
社会課題解決とビジネス拡大を実現するフェムテック 第1回 フェムテックが切り拓く女性の健康課題解決とビジネスの可能性 デジタルヘルスケアの新潮流【後編】
女性特有の健康問題に特化したフェムテックの専門家をお招きし、フェムテックが社会にもたらす影響や、セルフケアと医療機関の連携の重要性について詳しくお話をうかがいました。
月経管理、妊娠・出産支援、更年期症状ケアなど、女性特有の健康課題に特化した「フェムテック(Femtech)」。従来タブー視されがちだった女性の健康問題に光を当て、生活の質(QOL)向上や女性のキャリア継続を下支えする技術として、大きな期待が寄せられています。しかし、フェムテックを取り巻く環境には、市場の未成熟さ、医学的エビデンスや技術活用の不十分さ、法整備の遅れ、プライバシー保護への対応など、乗り越えるべき課題も多くあります。これらの課題を克服してフェムテック市場を確立し、これからの社会における重点領域としての認識を広めるには、どのようなアクションが必要なのでしょうか。フェムテックに携わる専門家をお招きし、お話を伺いました。
出席者
エヌ・ティ・ティ・コミュニケーションズ株式会社
スマートワールドビジネス部 スマートヘルスケア推進室
鵜飼 耕一郎氏
エヌ・ティ・ティ・コミュニケーションズ株式会社
クラウド&ネットワークサービス部 販売推進部門
岡田 彩花氏
一般社団法人Femtech Community Japan 代表理事
皆川 朋子氏
株式会社Kids Public 産婦人科オンライン代表 産婦人科医
重見 大介氏
PwCコンサルティング合同会社
シニアマネージャー
林 真依
モデレーター
PwCコンサルティング合同会社
シニアマネージャー
辻 愛美
辻:はじめに皆さんの女性の健康課題やフェムテックへの関わりについて、担当領域や具体的な取り組みをお聞かせください。
鵜飼:私が所属しているエヌ・ティ・ティ・コミュニケーションズ株式会社(以下、NTTコミュニケーションズ)のスマートヘルスケア推進室では、ヘルスケア領域のデータ利活用によるビジネスの創出に取り組んでいます。妊娠期から高齢期までのさまざまなデータを「Smart Data Platform(SDPF)for Healthcare」で収集・蓄積し、健康経営企業や医療機関、製薬企業などに活用していただくことで、(データを提供してくれた)個人に最適なヘルスケアのサービスや製品の提供を目指しています。
岡田:私の主な職務はヘルスケア分野ではありませんが、現在は社内ダブルワーク制度を活用しスマートヘルスケア推進室のフェムテックプロジェクトに参画しています。
皆川:一般社団法人Femtech Community Japan代表理事の皆川です。私たちの団体の主な活動内容は、フェムテック領域における情報発信、情報収集、レポートの作成、ネットワーキングの機会提供、有識者を招いた勉強会の開催、グローバルとのビジネスマッチングなどです。2021年に発足し、2022年7月に一般社団法人化しましたが、発足以来中立的な立場からフェムテック領域のスタートアップ企業・大企業などの事業者、支援者を中心としたエコシステムの構築を推進しています。
重見:私は産婦人科医として臨床現場、研究面、公衆衛生の視点から社会課題の解決に取り組んでいます。主な所属先は2015年に創業した「Kids Public」で、小児科と産婦人科領域の遠隔健康医療相談サービス(オンライン支援プログラム)を提供しています。
このプログラムを始めたきっかけは、病院にいるだけでは解決できない課題に対して、早期発見や支援ができないかという思いからです。主に成育領域に焦点を当てていますが、更年期や婦人科のがんなど、すべての女性の健康に対応しています。
林:私はPwCコンサルティング合同会社(以下、PwCコンサルティング)の公共事業部に所属し、国や自治体をクライアントとして社会課題解決に取り組んでいます。10年前から企業のダイバーシティ経営推進支援に携わり、経済産業省などと連携する中で、フェムテックのテーマに取り組む機会が増えています。
辻:NTTコミュニケーションズはフェムテック領域のビジネスに積極的に取り組んでいらっしゃいますよね。その意図は何でしょうか。
鵜飼:はい。NTTコミュニケーションズは2023年1月、フェムテック領域のビジネス共創コミュニティ「Value Add Femtech Community」を創設しました。当初12社だった参加企業は現在42社に拡大し、スタートアップから大企業まで多様な企業が参加しています。
