第11回 生物多様性問題と情報開示

  • 2023-08-25

はじめに

世界自然保護基金(WWF)の最新レポートによれば、世界の生物多様性は過去50年間で7割近くが失われ、人間の消費は地球が供給可能な量の1.75倍に達しているとのことです。このままでは、遠からず人間社会を支えるさまざまな自然資源が得られなくなるだけでなく、生態系が持つ気候や水に関する調整機能が弱まりかねないと警鐘が鳴らされています。

生物多様性の問題には、こうした生物へのダメージや過剰消費といった問題のみならず、遺伝資源の取引における利益分配という経済的な側面も含まれており、以前から生物多様性条約(Convention on Bio­logical Diversity:CBD)締約国会議(Conference of the Parties:COP)で議論されてきました。

一方、ESG投資の拡大に伴って金融界からの注目も高まっており、企業情報開示についての議論が始まっています。そこで本稿では、生物多様性問題と企業との関係を整理した上で情報開示の動向を紹介します。なお、文中の意見に係る部分は筆者の私見であり、PwCあらた有限責任監査法人および所属部門の正式見解ではありませんのであらかじめご了承ください。


1 3つの多様性と生態系サービス

生物多様性には、(図表1)に示しているように、「種内」「種間」「生態系」の3つの多様性概念があります。

多様な個体と種が競争的に相互依存している状態を「生態系」と呼びますが、その生態系にも多様性があり、それらが多様であればあるほど、私たちが自然から得られる恵みも豊かになるとされています。

これらの生物多様性から得られる自然の恵みは「生態系サービス」と呼ばれ、私たちに食料や原材料となる生物資源の他にも余暇や学習の場をもたらしてくれます。また、それだけでなく、私たちの生存に不可欠な気候の安定化や保水・水質浄化による良好な自然環境を与えてくれます。

図表1:3つの生物多様性

3つの生物多様性 説明
種内の多様性 「遺伝子の多様性」を意味し、同じ種でも異なる遺伝子を持つことにより、形や模様、生態などに多様な個性が存在する。
種間の多様性 「種の多様性」ともいい、動物や植物から細菌などの微生物に至るまでさまざまな生物種がある。
生態系の多様性 森林、里地里山、河川、湿原、干潟、サンゴ礁などさまざまなタイプの生態系(自然環境)がある。

出典:環境省「生物多様性とは何か」をもとにPwC作成

2 生物多様性が毀損する原因とその影響

多様な生物が量的・質的に健全であればあるほど、生物資源を利用する私たち人間の選択肢が多くなり、活動の可能性も広がります。逆に、その健全性が損なわれると、これまで当たり前に入手できていた生物資源の欠乏によって日常生活やビジネスでさまざまな支障が生じる恐れがあります。

環境省が公開した「生物多様性国家戦略 2023-2030」では、生物多様性に負の影響を及ぼす原因を「4つの危機」として整理しています(図表2)。これら4つの危機はそれぞれが関連し合うことで、より複雑で深刻な問題を引き起こす恐れがあります。しかし、そのメカニズムを全て明らかにすることは、環境問題の関係を全て解明するようなもので非常に困難と言えるでしょう。

私たちが利用する生物資源は陸や海の生態系によって提供されていますが、生態系を支える個々の生物は、有害物質や開発行為など人間活動から生じたさまざまな環境負荷の影響を受けており、総合的な対策は難しいのが現状です。生態系の破壊が進めば、食料や医薬、建築資材といった私たちの暮らしに不可欠な生物資源のストックと再生産能力が失われかねません。

また、森林や湿原のような大規模な生態系は、保水や地表の安定化を通じて自然現象を緩和していると考えられています。その破壊は、私たちの安全な生活環境を脅かすという点において防災問題とも重なります。いずれも地球温暖化と深く関連している可能性が高く、これらの問題は総合的に考える必要があります。

