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エネルギー面から見た中東情勢の地殻変動(2023年11月)

  • 2023-12-08

要点

  • 2023年10月7日のハマスによるイスラエルの奇襲攻撃で始まった中東情勢の不安定化により、原油価格の先行きに不透明感が増している。しかし、1973年の第4次中東戦争によって引き起こされた石油危機の時とは現在の原油市場を取り巻く構造は変化しており、今回のイスラエル・ハマス衝突では、イスラエル・イランの軍事衝突にまで発展しない限り、原油価格は比較的安定的に推移すると見られる。
  • 今回の衝突は、世界の脱炭素化加速とシェール革命による米外交の変化という中東情勢の底流を流れるエネルギー面の地殻変動の中で発生した。石油需要の頭打ちが見える中、中東産油国は脱石油の産業多角化を目指し、水素・アンモニアなどクリーンエネルギーへの投資を加速させている。一方、シェール革命でエネルギー自給国・輸出国となった米国は、エネルギー面での中東依存は希薄になったが、テクノロジー・防衛協力などを梃子にイスラエルとアラブ諸国の一部との国交正常化を実現させつつあった。今回のハマスによる攻撃で、こうした動きは一旦凍結となったものの、サウジアラビアなど中東産油国が脱石油の産業構造を目指している潮流に変わりはない。
  • 石油輸入の95%を中東に依存する日本は、脱炭素技術を21世紀の日本の戦略資源と位置付け、自国のエネルギー自給率を高めて行くと共に、アラブ諸国のグリーントランスフォーメーションや産業多角化を積極的に支援していくことが重要になる。同時に、中東地域の緊張緩和に向けて、アラブ諸国とイスラエル・米国の「橋渡し」を意識し、双方のパイプを戦略的に構築・維持し、独自のイニシアチブを発揮する外交努力を強化していく必要がある。

構成

1.1973年石油危機と今回の中東危機の構造的違い 
2.近年の中東情勢の底流を流れるエネルギー面の地殻変動
(1)減少する石油需要予測 
(2)エネルギー移行における中東産油国のリスクとチャンス
(3)シェール革命後の米国のエネルギー・中東政策の変化
(4)アブラハム合意とイスラエル・サウジアラビア国交正常化交渉の今後
3.中東への石油依存度95%の日本がすべきこと

はじめに

2023年10月7日のイスラム組織ハマスによるイスラエルの奇襲攻撃で始まった中東情勢の不安定化は、世界の石油市場にとって、ロシアによる2022年2月のウクライナ侵攻以来の重大な地政学リスクをもたらしている。世界トップクラスの石油・ガス生産国であるロシアと異なり、イスラエルそのもののエネルギー生産量は乏しい。しかし、戦闘が中東の主要エネルギー生産国に飛び火し、石油・ガスの供給や価格の高騰を招くことが懸念される。

今回の武力衝突の行方と影響を見通すポイントとして、「ハマスのイスラエル奇襲に関するイランの関与」「イスラエルの軍事攻撃によるパレスチナ一般市民の犠牲者の増大」「イスラエルとイランの武力衝突への戦線拡大可能性」「情報戦と国際世論形成力」「ネタニヤフ政権に対するイスラエル国民および国際社会の支持」など、多くの注目点があるが、本稿では今後の中東情勢を見通すために、現在の中東情勢の底流を流れるエネルギー面を中心としたメガトレンドから分析を行う。

1. 1973年石油危機と今回の中東危機の構造的違い

分析を進めるにあたり、ます足元の動向・経緯を確認しておく。今回2023年10月のハマスによる攻撃後のブレント価格は攻撃前日10月6日の1バレル=82ドルから、最高値でも10月19日の1バレル=91ドルで、上昇幅は現時点(2023年11月7日)では最大でも9%にとどまっている(図表1参照)。

一方、1973 年の第4次中東戦争の際は、サウジアラビアなど湾岸産油国が原油価格を約70%引き上げるとともに、翌日17日には敵対するイスラエルを支援する国々への輸出制限を打ち出したことから、原油価格は最終的に約4倍にまで跳ね上がり、石油危機を引き起こした。

