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スペースミッションの長期化に伴い、満足度と栄養価の高い食の安定供給が不可欠となります。本インサイトでは、宇宙空間における動物性たんぱく質の供給にフォーカスし、課題とビジネス機会について考察します。
技術の進化によりスペースミッションの長期化が進んでいます。現在、最長の宇宙連続滞在記録は437日です。このうち女性による最長滞在記録は、2020年2月6日に帰還したクリスティーナ・コーク氏のミッション成功により328日に更新されました。
2040年には月面基地で1,000人の共同生活を目指す取り組みもあり、民間企業による宇宙事業への参入や米航空宇宙局(NASA)や宇宙航空研究開発機構(JAXA)をはじめとした専門機関、大学、国家間の協力など、今後も宇宙滞在期間の長期化が進むと考えられています。
宇宙滞在期間の長期化に伴い、必要となるのは食糧の自給自足と食事における満足度の向上です。現在は、「常温で少なくとも1年半の賞味期限を有すること」、「宇宙飛行士の食中毒などを予防するための衛生性を確保すること」、「微粉を出さないこと」などが宇宙食の条件として挙げられています。一方で近い将来における宇宙環境での長期滞在を考慮すると、食糧の自給自足は重要な要素であり、限られた条件の中で、消費カロリーや栄養素を確保する方法を検討していく必要があります。
また、宇宙空間において食は生命維持や健康維持以外に、コミュニケーションの機会やリラックスした時間を提供する効果があり、モチベーションの向上や精神状態の安定にも大きな役割を果たすことが考えられます。実際に国際宇宙ステーションでは、宇宙飛行士が好きな食事を選択できる「ボーナス食制度」も採用されており、日本人は日本食などそれぞれの好みが反映される形になっています。狭くストレスを感じやすい極限環境において、食事の満足度向上は大きな意味を持っています。
宇宙空間で求められる栄養素は何なのでしょうか。無重力の宇宙環境では筋力と骨強度が低下するため宇宙飛行士は1日2~3時間の運動、健康のための栄養摂取、さらに1日2,700~3,700カロリーの摂取を求められます。医療機関へのアクセスが無い宇宙では各栄養素(糖質、タンパク質、脂質、ビタミン、ミネラル)をバランスよく摂取することが求められます。
宇宙空間で安全かつバランスの取れた新鮮な食材を食べられるように、NASAは長期滞在における植物栽培システムの開発を行っています。例えば、NASAの科学者はHydroponic(水耕栽培)、Aquaponic(水耕栽培に魚要素を加えたシステム)、Aeroponic(噴霧水栽培)の技術を用いて宇宙環境での植物栽培を目指しています。実際にNASAと欧州宇宙機関(ESA)は植物栽培システムの実用検証も行っており、2016年には国際宇宙ステーションで栄養価の高いロメインレタスの栽培に成功しています。一方で宇宙環境における生物の畜産は困難であるため、動物性の食に対する注目度は比較的低いです。しかし、動物性たんぱく質も他の栄養素と同様に宇宙長期滞在において人間が健康で安定した生活を行うのに不可欠な栄養素であるため、宇宙空間における動物性たんぱく質の供給は大きな課題となっています。
地球から月までの距離は38万キロ、地球から火星までは平均2億2,500万キロであり、ロケットで260日間飛行してようやく到着します。単純計算で火星への往復飛行は最短でも1年半程度を要し、期間分の食料と水分をロケットに積むことが必要となります。ロケット打ち上げ費用は重さで異なり、軽量化は宇宙業界の長年の課題でした。2018年にSpaceXが低軌道に打ち上げた SpaceX Falcon 9は劇的な技術により、2000年ごろまで1キロ当たり18,500ドル程度かかっていた費用を2,720ドルまで抑えることに成功しました※1。ただ、火星まで到達する燃料を積む必要があるロケットの打ち上げは、ロケット本体の重量を軽くする必要があります。そのため、畜産システムに必要な膨大な量の食料や水分を地球から運ぶことは物理的また財政的に困難です。
