米中デカップリングのASEANへの影響

2023-04-24

ポイント

  • 米中対立(米中デカップリング)が進むなか、米国の協力要請に対してASEAN諸国は米中両国との良好な関係を維持し、経済面、安全保障面などにおいて実利を確保したい構え。
  • 経済面で中国への依存度が米国へのそれよりも高いASEAN諸国は、米中覇権争いに巻き込まれると自国の経済的利益が損なわれる恐れがある。デカップリングから距離を置くことで第三者として経済的恩恵を受ける分野も存在。
  • 中国国内からASEAN諸国へ機能を移転するなどの企業対応が見られるが、ASEAN諸国が市場および製造・調達拠点として中国を完全に代替することは困難であり、移転先や方法の検討においては政治リスクも含めた分析が求められる。

米中経済のデカップリング(分離)が進行しています。2022年10月には、米国のバイデン政権が先端半導体やその製造装置などを対象とした大型の対中輸出規制を発表しました。日本やオランダなどの友好国にも協力を求め、両国は中国を念頭に置いた先端半導体の製造装置の輸出を規制する方針を2023年3月に発表しました。

その米国はASEAN諸国に対しても、インド太平洋経済フレームワーク(IPEF)や包括的戦略パートナーシップといった枠組みへの参加を促し、対中包囲網にASEAN諸国を取り込むことを狙っています。
一方で中国も、多額の資金援助を旗振りに進める一帯一路構想や、米国不在のCPTPP(環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定)への加盟申請などを通じてASEAN諸国の囲い込みを図ろうとしています。

米中の覇権争いが進行するなか、ASEAN諸国にはどのような影響が生じるでしょうか。本稿では、連載コラム「地政学リスクの今を読み解く」の第3回「米中デカップリングに企業はどう備えるべきか」で議論した米中デカップリングの動向を踏まえ、ASEAN諸国の今後の対応を考えるうえで各国の思惑や視点を概観し、日本企業が検討すべきポイントについて考察します。

1.ASEANの自国陣営化に向けた米中の駆け引き

米中経済のデカップリングが進行するなか、ASEANが経済および安全保障の両面において両国の勢力圏争いの中心の1つとなっています。

米中競争の主戦場となりつつあるASEAN地域

中国はASEAN諸国との経済関係を強化する一方で、自国中心的な産業政策を拡大することで経済的および軍事的覇権の確立を目指し、経済成長を梃子に軍事力の拡大を図っています。

特に、南シナ海において軍事的プレゼンスを着実に強化していることは、ASEAN諸国や米国にとって重大な脅威となっています。
そうした中国の動きに対して、米国はオバマ政権において外交政策の重心をアジアに移行するリバランシング戦略を打ち出し、アジア回帰を掲げました。しかし、その後のトランプ政権はASEANが主催する東アジア首脳会議(EAS)に一度も出席せず、工場の海外移転による雇用喪失など、自由貿易が自国にもたらした痛みを理由に環太平洋経済連携協定(TPP)からも離脱しました。こうしたトランプ政権の政策によって米国によるASEAN外交は下火となり、ASEANに対する米国の影響力は低下しました。

2021年に発足したバイデン政権は、関税削減や市場開放を伴わない新たな経済枠組としてIPEFを打ち出し、ASEAN諸国の自国陣営への取り込みを図っています。IPEFは①貿易、②サプライチェーン、③クリーンエネルギー・脱炭素化・インフラ、④税・腐敗防止の4分野を協議対象とし、半導体やレアアースといった戦略物資のサプライチェーン形成や、人権や環境などの分野での成果が目指されています。

2022年2月には「米国のインド太平洋戦略」を発表し、同年5月には米ASEAN特別首脳会議をワシントンD.C.で開催しました1。同年11月にカンボジアで開催された米国・ASEAN首脳会議では「ASEAN・米国包括的戦略パートナーシップ」の立ち上げを発表し、ASEANとの外交関係をそれまでの「戦略的パートナーシップ」から「包括的戦略パートナーシップ」に格上げし、ASEANへの関与面で中国に対抗する姿勢を示しました2。同首脳会議にてバイデン大統領は、「ASEANは、我が政権のインド太平洋戦略の中心であり、強靭で結束力のあるASEANと歩調を合わせて取り組むというコミットメントを引き続き強化していく」との声明を出すなど、ASEANを重要な連携パートナーとして位置付けています3