図表1 ブレント原油価格の推移(1970年5月~2023年11月7日)

今回の事態は、ユダヤ教の神聖な日「ヨム・キプール(贖罪の日)」に合わせた奇襲攻撃だった点では、1973年10月の第4次中東戦争と共通している。しかし、今回の衝突では主に次の点が異なる。

① 原油禁輸に対するアラブ諸国内の結束

1973年の第4次中東戦争は、シナイ半島の奪取を目指すエジプトとイスラエルによるイスラエルへの奇襲攻撃で始まり、アラブ諸国側は親欧米のパフラビー朝独裁下のイランを除き、結束していた。主要なアラブの産油国が協調して石油を禁輸することで、イスラエルとイスラエルを支援する国々に圧力を掛け、原油価格の高騰を招いた(図表2参照)。

一方、2023年の今回の危機では、ハマスを長年支援してきた反イスラエル・反米の急先鋒であるイラン(1979年のイラン革命でパフラビー朝を打倒)は原油の禁輸を主張するものの、サウジアラビアやUAEなど他のアラブ産油国はイランの呼び掛けに応じる様子は見られない。世界最大の原油余剰生産能力がありOPECプラスのリーダーとして原油供給の調整役を担うサウジアラビアには10月時点で、世界需要の約3%に相当する日量300万バレルの余剰生産能力がある。サウジアラビア産石油の最大の輸出先となっている中国も中東情勢緊迫による原油価格の急騰は望んでいない様子である(図表3参照)。

② メジャーの独占的地位の低下

50年前は「セブン・シスターズ」(欧米の大手石油会社7社)が中東など世界の主要石油資源の大部分を掌握し、世界の原油市場はその強い支配下にあった。しかし、その後の資源保有国における資源ナショナリズムの高まりとともに、産油国の事業参加や国有化が進められ、メジャーの独占的地位も次第に低下していった。今日では巨大なスポット(随時取引)市場も存在し、石油メジャーの価格決定力はかつてほど強くはない。一部の民間石油販売者(トレーダーや供給余剰のある企業)が買いだめに走る可能性はあるものの、供給面での脅威は1970年代のパニック買いを引き起こすほど深刻ではないように見える。

③ 戦略石油備蓄の存在

OECD諸国の政府によって管理されている石油在庫が、ロシアによるウクライナ侵攻後を機に、過去2年は米国の戦略備蓄3億バレル放出をはじめ大幅に減っているとはいえ、なお推定12億バレルほどある。今回の紛争による長期的な影響は不透明な面があるものの、戦闘がイスラエルとイランの軍事衝突にまで拡大しない限り、石油価格と世界経済への短期的な脅威はそれほど大きなものではないと考えられる。

④ 世界的な石油需要の減少見通し

50年前と異なり、近年は世界的な脱炭素潮流の中、石油需要の減少見通しが強まっていた。そのため、脱石油依存に向けた産業多角化や防衛力強化の観点から、米国の仲介を通じた「アブラハム合意」などイスラエルとアラブ諸国の一部が国交を正常化する動きが台頭し、イスラエルとアラブ諸国の距離感に変化が生じている。

⑤ 米国の中東関与へのインセンティブ 

50年前の米国は中東産の石油輸入に依存していたが、シェール革命を経て現在はエネルギー自給国・輸出国となり、中東に関与するインセンティブが異なる。特にオバマ政権以降、「世界の警察官」としての役割を米国が躊躇する傾向が強まる中、米国が中東紛争に関与し、ホルムズ海峡などを米海軍が防衛する目的としては、米国自身のエネルギー安全保障というよりも、世界的なエネルギー価格高騰による世界・同盟国の経済混乱の回避、イスラエルやサウジアラビアなど米国と「特別な関係」を持つ国々の防衛、テロ・ネットワークの撲滅といった側面が強まっている。