図表2:生物多様性が直面する4つの危機

そこでPwCあらたは、2030年に向けた新たな挑戦として、今後アシュアランスに求められるであろう3点(図表2)に対して、テクノロジーを活用したアプローチを行っています。このアプローチにより、次世代にも利用できるサステナブルな監査テクノロジープラットフォームを構築することで、「信頼のバトン」を次世代に渡すことができると考えています。大限に発揮し、監査に関わる全てのステークホルダーが心身ともに健康的な状態で活躍することで実現される監査です。 VUCA(社会やビジネスにおいて、環境が目まぐるしく変化し、将来の予測が難しい状態)の時代に、社会に信頼を築き
環境省が公開した「生物多様性国家戦略 2023-2030」では、生物多様性に負の影響を及ぼす原因を「4つの危機」として整理しています(図表2)。これら4つの危機はそれぞれが関連し合うことで、より複雑で深刻な問題を引き起こす恐れがあります。しかし、そのメカニズムを全て明らかにすることは、環境問題の関係を全て解明するようなもので非常に困難と言えるでしょう。

私たちが利用する生物資源は陸や海の生態系によって提供されていますが、生態系を支える個々の生物は、有害物質や開発行為など人間活動から生じたさまざまな環境負荷の影響を受けており、総合的な対策は難しいのが現状です。生態系の破壊が進めば、食料や医薬、建築資材といった私たちの暮らしに不可欠な生物資源のストックと再生産能力が失われかねません。

また、森林や湿原のような大規模な生態系は、保水や地表の安定化を通じて自然現象を緩和していると考えられています。その破壊は、私たちの安全な生活環境を脅かすという点において防災問題とも重なります。いずれも地球温暖化と深く関連している可能性が高く、これらの問題は総合的に考える必要があります。
4つの危機 説明
第1の危機 開発など人間活動による危機

市街地化、森林伐採、河川改修、埋め立て、護岸建設、圃場整備などの開発行為に伴う物理的な環境変化による生育条件の悪化によって、特定種や生態系が棄損する。

乱獲など繁殖力を超えた過剰な利用は特定種の減少や絶滅を招き、観光客などによる踏み荒らしは貴重な植生に悪影響を及ぼすことがある。

第2の危機 自然に対する働きかけの縮小による危機

人口減少や中山間部での人間活動の低下によって、水田、里山、牧場等の里地里山の生態系がかく乱あるいは喪失する。

農林業の衰退や狩猟圧の低下などによってシカなどの野生動物が数を増やし、食害による植生の急激な衰退を引き起こす他、人間との確執を招く。

第3の危機 人間によって持ち込まれたものによる危機

貿易品への野生種子、昆虫、病原体の混入、また国際取引された外来生物の野生化が在来種に重大な影響をもたらす恐れがある。

殺虫剤や除草剤などの化学物質によって、送粉昆虫をはじめとする昆虫に悪影響が及んでいる可能性がある。

第4の危機 地球環境の変化による危機 地球温暖化による生育地域の急激な気候変化は、生物の移動速度を上回る恐れがあり、特に逃げ場のない高山植物や海水面の上昇の影響を受ける沿岸部の種は脆弱である。

出典:環境省「生物多様性国家戦略 2023-2030 ~ネイチャーポジティブ実現に向けたロードマップ~」(2023年3月31日)をもとにPwC作成

3 企業活動と生物多様性

一般に知られている生物多様性問題の多くは、特定生物の減少や絶滅といった生物科学的な問題であり、経済的な側面が見えにくいのが特徴です。その一方で、問題の危機要因には少なからず企業活動が関係していると考えられますが、企業は営利組織なので、自社の活動との因果関係が明らかでない限り、積極的に対応することは難しいでしょう。

しかし近年、生物多様性の状況悪化が人間社会に及ぼす悪影響を懸念する声が高まり、企業活動と生物多様性との関係が注目されています。そこで(図表2)に挙げた「4つの危機」を参考に、(図表3)で生物多様性を毀損する恐れのある企業の活動側面について考えてみました。