ASEAN諸国が実利を得るのは米国主導のIPEFではなく中国参加のRCEPか

地域的な包括的経済連携協定(RCEP)、IPEF、CPTPP、といった各経済枠組みに参加し、米中間でバランスを図るASEAN諸国ですが(図表1参照)、中国への経済面での依存度が高いASEAN諸国にとって、中国が参加するRCEPの方がIPEFよりも経済面での実利は大きいと考えられます。

人件費が安く、労働集約型産業の川下としての役割が大きいASEAN諸国は、汎用的な材料だけでなく、製品の重要なコアとなる部品やパーツを輸入したうえで、国内で加工・組み立て・パッケージングを行い、最終製品を海外市場に輸出する加工貿易を得意としています。原材料の輸入関税や法人税等租税の減免、輸出手続の簡素化などのインセンティブ制度を提供することで、経済特区や輸出加工区に外資製造業を誘致し、国内の雇用機会創出や外貨収入拡大、そして産業育成を図ってきました。

そうしたASEAN諸国にとって、RCEPの活用による中国という巨大市場へのアクセス拡大や輸出促進の経済的メリットは大きいでしょう。RCEPを活用すれば最終製品を構成する原材料などの中国からの輸入も促進され、中国とASEANの貿易はさらに拡大すると考えられます。中国国務院は2022年7月、中国とASEANの貿易は、RCEP全加盟国と中国の貿易の半分近くを占め、RCEP協定により、ASEANはEUを抜いて中国の最大の貿易相手となったと発表しています4

一方で、一部のASEAN諸国にとって耳の痛いのは「税・腐敗防止」をテーマの1つに掲げるIPEFです。IPEFは、RCEPやCPTPPと違って関税削減や投資自由化などの市場アクセス条項を含まないこともあり、ASEAN諸国にとって自国にとっての実益が見通せない可能性があります。

そうしたなかで、仮に米国がIPEFを対中国色の濃い枠組みに仕立てようとした場合、米国の思惑どおりの動きをASEAN諸国が必ずしも行わない可能性があり、場合によっては将来的にIPEFから離反する国が生じる可能性も排除できません。ASEAN諸国の識者を対象としたシンガポールのシンクタンク「ISEAS-ユソフ・イサーク研究所」のアンケート調査(2023年2月)によると、IPEFの影響と効果について約4割が「不明」と回答しています5

図表 ASEAN諸国による各経済枠組みへの参加

2.ASEANにおける米中デカップリングの現状

米中の覇権争いが激化するなか、ASEAN諸国は両国との結びつきをどのように捉えているでしょうか。

デカップリングを巡るASEAN各国の立ち位置

東南アジア諸国は、米中対立に巻き込まれることを望んでおらず、中立的な立場を維持しており、いずれかの陣営を選択するような姿勢を見せていません。

前述のASEAN10カ国の識者を対象としたISEAS-ユソフ・イサーク研究所による意識調査によると、30.5%が「ASEANは、米中いずれの陣営にも入らず中立的立場を継続すべきである」と回答したのに対して、「中立を維持することは現実的ではないため、ASEANは米中両国のうちのいずれかを選択する必要がある」と回答したのはわずか6.0%にとどまりました5

こうした調査結果からは、経済的には依存しつつもASEAN地域の安全保障を脅かしかねない中国と、一方で地域の安全保障を守る役割をどこまで果たしてくれるか分からない米国のいずれかを選ぶことはできないというASEAN諸国の思惑が読み取れます。

また、調査結果によると中国への不信感が高い理由として、「中国が経済力および軍事力を使用して各国の国益や主権を脅かす存在と感じる」と回答した識者が約4割と最も多く、ASEANが直面している重要な課題として「潜在的な紛争地域から引き起こされる軍事的緊張の高まり」を選択した識者も約4割にのぼりました。

