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「エネルギー生産性の改善をどう捉えるか」をテーマに、慶應義塾大学産業研究所所長の野村浩二教授をゲストに迎えた対談の後編です。前編で野村教授は、規制などを通じた過度な省エネを推進すると、国内の産業空洞化を招く可能性に言及し、それが既に起こり始めていると指摘しました。後半では、鉄鋼業で実際に起きている現象をベースに、経済成長とエネルギー改善の在り方について、より視野を広げて考えます。また、政府の統計について深い知見を有する野村教授に、政策立案の潮流となっているEBPM(エビデンス・ベースト・ポリシー・メイキング=証拠に基づく政策立案)の導入に伴い、統計作成の現場で起きている変化についても伺いました。
(左から)伊藤 篤、野村 浩二氏、片岡 剛士
参加者
慶應義塾大学産業研究所 所長・教授
野村 浩二氏
PwCコンサルティング合同会社 チーフエコノミスト
片岡 剛士
PwCコンサルティング合同会社 シニアエコノミスト
伊藤 篤
伊藤:
日本では30年ぶりに賃金や物価が改善してきています。一方で、設備投資は今一つ伸びきれていません。鉄鋼業では、「国内の無駄な高炉を閉じたことで利益が増えた」という話を伺いました。国内の高炉を閉じる分、経済が成長するアジアで新しい高炉を造るのだそうです。企業としては合理的な判断なのだと思いますが、世界的に鉄鋼の需要が底堅い現状をみると、もう少し待っていたら、日本の製鉄業界は国内の施設を保有したまま、ビジネスチャンスをつかむことができたのかもしれないと複雑な気持ちになります。
野村:
米国との比較として、産業レベルでの生産性の格差を慎重に計測してみますと、現在、日本で競争力を有している産業の中心は、鉄鋼や化学などの素材型の製造業です。かつては自動車製造業などが高い競争力を持っていましたが、もはや海外への生産移転が進み、国内外での生産性格差はだいぶ縮小してしまいました。現在も、競争力のある日本の自動車会社はありますが、日本国内の産業としては、むしろ素材型製造業が競争力のトップランナーだと評価しています。
一方で、素材型産業はエネルギー多消費的な側面があり、そのエネルギーはかなりの部分を、CO2排出の観点で好ましくないエネルギーとして悪者にされている、石炭に依存しています。このため製造業においても、CO2の排出量を削減するために、石炭からのエネルギー転換を求められ始めています。
通常、大規模プラント産業の設備は、老朽化に伴って効率が落ちていきます。それを押しとどめるために改修(投資)するわけですが、国内ではCO2排出やエネルギー規制の強化が見込まれるため、新たな更新(投資)はままならない。エネルギー転換には技術的な難しさとともに、水素や電力などを使って国内生産して海外と競争できる見通しは全く立っていません。そこで、グローバルでは需要が縮小していないにもかかわらず、国内高炉を閉じて、海外に高炉を新造するという選択をする。
企業は消費者の近くに行かざるをえないとも言えます。ですが日本のエネルギー多消費産業は「国内生産を縮小せよ」という静かな圧力に直面しており、輸出という選択肢をもはや考慮の外としているように見えます。行動の原因は1つではないとは思いますが、結果的に、国内のエネルギー多消費産業の空洞化が進んでいることは確かですし、そのムードを転換させなければなりません。こうした生産立地の選択は、グローバルな排出量を削減することはない(一般にはむしろ増加させる)ので、環境のためにもならないですから。
このような素材産業の空洞化は、ほかの産業にもマイナスに影響します。プラントがあった地域の飲食・宿泊などのサービス業の需要は、そうした製造業や関連会社、またその雇用者たちの需要に少なからず依存していますが、それは見えづらい形で徐々に影響を受けるでしょう。自治体も、脱炭素の時代の必然などと捉えていると、地域経済が傷んでしまうのみです。補助金頼みでも、跡地の有効利用は容易ではありません。
伊藤:
「企業城下町」という言葉があるくらいですからね。想像できます。
野村:
本来なら、世界的な需要の増加に対応して輸出(ないしそれが組み込まれた最終財を通じた間接的な輸出)を拡大し、関連する内需で地方経済を支えることができるはずですが、その選択肢は早々に手放されています。「内需が減少している」といった理由を前面に出して、鉄鋼業であれば国内の高炉を閉じるような判断が企業としてされているように見えます。国内のエネルギー消費は減りますので、皮肉なことに、日本国内のグロスのエネルギー生産性は高まってみえます。ですが、それは産業空洞化という犠牲の上に成り立っているだけです。
これは日本だけの現象ではありません。ドイツでは2022年から2年ほどは、このような空洞化が急激に進みました。わずか2年間でエネルギー多消費産業の生産量は20%程度下落していて、ドイツのマクロ経済に対して非常にネガティブなインパクトを与えています。
もう1つ、石炭についてお伝えしておきたいことがあります。競争力のある日本の素材型製造業の多くが石炭に依存しているのは偶然ではありません。石炭から天然ガス、天然ガスから電気と、エネルギー転換ができるのであればしているはずですが、エネルギー転換を行えない1つの理由は、石炭が原油や天然ガスなどと比べて安価に輸入できたからと思います。
