Fracturing World

ESGファクターは、価値を創造するか、破壊するか―ディール(M&A)における6つのオレンジフラッグ―

M&AにおいてESGファクターが重視されるようになり、リスクを抑え価値を最大化するため、デューデリジェンスの拡充が求められています。

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環境、社会、ガバナンス(ESG)の問題は、ディールのあり方を変えつつあります。数年前までは、環境問題と社会的格差と言えば、主にアクティビストや規制当局のみによる懸念事項でした。 現在、これらのテーマは、資金調達から買収、事業売却、IPOに至るまで、M&A業界全体に重要な影響を及ぼすESGデューデリジェンスの対象として確立されつつあります。デューデリジェンスの対象は、リスクと財務的な影響に関するものから、より広範に非財務的な情報を含むものへと変化してきているため、ディールメーカーは、早急に調査プロセスを再確認する必要があります。

ダブルマテリアリティという、多くの議論の最前線にある進化した概念について考えてみましょう。これには、財務上のマテリアリティ(企業のキャッシュフローまたは企業価値に影響を与える活動)と、インパクトマテリアリティ(直接、間接を問わず、人または環境のいずれかに影響を与える活動)があります。国連の「持続可能な開発目標(SDGs)」がESG関連基準の設定に盛り込まれていることからも分かるように、ダブルマテリアリティは、企業が財務的なパフォーマンスだけでなく、社会的インパクトを考慮すべきであるという世界的な認識の高まりを反映しています。M&Aをめぐる環境下では、ダブルマテリアリティは、企業の戦略、経営、製品、サービス、そしてバリューチェーン全体に関わる潜在的なリスクや機会を見極めるために活用されています。

ESGのトレンドに基づいた価値創造の機会を獲得することを目的とした「ピュアプレイ(単一事業)」のESGディール(例えば、再生可能エネルギー事業の買収など)が見られることがあります。そこでは、買収者は、財務面と社会的インパクトの両方についてデューデリジェンスを行い、ターゲット企業がESGに由来する適切な成長可能性とその根拠を兼ね備えていることを確認する必要があります。しかし、本稿で示すように、明らかにESGに基づくチャンスを動機とするディールだけでなく、あらゆるディールにおいて、広範なESG課題が発生する可能性があります。昨今では、ディールメーキングにおいてさまざまなESGファクターが、ターゲット企業の価値の維持、破壊、創造に影響を与えるようになっています。

バリューレバー(価値創造要因)としての可能性を考えると、ESGの各種指標はディールメーカーにとって興味深いものです。一部のプライベートエクイティ(PE)は、この可能性に基づきブランドの差別化を図り、ESGを投資テーマやプロセスに取り入れるという積極的な動きを見せています。彼らは、サスティナブルな資金調達を促進し、ESGマインドの高い企業経営者からの売却意向を汲み取ることを目的として、買収のフットプリント(目的および範囲)を変えようとしているのです。また、気候変動がもたらす影響や物理的なリスクについても、より強く意識するようになってきています。さらに、経験豊富なディールメーカーは、ESGのデューデリジェンスによって、従来のデリジェンスの枠組みでは対応しきれなかった潜在的な課題に焦点を当てることができるようになりました。

「オレンジフラッグ」と呼ばれる主要なESGに関する課題を、私たちは直近のディール経験から認識しています。取引を控えるべきことを示すレッドフラッグとは異なり、オレンジフラッグは、ディールメーカーが慎重にディールを進めるべきことを示すものです。これは、対象企業のリスクを抑え、価値を高めるための慎重な措置を取らなければならないことを示しています。私たちはM&Aにおける、6つのオレンジフラッグを特定しました。それは、非倫理的なマーケティング、レピュテーションリスク、ハイリスクなサプライチェーン、従業員の離職、サステナビリティ目標に対応するディールの変化、不適切な非財務情報の開示です。

