
持続可能な化学物質製造への道筋
化学産業の脱化石化は、世界的なネットゼロを実現する上で最も重要な要素の1つといえます。本レポートでは、基礎化学物質の脱化石化に向けた具体的な道筋を示し、予想されるCO2排出削減効果や必要な投資について説明します。
日本の化学業界は現在、最先端の省エネ技術(利用可能な最高水準の技術:BAT)などを活用し、2030年度の二酸化炭素(以下、CO2)排出量を2013年度比で32%減らす野心的な目標を掲げています(経団連、「カーボンニュートラル行動計画」)。この目標達成に向けて化学品製造においては、さまざまなCO2排出削減対策が講じられています。製造過程で投入するエネルギーの脱炭素燃料への転換を行うとともに、設備・機器(エチレン製造設備など)の効率改善を中心とする省エネ対策にも年間数百億円規模の大型投資を実施しています。こうした取り組みにより、CO2排出削減への貢献が大きく期待されています。
また、業界は環境省の「循環経済への移行」方針を基に原料のリサイクル(特にプラスチック)も積極的に推進し、最終的に、原料側における排出削減も目指しています。化学品製造に用いる原料のリサイクル材やバイオマスなどへの転換などが取り組みの例としてあげられます。このリサイクル材活用の観点では、化学品の原料として利用されるケミカルリサイクルの割合は日本ではわずか4%の低水準にとどまります(EUの大半の国でのケミカルリサイクル割合は30%超)。このため、ケミカルリサイクル比率の向上に向けた技術や設備への投資拡大などの取り組み強化が日本における緊喫の課題と考えられます。
このように今、持続可能な化学物質の製造が世界で求められています。この変革に向けてどのような道筋が描かれ、課題があるのか、本レポートでは日本の現在地を知る上でも重要となる世界での動きを探っていきます。
化学産業は、私たちの日常生活のほぼ全てに関与しており、化粧品、肥料、医薬品、プラスチックなど、約70,000品目の製品を製造するために使用されています。今日生産される化学物質の大部分は、化石燃料をエネルギー源や原料としています。そのため、化学産業を脱化石化1することは、2015年パリ協定の気候変動に関する目標を達成し、世界的なネットゼロを実現する上で、最も重要な要素の1つとなるでしょう。現在、全産業の中で化学産業はCO2排出量が2番目に多く(最も多いのは鉄鋼業です)、シドニー工科大学(University of Technology Sydney: UTS)が開発したOne Earth Climate Model(OECM)によれば、パリ協定の目標を達成するために、2020年から2050年までに化学セクターが使えるエネルギー関連の排出量(カーボンバジェット)は、19.6ギガトンとされています。
化学産業のカーボンフットプリントを劇的に削減するアクションを今起こすことで、世界のネットゼロ目標の達成を大きく後押しすることができます。PwCドイツが資金提供し、UTSのInstitute for Sustainable Futuresが実施した新しい研究によると、低炭素およびゼロカーボンでの生産に迅速に投資し開発を進めることで、化学業界の世界的なCO2排出量は大幅に削減できることが示されています。この研究では、化学業界で消費されるエネルギー(電力を除く)の74%を占める7つの主要な基礎化学物質と、エネルギー関連の化学産業排出量の97%を占めるG20構成国市場に焦点を当てています。対象となる7つの化学物質は、メタノール、アンモニア、ベンゼン、トルエン、キシレン(後者3つはBTX芳香族化合物として知られています)、エチレン、プロピレン(軽質オレフィンとして知られています)です。本レポートでは、これら7つの基礎化学物質の脱化石化に向けた具体的な道筋を示し、予想されるCO2排出削減効果や必要な投資について説明します。今後の研究では、排出削減曲線や具体例、地域ごとの道筋も含まれる予定です。本研究が示すように、この取り組みは多額の投資を必要としますが、それに見合う大きなリターンが期待されます。
新興経済国を中心とした世界的な人口増加と生活水準の向上により、近年、化学産業は大幅に拡大しました。世界的な発展により、農業用肥料や自動車産業の主要部品、洗剤、ペットボトル、包装材、接着剤を含む幅広い消費財および家庭用品の需要が増加しています。