図表2 第4次中東戦争と第一次石油危機(1973年)の関係図
図表3 イスラエル・ハマス衝突(2023年)の関係図

2. 中東情勢の底流を流れるエネルギー面の地殻変動

今後の中東情勢を見通すために、今回のイスラエル・ハマス衝突前から起こっていたエネルギー面を中心とした中東情勢の底流を流れる地殻変動と注目点を、以下では分析する。 

(1)脱炭素加速と早まる世界の石油需要減少予測

イスラエルとイスラム組織ハマスとの戦闘で中東情勢が混沌とする最中の10月24日、国際エネルギー機関(IEA)は「世界エネルギー見通し(World Energy Outlook:WEO 2023)」を発表し、世界の石油需要が「2030年より前にピークを迎える」との見通しを示した。世界的な電気自動車(EV)の普及や再生可能エネルギーの導入、中国での脱炭素化が加速しているとし、IEAはロシアのウクライナ侵攻を契機とする「世界的なエネルギー危機の遺産は、化石燃料の時代の終わりの始まりを告げる」と強調している。

エネルギー安全保障の観点から、化石燃料の輸入国が脱炭素を加速させる中、IEAによると再生可能エネルギーなどクリーンエネルギーへの投資は2020年以降、2023年までに4割増加。特に太陽光発電には1日に10億ドル以上が投資されているという。

また、BPが今年1月に発表した最新予測(BP Energy Outlook 2023)では、ロシアがウクライナで始めた戦争は、石油・天然ガス離れを加速させ、世界の石油需要がさらに急減すると予想している。気候関連目標について最も控えめなシナリオ(New Momentum)でも、2050年までの世界石油需要はなお日量7,300万バレル前後で、2019年の水準を25%下回る水準となっている(図表4参照)。

図表4 世界の石油需要予測

一方、これらの予測に反論する形で、OPECは今年10月、長期の需要予想を大幅に引き上げ、「2045年には2022年に比べ約1,600万バレル増えて日量1億1,600万バレルに達し、さらに増える可能性がある」と予想している。

IEA、BP、OPECの予想のどれが正しいか、答えが出るまでには長い時間がかかるが、一つ言えるのは2022年2月のウクライナ危機以降、ロシアからの石油・ガス輸入がリスク要因となり、世界で脱炭素の動きが加速している点である。さらに、今回の中東情勢の緊迫は石油市場に混乱をもたらし、特に日本のようにほぼ100%の石油供給を中東やロシアなど海外に依存する国にとって、地政学リスクが高まる中でエネルギー安全保障をいかに確保するかは喫緊の課題である。また、世界的な脱化石燃料化の進行で、長期的には石油収入に依存できなくなる主要産油国にとっても、石油に替わる新たな成長産業を育成することは重要課題となっている。

(2)エネルギー移行における中東産油国のリスクとチャンス

20世紀は「石油の世紀」と呼ばれたが、中東は世界の石油供給基地として長年にわたり重要な役割を果たしてきている。石油は、今でも世界の一次エネルギー消費の約3割を占める最大のエネルギー源である。過去半世紀を振り返ると、1973年の第4次中東戦争、1979年のイラン革命、1990年のイラクによるクウェート侵攻、2003年のイラク戦争など、中東産油国を巻き込む戦争や革命が相次ぎ、石油の供給不安と価格高騰によって、日本を含む世界経済に大きな影響を与えてきた。

一方で、その中東産油国は現在、世界的な脱炭素潮流の中で大きな転換期に立たされている。石油は、100年以上にわたって自動車エンジンの動力源となってきたが、21世紀においては、EVでは電力、燃料電池車(FCV)では水素が動力源の役割を果たすことになる。すでに中国は、EVをはじめとする低炭素技術の導入で世界の先頭を走っており、石油需要の頭打ちは時間の問題と見られる。

中東産油国では、化石燃料からの収入が国の経済を左右する。輸出額に占める石油・天然ガスの割合は日本エネルギー経済研究所・中東センター等によると、2018年実績でサウジアラビアで77%、UAEで74%、オマーンで75%、カタール94%、クウェートで91%、バーレーンで53%であり、国家収入に占める割合は、サウジアラビアで68%、UAEで36%、オマーンで78%、カタール83%、クウェートで90%、バーレーンで82%となっている。このため、中東産油国は原油価格を高値で安定させるため、OPEC、近年はサウジアラビアとロシアが協調して「OPECプラス」による需給調整に取り組んできた。2022年のロシアによるウクライナ侵攻は、中東産油国にとっては足元では高価格による思いがけない原油収入の急増となった。