なお、こうした自然環境の問題とは別に、医薬品の原料となるような遺伝資源の国際取引においては、往々にして利用国が得る利益に比べて原産国への支払額が少なく、利益分配に大きな偏りがあるとの指摘があります。これは環境問題というより経済問題であるためここでは詳述しませんが、生物多様性条約締約国会議(CBD-COP)において活発に議論されています。

図表3:「4つの危機」に関連する企業の活動側面の考察

情報の信頼性についても担保されていなければなりません。
4つの危機 関係する企業の活動側面と影響
①開発など人間活動による危機
  • 事業活動に伴う土地造成や埋め立てによる自然環境の改変
  • 原材料や商品としての生物資源のオーバーユース
②自然に対する働きかけの縮小による危機
  • 農林業の縮小による従来の自然バランスの崩壊
③人間によって持ち込まれたものによる危機
  • 事業場からの排出物、製品および廃棄製品に含まれる有害物質による生物への悪影響
  • 生物資源やペットの国際取引および貿易品に混入した種に起因する外来種問題
④地球環境の変化による危機
  • エネルギー利用に伴う温室効果ガス排出による気候変動の促進

出典:PwC作成

4 生物多様性問題の経済影響と情報開示の要求

世界経済フォーラムの報告書「Nature Risk Rising: Why the Crisis Engulfing Nature Matters for Business and the Economy」によれば、世界GDPの半分以上は自然資本を頼りにする農業や水産、食品、建設などの産業から生み出される一方で、自然資本の劣化は、一見関係がなさそうなエネルギーや素材産業など多くの産業にも経済損失をもたらすとされています。

また、「Unearthing investor action on biodiversity」では、調査を受けた投資家の55%が今後2年の間に生物多様性への対応が必要だと考えている一方、91%の投資家が生物多様性保全の取り組みを評価する手法が明確でないとしています。実際、筆者がこれまで見てきたサステナビリティ報告書では、生物多様性問題と事業との関連に言及している例は多くありませんでした。

事業への影響が懸念される重要問題との関係や取り組み状況がよく分からないとなれば、資金の出し手は情報開示を求めるでしょう。その前例となったのが「気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)」であり、同じことが今、生物多様性問題でも起こりつつあります。

その表れとして、2021年の生物多様性条約第15回締約国会議(CBD-COP15)で注目されたのが「自然関連財務情報開示タスクフォース(Task Force for Nature-related Financial Disclosures:TNFD)」です。このイニシアティブは、国連開発計画(UNDP)、世界自然保護基金(WWF)、国連環境開発・金融イニシアティブ(UNEP FI)等によって設立され、2023年中に情報開示フレームワークの公表を予定しています。

その表れとして、2021年の生物多様性条約第15回締約国会議(CBD-COP15)で注目されたのが「自然関連財務情報開示タスクフォース(Task Force for Nature-related Financial Disclosures:TNFD)」です。このイニシアティブは、国連開発計画(UNDP)、世界自然保護基金(WWF)、国連環境開発・金融イ情報の信頼性についても担保されていなければなりません。

5 TNFDフレームワークの概要

TNFDフレームワークは、本稿執筆時においてベータ版v0.4が公表されています。そこでは、陸、海、淡水、大気の4つの自然領域をエントリーポイントとし、そこに存在する自然生物と非生物から構成される環境資産が人間社会を支えており、特に生態系は、さまざまな生物が他の生物や非生物環境と相互作用することでビジネスに便益をもたらすとしてその重要性を説き、企業の開示が望まれる情報を整理しています。

(図表4)はベータ版v0.4が推奨している開示内容を整理したもので、その構成は気候変動に関するTCFD提言の構成と同様なものとなっていますが、最終化に向けて改訂される可能性がありますので注意してください。

