
「AIおよびアナリティクス活用におけるプライバシーの論点」ピープルアナリティクスで担保すべき透明性と公平性
人材マネジメントに「ピープルアナリティクス」を活用するケースが増えてきています。特に活用が期待される領域や活用事例、プライバシー上の懸念事項を紹介します。
2020-11-06
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染拡大に伴い、各企業が急速にリモートワークを促進するなど、私たちのワークスタイルは加速度的に変化しました。今後は非対面のコミュニケーションや、勤務する場所を問わない働き方が定着することが予測されます。
こうした変化に柔軟に適応できない場合、企業は生産性の低下をはじめ、深刻な課題に直面する危険があります。企業を動かすのは人ですが、人が織りなす対面のコミュニケーションや、経験や勘を加味して判断を下す従来型の人材マネジメントが成り立たなくなる可能性があるからです。各現場が抱える課題にデータをもとにフォーカスし、従業員の言動の傾向やワークスタイルを可視化することで正確な状況把握とその正確性に裏打ちされた意思決定を遂行する「ピープルアナリティクス」が今、求められています。
冒頭で述べた通り、リモートワークが一般的になりつつある現在、対面・非対面のコミュニケーションが混在し、人材のマネジメントが難しくなっています。従業員の評価を例に挙げましょう。普段から対面で共に働いていれば、勤務態度をはじめ、評価をする上での材料は多く目に入ることでしょう。しかし直接顔を合わせる機会が激減する昨今、評価の指標は、メールやオンライン会議でのようすといったものに偏ってしまう可能性があります。非対面のコミュニケーションが基本となれば、客観的な状況把握を根拠としない限り、従業員の評価の透明性と公平性に対する不満が蔓延してしまう危険があるのです。
クラウドツールやITシステムが発達し、従業員の活動の多くがデジタルフォーマット上で展開されるようになっています。蓄積されるデータを活用して意思決定を行い、データ分析を論拠とした客観的な判断で人材マネジメントを行うことにより、企業は従業員への説得力を増すことができるでしょう。では、意思決定の精度向上を図るにあたり、どんな場面でこうしたピープルアナリティクスを活用できるでしょうか。具体的に見ていきましょう。
ここでは人材マネジメントのライフサイクルの中で、採用・就業・退職の3つの領域を対象とします。いずれも、データを見て論じるよりも感覚による判断が優先されてきた領域と言えるため、デジタル化が進むに連れて、判断基準にアナリティクスが大きな役割を果たすようになっています。
ここで活用する数多くのデータは、人材の志向・属性・行動のデータという3つに大別されます。志向・属性はスキルや資格・経歴情報のような静的データ中心で、行動は各種アプリケーションログのような日々蓄積される動的なデータ中心に成り立ちます。図表2に、分類ごとの具体的なデータの種類を記します。
分析の目的に合わせて必要なデータを選択する必要はありますが、ピープルアナリティクスの「ピープル」が指す範囲は必ずしも本人のみとは限りません。その人材の上司・部下との関係や、人材が組織においてどのような役割を担うべきか、といった観点で捉えることもあるため、データの粒度やデータ階層の構造にも注目する必要があります。
志向・属性に関するデータを活用する際に気を付けるべきは、情報鮮度の劣化リスクです。分析当時の断面をデータ化したと言えるため、最終更新から数年経っているデータについては、除外することを検討する必要があります。
人事領域の意思決定は現場で日々発生しています。ここでは、スキルや経歴といった定点観測的な静的データよりも、業務を通じて生成されるやり取りをはじめとする動的データの活用の必要性が高まってきています。実際にどのようなデータを活用して意思決定に生かしているのかを、事例ベースで紹介します。いずれも、ワークスタイル分析から業績貢献度の高い人物像を抽出するという、ピープルアナリティクスでよく見られる内容です。