しかし、原油高によるガソリンや軽油価格の高騰は、EVなどクリーン自動車の普及を早め、中長期的には石油消費を抑制するリスク要因になる。そのため、エネルギー移行による石油・ガス収入が低迷するリスクを最小化するためにも、中東産油国は石油・ガス輸出に代わる新たな産業の育成に取り組む必要に迫られている。

水素製造に適した中東の地理的スポット

幸いなことに、中東地域は砂漠地帯が多く、日射量も豊富なことから、大規模な太陽光発電や風力発電に適した地域だ。また、太陽光発電と風力発電のコストも低下している。国際再生可能エネルギー機関(IRENA)によると、2010年から2022年の間に、太陽光発電による世界の加重平均発電原価は、89%低下して0.049米ドル/kWhとなり、世界的に最も安価な化石燃料のほぼ3分の1の低価格となった。陸上風力発電の場合、69%低下して2022年に0.033米ドル/kWhとなって、2022年の最も安価な化石燃料発電オプションの半分よりも低価格となっている。これら再生可能エネルギーの条件が優れた中東地域に水素の電解槽を建設することは、水素のエンドユーザーへの輸送コストを考慮したとしても、低コストのグリーン水素・アンモニアの供給オプションとなる(図表5参照)。さらに、中東湾岸地域には原油の生産設備、製油所、天然ガス・LNGの生産や輸出関連設備、周辺のインフラが整備されており、天然ガスとCCS(二酸化炭素回収・貯留技術)を活用したブルー水素・アンモニアの供給源としても高い競争力を有している。

エネルギー移行に伴うリスクをチャンスに転じるため、中東産油国は地理的な優位性や石油・ガスのインフラを生かしてクリーンエネルギー開発に本腰を入れ始めている。以下、その取り組みに意欲的なサウジアラビアとUAEの動きを紹介する。

図表5 太陽光発電と陸上風力のハイブリッド・システムによる長期的な水素製造コスト

サウジアラビア

サウジアラビアの国政全般を司るムハンマド皇太子は、経済・財政における石油依存からの脱却を目指し、2016年には経済改革構想「ビジョン2030」を発表。2030年までの目標として「石油を除いたGDPにおける非石油製品の輸出の割合を16%から50%に上げる」との目標を掲げている。そのためにまず取り組んだのが、2019年11月の国営石油会社・サウジアラムコの株式上場で、国内の証券取引所に新規上場した際は当時の時価総額で世界最大の約1兆8,770億ドル(当時のレートで約200兆円)をつけた。この石油会社の株売却で得た資金で投資事業を行い、石油以外の収益を模索している。

そして、2022年3月には、「サウジ・グリーンイニシアチブ(SGI:Saudi Green Initiative)」と「中東グリーンイニシアチブ(MGI: Middle East Green Initiative)」を立ち上げた。SGIでは、脱炭素化に向けた具体策として、今後数十年でサウジアラビア国内に100億本の植樹を行い、2030年までに電力の50%を自然エネルギーで賄うとの目標を掲げた。炭素回収技術や再エネ開発にも取り組み、サウジアラビアは再生可能エネルギーの産出先進国を目指している。

2023年の1月には2030年までに再生可能エネルギーで電力容量の50%を達成するため、今後再生可能エネルギーと送電網の整備に2,660億ドルを投資すると発表。JOGMEC(エネルギー・金属鉱物資源機構)によると、さらに次の方針も打ち出している。

  • 水素を使ったグリーン製品の生産(アルミ精錬・製鉄・肥料等を対象)
  • 世界最大の水素輸出国を目指す
  • 全ての新設火力発電所はCCS設備を備える
  • 石油・天然ガスの供給増、主要ガス供給網の倍増、ケミカルシフト

水素・アンモニア事業に関しては、アブドルアジズ・エネルギー大臣は、2030年までに年間400万トン前後の水素製造・輸出を行うと述べている。すでに2022年4月に建設が始まったサウジアラビア北西端に位置する最先端技術を集めたスマートシティ「NEOM(ネオム)」では、日量650トン(年間約24万トン)のグリーン水素をベースに、年間120万トンのアンモニア製造が2026年から開始される予定で、世界最大級のグリーン水素・アンモニア燃料の製造施設となる。