同コミュニティの目的は、安全にデータを保持するための仕組みの提供、企業間連携強化によるビジネス共創、データ利活用によるフェムテック産業振興です。先に紹介したSDPF for Healthcareもこの活動の一翼を担っています。
エヌ・ティ・ティ・コミュニケーションズ株式会社 スマートワールドビジネス部 スマートヘルスケア推進室 鵜飼 耕一郎氏
PwCコンサルティング合同会社 シニアマネージャー 林 真依
辻:日本政府も女性活躍・男女共同参画の重点方針(女性版骨太の方針)などを通じて、女性活躍支援の一環としてフェムテック企業支援に取り組んでいます。林さんは現場に赴くことが多いと伺っていますが、具体的にどのような課題があると捉えていますか。
林:国の事業などを通じて、フェムテック企業の悩みや導入を検討している企業の受け止め方、自治体の状況などを聞いています。その中で課題と感じるのは、フェムテックを活用するきっかけとなる、女性特有の健康課題の解決を担当する部署が分断されていることです。企業では人事の中にダイバーシティ推進担当、ヘルスケア担当、健康経営担当、研修担当がそれぞれ別にあります。また、健保組合も別の窓口になっているなど、連携がとれていないケースが散見されます。そうした場合、フェムテックサービスを導入するだけでは完全ではない部分があり、関係者間のさらなる連携と一体的な支援が期待されます。
こうした課題は自治体でも同様です。産業労働系、ヘルスケア系、母子保健系と別々の部署が担当になっていることも少なくありません。情報共有の難しさは承知のうえですが、ひとりの女性のトータルサポートという観点からは、まだまだできることがあるのではないかと思います。
岡田:女性の健康課題に取り組む必要性があることは共通認識となっていますが、それぞれの立場で考え方が少しずつ異なるため、全体でみると分断されているのですね。スマートヘルスケア推進室では、今年度NTTコミュニケーションズで働く女性社員に対し独自アンケートを実施しました。アンケートの回答を見て驚くのは、皆さんがそれぞれに悩みを抱え、それを打ち明けられていないことです。
女性特有の悩みは更年期や月経・生理痛だけではありません。ただし、そうした悩みを女性同士でも打ち明けられなかったり、男性の管理職には言いづらかったりと、そういった声がものすごくたくさん出てきました。
そうしたアンケートから従業員が本当に何を求めているのかを把握し、人事部やダイバーシティ推進室が考えていることと従業員が考えていることのギャップがどのくらいあるのかも見えてきました。このギャップを埋めるために何をすべきかを詰めていきながら、従業員目線に立って考える必要があると感じます。
エヌ・ティ・ティ・コミュニケーションズ株式会社 クラウド&ネットワークサービス部 販売推進部門 岡田 彩花氏
一般社団法人Femtech Community Japan 代表理事 皆川 朋子氏
皆川:フェムテック分野は「黎明期+α」の段階にあると考えています。多くの人が課題意識を持っているものの、生理や更年期といった女性特有の健康問題は長年のタブー領域だったため、男女ともに何から議論してよいか分からない。特に経営者や政策などの意思決定者は年配男性が圧倒的多数ですから、具体的な対策といってもお手上げ状態です。私たちの団体を設立した理由も、こうした背景があったからなのです。
女性が困ったときに適切なソリューションや支援者が身近にいなければ、受診や対処のタイミングが分かりにくく、がまんし過ぎてしまうことがあります。セルフケアには限界があります。医師も患者さんがコンタクトしてくれないと助けられませんよね。
辻:フェムテック市場が「黎明期+α」にあるというのはご指摘のとおりで、例えば医薬品を開発する製薬企業の投資は少なく、法制度の整備も遅れているように感じます。フェムテック市場を取り巻く状況を教えてください。
皆川:まず製薬会社の現状から説明します。グローバル製薬会社が製品開発のR&Dに使う投資の中で、女性特有の疾患に使われているのは5%。その中の5分の4はがんに対する投資です。つまり、更年期や月経、ホルモンバランスの乱れによる不調といった疾患は、すべて合算してもR&D全体の1%で、製薬会社の投資額は、実際に多くはないのです。投資額が小さいため市場が形成されず、市場が作られないから取り組む人が少ないという負のサイクルに陥っています。まずはこの流れを切り替えていかなければいけません。