ASEANのトップリーダーも同様の姿勢を示しており、インドネシアのジョコ・ウィドド大統領は2022年のASEAN首脳会談において、「(ASEANは)平和的な地域として、いかなる大国の代理とならず、一貫して国際法を擁護する世界的安定の錨とならなくてはいけない。私たちの地域において現在の地政学的動向を新冷戦に変えてはいけない」と述べています6

また、シンガポールのリー・シェンロン首相も2020年、「シンガポールを含めた東南アジア諸国は米中の間で選択をしたくない。もし米中いずれかがそのような選択を強いた場合、数十年にわたり競争が継続し、アジアの世紀を危機にさらすだろう」と米国の外交誌に寄稿しています7

対中経済依存度を高め続けるASEAN諸国

ASEAN諸国のトップリーダーや識者の米中いずれかを選択することは好ましくないという思惑とは裏腹に、ASEAN諸国の中国への経済依存度は年々高まっています。

南シナ海での軍事拠点の建設を進める中国に対してASEAN諸国は強い警戒感を抱く一方で、2010年代中盤以降の米中貿易摩擦や、2020年に入ってからのコロナ禍や米中デカップリングを受けて、ASEAN諸国の対中経済依存度は一段と高まっています。

まず貿易面を見ると、ASEAN諸国の対中貿易依存度は年を追うごとに高まっており、2014年時点では14.5%であったのが2021年には19.6%まで上昇しています(図表2参照)。特に中国に対する輸入依存度は高く、2014年時点では17.4%であったのが2021年には22.8%まで上昇しています。南シナ海で軍事的な緊張関係を抱えるベトナム、フィリピン、マレーシア、ブルネイでさえもこの期間中に対中貿易依存度を上昇させており、南シナ海の領有権争いで中国にとって有利な方向に働く状況が着々と作り出されているとさえ見えます。

図表2 ASEAN諸国の対中貿易依存度の推移

貿易だけでなく直接投資においても中国はASEAN諸国において存在感を高め続けています。2014年時点でのASEANへの対内直接投資額に占める中国の割合は5.2%でしたが、2021年には7.7%に純増し、投資額も6,812百万米ドルから13,829百万米ドルに倍増しました8

特に、中国の製造業のASEAN諸国への投資は2014年に601百万米ドルだったものが、2021年には約6倍の3,517百万米ドルにまで増加し、投資に占める製造業の割合も8.8%から25.4%へと大幅に増加しています8。中国国内の人件費の上昇やASEAN諸国のインフラ整備への中国政府の積極的な関与などを背景に、中国の製造業は、生産拠点をASEAN市場に移転し、同地域の市場獲得に注力しています。その傾向は米国による対中制裁や規制が強化されるほど進展すると考えられます。

南シナ海を巡る対立が深刻化する中国に対して、貿易や直接投資の面で依存度が急速に高まっていることは、ASEAN諸国にとって経済面でプラスではありますが、一方で政治や安全保障の面で経済が人質になっている状況とも言えます。この状況は、ASEAN諸国における政治リスク要因を高め、従来の中立的な立場を揺るがし、東西両陣営とのバランス外交の思わぬ落とし穴となる可能性を秘めています。

特に、ASEAN諸国の中でも経済発展が比較的遅れ、経済規模も小さいカンボジア、ラオス、ミャンマー(以下、CLM諸国)の対中経済依存度の高さは、大きなリスクを含んでいると考えられます。CLM諸国はASEAN諸国のなかで唯一IPEFの枠組みに参加せず、代わりに中国が参加するRCEPに参加しています。

特にカンボジアとラオスは、中国が推し進める一帯一路構想を通した経済支援への依存度が高くなっています。カンボジアは首都プノンペンと南部の港湾都市シアヌークビルを結ぶ高速道路事業など、ラオスは中国ラオス鉄道や水力発電事業などを通して中国に対して多額の債務を抱えています。

他方、スリランカでは中国から融資を受けて港が建設されたものの、操業による利益が低調で債務を返済できる見込みがなくなり、中国と自国企業の合弁企業に港の運営権を99年間リースせざるを得なくなったという事例があります。ASEANにおいても、こうしたスリランカの状況と同様の事態に陥る国が発生しないか、注視する必要があります。