このように、サウジアラビアでは、NEOMなどの西部地域はグリーン水素、東部地域の油・ガス田はブルー水素の製造に適した地域だと考えられている。具体的には、200兆立方フィートの埋蔵量を持つとされるジャフーラのシェールガス田がブルー水素の製造に使われると見られている。目標の400万トンの多くはブルー水素が担うことになると見られる。

さらに、世界最大の保有原油埋蔵量、原油生産量、原油輸出量を誇る国営石油会社サウジアラムコも、「2030年までに年1,100万トンのブルーアンモニアの生産」「2035年までに12GWに相当する再生可能エネルギーへの投資」といった高い目標を掲げている。そういった動きの中で特に顕著なのは国内外での石油化学事業の拡大である。特に中国を今後の重要な事業拠点・市場と位置づけており、中国企業との事業提携、中国国内での石油化学事業への投資など積極的な動きが目立つ。

アラブ首長国連邦(UAE)

UAEは2021年10月、英国グラスゴーでのCOP26(国連気候変動枠組条約第26回締約国会議)に向け、他の湾岸産油国に先駆けて2050年ネットゼロの達成を誓約し、湾岸産油国におけるエネルギートランジションへの対応で先頭を走っている。例えば、JOGMEC等によると、以下のような政府の方針を矢継ぎ早に打ち出している。

  • 2050年までにクリーンエネルギーに1,630億ドルの投資を行う
  • 電力ミックスのうち50%を2050年までに再生可能・原子力エネルギーで賄う
  • 水素については、インド、日本、韓国、ドイツといった世界の主要な市場で25%のシェア獲得を目指す
  • 7つの戦略的水素プロジェクトを立ち上げ、2050年までに年間1,400~2,200万トンのクリーン水素生産を目指す(「国家水素戦略」(2023年7月に閣議決定)では、2031年までに年間140万トンの水素製造を目指す)

UAEは、国際再生エネルギー機関(IRENA)の本部をアブダビに誘致するなど、気候変動対策に関して積極的な活動を行っている。また、2023年11月下旬にUAEドバイで開催されるCOP28の議長を務めるスルターン・アル・ジャーベルUAE産業・先端技術大臣は、スローガンや宣言だけではない、具体的行動を伴うCOPとすることを強調。COPが東西南北の対立を助長する場ではなく、団結の場であるべきとし、そのためにUAEは互いの結びつきを助ける役割を果たすとしている。

UAEが進めるこれらのグリーン政策について、アブダビ国営石油会社(ADNOC)や再エネ大手マスダールなどの同国企業が具体的なプロジェクトを進めている。マスダールは「国家水素戦略」で2031年までの水素製造目標とされた年間140万トンのうち、グリーン水素を100万トン、ブルー水素を40万トン生産することを目指している。

(3)シェール革命後の米国のエネルギー・中東政策の変化

米国ではテキサス州の石油エンジニア、ジョージ・ミッチェル氏が開発した水圧破砕(フラッキング)や水平掘削という革新的な石油ガス掘削技術により、2000年代後半にシェール革命が起こり、2010年代に米国内での原油・天然ガスの生産が急増した。今や米国はサウジアラビアやロシアを上回る世界一の原油・天然ガスの生産国となり、純輸出国となっている(図表6参照)。

つまり、原油・天然ガスの輸入という点では、米国は中東に依存する必要性が希薄になった。この点は、オバマ政権以降の米国のエネルギー政策と中東政策に次のように影響を与えている。

図表6 トップ5の原油生産国の推移(1980年~2022年)

オバマ政権とトランプ政権のエネルギー・中東政策

リーマンショック直後の2009年1月に発足したオバマ政権は当初、グリーンニューディールという再生可能エネルギー振興を重視した雇用創出・景気対策を打ち出したが、思いのほか米国内でのシェール革命が進行したため、雇用創出・景気面からも石油ガス増産を容認する。2015年には第一次石油危機後のエネルギー不足を理由に設定された米国産原油の輸出禁止措置を40年ぶりに撤廃。一方で、地球温暖化の国際協定「パリ協定」に署名するなど、石油ガスも再生可能エネルギーも両方重視という「All of the Above」エネルギー政策を展開した。

