顧客視点での行動規範の策定とカルチャーの醸成

はじめに

近年、イノベーション促進とリスク管理の両面から顧客志向の重要性が増しており、顧客重視のカルチャー醸成に取り組む企業が増えています。行動規範の中にもさまざまな形で顧客志向の要素が反映されるようになってきていますが、ただ文字として表現するだけでは、望ましい行動を導くことはできません。本稿では、顧客志向が行動規範にどのように記載されているのか、また顧客重視のカルチャーのためにどのような施策や制度が展開されているのかについて解説します。

1 顧客志向カルチャーの重要性が高まっている二つの背景

ドラッカーは企業の目的は顧客を創造することである※1、という名言を残しましたが、経営における顧客志向の重要性はあらためて強調するまでもありません。一方で近年における顧客志向重視の背景としては、大きく二つの流れがあると考えています。一つはイノベーションを促進するためです。例えばアマゾンの顧客至上主義は有名ですが、経営の大原則として「Customers Rule(全てはお客様が決める)」を掲げています※2。同社にはOLP(Our Leadership Principles)と呼ばれる14条の行動理念があり、実際の人事評価でもその観点が使われていますが、このOLPの最初に挙げられているのが、Customer Obsession(顧客へのこだわり)です※3。確かに同社が世に送り出してきた数々の革新的なサービスは、顧客のニーズを考え抜いたからこそ生まれたと言えるものでしょう。アマゾンだけでなくIT企業の多くが顧客至上主義にこだわるのは、変化の激しい業界において、社内の知見だけでは顧客から支持されるサービスやプロダクトを生み出し続けられない、時には開発途中のものでも早めにリリースして、顧客と共につくり上げていくことが求められるからであり、顧客志向のカルチャーであることが、競争優位に直結するからです。しかしながら、変化の速度が増しているのはIT業界に限りません。VUCA※4と呼ばれる時代において、イノベーション促進の観点からあらゆる業種で顧客志向の重要性が増しています。

他方で近年、リスク管理の側面からも顧客志向の重要性が高まっています。金融業界では、英国の規制当局を中心に、「顧客保護」「市場の健全性」「有効な競争」に対して悪影響を及ぼす行為が「コンダクトリスク」として定義され、従来の法令遵守を中心としたコンプライアンスリスクの範囲が拡張されてきています。法令等で明確に禁止されていなくても、顧客に過度な損失を与えることや、顧客視点の欠如した行為は、翻って企業自身のレピュテーションを毀損し、企業価値を損ねるとして、リスクとして捉えられるようになってきているのです。このような規制当局の動向を受けて、多くの金融機関がコンダクトリスク管理のための体制構築や行動規範の改定を行っています。しかしながら「法令違反ではないが顧客視点の欠如した不適切な行為」は非金融の事業会社でも頻発しており、顧客視点でのリスク管理は決して金融機関だけに求められることではありません※5。そして法令等で明確に規制されていないからこそ、顧客視点で個々人が正しい判断ができるカルチャー醸成の必要性が高まっています。

このように顧客志向はイノベーション促進とリスク管理の両面で、近年さらに重要性を増しており、それを組織に根付かせるためのカルチャー醸成に多くの企業が真剣に取り組むようになってきているのです。

2 行動規範に顧客志向はどのように反映されているか

企業が望ましいカルチャーを醸成するにあたって、行動規範はその要となる存在ですが、顧客志向は、行動規範の中でどのように表現されているのでしょうか?筆者を含めPwCではさまざまなクライアントの行動規範策定とその浸透をサポートしていますが、顧客志向をどう記載しているかについては、以下の3つのパターンがあると考えています。一つ目は品質管理を通じて顧客期待に応えることを強調しているタイプで、製造業やインフラ関連企業の行動規範によく見られます。一般的に行動規範のよくある構成としては、「顧客」「自社の従業員」「社会・環境」などステークホルダーごとに記載することが多いのですが、このパターンの企業では「顧客」という項目ではなく、「私たちのビジネスの姿勢」というような項目の中に、顧客志向の考え方を記載していることがよくあります。顧客との最大のタッチポイントが自社の製造する製品にあるからこそ、そのバリューチェーンの各プロセスにおいて顧客本位であり、かつ顧客の信頼を裏切らないよう法令を遵守する、というトーンでまとめられています。例えば、「我が信条(Our Credo:以下、「クレド」。)」で有名なジョンソン・エンド・ジョンソンの行動規範では、「事業活動の行い方」という大きな項目の中でクレドの第一責任に触れており、顧客一人ひとりのニーズに応えるにあたり、全ての活動が質的に高い水準のものでなければならず、事業活動における最高水準の誠実さを目指すために、製品品質に関する規制・基準の遵守、研究開発活動における法律・規制の遵守、販売に関するあらゆる法規制の遵守等を行う、としています※6