採用領域と就業領域における配属が対象の取り組みで、業績貢献度の高い人物像や組織にフィットしやすい人物像をデータから形成し、意思決定の参考情報とします。ここでは、各人材の業務用カレンダーやチャット・メールの内容、業績評価に嗜好性結果なども活用します。
分析手順は以下の通りです。
(1)対象組織全体で働き方の類型化を実施し、パターン(朝型・夜型、コミュニケーション発散型、バランス型など)を抽出
(2)類型化されたパターンの中で、貢献度が高い人材が多いグループの特徴を抽出
(3)在籍期間が短かった(休職・退職)人材像を抽出
それぞれから抽出されたものを、組織内での貢献度が高い人物像の特徴組織に定着しづらい人物像の特徴としてまとめ、採用と配属の判断材料とします。
就業領域における日常業務の生産性や効率性などのパフォーマンスを測定し、「ハイパフォーマー」と呼ばれる業績への貢献度の高い人物像や組織にフィットしやすい人物像をデータから形成、コーチングの参考情報とします。
分析の対象となるデータは、採用・配属の時と同様に業務用カレンダーやチャット・メール、業績評価に嗜好性結果などを活用します。そこから時間の使い方やコミュニケーションの取り方、そうした働き方でどのような業績を残したか、彼らはどのような嗜好性を持っているのか、を分析します。
分析手順は以下の通りです。
(1)対象組織全体で働き方の類型化を実施し、パターン(朝型・夜型、コミュニケーション発散型、バランス型など)を抽出
(2)類型化されたパターンの中で、貢献度が高い人材が多いグループの特徴を抽出
それぞれから抽出されたものを、組織内での貢献度が高い人物像の特徴としてまとめ、コーチングの参考材料とします。
気を付けるべき点として、従業員それぞれに働き方や嗜好性があることへの理解が挙げられます。たとえパフォーマンスを向上させる典型的な取り組みを導き出せたとしても、働き方や嗜好性がかけ離れた従業員にそれを勧めるのは逆効果になり得るため、ロールモデルを形成し、パフォーマンス向上モデルを設けるところまでは同じでも、それぞれに合ったコーチングを実施することが肝要です。
このように人材マネジメント領域での高い効果が期待されるピープルアナリティクスですが、パーソナルデータを利用して従業員の働き方を分析し、その分析結果を利用して組織や本人に還元することから、プライバシー上の問題が発生する可能性があります。
従業員のパーソナルデータそのものに対するセキュリティ対策の実施や個人情報の取り扱いに関する法令の遵守については言うまでもありません。加えて、従業員の働くことに関する考え方や、私生活とのバランスの取り方などに踏み込むピープルアナリティクスとスタッフィング・コーチングが、本人のプライベートや自律に影響を与えるアクションになり得ることから、プライバシーを侵害する可能性がある点を考慮しなければいけません。
では、具体的にどのようなことを念頭に置いてピープルアナリティクスを実施するべきでしょうか。以下の3点が挙げられます。
(1)従業員の信頼関係を醸成するコミュニケーション
(2)分析結果からコンピテンシーへの昇華
(3)働き方の多様性を支える役割の再考
順に見ていきましょう。
個人情報保護法などの法令を遵守する上でも必要なことではありますが、特にピープルアナリティクスの領域で業績評価などの個人に向けたパーソナルデータ活用を行う場合は、事前から積極的に本人とコミュニケーションを取ることが推奨されます。人事関連の業務の多くは、採用時や雇用契約時の個人情報の取り扱いに関する条項などに従い、従業員のパーソナルデータを利用することが一般的です。しかしながら、ピープルアナリティクスのように雇用契約の維持や管理とは直接的に関係せず、取り扱い内容が流動的で雇用関係に影響を与える取り扱いについては、その目的や実施内容の概要について、本人に適切な理解を求めることが望まれます。雇用契約や従業員規則で定められていない働き方で個人の評価をしているといった見方もできるため、従業員の誤解や不信を招く一因となります。どのようなデータを取得・利用し、分析結果に対して企業としてどのような考え方を持っているのかを、ポータルサイトやダッシュボードといった形で従業員が確認できる手法の採用も検討すべきと考えられます。