辻:労働者の半分が女性であることを考えれば、「フェムテック市場は成立しない」ということはあり得ませんよね。
皆川:経済産業省によると女性の健康課題による経済損失は3.4兆円とも試算されています※。ですからフェムテックに取り組むのは日本経済の活性化はもちろん、事業としても“うまみ”があります。まずはこの状況をデータで明示して、ポテンシャルの高さを訴求する必要があると考えます。
※経済産業省「女性特有の健康課題による経済損失の試算と健康経営の必要性について」
https://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/healthcare/downloadfiles/jyosei_keizaisonshitsu.pdf
辻:重見先生に伺います。先ほど皆川さんから「女性の健康問題は長年タブー視されてきた」との指摘がありました。NTTコミュニケーションズのアンケートからも女性が自身の辛さを相談できないという実態が伺えます。こうした状況をどのようにご覧になっていますか。
重見:フェムテック領域で重要なのは、適切な知識と情報の普及、そしてそれに基づく行動です。正確な情報があればセルフケアが可能になり、必要に応じて医療機関への相談も促進されます。ただし、受診のハードルや医療過疎などの課題もあり、これらにはオンラインやテクノロジーによる解決が期待されています。
岡田:オンラインでの診療や相談は非常に可能性があると感じています。先に紹介したアンケートでは、抱えている悩みなどを細かく書いてくれた人が何人もいました。「誰に相談したらよいか分からない」というモヤモヤ感を一気に吐き出しているという印象でした。
重見:そうですね。治療やセルフケアだけでは解決できない不安やストレスがあることも認識すべきです。その意味ではオンライン相談が有効です。単に医学的なアドバイスだけでなく、個人の感情や経験を理解し、寄り添う。適切な情報提供とともに、心理的サポートも重要な要素となっています。
鵜飼:不安やモヤモヤ感の解消で大切なのは、寄り添って話を聞くことです。NTTコミュニケーションズでは生成AIを用いたチャットで「共感を持った会話」をする実証実験を実施しました。生成AIを使って何気ない雑談をしながら悩みを聞き出し、専門家につなげることができないかと考えたのですね。
当初は「共感を持った会話で、お悩みの種類を把握できるのではないか」程度に考えていました。しかし、いざ実施してみると、深い悩みを話してくれるなど、こちらの想定以上に回答してもらえました。共感を持ち、相手に寄り添うことで、利用者も安心して話ができると考えています。
重見:鵜飼さんの話と関連しますが、最近興味深い研究結果※が発表されました。患者とのコミュニケーションにおける生成AIの効果を検証した研究論文です。この研究では、患者に対して、相談相手が人間の医師か生成AIかを知らせずに会話を行いました。結果として、生成AIのほうが人間の医師よりも共感性が高いと評価されたとのことです。
しかし、興味深いことに、会話の相手が生成AIだと明かされると、患者の信頼度が低下したという調査結果が複数出てきています。これは、現時点で多くの人々が「AIは信頼できない」という先入観を持っていることを示唆しています。このような結果から、医療現場でAIを活用する際には、患者の信頼を得るための慎重な導入方法を考える必要があると考えています。
皆川:匿名性を担保したうえでフラストレーションやモヤモヤ感を吐き出すニーズは国内外を問わず高いです。実際、フェムテックに携わるプレーヤーの中には、匿名によるオンライン相談をサービスとして提供している企業も多い。これを1つのフックにしていくことは価値のある取り組みだと思います。
※Ayers JW, Poliak A, Dredze M, et al. Comparing Physician and Artificial Intelligence Chatbot Responses to Patient Questions Posted to a Public Social Media Forum. JAMA Intern Med. 2023;183(6):589-596.