外交面ではイラクやアフガニスタン等に駐留する米兵の撤退を始め、アジア・ピボットやアジアへのリバランシングといったアジア重視の外交政策へシフトする。そして、イランの核開発の脅威については、イランがウラン濃縮活動などの核開発を制限すれば、米欧は見返りにイランに対する経済制裁を解除するという包括的共同作業計画(JCPOA)を米国、英国、フランス、ドイツ、ロシア、中国の6カ国とイランの間で2015年に合意した。こうしてイラン産原油が世界の原油市場に流出していく。

これに対し、2017年1月に発足したトランプ政権は、イランと敵対するイスラエルやサウジアラビアが懸念・反発するイラン核合意(JCPOA)については、「合意がイランの核武装の道を完全に塞いだわけではない」と批判して離脱。イランへは最大限の圧力を掛け、「イラン産原油ゼロ」を目指す経済制裁を復活させた。「アメリカ第一」という原則の下、イラクやアフガニスタンの駐留米兵の撤退を継続するものの、トランプ大統領はサウジアラビアとの間で米国製武器売却といった大型商談を成立させ、イスラエルのネタニヤフ首相ともユダヤ系で娘婿のクシュナー大統領上級顧問を通じて関係を強化する。そして、米国内のイスラエル・ロビーや支持基盤の福音派の影響もあり、イスラエルの米大使館をテルアビブから聖地エルサレムへ移転し、アブラハム合意(イスラエルとUAE・バーレーン等との国交正常化)の仲介を果たす。

エネルギー政策面では、トランプ大統領はパリ協定からの離脱を就任初日に表明。米国内での化石燃料増産を最重視し、自国や同盟・友好国に安定かつ安価なエネルギーを供給するという「エネルギー支配」という方針を打ち出した。

バイデン政権以降のエネルギー・中東政策

2021年1月に発足したバイデン政権は、トランプ政権の化石燃料重視を反転させ、パリ協定への復帰を表明する。そして、ホワイトハウスと議会上下両院多数派を民主党が占めるトリプル・ブルーという稀なワシントンの権力構造の下、政府に強力な脱炭素支援となる「インフレ抑制法(IRA)」を2022年に成立させた。IRAには、脱炭素分野への10年にわたる3,690億ドルもの巨額な財政拠出が盛り込まれた。

中東政策の面では、ワシントン・ポストにサウジアラビアに批判的な論説を寄稿していたジャーナリストのジャマル・カショギ氏殺害を巡り、人権外交を重視するバイデン政権とサウジアラビアの関係は冷却。しかし、2022年2月のウクライナ・ロシア戦争勃発で高騰する原油・ガソリン価格を抑制するために、バイデン政権はサウジアラビアに原油増産を要請する。これに対し、サウジアラビアは増産には応じず、バイデン政権よりも、石油の大口顧客である中国との関係を強化する。こうした中、中国の仲介でサウジアラビアとイランの国交正常化合意が2023年3月に発表された。米国の頭越しで中国の仲介で両国の関係正常化の合意が実現したことで、中東における米国の存在感低下が浮き彫りとなった。

一方、バイデン政権は米サウジアラビア防衛条約の締結可能性や原子力の民生利用支援、イスラエルからサウジアラビアへのテクノロジー支援等を梃子にイスラエルとサウジアラビアの国交正常化交渉を仲介し、その実現可能性が高まっていた。しかし、今回のハマス・イスラエル衝突で凍結することとなった。

バイデン大統領はオバマ政権の中東外交の成果であるイラン核合意(JCPOA)の復活を目指すも、イランによるロシアへのドローン提供等により停滞。米国の対イラン制裁をかいくぐったイラン産原油の輸出は黙認してきたが、今回のハマス・イスラエル戦闘がハマスを支援してきたイランにも飛び火した場合、イランが世界の原油需要の約5分の1にあたる日量2,000万バレル以上の石油が通過するチョークポイントのホルムズ海峡を封鎖するリスクが高まり、世界や日本への経済的影響も甚大になる。