この内容について、開示が推奨される情報は企業の定型的なマネジメント構造の説明と関連する定量情報なので違和感はありませんが、実際に取り組む際にはいくつかの課題がありそうです。

例えば、自社の活動と特定の生物資源との関係が明確な場合はもちろんですが、それ以外にも企業は自社の活動のみで生物との関わりを考えるのではなく、バリューチェーン全体にわたって生物多様性との関わりを確認することが望まれます。

また、自社の活動に起因する生物多様性への影響や関連するリスク・機会を評価する際には、他の経営管理と同様に一定の客観性が求められます。温暖化問題では温室効果ガス排出量という分かりやすい指標があるのに対し、この問題では対象や範囲が広範で問題の捉え方も一様ではないため、何を指標としてどのように測定評価すべきかを綿密に検討することが求められるでしょう。

環境マネジメントや情報開示は、すでに多くの企業で実施されています。総合的に自然との関係を整理する必要のある生物多様性問題を既存の取り組みにどう組み込むのか。そのやり方は、企業と問題との関わり方によって異なるものと考えられますが、今後の実践と進展が期待されるところです。

図表4:TNFDフレームワーク – ベータ版v0.4の開示推奨内容

項目 推奨される開示の内容
ガバナンス

A. 自然関連の依存関係、影響、リスク・機会に関する取締役会の監視状況

B. 自然関連の依存関係、影響、リスク・機会の評価と管理に関する経営者の役割

戦略

A. 特定した短、中、長期の自然関連の依存関係、影響、リスク・機会

B. 自然関連のリスクと機会が、組織の事業、戦略および財務計画に及ぼす影響

C. さまざまなシナリオを考慮した、自然関連のリスクと機会に対する組織戦略のレジリエンス

D. 保護が優先される地域における直接的な事業資産・活動のロケーション。関連する場合は上・下流および資金提供先を含む

リスク管理

A. (i)直接的な操業における自然関連の依存関係、影響、リスク・機会を特定・評価するためのプロセス

A. (ii)上・下流および資金提供した活動および資産における自然関連の依存関係、影響、リスク・機会を特定するためのアプローチ

B. 自然関連の依存関係、影響、リスク・機会の管理プロセス、およびプロセスに照らして取られた行動

C. 自然関連のリスクを特定、評価および管理するためのプロセスが組織全体のリスク管理にどのように統合されているか

D. 自然に関連する依存関係、影響、リスク・機会の評価と対応において、影響を受ける利害関係者がどのように関与しているか

指標と目標

A. 戦略とリスク管理プロセスに沿って重要な自然関連のリスク・機会を評価、管理するための指標

B. 自然への依存と影響を評価・管理するための指標

C. 自然関連の依存関係、影響、リスク・機会およびこれらに関するパフォーマンスを管理するための目的と目標

出典:TNFD「The TNFD Nature-related Risk and Opportunity Management and Disclosure Framework Beta v0.4 – Summary」(2023年3月)をもとにPwC作成

6 おわりに

IFRS財団の国際サステナビリティ基準審議会(ISSB)から公表が予定されているサステナビリティ開示基準では、まず総括的な事項と気候変動情報が優先されていますが、次のフェーズでは生物多様性が基準策定の候補の1つとなっています。

一方、生物多様性に関する企業向けの国際的なガイダンスには、情報開示にフォーカスしたTNFDフレームワーク以外にも、自然資本への影響と依存度を評価するための「自然資本プロトコル」(Natural Capital Coalition)や「企業の生物多様性パフォーマンスの計画策定及びモニタリングのためのガイドライン」(IUCN)といったものがあります。

これからこの問題に取り組もうとする企業は、こうしたガイダンスを参考にしながら生物多様性問題への取り組みを理解、実践し、今後の情報開示要求に備えてはいかがでしょうか。

参考文献


執筆者

PwCあらた有限責任監査法人
PwCあらた基礎研究所主任研究員
PwCサステナビリティ合同会社執行役員
寺田 良二