地球上の畜産を宇宙(火星を推定)で展開するには多数の物理的な4つの問題があります。1つ目は地表付近の空気成分比率です。地球上の酸素濃度率21%、二酸化炭素濃度率0.04%に対して火星上では酸素濃度率が0.17%、二酸化炭素濃度率が95%であり人間が生活できる環境ではありません。2つ目は平均温度です。火星は太陽から遠いため太陽から受けるエネルギー量は地球の半分程度であることから、平均表面温度はマイナス63度と地球と比べて非常に寒いです。3つ目は生命に必要な水です。氷常態では存在するものの液体状の水の存在は火星では未確認で、発見されたとしても希少な存在となるでしょう。4つ目は気圧です。人間が生存するには気圧が低すぎるため宇宙服の着用が必須とされます。
火星の過酷な環境では人間の生活と畜産は限られた空間の施設内で行うことが求められます。一般的に消費される動物性たんぱく質(牛、豚、鶏、魚)は土地とスペースを要するため宇宙における生産には適していないことが明らかです。
また、過酷な環境下で食材を生産するだけでなく、生ごみや排泄物も再利用する完全な循環システムの構築も課題の1つとして存在します。排出物を宇宙空間へ放出したり地面へ埋めたりすることは、スペースデブリ(宇宙ゴミ)となって人工衛星を破壊する可能性や、埋めるのための機器が必要となるため、現実的ではありません。よって、余った食材や生活排尿、二酸化炭素などを含めたサステナブルな宇宙生活の構築が不可欠です。これらを実現するためには、さまざまな技術の掛け合わせが必要となります。
解決策の1つ目として挙げられるのが昆虫(昆虫食の代表的なコオロギと蚕を例とする)であり、多くの点で魅力的です。まず昆虫の体の68%は動物性たんぱく質が占めており(鶏は21%)ビタミンB12、鉄分、カルシウム、食物繊維、プレバイオティクスも豊富です。昆虫はこの栄養素を少ない水分と餌で生産することが可能であり、牛肉と比較するとコオロギは0.05%の水分量と16%の餌量のみで、牛肉と同じタンパク質量の生産が可能です。さらに限られたスペースでの生産に適していて垂直農法のように縦積みの生産が可能です。一定面積から生産されるタンパク質量が多いため、エコシステムの構築にも重要な役割を果たすと考えられています。
北京航空航天大学の研究によると、栄養価が高く中国では食料として用いられる蚕の幼虫(桑だけを餌とする)に対して味覚受容体遺伝子変異を行うと、桑以外のさまざまな植物を食べるようになると発表されました。人間には不要となる植物を食べるため、蚕の幼虫はエコシステムの一員として期待されています。またコオロギは雑食のため人間が不要とする固い茎などの植物部分、または食べ残しを餌に用いることが可能であり排出物の減少に繋がります。人間は昆虫の体の80%(牛は40%)を食べることが可能で、昆虫の排出物も植物栽培の肥料に活用できることから無駄な廃棄物が非常に少ないと推察されます。
昆虫食の課題はビジュアルです。現代先進国の食卓から昆虫は姿を消していますが国際連合によると世界中の80%の国(人口20億人)が日常的に昆虫を食べているといいます。欧米ではビジュアルの問題を無くすために昆虫を粉末状にしてサプリメント感覚で提供する企業が増えています。昆虫食に慣れていない人は宇宙環境でも粉末やサプリメントで摂取するのが好ましいでしょう。
解決策の2つ目として挙げられるのが3Dプリンターによる食べものの出力です。3Dプリント技術とインクジェット技術を使い、乾燥した軽い状態のタンパク質や脂肪などの主要栄養素や香料などを原料とし、さまざまな形状・食感の食べものを出力します。これにより、宇宙で食べものを出力することが可能となります。今までは宇宙空間に輸送しやすいインスタント形状であることが重要視されていた宇宙食ですが、何を食べたいかといった基準で宇宙食を考えることが可能となり食事の満足度向上につながるでしょう。
また、3Dプリントによる肉の出力研究が進められており、米やエンドウ豆のタンパク質粉末と海藻の成分を使用した肉(食肉代替物)がカタルーニャ工科大学とイタリア人研究者のジュゼッペ・シオンティ氏によって開発されました。すでに数分で肉を出力することが可能であり、国際宇宙ステーションでの実験も成功しています。今後は出力される肉の量やコスト、味の改良が進められる予定です。なお、食肉代替物というワードに違和感を覚える人も少なくないと思われますが、近年、植物由来の人口肉を製造・開発する食品会社や肉を一切使わない植物性合成肉を使用したハンバーガーショップなどが成功を収めており、3Dプリント製の食肉代替物が肉の代わりになりうる事を証明しました。SDGsへの意識の高まりから代替肉市場は2029年には15兆円の市場規模に成長すると推測されています※2。