未来に向けたビジネスの変革が求められるプレッシャーの中、変革を可能にする M&Aは今後も続く

非倫理的なマーケティング

非倫理的なマーケティングは、企業のメッセージが現実と矛盾することからディールメーカーにとって問題となります。すなわち、企業が発信する情報が、規制、ステークホルダーの心理、買収者の立場から矛盾するということです。例えば、買収者が職業教育機関の買収を検討する際、デューデリジェンスにおいて公開情報を綿密に調査したとします。そしてそこで、同社が提供するコースや生徒の成果に関する表現の一部が誤りであることを発見したとしましょう。このような場合には、規制などに基づく罰則をディールコストに織り込むことが考えられます。また、マーケティング表現にまで確認範囲を広げることが重要であることが示されます。なお、このようなマーケティング表現の重要性に関する認識は、オペレーションやガバナンスに加え、環境へのコミットメントにおける開示情報においても増加傾向にあります。

マーケティングのミスマッチから生じる価値棄損リスクに対応するため、法規、情報開示規制、特に今後制定が予定される事項を含む要件を遵守した、強固な内部統制のフレームワークを構築することが不可欠です。デューデリジェンスでは、非倫理的な表現を防ぐためにデザインされたプロセスや内部統制の有効性も評価すべきです。ディールメーカーは、特にマーケティングに関する規制が緩い業界では、企業が発信するメッセージと製品の有効性が矛盾している可能性に注意を払う必要があります。例えば、化粧品業界において、「クリーン」や「オーガニック」といった用語は、万国共通の定義があるわけではありません。このような背景から、企業は普遍的な定義や基準を把握し、早期にこれを達成すると価値が高まり、逆に遅延すると価値を棄損する可能性があります。

                    
                          
                          
Machine learning pictogram                                 

グローバル投資家の87%が、開示情報にはサステナビリティに関して裏付けのない表現が含まれていると考えています。

                                                           
                    
              

レピュテーションリスク

ESGのパフォーマンスに関連したレピュテーションリスクは目新しいものではありません。マーケットで最近注目されている「グリーンウォッシング」への非難からも分かるように、規制、社内目標、ステークホルダーの期待に応えることができなければ、ネガティブな注目を浴び、消費者や顧客の信頼を失い、売上を失うことにつながるかもしれません。 レピュテーションに関する先見的なデューデリジェンスにおいては、マーケットにおける現在の焦点と潜在的な課題の観点から、企業の自社固有の価値提供方法(バリュープロポジション)をより深く理解し、ESGに関する情報を幅広く検証することが必要となります。このため、競合他社がマーケットにおいて何を最も強調しているかを調査することは有用と考えられます。この調査には、例えば、競合他社のグリーンクレデンシャルや多様性あるいは自社のバリュープロポジションに沿った価値観であるか、などの確認を含みます。

レピュテーション・デューデリジェンスは、企業の潜在的な課題を明確化し、課題に対処する際に役立ちます。一般的なデューデリジェンスの範囲外にある潜在的な課題に対処するため、ESGは時に今までにないフレームワークを提供しています。最近のある案件では、ディールの関係者は、ターゲット企業の経営会議のメンバーをめぐる法的問題を知ることになりました。そこで、従業員の声や組織文化に関するデューデリジェンスを通じて、社会(Social)やガバナンス(Governance)の観点から課題に焦点を当てることで、ディールメーカーは、その経営幹部を追い出すための情報を収集しました。ガバナンスの課題を解消したことにより、スポンサーは投資を継続し、ターゲット企業はESGに関するコミットメントに沿った成果を達成することができました。

ハイリスクなサプライチェーン

世界各地における戦争、紛争、貿易摩擦のため、サプライチェーンのリスクが高まっています。このようなリスクは気候変動による被害への脅威によりさらに高まっています。他方で、調達契約やサプライチェーンに関するデューデリジェンスの要求は高まっています。背景として、現代奴隷制、健康と安全、労働者の権利について重要性が増してきており、原材料の調達に対する意識が高まってきています(サスティナブルサプライチェーン(英語版のみ)についてはPwCのポッドキャストをご参照ください)。例えば、あるアパレルメーカーのサプライチェーンへのデューデリジェンスにおいて、劣悪な衛生環境、危険な労働環境や空気の悪さなど、工場の職場環境に関する課題が明らかになりました。これらの課題に取り組むため、関係者は工場の労働環境基準を引き上げ、環境、衛生、安全への取り組みを進めることに合意しました。これらの対策費用はディールにおける取引価額に織り込まれ、労働条件のさらなる改善を含む、労務関連の義務は売り手が負担することが、ディールの契約条件に盛り込まれました。