株式会社Kids Public 産婦人科オンライン代表 産婦人科医 重見 大介氏
PwCコンサルティング合同会社 シニアマネージャー 辻 愛美
辻:次に更年期症状に対するアプローチについて伺います。妊活や出産に対するケア、月経などは、徐々に国内でも認知が広がり、多様なプレーヤーが参入することなどにより健康課題・疾患サポートが進んでいますが、更年期の症状は個人差が大きく、不定愁訴※と呼ばれるほどさまざまであることから、なかなか取り組みが進まない印象があります。国内のプレーヤーは相談や管理の部分に重点を置いていますが、海外のプレーヤーはアプローチが異なると聞きます。この点、重見先生からご説明をお願いできますか。
重見:経済産業省の調査※でも、更年期症状が社会的損失に与える影響が最も大きいという結果が出ています。また、海外の研究論文※※でも、フェムテック領域で未解決の課題として、更年期とされる年齢で発症する体の不調が挙げられています。
日本と欧州では更年期症状の捉え方が異なります。欧州では具体的な身体症状に焦点を当て、「周閉経期症候群」として扱います。これは卵巣ホルモンの1つであるエストロゲン量の急激な変化によって自律神経障害が起こることを指し、頭頸部のみの多汗、心悸亢進などの血管運動性症状、不眠・肩こり、易疲労感がある場合に診断されます。
一方、日本では身体症状に加えて精神症状も「更年期症状」に含まれます。その際に、社会的孤立感、介護疲れ、配偶者への不満など、50歳前後の女性が晒されるさまざまなストレスによる症状への影響も考慮する必要があります。そのため、日本女性は欧米諸国の女性と比較して、身体症状よりも精神症状が「更年期症状」として前面に出やすい傾向があります。
皆川:更年期症状への取り組みは非常に重要です。不定愁訴が多く、原因特定が難しいため、個人ごとに異なる症状に対応することが課題となっています。ここでテクノロジーの活用が期待されます。例えば、AIを使った症状分析や個別化された治療法の提案など、フェムテックが果たせる役割は大きいでしょう。今後は、身体症状と精神症状の両面からアプローチし、女性のQOL(生活の質)向上に貢献できるソリューションの開発が求められると考えます。
※経済産業省「女性特有の健康課題による経済損失の試算と健康経営の必要性について」
https://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/healthcare/downloadfiles/jyosei_keizaisonshitsu.pdf
※※Dixon S, Keating S, McNiven A, et al. What are important areas where better technology would support women’s health? Findings from a priority setting partnership. BMC Womens Health. 2023;23(1):667.
※不定愁訴:明確な原因や身体的な異常が見られないにもかかわらず、さまざまな身体的・精神的な症状が現れる状態
本対談の様子はエヌ・ティ・ティ・コミュニケーションズ株式会社のウェブサイトでも、フェムテックの経済的影響や企業内の課題、AI活用の可能性などについて、異なる視点から紹介されています。
女性特有の健康問題に特化したフェムテックの専門家をお招きし、フェムテックが社会にもたらす影響や、セルフケアと医療機関の連携の重要性について詳しくお話をうかがいました。
従来タブー視されがちだった女性の健康問題について、これからの社会における重点領域であるとの認識を広めるにはどのようなアクションが必要なのか。フェムテックに携わる専門家をお招きし、お話を伺いました。
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