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日本工装株式会社 代表取締役会長 池谷 隆司 氏
日本工装は、1965年に創業し、今や自動調整弁業界においては、世界トップシェアクラスのコントロールバルブメーカーで、国内外の発電所をはじめとしたプラントにコントロールバルブを納入しています。今では世界17カ国で2,300人超の社員を雇用し、海外では米国、中国、インドなど8カ国に製造販売子会社を有し、カナダ、サウジアラビア、チェコなどに販売子会社を持ち、その他の国にも営業オフィスを設け、販売拠点を拡大しています。
「創意」
これは、創業者であり、現在会長を務める池谷 隆司氏が、53年前に一人で創業し、そのときから掲げている理念です。いまだに秘書を雇うことはせず、自ら日本全国、海外へと飛び回り、KOSOグループの陣頭指揮を執っています。
大学で学んだ専門分野を生かしたいとの思いから、就職先は一部上場会社の化学メーカーを選びました。当時はバルブの技術をリードしていた米国でも製造が難しかった高圧力、高温度の条件下で使用可能なバルブを、在職時より通常の仕事の枠を超えて、持ち前の創意工夫で開発、製品づくりに熱中していました。
「自分の思うままにものづくりをしたい。やるからには、特殊な分野でトップになる可能性はある」との思いを募らせ、10年ほど勤務した後に独立することを決意しました。
創業の本拠地は、埼玉県の戸田。隣の川口市は当時、機械加工から検査、測定などものづくりにかかわる中小企業が集まっており、自社で工場を持たずとも、図面を渡せば製品が出来上がるという大変恵まれた環境でした。しかしながら、自分の事業の将来を展望したときに、より付加価値が高く、他社ではまねできない分野に舵を切る必要がある、との危機感がありました。
それから、バルブを動かす自動で駆動させるアクチュエーターやそのアクチュエーターをコントロールするバルブポジショナーといった製品の開発を中心に取り組むようになります。
持ち前のものづくりに対する熱い思いと高い技術力もあり、1970年代半ばにはポジショナーの開発に成功し、それは、米国製と比較しても劣らないものでした。その製品のサンプルを当時業界で世界第3位の米国の大手メーカーへ供給したところ、OEM供給の依頼がありました。池谷氏は早速工場建設へ動きました。当時は、銀行の融資金額の総量規制があり、一つの銀行からは支店長の権限範囲内でしか融資してもらえないという状況でした。本社を置く埼玉県内の信用金庫では足りず、東京の信用金庫まで駆け込み、自ら融資を依頼し、11の金融機関から資金調達しました。その資金で建設した福島工場は、当時は最先端の工場として、東京、東北などから見学希望者が訪れるほどでした。当時会長自ら最新設備を導入し改造した機械は今も動いています。
このOEMでの供給は10年半ほど続き、会社の基盤を確立するのに大きく貢献しました。
このような状況を受け、1970年代に米国への進出を皮切りに、グローバルへの展開を積極的に推進しました。
1980年代半ばには、政府主導による日本の技術移転を促進する日中間の交流イベントが開かれました。この機会をきっかけに中国・無錫市(むしゃくし)の自動弁製造工場が同社との提携の意を強くし、技術供与を締結。のちに合弁工場を設立しました。中国での事業も順調に軌道に乗り、今では同社の連結売上の3割程度を占めるまでに成長しました。このような多大な功績が認められ、無錫市より、名誉市民の称号も贈られました。
1990年代には、高品質なワイヤレス技術を持つヘルツ電子を買収し、プロセスオートメーションにおけるIoT関連製品の開発などに強みを発揮し、これ以降、企業買収を積極的に行うようになりました。
2000年初頭には、インドに工場を建設し、2000年半ばには海外の企業買収も実施、さらに、2010年には、将来の相続のことも考え、株式の対策を行います。そして、創業から50年を経た2015年、池谷氏が86歳のときに、ようやく社長の座をご子息に承継しました。
このように5年、10年といった節目ごとに経営環境の変化に同社も対応し、変革してきました。
社是は、品質の確保、技術の研鑽、創意と努力、です。
「ものづくりするなら現場へ行け、といっているんです。現場で手を汚さなきゃだめだよと。私自身も創業以来ずっとそれを実践している。そして、そこには絶対にクリエイティビティが必要なんです。自分で知恵を持って改善していけ。それが創意なんだ」今でも自らを「町工場のオヤジ」といいますが、この初心が原点になっています。そして、現場で常に新しい工夫をすることが求められており、これは同社に根付く企業風土といえます。
海外への事業展開にあたっても、会長自ら「ものづくりは現場だよ」といい続けており、ものづくりの大切さを徹底的に訴えます。自ら現地に技術や品質管理に関して指導に足を運び、海外から日本に来てもらい研修も実施します。実は、海外拠点には、日本人は一人もおらず、現地に権限移譲しています。このことから池谷氏がいかに現地でのフェイス・ツー・フェイスでの対話を重ね、信頼構築をしてきたか、想像に難くありません。
「顧客は、お客様第一の精神でこれまで仕事をしてきた。自分が技術屋のこともあり、顧客との信頼構築は大事にしてきた。実際に自社で作ったものを使う立場であるお客様から教えてもらうことが多い」と語ります。営業所を、CSS(カスタマー・サティスファクション・センター)と呼ぶことからも、同社の顧客第一主義の徹底ぶりが伺えます。
「取引先も大事にしてきた。取引先企業さんの協力なしには我々も仕事になりません。また、当社で働く社員は私にとっては先生です」と語ります。
「社員にはチャンスを積極的に与えたい。経営者として会社の方向性は示して、一緒に本人の特質も理解しながら育成したい」と将来を担う人材育成にも熱い思いを抱いています。
顧客、取引先、社員を大切にしてきたからこそ、同社は堅実な成長を実現できたのでしょう。
池谷氏の今後のビジョンは明確です。
一つは、東南アジマのマーケットへのアプローチです。これまで積極的に海外展開を進めてきた同社ですが、東南アジアは世界戦略上まだ成長の可能性を秘めています。この市場への事業推進には承継した社長の手腕も期待されます。
二つ目は、次世代の新製品の開発です。一昨年、本社1階にアクチュエーター・イノベーションセンターを設け、昨年1月にIoTを活用したセンサー搭載製品を発売開始しましたが、売上は順調に推移しています。
また、本社2階には新たな開発スペースを設け、AIテクノロジーの活用も視野に入れた次世代製品の試作に取り組んでいます。今でも、自動化ライン、無人搬送システムなど先進的な生産体制を有していますが、今後はAIを活用したスマートファクトリーへの構想もあります。
そして、技術畑ではない社長と福島工場にて技術陣と今後のあり方をディスカッションする機会を設けたりするなど、社長への期待もさらに膨らんでいるようです。
これまで池谷氏の類まれなるリーダーシップ、先見の明、そして変化への柔軟な対応により、グローバルレベルで成長を遂げてきました。現場から生まれるものづくりの価値の原動力である「創意」という創業の精神を息子である社長、そしてその先の世代へと引継ぐことが、ファミリービジネスの永続的な存続、そして社会貢献につながるのだと、柔和な笑顔の内に秘めている確固たる意志が感じられます。
※ 法人名、役職、本文は掲載当時のものです。