一方の中国側もASEAN諸国への経済依存度を高めています。中国の貿易額に占めるASEAN諸国の割合は、2014年時点で11.1%でしたが、2021年には14.5%に増加し、その額も479,785百万米ドルから877,857百万米ドルへと1.8倍に増加しました。この間、中国の貿易に占める米国の割合は12.8%から12.5%、日本の割合は7.2%から6.2%へ、ともに減少しています。

米国など西側陣営から中国への規制や制裁が強まるなか、中国企業はASEAN諸国について、西側諸国を代替する成長市場または製造・調達拠点として捉える傾向が強まっており、ASEAN諸国の重要性は今後も高まっていくものと考えられます。

米国による対中デカップリング措置がASEANに及ぼす影響

中国にとってASEAN諸国の重要性が高まっていくトレンドは、米国が打ち出す対中デカップリング措置の詳細を見ると明らかです。

トランプ政権下において、米国通商法232条、301条に基づき行われた対中追加関税措置は米中貿易摩擦を本格化させ、両国のデカップリングをもたらしました。その後のバイデン政権下においても貿易、投資、デジタルなど各分野において新しい法律や規則が打ち出され、その内容が複雑化しています(図表4参照)。軍事面で直接対峙する状況にはならずとも、経済面ではさまざまな制裁や規制が発動され、貿易戦争とまで言われる状態に陥っています。

図表3が示すとおり、米国による対中デカップリング措置の中にはASEAN諸国にプラスの影響をもたらす法規制と、マイナスの影響をもたらす法規制の両方が存在しますが、概してプラスの影響の方が大きいと考えられます。

まず、プラスの影響をもたらす法規制としては、米国による中国製品に対する輸入規制(ウイグル強制労働防止法)や関税措置(通商法232条および301条)、そして対内外投資規制や上場規制が挙げられます。こうした法規制によって、両国を代替する市場、生産地、調達先、上場先としてのASEAN諸国のプレゼンス強化につながります。また、関税や制裁の回避のために多国籍企業が拠点を中国からASEAN諸国へと移転させたり、調達先をASEAN諸国へシフトさせたりするなど、サプライチェーンの再編が進むことが考えられます。

JETROアジア経済研究所は2023年2月、米中デカップリングを機にASEAN諸国が中国の生産分を代替できる産業分野が存在することや、ASEANの中立的な立場を生かすことで東西双方の陣営との貿易を継続し、ASEAN諸国が漁夫の利を得ることができることを指摘しています9

なお、ASEAN諸国にマイナスの影響をもたらす法規制としては、ASEANを含む米国域外での適用が可能とされている半導体など、一部重要品目の対中輸出規制(再輸出規制、直接製品規則)や、ASEANなど第3国も射程とするウイグル産品の輸入規制が挙げられます。

図表3 米国による対中デカップリング措置とASEANへの影響

3.米中対立下におけるASEAN進出企業の検討ポイント

米中対立下においても中国とASEAN諸国との間の経済関係が拡大する中で、日本企業はどのような地域戦略を検討する必要があるのでしょうか。中国の代替先としてのASEANに注目が高まっていますが、企業は市場や製造・調達の拠点として、同地域をどのように位置づけていくべきなのでしょうか。

中国の代替として期待が高まるASEAN

ASEAN諸国は、米中対立リスクやチャイナリスク、地政学リスクといった各種リスクの顕在化を背景に、日本、米国、そしてEUの企業から「中国からの好ましい移転先」として認識されていることが、各種調査から明らかにされています。

PwC Japanグループが2022年8月に発表した、日本企業を対象とした「PwC Japan 企業の地政学リスク対応実態調査2022」によると、海外への事業展開を実施している日本企業のうち49%が地政学的なリスクを踏まえ、中国への積極的な事業拡大や投資を控えた方が良いと考えていることが分かりました。

また、海外への事業展開を実施している日本企業の29%が生産や調達プロセスを中国国外へ移管することを検討しているか、検討を予定していると回答しました。既に移管した地域、または移管を予定している地域として、最も多かったのは日本(52%)でしたが、第2位以降はベトナム(42%)、インドネシア(34%)、タイ(23%)、マレーシア(16%)、シンガポール(16%)となり、ASEAN諸国が上位を占める結果となりました。