片岡:
それはエネルギーとしての価格競争力があるということでしょうか。
野村:
競争力というか、供給地が比較的分散しているため、その輸出国による価格支配力があまり大きくはなく、大量に消費する日本のような輸入国が価格の交渉力(バーゲニングパワー)を持つことのできた資源だということができると思います。
片岡:
安定供給も見込めますよね。
野村:
そうですね。安定供給を確保しながら、内外価格差が相対的には小さかったことが競争力の源泉になりました。子どものとき、社会科の教科書に、「鉄鉱石をブラジルから買い、石炭をオーストラリアから買って、日本で製鉄しました」と書いてありました。一見すればそのようなことはかなり非効率に見えるわけですが、日本が鉄鋼の競争力を持つことができた条件は、輸送コストを含めた原材料・エネルギーの内外価格差が小さかったことでしょう。でももし日本が石炭消費量を減らしていけば、価格交渉力を失っていくかもしれません。中国は備蓄政策を強化しながら、現在も石炭消費を拡大させています。
慶應義塾大学産業研究所 所長・教授 野村 浩二氏
片岡:
今、石炭についてご説明いただきましたが、電力についてはどのようなことが言えますか。
野村:
電力は私たちの産業を支える最も重要なエネルギーです。「電力は技術革新の仲介者である」とも言われていますが、イノベーションをもたらす機械設備のほとんどが電力に依存しています。電力多消費的な産業、例えばIT産業は、半導体やデータセンターなど、さまざまなIT機器を動かすために電力を使います。またセンサーの導入など、価値のある省エネをなし得る部分もありますので、安価な電力の安定供給を実現する必要があります。
ただ、実際には逆の方向に向かっています。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミック後から現在にかけて、電力価格が大きく上昇しましたよね。政府は、GX(グリーントランスフォーメーション)の原資として将来的には炭素の賦課金を課すことで、むしろ価格高騰の硬直化を容認するような政策を取ろうとしています。電力の安価な安定供給を実現しない限り、電力をより多く消費するテクノロジーを導入することにブレーキがかかる懸念があります。これではDX(デジタルトランスフォーメーション)という好機を生かしきることはできないでしょう。
片岡:
第6次エネルギー基本計画では、2030年度のエネルギーミックスにおける再生可能エネルギーの電源構成比率を36~38%まで高める計画となっています。やみくもに「再生可能エネルギーを導入すべき」というスタンスでエネルギー転換を進めようとすると、産業としての競争力の源泉を手放すことになってしまいますね。
野村:
政府は、発電でも化石燃料からの燃料転換として、水素を積極的に導入しようとしています。ですが水素は電力以上に、その内外価格差が広がりそうな見通しです。国内では水素を再エネで製造するかもしれませんし、原子力発電で製造するかもしれません。高温ガス炉による水素製造専用原発によっては、日本でも再エネよりは競争力を持ちうるかとの期待もあります。ですが、原発で水素を作るのであれば、その電力をそのまま使った方が効率的ですし、電力利用の難しい分野での燃料代替でも大幅なコスト増は不可避とみられます。
よく「再エネによってエネルギーコストが下がった」と言う人がいますが、現実には再エネの導入で電力コストが下がることはなく、ずっと上がり続けた歴史があります。これは日本だけではなく、ドイツなどの海外でも同様です。間欠性のある(需要に合わせて発電できない)再エネの導入は、バックアップのための電源を必要とします。それには高いコストが掛かりますので、電力価格の押し上げ要因になります。下がったというのは、コストの一部だけを見ているにすぎません。
片岡:
再エネに関しては、日本では再生可能エネルギー発電促進賦課金のように、課税をすることによる非効率性が助長されてしまっている面があるかもしれません。
野村:
日本全体の傾向として、エネルギー転換や省エネばかりに目が向きすぎて、エネルギーを健全に使うことがいかに全体効率を高めるのかを意識しなくなっていると感じます。大学の教室でも、授業時間の終了とともにエアコンが自動的に止まり、暑すぎて議論もできないときがあります。明らかに本末転倒でしょう。省エネの観点からはマイナスですが、それを甘んじて受けることによって、議論を通じてさまざまな考え方の視点が広がったりする価値は百万倍です。
社会への貢献は、エネルギー効率を高めたり、エネルギー消費量を削減することのみによってなされるのではなくて、企業として根源的な付加価値のある製品やサービスを生み出すことによってこそ成し得るのだという、当然の論点に戻る必要があるのではないでしょうか。
PwCコンサルティング合同会社 チーフエコノミスト 片岡 剛士
片岡:
野村先生は内閣府の国民経済計算(GDP統計)にも主導的な立場で貢献をしておられます。現在、政府はEBPM(エビデンス・ベースト・ポリシー・メイキング:証拠に基づく政策立案)を推進中で、月次データではなくリアルタイムデータを使うというように、さまざまな種類のデータを利用していこうという動きがありますね。