さらにインフラ関連企業では、事業の公共性に鑑みてIntegrityへの言及がよく見受けられます。これには顧客だけでなく、広く社会から見て誠実かつ高潔な組織でありたいという意思が反映されていますが、不公正な取引や公平な競争の侵害は顧客に損害を与えることにつながる、という趣旨の記載をしている例もあり、広い意味での顧客志向の表れとも言えるでしょう。

次に二つ目のタイプですが、顧客へのアカウンタビリティを強調する行動規範です。顧客ニーズの理解や、明快なコミュニケーション、顧客にとって最善の結果をもたらすことを考えた提案活動等が記載されていることが多いのですが、これは金融機関でよく見られるタイプです。例えばドイツ銀行の行動規範では、顧客に対して公平に接し、公平、明快かつ正確なコミュニケーションを取り、苦情(顧客からの要望も含む)は迅速かつ適切に対応することを強調しています。特に顧客と接する職員は、顧客の金融知識の素養やリスク選好も踏まえて、最適な結果をもたらすソリューションが提供できるように、顧客ニーズの理解に努めなければならない、としています※7。同じようにバークレイズ銀行も専門用語を排した明快なコミュニケーションや料金の透明性、高潔さを持って販売活動にあたることや、誤った情報はもちろん、顧客をミスリードしたり誇張したりした表現を行わないこと等を明記しています※8

前述したとおり、金融業界では顧客保護にもとる行為をコンダクトリスクとして規制する動きが顕著になってきています。その背景には、金融機関が時に自社の利益追求に走り、情報格差を利用して、顧客利益を損ねてしまった過去の事案からの反省があります。従って上記のような表現がなされている動機としてはリスク管理の要素が強いのですが、顧客損失につながる問題行動を取り締まるというマイナス側面の話ばかりではなく、望ましい行動を促進することでリスクの芽を刈り取っていこう、という前向きな意図も含まれています※9

最後に三つ目としては、顧客の期待を超える価値の提供を強調しているパターンで、これはIT企業、サービス企業によく見られます。IT企業においてはテクノロジーを活用してこの世にまだないもの、これまで解決されてこなかった顧客課題を解決するサービスやプロダクトを開発したい、そのために顧客が想定している範囲を超えた価値の提供を追い求める、というような趣旨が盛り込まれています。代表的な例としてはザッポスが挙げられますが、同社は10個のコアバリューの最初に「顧客にWOWをお届けする」を掲げており、顧客の期待を超えることで築き上げてきた評判を傷つけず、自らの行為に誇りを持つことを呼び掛けています※10

他方サービス業では、従業員と顧客の対面のやりとりが発生することが多いことから、顧客との良好な関係の構築、顧客のバックグラウンドを踏まえた行間を読むようなニーズの察知と対応を強調しています。リッツ・カールトンはサービスバリューとして、顧客と強い関係をつくり、一生にわたる顧客をつくること、表立って表明されていない顧客の要望やニーズに応えること等をうたっています※11。顧客とのタッチポイントとして自社の従業員が果たす役割が相対的に大きいため、それにふさわしい振る舞いや、人格的高潔さに触れているのも特徴と言えます。

3 顧客志向の行動を促進するための制度・施策の例

ここまで見てきたとおり、行動規範での顧客志向への言及は、「品質管理を通じて顧客期待に応える」「顧客へのアカウンタビリティを果たす」「顧客の期待を超える価値を提供する」といった3つのタイプがあります。しかし、ただ文章として表現するだけでは、行動規範でうたわれている内容は実現されません。行動規範が求めるビヘイビアを促進する制度や施策があって初めて、カルチャーの醸成・定着が可能となります。

企業によってさまざまな制度や施策の事例がありますが、これも整理するといくつかの類型にまとめることができます。一つは、現場への権限委譲を行うものです。アメリカの百貨店ノードストロームが昔、販売もしていないタイヤの返品を受け付けたのは有名な話ですが、同社は今でも広範に返品を受け付けています。返品受け付けの判断を現場の従業員に任せることで、カスタマーサービスの満足度を上げているのです。前項で事例を紹介したリッツ・カールトンでも、従業員に一日2,000ドルの決裁権を与えています。サービス業の事例がイメージしやすいですが、製造業や金融業でも事業側の投資判断や商品設計の裁量を広げることで、顧客ニーズへの対応スピードを上げている事例はあります。これらの施策は一方で、現場が暴走しないような監督の仕組みとセットで進める必要があるでしょう。