中国に所在する米国企業で構成される在中国米国商工会議所(AmCham)が2023年3月に発表した調査によると、中国から他国への移転を検討または既に開始したと答えた在中国米国企業は24%にのぼりました。移転の理由としては、43%が米中貿易摩擦、20%が地政学リスクの上昇を挙げています。そして移転先として選ばれた地域としては、ASEANを含む、新興アジア地域(日本、韓国、台湾、オーストラリア、シンガポールの各国以外のアジア諸国)が29%と、米国(30%)に次いで選ばれています10

また、中国に所在する欧州企業で構成される在中国欧州連合商工会議所が2022年に実施した同様の調査でも、中国からの移転先としてASEANを含むアジア地域が45%と最も多く選ばれました11

日米、そしてEUの企業にASEANが中国からの好ましい移転先として認識される一方で、中国からの移転先としてASEANを検討する際は、ASEAN各国の投資環境を多面的に分析したうえで、中国を代替できる移転先であるのか慎重に検討する必要があります。

図表4のとおり、ASEAN主要国と中国の経済見通し、労働人口、スキル人材、インフラ、政治リスク、規制リスクなどの要素について比較すると、中国はASEAN主要国よりも高い規制リスクを有するものの、巨大な労働人口や豊富な高スキル人材、競争力のあるインフラを保有しており、投資に際して考慮すべき要素全てで中国を上回る国は、今のところASEAN諸国には存在しないように見受けられます。

一方でASEAN諸国は経済成長のスピードが速く、今後の世界経済の成長を牽引する成長センターとしてだけではなく、東西両陣営が繰り広げる覇権争いに積極的には参加しない地政学リスクのヘッジ先としての魅力もあります。中国を完全に代替することはできないとしても、今後ますます海外からの生産拠点の誘致が加速し、世界とASEAN諸国の貿易取引も拡大することが期待されます。

また、経済面では依存するも、安全保障面で不安を抱える中国に対するカウンターバランスとしての日本に対するASEAN諸国からの期待は今後も高まり、ASEANでの日系企業のビジネスチャンスはますます拡大すると考えられます。
前述のASEAN10カ国の識者を対象としたISEAS-ユソフ・イサーク研究所の意識調査によると、「日本は世界の平和、安全、繁栄、ガバナンスに貢献すると信じる」と回答した識者が54.5%にのぼりました。これは米国(54.2%)、EU(51.0%)よりも高く、中国は29.5%にとどまっています5

そうしたASEANからの日本への期待に呼応するように、ASEANに進出する日系企業の数は順調に増加しています。外務省の統計によると、2012年当時は7千社ほどであった日系企業数は、2021年時点で約1万5千社にまで増加しています12。日本企業とASEAN諸国の関係は歴史的にも長く、日本のASEAN主要5カ国(タイ、シンガポール、インドネシア、マレーシア、フィリピン)への直接投資残高は、1996年時点で945億米ドルに達しており、これは当時の米国(943億米ドル)、欧州(477億米ドル)、中国(81億米ドル)と比較しても高いものでした13

こうした長年の実績や貢献に裏打ちされた、日本とASEAN諸国との信頼関係は強く、昨今の米中デカップリングの深化も相まって、日本企業に対するASEAN各国の期待は今後ますます高まることが想定され、米国、欧州諸国、中国などの企業と比較して、日本企業はASEAN市場において優位性やプレゼンスを確保しやすいと考えられます。

ただし、東西両陣営の覇権争いが激化するなかで、ASEAN市場を巡る競争関係が激化する可能性があることも念頭に置く必要があります。先述のとおり、日本、米国、欧州の企業は中国からの移転先としてASEANが好ましいと認識しています。また、中国企業も生産拠点のASEAN市場への移転を進めています。したがって、日本企業としてはASEAN市場への進出を加速させる他国企業との競争関係に打ち勝つための地域戦略が必要となります。

図表4 各国の投資環境比較

選挙などによる政局や政策の変化に注視が必要

ASEANへの移転に際してはさまざまな要素を検討する必要がありますが、その中でも、政権基盤が不安定な国が多いASEAN地域では、政治リスクに注意が必要です。ASEAN諸国では政局に変化を引き起こす可能性がある選挙を控えている国も多く、米中などの東西両陣営との向き合い方や、国内の投資環境や政策方針の変化に注視が必要です。

