実的ではない」「同盟国も含めた複数国でのサプライチェーン構築を目指す必要がある」とも報告書内で言及されています。そのため、対中戦略の一環として、医薬品も含めた投資規制や、中国からの撤退を含むサプライチェーンの多様化支援も行っています。
  2. 欧州の動向

    米中の対立が深刻化する中で、EUは両国から政治的・経済的に独立を図るため「開かれた戦略的自律性」(Open Strategic Autonomy)を提唱し、産業政策を推進してきました。医薬品は、原薬に関してはEU域外への依存度が高いことから、EU域内での生産力増強、生産拠点およびサプライチェーンの多様化、戦略的備蓄が検討されています。また、個々のEU加盟国においても輸出制限や企業買収、あるいは持分取得など外国投資時の審査強化が進んでおり、経済安全保障を推進する動きが加速しています。

これから製薬企業に求められること

経済安保推進法が成立した日本国内において、製薬企業各社には国によるサプライチェーン調査に協力すること、特定重要物資の供給確保計画に関する認定取得について判断すること、そして地政学リスクを踏まえた原薬・原材料調達が多様化する動向に注視することが求められます。

  1. 国によるサプライチェーン調査への協力

    現状の医薬品サプライチェーンを把握するため、国による調査が行われる可能性があります。どのような医薬品が経済安保推進法の対象となるかは未定ですが、上述したカテゴリAの成分におけるサプライチェーンの可視化(マッピング)が進められていることから、特にこれらの成分を扱う製薬企業に調査が及ぶことが想定されます。
  2. 特定重要物資の供給確保計画に関する認定取得の判断

    経済安保推進法に基づいた認定を取得するかどうかの判断が求められます。ただし、現時点では法律の具体的な条件が定まっていないことから、認定取得によるビジネスリスクの有無など、定量的な判断は困難です。認定を取得するには、法案の段階では計画の対象となる品目や取り組み目標、体制、必要な資金とその調達方法などを計画書に記載することが求められていました。具体的な取り組み内容については、関係者会議の議論*6を踏まえると、対象成分の原薬・原材料の供給元などに対する製薬企業による自己点検の実施有無、サプライチェーンの複数化、備蓄量などが論点となる可能性があります。
  3. 地政学リスクを踏まえた原薬・原材料調達の多様化に関する動向への注視

    地政学リスクを考慮し、供給元を特定の国に一極集中させるのではなく、分散化させることはサプライチェーンにおけるリスクヘッジにつながります。欧米がサプライチェーンに関与する国を見直しているのは、そのためです。他にもリスクヘッジの選択肢として国内回帰があります。上述の通り一部の製薬企業にその動きが見られますが、全ての医薬品に関して国内回帰を目指すことは、製造コストの著しい増加を招くため非現実的であり、製薬企業1社で解決を図ることは困難です。今後は国の政策も含め、友好国との連携によりグローバルサプライチェーンの再構築と安定化を図ることを業界全体で検討する必要があるかもしれません。

医薬品のサプライチェーンにおける海外依存の高さは、日本に限らずグローバル全体の問題になっています。この問題に世界全体が取り組んでいる中、日本国内でも経済安保推進法が成立したことで、サプライチェーンの見直しが加速することが予想されます。本稿が、現在の医薬品のサプライチェーンにおける問題の把握と見直しの一助となれば幸いです。

*1:内閣官房「国会提出法案(第208回 通常国会)経済施策を一体的に講ずることによる安全保障の確保の推進に関する法律案 概要」
https://www.cas.go.jp/jp/houan/220225/siryou1.pdf

*2:内閣法制局「令和4年1月1日から現在までに公布された法律」
https://www.clb.go.jp/recent-laws/promulgation_law/id=3996

*3:厚生労働省「令和2年薬事工業生産動態統計年報の概要 第20表」
https://www.mhlw.go.jp/topics/yakuji/2020/nenpo/

*4:厚生労働省「令和2年度後発医薬品使用促進ロードマップに関する調査報告書」
https://www.mhlw.go.jp/content/10800000/000829159.pdf

*5:厚生労働省「令和2年度「医薬品安定供給支援補助金」に係る実施事業者公募要領」https://www.mhlw.go.jp/content/10807000/000643362.pdf

*6:厚生労働省「医療用医薬品の安定確保策に関する関係者会議(第6回)議事録」
https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_25308.html

*7:厚生労働省「医療用医薬品の安定確保策に関する関係者会議(第5回)資料1-2(3)」
https://www.mhlw.go.jp/content/10807000/000758411.pdf

*8:THE WHITE HOUSE “BUILDING RESILIENT SUPPLY CHAINS, REVITALIZING AMERICAN MANUFACTURING, AND FOSTERING BROAD-BASED GROWTH“
https://www.whitehouse.gov/wp-content/uploads/2021/06/100-day-supply-chain-review-report.pdf

執筆者

小田原 正和

ディレクター, PwCコンサルティング合同会社

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監修:「経済安全保障・地政学リスク」対策支援チーム

山本 直樹

パートナー, PwCコンサルティング合同会社

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ピヴェット 久美子

ディレクター, PwC Japan合同会社

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藤澤 可南子

マネージャー, PwC Japan合同会社

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