2013年に国際連合が「将来の人口増加に伴う食糧危機に昆虫食を推奨する」という200ページのレポートを公開したことから欧米では昆虫食商品(人間食用、魚産業の餌、家畜の餌、ペットフード、サプリメント)の販売を始めた企業やベンチャーが急増しています。現在150億円市場規模の昆虫食業界は年平均成長率が45%と推定されており2025年には1,500億円規模に到達する想定です※3。昆虫食業界の一番の課題は生産コストであるため、オンラインチャンネルを利用した販売または、スーパーチェーンとのコラボレーション企画も増えています。
昆虫食は社会課題解決に直接的に関連しているため、大手企業も関与しやすいセグメントとなっています。昆虫食の消費は国を問わず、宇宙で摂取する潜在性もあるため新規ビジネスまたは投資の機会が大いにあるのではないでしょうか。日本ではベンチャー企業が昆虫食商品や昆虫を用いた有機廃棄物処理などのビジネスを展開しており投資する企業も増加しています。2019年には宇宙食マーケット創出を目指す「Space Food X(スペースフードエックス)」プログラムが始動しており、宇宙移住の食料課題と地球上の食料課題の解決を目指す30社以上が参画するイニシアチブが構築されました。
3Dプリンターの改良が進むことで、個別化された食の実現が可能であると考えられます。例えば、それぞれの好みの味や食感、必要な栄養素などをデータ化し、出力する食べものに反映することや、体調や気分に応じ、変化をもたらすことも可能かもしれません。宇宙という限られたリソースしか持ち込めない空間で、自分が食べたい個別化された食べものの提供は、宇宙生活者に対して精神的にも大きなメリットを与えることが期待されます。
またプロ料理人の味をデータ化し、宇宙で再現するといった取り組みも考えられます。実際に、地球では東京でつくった寿司をデータ化し、米国で出力するといった取り組みがなされています。3Dプリント専門のフードレストランも存在することから、実現できる可能性は高いです。これらの取り組みが一般化されれば、データビジネスとして成り立たせることも十分考えられます。
さらには、人口増大による食糧不足を危惧し、3Dプリンターと昆虫食とのコラボレーションも進められています。栄養素の豊富さや生産の容易さから、昆虫は3Dプリントによる料理の原料としても期待されており、英国では昆虫食のための3Dプリンターも開発されています。個人データの活用により個別化された食事を、プロ料理人の味で、VRの利用により好きなシチュエーションで楽しむ、というようにテクノロジーの掛け算により実現できることの幅は広いです。これらの技術が確立されることで、月に1,000人が移住した際も地球と変わらない食事を楽しむことが可能かもしれません。
近い将来、スペースミッションの長期化または宇宙滞在が予測されていて、宇宙環境の中でも生産可能な栄養素と満足度の高い食事が求められます。動物性たんぱく質の生産を宇宙環境で行うには課題がある中、今回は昆虫食と3Dプリンターを解決策として挙げました。昆虫食と3Dプリンターセグメントは参入企業が少なく新規ビジネスチャンスが存在します。さらに宇宙環境へ応用すると課題が増える事から多様な業界からの参入が必要であり、個々の能力を合わせたコラボレーションビジネスになることが想定されます。
※1:NASA Ames Research Center, 2018. “The Recent Large Reduction in Space Launch Cost”.[English][PDF 296KB]
※2:Barclays Bank, 2019, “Insights: Carving up the alternative meat market”
※3:Markets and Markets, 2019, “Insect Protein Market by Insect Type, Region – Global Forecast to 2025”