タイでは2023年5月に総選挙が実施されますが、最大野党でタクシン元首相派のタイ貢献党が政権を奪還して民政移管が進展するのか、それとも軍主導の現政権が継続するのか、タイの今後の民主政治を占う選挙戦の行く末に注目が集まっています。タイでは過去に政局が不安定化したことで大規模な反政府デモが発生し、政治経済の中心地であるバンコク中心部の一部が占拠されたり、日系企業に被害が出たりした事例もあります。また、ASEANの創設国の1つでもあるタイの動向は、タイ国内だけでなくASEAN地域の情勢にも影響を与えかねません14

インドネシアでは2014年に大統領に就任したジョコ・ウィドド大統領が2期10年の任期満了を迎えることから、2024年2月に大統領選挙が予定されています。各党が擁立する大統領候補者については2023年後半に決定する見通しです。政党分裂や新党結成による多党化や、連立政権が常態化しているインドネシアでは、政党間での激しい利害対立が歴史的に繰り返されており、次期大統領が強いリーダーシップを発揮して政権運営を進められるか不透明な状況です。ジャカルタからカリマンタン島東部への首都移転や、豊富なニッケル資源を活用した電気自動車(EV)のサプライチェーン構築など、インフラ開発や投資促進において目玉政策の旗振り役となってきたジョコ・ウィドド大統領の退任は、インドネシアの投資環境や経済に変化をもたらす可能性があり、注視する必要があります。

カンボジアでは2023年7月に下院選挙が実施されますが、40年近く首相を務めるフン・セン首相が率いる与党のカンボジア人民党の勝利が見込まれています。フン・セン首相から首相後継者として指名を受けている長男のフン・マネット陸軍司令官が下院選への出馬を表明しており、首相世襲に向けた足場固めが進みそうです。

マレーシアでは、2020年にマハティール首相が辞任した後、与野党含めた多数派工作が繰り返され、短期間での首相交代が続きました。2022年11月の下院選挙ではどの政党も単独で過半数を獲得できないなか、最多議席を獲得した希望連盟(PH)代表のアンワル氏が首相に就任しました。長らく敵対してきたPHと国民戦線(BN)が組む連立政権のもとでは、政党間での権力闘争や利害調整が続き、今後も不安定な政局が展開される可能性が高いです。

フィリピンは、ドゥテルテ前大統領による訪問軍協定(VFA)の破棄通告や米比軍の合同演習の中止といった米比同盟の危機を前政権において経験しました。2022年に発足したマルコス現政権は、VFA存続や合同演習を再開したほか、2023年2月にはフィリピン国内で米軍が使用できる軍事拠点を新たに4カ所設定し、合計9カ所とすることで合意するなど、安全保障面での親米回帰の姿勢を見せています15。4カ所の新たな軍事拠点は、台湾海峡に近いルソン島北部や中国が軍事拠点化を目論む南シナ海に面した地域に設定されており、中国への抑止力向上を狙っています。こうした米国とフィリピンの動きに中国が対抗することで、南シナ海の領有権争いを巡る地政学リスクが顕在化する可能性が低いながらも存在します。

結びに

米中デカップリングや地政学的緊張の高まり、そして世界的なパンデミックを契機に世界規模でサプライチェーンの再編が進み、多国籍企業は自社のサプライチェーンの強靭化や、リスク分散のための多角化を模索し続けています。ASEAN諸国はそうした多国籍企業の生産拠点や調達拠点としての受け皿となり、経済的な恩恵を受けることになるでしょう。

関係各国の自国陣営化および対中包囲網の形成を目指す米国は、米中デカップリングを契機に、同盟国や友好国との間でサプライチェーンを構築するフレンド・ショアリングを推し進め、ASEAN諸国を巻き込もうとしていますが、ASEAN諸国は慎重な姿勢を崩していません。

中国に対して貿易投資の両面で依存度が高いASEAN諸国は、中国なしでサプライチェーンを構築することは望んでおらず、国益や企業利益の最大化を実現するためにも、米中両国とのバランスを取る政策を継続すると考えられます。