買収者はサプライチェーンの安定性にも目を向けており、地政学的あるいはESG的に脆弱性が認められると、レジリエンスを高めるための措置を講じる投資家も見受けられます。スポーツ用品市場で買収を検討していた企業は、サプライチェーン・デューデリジェンスを通じて、ターゲット企業の製品の約80%が、わずか2つの工場でのみ製造されていることを把握しました。その結果、ターゲット企業が継続的な需要に対応し事業を成功させるための課題が明らかになりました。このデューデリジェンスを通じて、この課題以外にも、工場所在国や世界的な貿易摩擦に関係した、社会(Social)およびガバナンス(Governance)の観点からの課題として、オレンジフラッグが明るみとなったのです。そのため、この取引を成立させるため、ターゲット企業のサプライチェーンの多様化および強化のための5カ年計画を策定することが要件となりました。

従業員の離職

従業員の声は、企業のESGに関する信頼性を示すために重要であり、多くのディールにおいて、従業員は重要なアセットでもあります。また、M&Aにおいては、従業員のエンゲージメント低下など、労働力の問題が顕著になっています。そのため、デューデリジェンスにおいて、ガバナンス、従業員の育成と定着、多様性、同一賃金に関する調査の強化が見られるケースが多くなってきています。ディールメーカーは、従業員アンケートや従業員への個別インタビュー等を通じて、企業文化や従業員満足度調査といった社会(Social)およびガバナンス(Governance)の課題を把握することにより、人員減少の背景を評価するようになってきています。買収者による人材活用によって、ターゲット企業の従業員が離職に追い込まれた場合、価値が棄損されると考えられます。一方、タレントマネジメントが不十分なターゲット企業に対して、買収者が自社の優れた人材活用を伝えることができれば、より大きな価値が生まれるでしょう(米国におけるPwCの調査では、従業員の86%が、自分が関心を持つ問題に対処しようとする企業で働くことを好む、という結果が示されています)。ある企業は、離職率が業界平均より高いターゲット企業に対し、従業員のエンゲージメントなどの社会的(Social)課題への投資を通じて従業員定着率を業界平均まで引き上げることで、年間最大800万米ドルのコスト削減を達成できると試算しました。

また、このオレンジフラッグは、スタッフの能力育成など、これまでの人事デリジェンスでは対象としなかった課題から生じる可能性もあります。ヘルスケア業界のように、熟練した技術者や専門家の採用と定着が難しい業界では、研修や能力開発が不可欠です。そのため、適切な投資、優れたガバナンス、そしてこの課題に対処する企業文化が必要となってきます。このことを熟知している買収者は、タレントマネジメントがディールの取引価額へ与える影響に細心の注意を払います。例えば、あるヘルスケア企業の買収者は、ターゲット企業の重要なステークホルダーに、若手社員を対象とした能力育成プログラムへの支援と投資を約束させることで、従業員の定着率を向上させることにしました。

サステナビリティ目標に対応するディールの変化

社会において持続的なESGの成果を実現するための課題は大きく複雑です。ディールメーカーは、社会的(Social)課題、経済的(Economic)課題、脱炭素目標を含む環境的(Environment)課題の間の複雑なトレードオフのバランスを取ることで、「公正な移行(Just Transition)」を確実なものにする重要な役割を担っています。ポートフォリオ企業によるサステナビリティ目標の達成を支援し、ESG移行(ESG Transition)のため新たな高成長ビジネスモデルへ投資する意欲を考えると、ベンチャーキャピタルやPEにとっての好機となってきています。しかし、その見込みや成果が、過大に有望視されたり、過小評価されたりすると、その進歩にはリスクが伴うことになります。低炭素社会への移行に伴い、テクノロジーによる破壊的変化(Disruptive Technology)は、企業の戦略やビジネスモデル、事業展開に大きな変革を引き起こしています。