パーソナルデータの分析を行う過程で、これまでには見えなかった事実や新たな仮説を導き出すことができるため、ピープルアナリティクスは企業や従業員に有益な情報源になり得ます。しかしながら、これらの情報をスタッフィングやコーチングに利用する際、企業理念や行動指針、従来から従業員に対して行ってきた研修プログラムや社員の評価制度からは読み取れない、または外れた考え方については、取り扱いを慎重にすべきです。
例えば、顧客とのコミュニケーション手段(電話やメール)と頻度について全社でピープルアナリティクスを行い、貢献度が高い人材にある特徴が見られたと仮定します。これを営業職の評価指標に取り入れたら、どうなるでしょうか。営業職は一般的に、売上目標や利益目標などが主要なKPIになると考えられます。目標を達成している人の中でもコミュニケーションの手段や頻度はまちまちでしょうから、急にコミュニケーション手段や頻度といった側面から評価がされた場合、公平性に欠けるとして、モチベーションの低下を招きかねません。仮に働き方と業績に因果関係が見られたとしても、その働き方を支える企業理念や評価制度(コンピテンシー)が伴っていなければ、従業員は「個人の裁量に任せられていた領域でスタッフィングやコーチングが突如行われたと」と、違和感を抱かざるを得ません。分析結果を生かすのにまず必要なのは、組織としての理念やコンピテンシーの制定、企業文化の醸成である点に留意する必要があります。
第2回「レコメンデーションで注意すべき『放っておいてもらえる権利』」でも挙げていますが、プライバシー保護の観点では、本人の人格や自律に配慮することも必要になります。雇用契約に従って労働力を提供している従業員を一個人・一契約先として考え、私生活への配慮は当然ながら、働くことに対する意識へのアプローチやアクションも慎重になされるべきです。ハイパフォーマーの働き方や考え方をそのまま横展開する発想では個々のプライバシーを保護することはできませんし、そもそも従業員にとっては、雇用契約にない内容に従う義務はありません。従業員とのコミュニケーションや透明性・公平性の担保と共に、個人の在り方そのものを尊重すること、組織としてさまざまな個人がいることを認め合う姿勢が重要になります。
組織を支えるのはハイパフォーマーと呼ばれる人材だけではありません。組織内での情報共有や指標に直結しないオペレーションにおいて、彼らを支える無数の支援が存在しているはずです。こうした支援者の行動様式は、売上などの業績から直接判断することが困難であるため、従来通りの管理者によるアナログな観察・分析が非常に重要となります。スタッフィングやコーチングに当たっては、組織全体の適切な人材配置を見据えて、個々人の趣向に沿った働き方の実現とそれに応じた役割の再定義が重要になると言えます。そうすることでプライバシー保護のみならず、組織としてのパフォーマンス向上につながるスタッフィングやコーチングが可能となります。
従来、特に日本においては、顧客の個人情報保護が優先され、従業員に対する配慮が後回しになる傾向が見られがちでした。しかしながら、働き方改革やワークライフバランスの実現、それらの施策としてのリモートワークやシェアワークといった、働き方の多様化とその高度化が求められる現在、従業員のプライバシー保護は、顧客と同等かそれ以上に行われるべき事項です。
そのためには、これまで以上に従業員とのコミュニケーションを密にし、企業の働き方に透明性・公平性を持たせることが求められます。従業員向けホットラインの構築や個人情報保護・情報セキュリティ対策など実施すべきことは多くありますが、プライバシーに配慮したピープルアナリティクスを利用したスタッフィングとコーチングは、組織内の多様性の最適化やさらなる活性化を実現する可能性を有します。このインサイトがよりよい働き方の実現の一助になれば幸いです。
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