そうした状況のなかで、日本企業は事業戦略上の判断を下すにあたり、大国同士の覇権争いがもたらす調達コストや生産活動のコストの増加や、投資環境の変化を的確に捉える必要があります。各国の法整備に係る情報を収集・分析するとともに、経済的な合理性だけでなく世界の大局的な動きも踏まえ、不断に対処することが求められます。

1 The White House, “INDOPACIFIC STRATEGY OF THE UNITED STATES” February 2022.
https://www.whitehouse.gov/wp-content/uploads/2022/02/U.S.-Indo-Pacific-Strategy.pdf

2 The White House, “ASEAN-U.S. Leaders' Statement on the Establishment of the ASEAN-U.S. Comprehensive Strategic Partnership” November 12, 2022. https://www.whitehouse.gov/briefing-room/statements-releases/2022/11/12/asean-u-s-leaders-statement-on-the-establishment-of-the-asean-u-s-comprehensive-strategic-partnership/

3 The White House, “Remarks by President Biden at the Annual U.S.-ASEAN Summit” November 12, 2022.
https://www.whitehouse.gov/briefing-room/speeches-remarks/2022/11/12/remarks-by-president-biden-at-the-annual-u-s-asean-summit-2/

4 The State Council, The People's Republic of China "RCEP deepens Sino-ASEAN economic, trade ties" July 6, 2022 https://english.www.gov.cn/news/internationalexchanges/202207/06/content_WS62c4e900c6d02e533532d3e0.html

5 ASEAN Studies Centre at the ISEAS-Yusof Ishak Institute "The State of Southeast Asia: 2023 Survey Report" February 9, 2023
https://www.iseas.edu.sg/articles-commentaries/state-of-southeast-asia-survey/the-state-of-southeast-asia-2023-survey-report-2/

2023年3月、CPTPPへの英国の加盟が加盟国により承認。https://www.cas.go.jp/jp/tpp/tppinfo/2023/index.html#awg20230331

6 GABRIEL DOMINGUEZ "Intensifying geopolitical rivalries dominate ASEAN summits" the japan times, November 14, 2022
https://www.japantimes.co.jp/news/2022/11/14/asia-pacific/politics-diplomacy-asia-pacific/asean-china-us-japan-analysis/

7 Lee Hsien Loong "The Endangered Asian Century America, China, and the Perils of Confrontation" Foreign Affairs, June 4, 2020
https://www.foreignaffairs.com/articles/asia/2020-06-04/lee-hsien-loong-endangered-asian-century

8 ASEAN statistical databases, April 2023  https://data.aseanstats.org/

9 熊谷 聡・早川 和伸・後閑 利隆・磯野 生茂・ケオラ・スックニラン・坪田 建明・久保 裕也 "「デカップリング」が世界経済に与える影響――IDE-GSMによる分析" 2023年2月 https://www.ide.go.jp/Japanese/IDEsquare/Eyes/2023/ISQ202320_004.html

10 AmCham China "2023 China Business Climate Survey Report" March 5, 2023 https://www.amchamchina.org/2023-china-business-climate-survey-report/

11 European Business in China "BUSINESS CONFIDENCE SURVEY 2022" June 2022 https://www.europeanchamber.com.cn/en/press-releases/3445

12 外務省 "海外在留邦人数調査統計" 2022年12月 https://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/page22_003338.html

13 日本貿易振興機構(JETRO)"直接投資統計" 2023年4月 https://www.jetro.go.jp/world/japan/stats/fdi.html

14 坂本英輔、鶴岡将司 "反政府デモで日系サービス業にも甚大な被害(タイ)" 2010年5月27日 https://www.jetro.go.jp/biznews/2010/05/4bfcb51930188.html

日本経済新聞 "タイ、反政府デモ隊が都心部へ 営業活動縮小の日本企業も" 2014年1月14日 https://www.nikkei.com/article/DGXNASGM13013_T10C14A1FF8000/

15 Celeste Anna Formoso "Balabac named one of 4 new EDCA sites" Palawan News, April 4, 2023
https://palawan-news.com/balabac-named-one-of-4-new-edca-sites/

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執筆者

坂田 和仁

マネージャー, PwC Japan合同会社

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