2023-04-26
製薬会社はこれまで、MR活動やマーケティング活動などに取り組む際に、医師の処方行動を理解することに主眼を置いてきました。しかし、医師もまた生活者です。日々の生活実態や仕事を含めた幅広い価値観などを十分に理解しないままアプローチを続けていては、医師が本当に必要としている情報や対話の内容を正しく理解できないかもしれません。こうしたことの積み重ねが、医薬品の情報提供やプロモーション、医師とのエンゲージメントに非効率な影響を与えてきた可能性があります。
本稿では、医師の実態に光を当てることで、医師の現実を理解することの重要性と、それが製薬会社にもたらす意味の一部を明らかにしていきます。もしかしたらその実態は、製薬会社が想定しているイメージとは異なるかもしれません。
PwCはこのたび、8人の医師に対してヒアリングを実施し、その本音や本質に迫りました。そして、製薬会社が考える患者中心主義と、医師が考える患者中心主義の違い、そしてそれが医薬品のプロモーションにどのような影響を与えるかを分析しました。そのうえで、医師とのコミュニケーションを改善してエンゲージメントを高めたり、医薬品の情報提供やプロモーションを効率化したりするにはどうすればよいかを考察し、提言としてまとめています。
調査はあくまで一部の医師に対して行ったものであり、その結果には必ずしも普遍性が宿っているとまでは言えません。しかし、医師であっても職業人や生活者としての価値観が多様化していることの一端を示す結果になりました。医師の現実に対する理解を深め、効果的な医薬品プロモーションや医師とのエンゲージメントを実現したいと考える製薬会社の営業本部・コマーシャル部門に在籍する方はもちろん、それ以外の医師と関わりのある部門の方にとっても参考になる内容となれば幸いです。
「医師の実態を理解する」という目的を達成するため、私たちは質的な調査手法を採用しました。一般的な研究プロジェクトのように、対象者から意見を聞いて分析するのではなく、医師の論理を咀嚼し、私たち自身が医師に成りきるというアプローチです。こうした定性的な手法を選んだ主な理由は、定量的な調査では得られない医師の経験や認識を深く理解したかったという点にあります。
具体的な手法としては、8人の医師を対象に、約10日間の調査を実施しました。この間、医師には往診や当直、手術といった業務や、学会出張などのイベント、オフの時間の過ごし方などをブログで毎日更新してもらい、写真とともに体験や考えを記録してもらいました。その上で一人ひとりに2時間インタビューを行いました。なお、調査対象の医師の置かれている環境やバックグラウンドは、それぞれ大きく異なります。外科医や救命医といった診療科による違いのみでなく、離島での病院勤務医、開業医、訪問診療医など、地域や勤務形態もさまざまです。
結果として、私たちの中で医師への共感が生まれ、彼らの日々の課題や動機、優先順位などを深く理解することができました。そのうえで、調査メンバーも医師に成りきるために、ブログに記載されていた行動(職場で宿泊し、翌日に日中勤務をするなど)を実践しました。こうした体験を経た後に調査メンバー同士で議論を行い、医師の価値観への理解をさらに深めました。
私たちが用いた研究手法は、一般的な要約や結論を出すことを目的としたものではありません。その代わりに、あらゆる複雑さや近寄りがたい雰囲気を持った医師の現実世界をありのままに描写することを目指しました。このようなアプローチを採用すれば、通常の調査プロジェクトでは達成できないような、医師の実態と製薬会社への影響、特に営業本部における医師との関係構築および情報提供のあり方について、深い洞察を得られると考えたためです。
製薬会社のコマーシャル・営業本部のプロモーションや医師とのエンゲージメントにおいてより効果的な戦略を開発するために、医師の複雑な価値観や、生活を含めた雰囲気、そしてそれらから得られた示唆を提供することが、本調査の狙いです。