野村:
エビデンスに基づいて仮説や論拠を検証し、ポリシーの基本にしていくという経験科学の考え方は、戦前から志向され、実践されてきたものですよね。しかし日本では、皮肉なことにEBPMが強く言われるようになってから、政策の策定において“エビデンス”の軽量化が起きているように感じます。
リアルタイムのデータ活用が進んでいるとか、取得可能なデータが増えたといったメリットがあり、また因果推論などの方法論的な発展もある一方では、複雑化した現実の「問題」に対して、自らの思考が補う部分が小さくなったように感じます。そもそも「裸の観察」というものはなく、現象の認識はデータをどう解釈・評価するかという思考に依存します。ですが帰納的な推論によるエビデンスばかりを重視する傾向が見受けられます。思考がデータによって代替されてきたような感覚です。本来、その両者は補完的でしょう。
「データは語る」などと言われますが、個々のデータは部分しか語りません。モノが売れたか売れないか、こうしたシンプルな現象は分かります。しかし政策策定にまで結びつけるには、「売れた」という現象の要因を突き止める分析や評価が必要です。そのためには、1つのマイクロデータ(一次統計)ではなく、多くのデータに基づき、整合的に構築される産業連関表や国民経済計算(加工統計)のような、観察の総合化が重要となります。それは問題を真に解明すようとする思考によってこそ為せるものです。
伊藤:
今お話しいただいたような現象が政府で統計を作成する現場でも起きているのでしょうか。
野村:
統計を担当している方々は真摯に取り組み、苦労して統計を作っておられます。ただこのところでは、一次データから作って、一定のルールに基づいて機械的に加工されていないと、統計官による捏造(ねつぞう)だと言われてしまうような保守的なムードもあるように感じます。例えば、公開データを構成する基礎となるデータの一部に断層のようなものがあって、業界にヒアリングしてどうもおかしい場合、(整合性のとれる形に)計数を補正しようとすると、捏造と言われかねません。事前の加工ルールにないからです。そんなリスクを冒すならば、たいへんに骨の折れるデータの検討作業などはある程度にしておいて、厄介な問題は蓋を開けることなく「そのままスルーしよう」と選択されかねません。
結果として、加工統計ではその品質が落ちてきているだろうか、という感覚があります。これは国際的な生産性統計の構築などを通じて感じることですが、日本経済の低成長の一部は、日本のGDPの過小推計による面もあるのではないかと思います。1990年代には「資産の過剰」が社会的な課題の1つとされましたが、当時には資本ストック統計の過大推計もあったのです。ものさしがおかしければ政策は歪むでしょう。
片岡:
汗をかいて仕事をした結果が、捏造と言われるのは本意ではないですよね。
野村:
昔は多くの省庁に「この数値がおかしければ、この企業を探ってみよう」といった探求のできる統計の専門家がいて、データ品質を追求していました。産業連関表でも「何年の表はいいけど、何年の表は質が落ちる」といったような、ワインの評価のようなことを伺った時代があります。もちろん新たなデータや方法論などの改善を通じてそうしたものを補っていくことは重要ですが、加工統計では専門家判断というのはつねに残るものです。現実経済の構造が大きく変わる中で、その価値はむしろ高まっているように思います。
ですが現実には、そうした統計人材のプロフェッショナルたちが、人繰りの問題もあって減少しています。省内における政策部局と統計部局の距離は、かつてより遠くなったように見えます。その結果、日本では、こだわりのない軽量化した“エビデンスもどき”も出てきて、真のエビデンスはむしろ見えづらくなっているように感じます。
片岡:
皮肉というか、逆説的な現象ですね。だからこそ、前編で伺ったように、データを利用するからには、データの背後にある構造をしっかりととらえないといけない。
野村:
そうですね。そうした把握を目指すからこそ、データの背後にある構造変化にも気付くことができるのです。
片岡:
例えば産業連関表のような加工統計は一定の理屈・理論に基づいて作成されるわけですよね。だから、そこについて熟知していれば、結果的に生データを一定の正しいレンズで見ることができる。しかし、そもそもレンズがなくなっていると、データをそのまま見せられても解釈ができない。そういった雰囲気がとても強くなってきたなと私も感じます。
コンサルティングに当てはめて考えると、「クライアント企業からデータをいただきました。利用しましょう」というときに、理屈をしっかり考えていくことが大切です。データを見て、「売り上げが増えています、以上」ではなく、どのような理由で売り上げが増えたのかを考える。それを把握するためには、おそらく経済学の領域の知識が非常に有効で、エコノミックな目線で見たコンサルティングが役立つのだろうと思います。
伊藤:
普段、データを扱っていますが、エネルギー政策とマクロ経済のお話を伺って、エビデンスを健全に疑う、ということの重要性を改めて認識できました。野村先生、広範にわたって示唆に富むお話をいただき、どうもありがとうございました。
PwCコンサルティング合同会社 シニアエコノミスト 伊藤 篤