バイデン大統領の支持率低迷が続く中、2024年の米大統領選・議会選で再びトランプ氏や対イラン強硬派議員が台頭してきた場合、ロシア・ウクライナ戦争への米政府の財政支援削減動向とともに、現在の中東情勢の緊迫度が一層増していくのか、収束に向かうのか、注視する必要がある。

ペトロダラー体制を通じた米主導の経済制裁の有用性

前述の通り、オバマ政権以降の米国は「世界の警察官」として海外の紛争現場に米兵を送ることを躊躇する傾向が強まっている一方で、外交ツールとしての経済制裁を多用する場面が増えている。イラン、ロシア、ベネズエラなどに対する米国の経済制裁が、特にエネルギー市場において強力な威力を発揮する背景には、石油の取引を基軸通貨・米ドルのみで行う「ペトロダラー体制」が関係している。1973年の石油危機後、当時の米政府はサウジアラビアに原油価格の引き上げを認める一方、石油取引は米ドルで行うよう求め、ペトロダラー体制が生まれた。今日、米ニューヨーク商業取引所で取引される「WTI」、欧州産の「北海ブレント」や中東産の「ドバイ」も価格はすべて米ドル建てで、それが原油の売買を米ドルで行う理由の一つになっている。

しかし、近年は中国やロシアなどが米ドル基軸通貨体制に異議を唱え、「脱米ドル支配」の動きを強めている。中国は人民元建ての原油の先物市場を上海に作り、石油・天然ガスの代金を米ドルで受け取ることが多かったロシアも、米主導の制裁強化を機に人民元決済やルーブル決済を増やそうとしている。

今後、中東における米国のプレゼンス低下が加速した場合、中国やロシアのほか、中東諸国の一部まで米ドル離れを加速させていくのか、注視する必要がある。

(4)アブラハム合意とイスラエル・サウジアラビア国交正常化交渉の今後

世界的な脱炭素化の潮流の中、近年は前述の通り、湾岸協力機構(GCC)諸国とイスラエルとの関係強化が公式・非公式で強められつつあった。その象徴が2020年9月に当時のトランプ大統領の強力な後押しの下、イスラエルがアラブのUAE、バーレーン、モロッコ、スーダンと相次いで国交正常化に合意した「アブラハム合意」である。名称の由来は、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の共通の祖であるアブラハムにちなむとされる。

ハマスによる10月7日の奇襲の背景には、イスラム教徒の同胞である中東諸国が、パレスチナ問題への関心を低下させ、パレスチナを置き去りにし、イスラエルとの和解が進むことへの焦りもあったとされる。

ハマスの思惑通り、サウジアラビアはイスラエルとの国交正常化交渉を停止し、アブラハム合意で国交を樹立したUAEも即時停戦を訴えるなど、イスラエルへの批判を強めている。ただ、イスラエルは最先端の軍事産業やITなどのハイテク分野を中心に経済的な強みを持ち、米国からの防衛・技術支援を含め、中東産油国にとっての国交正常化のメリットは燻っている。世界的な脱炭素潮流が中東産油国に原油依存リスクと産業多角化のチャンスをもたらす中、パレスチナ問題を置き去りにせずに、イスラエルとアラブ諸国の関係正常化を進められるか、国際社会の知恵が改めて問われている。

3. 中東への石油依存度95%の日本がすべきこと

最後に、世界の脱炭素化加速とシェール革命による米外交の変化という中東を取り巻く上記の地殻変動を踏まえ、日本のエネルギー安全保障を確保する上での考察と提案を行いたい。

地政学リスクに非常に脆弱な日本のエネルギー安全保障

まず大前提として、日本の一次エネルギー自給率は11.3%で、OECD諸国38カ国中で37位と非常に低い(図表7参照)。経済・社会生活の基盤であるエネルギー源の88.7%を海外に依存する日本は、エネルギー安全保障上の地政学リスクに大きく左右される。