これらの製品の多くは、7つの基礎化学物質に依存していますが、その依存度は今後も増していきます。2050年までに、これらの基礎化学物質の生産量は2020年の7億4,000万トンから12億5,500万トンへ、約70%増加する見込みです。仮に化学産業におけるCO2排出量を大幅に削減できたとしても、これほどの増加率の中でパリ協定が定める1.5℃目標を実現させるのは困難です。生産量の増加を抑えるためには、循環型経済のベストプラクティスに基づく需要の最適化やプラスチック消費の削減、製品寿命の延長が求められます。
効率性が向上したとしても、7つの基礎化学物質の生産に必要なエネルギー量は2020年から2050年の間に81%増加すると予測されます。現在、化学産業における原材料の約95%は化石燃料由来であり、化学セクターで使用される熱および原料エネルギーの約74%がこの7つの基礎化学物質の生産に充てられています。2050年までに、これらの化学物質の生産による年間CO2排出量を2020年比で85%削減する必要があります。
サプライチェーンの脱化石化が強く求められる中でも、化学品の年間生産量が増加すれば、それに伴いエネルギー消費量も増加します。
世界の化学業界に大きな変革をもたらし得る脱化石燃料の取り組みは、すでに始まっています。図に示すように、化石燃料を原料とする従来の方法から、バイオマスや再エネ由来の有機分子触媒といった低炭素またはゼロカーボンの供給源への移行が求められています。また、これらの原料を活用し、化学物質の製造時に排出されるCO2を抑えるための新しい技術が必要です。
原料の脱化石化を進めることで、バリューチェーン全体のプロセスに変化が引き起こされます。
(注)上の図は、本調査に関連がある原料の加工工程のうち、高い成熟度が期待されているものに焦点を当て、簡略的に示したものです。全ての工程を完全に網羅するものではありません。
出所:Nova-Institute、UTS、PwCの分析
上の図が示すように、化学物質の製造には高い相互接続性が見られます。不飽和炭化水素や芳香族化合物などは、エタン、プロパン、ナフサといった生成物から製造され、一方でメタノールやアンモニアは、主に天然ガスから生成されます。私たちのモデルによれば、グリーン水素という新しい中間生成物は、多様な化学物質を生産するプラットフォームとして大きな可能性を秘めています。また、再生可能な資源から得られるCO2は、化学品製造プロセスの非エネルギー用途での脱化石化に不可欠な資源になると予測されています。化学産業は、リサイクルや循環性などのベストプラクティス、再生可能エネルギーなどの新技術、および化学燃料の原料に代わる再生可能原料を導入する必要があります。
化学業界は化石燃料への依存性が高いため、独自の課題を抱えています。多くの化学プロセスの初期段階において、原料(原油、ナフサ、天然ガスなど)には化学燃料が使用され、そこから基礎化学物質が生産されています。これらの基礎化学物質があることで、プラスチック、溶剤、肥料、医薬品といった、社会全体を支える最終製品の製造が可能になっています。それだけでなく、加工工程で必要となる高温熱や電力の供給源としても、化石燃料エネルギーが使用されます。これによる排出量は非常に多く、今回対象とした7つの化学物質の生産におけるCO2排出量は、化学産業全体の52%を占めています。
化学業界の脱化石化を成功させるためには、エネルギー関連に限らず、非エネルギー利用を含めた全体のCO2排出量に対応する必要があります。
そして、7つの主要な基礎化学物質の脱化石化を進めるには、まず化学産業のプロセスで求められる3つの主要エネルギー要件について評価することが重要です。
下の図にあるように、各化学物質はその製造プロセスによって異なるエネルギーを必要とします。例えば、エチレンとプロピレンは熱加工プロセスにおけるエネルギー消費が比較的多いのに対し、アンモニアやメタノールは原料として使用される非エネルギー利用が多いため、CO2の排出量が多くなりがちです。ただし、付随する化学反応によってCO2が発生することもあるため、非エネルギー利用のみから排出量を予測することはできません。検討対象の7つの基礎化学物質において、エネルギーのうち電力が占める割合はごくわずかです。
生産と加工に必要なエネルギーの種類は、化学物質の種類によって大きく異なります。
化学産業が化石燃料依存から脱却するには、インフラの要とされる下記3領域への投資が有効です。