上記の調査では、生活と仕事について、8人それぞれの過去(背景と自分史)、現在(目の前の仕事と生活)、未来(目標と気持ち)の流れを押さえました。そのうえで個人の満足度、喜び、幸せを創り上げる要素として、仕事に対してどうありたいかという姿勢、気持ちの支え、個人の本音、の3点をヒアリングして整理しました。その結果から見えてきた医師の価値観や生活感は、以下の①~⑧(⑤~⑧は後編に掲載)のとおりです。なお空欄は該当する回答がなかったことを示します。
「医者一家で育ち、自然と医学への興味が強まった」「大腸がんで亡くした祖父の見舞いで医師と接するうちに職業として憧れを持った」――。こうした家庭環境や家族の病気をきっかけに医師の道を志したという動機と同等以上に多かったのが、医学部の試験を「たまたま」ないしは「勧められるまま」受けたら合格した、という声です。高校の成績がよい生徒に対して、親や教師、友人らが医学部を勧める風潮は根強く、選択肢の1つとして深く考えずに受験をした流れのまま、医師になったというケースは一定以上存在すると見られます。
また、高収入や安定性を踏まえた将来の生活のほか、生涯にわたって積み上げられるキャリアとして医師を選択したとの声も少なくありませんでした。
例えば、幼いころからプロゴルファーを目指していたCは、プロとしては自立できないという判断を下して「安定した職業・資格として医師を選択した」とのことでした。また、Hは国立総合大学の理系に進学したものの、研究職には不向きと自ら判断し、手に職をつける狙いで卒業と同時に別の大学の医学部に進学したといいます。
医師も病院という組織に属している組織人であり、研修医や若手勤務医といった駆け出しの時期はいわゆる「したっぱ」です。「時間に追われる激務にしり込みした」「極めてハードな働かされ方に疲弊し、『町医者』へ転向した」など、激務を訴える声は珍しくありませんでした。加えて、「病棟管理などの雑務の負担が重い」という、組織人の若手に共通しがちな経験も有しています。
近年は長時間労働やハラスメントに対する規制や社会の目が厳しくなったことから、調査対象の8人が若手の頃よりも職場環境は改善しているようです。しかし、残業時間の規制によって意欲はあっても思うように技術を積み上げられなかったり、指導医がはっきりと課題を指摘しなくなったりしているそうで、不満や不安を抱えている声も聞かれました。モチベーションとスキルの積み上げが一致しないジレンマという新たな課題が生まれているようです。
中堅以降のキャリアについての悩みも、多くの組織人と大差はないようです。特に勤務医の場合は激務が続き、「当直明けの日勤、当直翌日の外勤で当直バイトがつらくなってきた」「午前9時から午後5時まで昼食もとらずに診察し続けている」といった声が多く聞かれました。後進の指導や人間関係の構築、売上への貢献といった役回りも増加しており、年齢を重ねて体力が衰えたり、家庭環境が変わったりする中で、生活とキャリアの持続可能性を漠然と考えつつ、日々の業務をこなす現状が浮かび上がってきました。
一方、大規模な組織や都市部を離れることで、自らの過ごしたい暮らしを追求する医師も存在します。また、女性活躍推進やワークライフバランスの重要性が高まる中で、子育てをしつつ医師を継続する「ママさんドクター」といったロールモデルも徐々に浸透しており、Eは資格取得の時期を含めて計画的にキャリア・ライフプランを描いています。
ワークライフバランスの実現の仕方は個人によって大きく異なります。手術の最前線で活躍し、当直もこなすというFは、手のけがを恐れてハードなスポーツを控えているといい、「全ては仕事中心」と話します。Dも「とにかく前線を突っ走る。そのための努力の陰で私生活は犠牲になりがち」とコメントしました。
一方、平日開催も多いゴルフのアマチュア大会に出場するために柔軟に休みが取れる勤務先を選んだCのほか、離島勤務で釣りやロードバイク、家庭菜園を満喫するB、ワインエキスパートの資格を取得したGなど、仕事以外の生活を満喫している事例も珍しくありません。
安定した職業であり、需要も全国各地で根強いため、大規模な組織の中で生きるだけではなく、中堅から開業まであるグラデーションの中で、自らの生き方にマッチした組織を選ぶスタイルは今後もさらに広がりそうです。