特に、石油のほぼ100%を海外に依存し、中東への石油依存度は2022年度には95.2%まで上昇している。そのため、現在のイスラエル・ハマス衝突がイランとの戦闘にまで拡大し、中東地域全体が不安定化すれば日本への影響は甚大である。日本は冷戦終焉後、中東以外からの石油調達先としてロシアの石油ガス開発へ投資を加速させたが、2022年のロシア・ウクライナ戦争後、ロシアからの石油輸入を増やすこともできない。石油調達先の多様化は足元では困難な状況にある(図表8参照)。さらに、2011年の東日本大震災以降、原子力発電所の稼働停止に追い込まれたため、日本の一次エネルギー供給に占める化石燃料(石油・天然ガス・石炭)依存度は、2010年の82.7%から2021年には87.0%へと上昇している。中東やロシアなどの地政学リスクの影響を受けやすい日本のエネルギー安全保障は極めて脆弱である。

図表7 OECD主要国の一次エネルギー自給率比較(2020年)
図表8 日本の原油輸入量と中東依存度の推移

アラブ諸国とイスラエルの「橋渡し」を担う日本の外交努力の必要性

日本は2030年に温室効果ガス46%削減(2013年度比)、2050年のカーボンニュートラル実現という国際公約を掲げているとは言え、前述の通り中東への石油・ガス依存は現実的には当面続く。

そのため、日本はアラブ諸国とイスラエルの「橋渡し」を担う立場を意識し、今回のハマスの奇襲攻撃で明らかになったパレスチナの一般市民の惨状を踏まえ、パレスチナの一般市民への人道支援を行い、難民支援や経済自立支援を続け、アラブ諸国との信頼関係を維持・強化すべきである。そして、世界的な脱炭素化のうねりの中で、石油依存の経済構造からの脱却を目指す中東産油国のグリーントランスフォーメーション(GX)や産業多角化を日本は経済パートナーとして積極的に支援すべきである。

一方、日本は中東との関係において、エネルギーパートナーシップ構築だけではなく、イスラエルのテクノロジーを取り込む時代にも入っている。イノベーション強国でもあるイスラエルの防衛・サイバー、AI、宇宙、農業・灌漑技術など優れたテクノロジーを取り込み、コミュニケーションチャンネルの構築が求められる。同時に、イスラエルによるパレスチナへの国際法違反の行為については、欧州諸国と同様に国際法順守を促して行く「是々非々」の付き合いが必要でもある。

今回のハマス対イスラエル衝突の最大のリスクは、イラン対イスラエルの軍事衝突に発展し、米国など関係国をも巻き込んだ大きな戦争に発展することである。日本は緊張緩和に向けて、アラブ諸国、イスラエル・米国とも対話ができ、信頼される国として、独自のイニチアチブを発揮できるよう、それぞれのパイプを戦略的に維持・構築しておく必要がある。

日本の戦略資源としての「脱炭素技術力」

世界のエネルギー地政学において、化石燃料資源に恵まれた国々は石油・天然ガスの禁輸や供給を外交カードとして、貿易相手国や関係国に対し揺さぶりや圧力を掛けることができる。例えば、前述の通り、1973年の第4次中東戦争ではアラブ産油国が石油の禁輸を通じて日本などに揺さぶりを掛けた。また、2022年にはロシアからの天然ガス供給が大幅に低下したことで、欧州はエネルギー危機に瀕した。

他方、シェール革命でエネルギー自給を達成した米国は、「世界の警察官」としての役割・意思が低下しつつも、圧倒的な軍事力や基軸通貨・米ドルをバックボーンとした経済制裁を通じて、世界に影響を与えている。

翻って日本は豊富な天然資源、圧倒的な軍事力や基軸通貨も持っていないが、切り札となるのは「脱炭素化に役立つ技術力」である。20世紀は「石油の時代」だったが、21世紀は「脱炭素の時代」にシフトしつつある中で、日本が脱炭素技術を磨き、同盟国である米国をはじめ中東産油国等とも組んで世界のGXに貢献して行くことが、日本のエネルギー安全保障を確保する上でも生命線となる。

エネルギー面から見た中東情勢の地殻変動(2023年11月)

執筆者

下斗米 一明

ディレクター, PwCコンサルティング合同会社

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