こうした背景において、ディールは積極的なものに変わりつつあります。PwCの調査によると、2022年における気候テック(Climate Tech)による資金調達額は、スタートアップ企業全体への支出・投資額の25%以上を占めています。

気候テックスタートアップに向かうグローバルにおけるベンチャー投資の割合 (12カ月移動平均)

例えば、炭素税、補助金、環境イニシアチブに関する早期の対策などの「将来への備え」に関するデューデリジェンスを強化することで、この変革へ対応できる企業は、「公正な移行」に対しても有意義な貢献をしながら、自らの価値を守り、価値創造することが可能です。このような企業は、財務的なマテリアリティに加えて、インパクトへのマテリアリティの充足や発展も最大化することができるのです。

広い意味での「公正な移行」として、「グリーンジョブ」の創出を取り上げてみましょう。エネルギー転換のため建設とインフラ整備のブームが到来することで、この分野を牽引することになるOECD諸国では、建築関連の労働力として求められるのは主に男性だと考えられます。このことから、エネルギー転換が進み、約2,000万人の新しいグリーンジョブが創出されると、女性よりも男性の占める割合がさらに高くなるかもしれません。そのため、何らかの介入や調整がなければ、グリーンジョブの労働力の男女比率(Gender Mix)は、今日の労働市場よりもさらに不均衡になる可能性があります。

ディールメーカーがESGをディールの意思決定に取り込むことにより、業界全体のマインドセットを大きく変えることができます。しかし、ESGの成果を達成することは業界全体の課題であり、これらの目標は個別のディールでは達成されません。多くのディールメーカーにとって、ステークホルダーの期待に応えることは依然として重要な目標です。しかし、その中でも、先進的なディールメーカーは、インパクトマテリアリティと財務マテリアリティの双方の充実度を高めるため、ESG課題をどのように取り込むかを模索し続けています。

Miriam Pozza
グローバルESGディールリーダー
PwCカナダ パートナー

Will Jackson-Moore
グローバルESGリーダー
PwC英国 パートナー

Malcolm Lloyd
グローバルディールリーダー
PwCスペイン パートナー

※本コンテンツは、Will ESG factors create or destroy value in your next deal? Six orange flags for dealmakersを翻訳したものです。翻訳には正確を期しておりますが、英語版と解釈の相違がある場合は、英語版に依拠してください。

ディールにおけるESGファクター:日本における示唆(日本語版刊行にあたって)

日本においても、グローバルの動きと同様に、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染拡大により起こった変化の多くはすでに定着しています。そして今、戦争、インフレ、サプライチェーンの乱れ、エネルギー危機など、世界で生じている新たな混乱の波は日本の経済にも影響を与えており、企業のレジリエンスがさらに求められる中、特にディールにおいてESGへの考慮は不可欠なものとなっています。

日本のマーケット、すなわち日系企業あるいは日本の市場が関係するディールにおいて、すでにプライベートエクイティファンドやESG先進企業は、ディールの中でESGのリスクと機会の把握を可能とするESGデューデリジェンスを実施し、適切なディールの実行を担保しています。また、サステナビリティ経営の重要性から、ディール後にはESGパフォーマンスの向上が求められており、ESGはPMI(ポスト・マージャー・インテグレーション)における重要な課題として挙げられるようになっています。

このような背景から日本のマーケットにおいても、本稿のオレンジフラッグに関する示唆に基づき、ディールを慎重かつ積極的に進め、より多くのディールでESGに関連した価値創造が実現されるための一助となれば幸いです。

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主要メンバー

岩田 茂

パートナー, PwCアドバイザリー合同会社

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牧 洋子

シニアマネージャー, PwCアドバイザリー合同会社

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東 輝彦

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パートナー, PwCアドバイザリー合同会社

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ディレクター, PwCアドバイザリー合同会社

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沼田 泰彦

ディレクター, PwCアドバイザリー合同会社

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