本調査の一環として、私たちは、7つの化学物質の脱化石化に必要な一連の投資について、上で述べた3つの取り組みのうち、特に1つ目の拠点整備と、2つ目の熱供給に焦点を当てた分析を行いました。その結果、化学業界におけるネットゼロ変革への累積投資額は、2040年までに4,400億米ドルから1兆米ドル、2050年までに1兆5,000億米ドルから3兆3,000億米ドルに到達する必要があることが明らかになりました。欧州化学工業連盟によると、化学業界における2022年の世界の資本支出は2,670億ユーロ(当時のレートで2,900億米ドル)でした。これらの投資は、環境上の利益をもたらすだけでなく、世界中の継続的な成長と雇用を促進するための大きな原動力となり得ます。
脱化石化のメカニズムは、7つの化学物質それぞれで異なります。アンモニアの場合、ネットゼロ実現の鍵を握るのは、排出量の削減に最も効果的とされるリニューアブル水素です。アンモニア生産コストの90%は水素の投入によるものであることから、私たちの分析では、再生可能な電力とその後のリニューアブル水素の製造に必要な投資も考慮しています。アンモニアの脱化石化には、累積投資額として合計2,000億米ドルから9,700億米ドルが必要となります。
メタノールを脱炭素化する場合、バイオメタノールやe-メタノールの生産が可能な新規拠点への投資が必要となります。バイオメタノールの製造には、林業や農業の廃棄物、副産物(埋立地からのバイオガス、下水道、都市固形廃棄物〈MSW〉など)のバイオマス原料が用いられます。e-メタノールの製造には、アンモニアと同様に、リニューアブル水素が用いられます。こうしたメタノールの脱化石化には、総累積投資額として1,500億米ドルから4,400億米ドルが必要です。
不飽和炭化水素(エチレン、プロピレン)の場合、主に電気加熱式スチームクラッカーの導入とバイオエタノールからエチレンへの転換プロセスのための新規拠点の建設に9,000億米ドルから1兆5,000億米ドルの投資が必要となります。芳香族化合物の場合、リグニン資源の分解と、メタノールから芳香族化合物への加工工程のために、総額2,200億米ドルから3,700億米ドルの投資が必要となる見込みです。
下の図は、必要な投資をアンモニア、メタノール、不飽和炭化水素、芳香族化合物(ベンゼン、トルエン、キシレン)に分けて示したものです。いずれも、循環性、需要、技術コストによって大きく変動する可能性があるため、広範囲での推定値を算出しています。現在の世界経済の循環率は10%未満であるとも言われており、循環性の改善だけでも、推定値に大きな影響を与える可能性があります。また、技術の一部はまだ初期段階にあり、今後の開発経路が不確実です。再生可能な化学物質のコスト削減は、製造工程の開発ペースによっても大きく左右されます。
化学物質の脱化石化には、不確実性の高い多額の投資が必要とされます。
本調査では、数十年先を見通したタイムラインを検討してきましたが、今すぐに起こせるアクションに目を向けることが重要です。化学業界のプロジェクトは、導入期間が5年から10年、運用期間が数十年と、長期にわたることが一般的です。アクションが遅れたり、あるいは従来型のプラントに新規投資をしてしまったりした場合、残余カーボンバジェットを減少させることとなり、将来的に価値下落リスクがある座礁資産を生み出すリスクがあります。OECMによれば、仮に脱化石燃料対策への着手が5年遅れた場合、エネルギー関連だけで6ギガトンものCO2が追加的に排出されてしまうとされています。
そのため、直ちに必要なアクションを起こさなければなりません。幅広いセクターの企業がネットゼロへの取り組みにすでに着手しており、その取り組みには化学産業によって提供されるグリーンマテリアルが不可欠です。鉄鋼セクターでは、付加価値の高い製品としてグリーンスチールが市場から認知され、受け入れられ始めています。現代の生活のほぼ全てに化学製品が用いられていることから、化学セクターではさらに大きな恩恵を受けられる可能性があります。
1 炭素は多くの化学物質の製造に不可欠であるため、化学産業では完全な脱炭素化は不可能です。しかし、Royal Societyが定義した「脱化石化(defossilisation)」(化石由来の原料を代替的な非化石炭素源に置き換える)を進めれば、化学産業もネットゼロの目標を追求することができます。
※本コンテンツは、Sustainable chemicals pathwaysを翻訳したものです。翻訳には正確を期しておりますが、英語版と解釈の相違がある場合は、英語版に依拠してください。
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