二つ目ですが、顧客志向の行動を明確に評価に反映するもの、です。ザッポスのコールセンターでは、電話を受けた回数よりも総通話時間を評価上のKPIとしており、また勤務時間の8 割を電話、チャット、E-mail など顧客とのコミュニケーションに使うことが求められ、達成するとギフトカードが支給される等の制度があります。素早く多くの件数をさばくことが目的になると一件一件の顧客対応が粗雑になるので、「顧客にWOWをお届けする」という同社のコアバリューを実現することができません。そこで、コールセンターで働く従業員がより多くの時間を顧客対応に割くことを促進する制度的設計がなされているのです。また昨今では顧客の観点に限りませんが、行動規範の項目をコンピテンシー評価など定性評価の一部に反映する試みが広がってきています。あるいは行動規範を体現するアクションの実践を表彰する、同僚同士のレビューで認め合うなどのレコグニションの仕組みも、このような類型の一つとして位置付けられるものです。

最後に、監督・是正の仕組みを導入するもの、があります。前述したザッポスではコールセンターのオペレーターに対する顧客満足度評価を行っており、トップパフォーマーには有給を追加支給する一方、ローパフォーマーにはトレーニングを実施します。顧客満足を計測し、会社としてのアクションプランを検討する仕組みは他にもあり、ドイツ銀行では2018年にグローバル・トランザクション・バンキング部と、コーポレート・ファイナンス部が共同で1,850名のクライアントの意思決定者等からのフィードバックを収集し、より顧客中心の営業活動の展開や商品開発に生かしました。また同行のプライベート・コマーシャルビジネス部門ではドイツ国内535拠点、海外579拠点においてミステリーショッピングを実施し、顧客満足度を計測する試みも行っています※12。このような監督・是正の仕組みを導入することで、リスクの芽を早めに察知し、あるべきカルチャーの実現に向けたアクションを取っている事例もあります。

4 まとめ

そもそも企業のカルチャーは千差万別であり、One-size-fits-allのソリューションは存在しません。本稿で紹介した事例をそのまま行っても、自社にとって望ましいカルチャーは醸成できないでしょう。しかし、一つ一つの取り組みの要素を抽象化してみることによって、自社の文脈に置き換えて、最適な施策を検討するヒントが得られるのではないかと考えます。PwCでは独自のリスクカルチャー※13に関するフレームワーク(図表1)の下、あるべきカルチャーを醸成するための仕組みと環境を包括的に整備する支援を行っています。また普段見えづらいカルチャーの傾向を可視化し、醸成のための施策につなげていく一貫したソリューションを有しています(図表2)。顧客視点で自社の行動規範を見つめ直し、自社に合ったカルチャー醸成策を考える一助となれば幸いです。


※1 P. Fドラッカー,2007.『イノベーションと起業家精神』上田惇生編訳,ダイヤモンド社

※2 佐藤将之,2018.『アマゾンのすごいルール』宝島社

※3 佐藤将之,2018.『アマゾンのすごいルール』宝島社

※4 Volatility、Uncertainty、Complexity、Ambiguityの略

※5 大手メーカーによる検査データの改ざん等では、法令による安全基準に違反はしていなかったが、取引先との合意基準を満たしていなかったため、顧客からの信用を毀損した事例がありました。また個人情報管理に関連して、法令には抵触しないまでも、顧客損失の観点から問題となった事案があります。

※6 ジョンソン・エンド・ジョンソン,2019.『業務上の行動規範』
https://www.jnj.com/code-of-business-conduct/japanese[PDF 3,195KB]

※7 Deutsche Bank Group, “Code of Conduct”
https://www.db.com/ir/en/download/Code_of_Business_Conduct_and_Ethics_for_Deutsche_Bank_Group.pdf[English][PDF 2,729KB]

※8 Barclays, 2019. “The Barclays Way: How we do business”

※9 英国の金融行為規制機構(FCA)は、コンダクトリスク管理において問題行動への対処だけでなく、望ましい行動の促進に取り組むべきであることを強調しています。
https://www.fca.org.uk/publication/business-plans/business-plan-2019-20.pdf[English][PDF 1,285KB]

※10 Zappos.com, Inc., 2010. “Code of Business Conduct and Ethics”
https://www.zappos.com/c/code-of-conduct

※11 The Ritz Carlton, “Gold Standards”
https://www.ritzcarlton.com/en/about/gold-standards

※12 Deutsche Bank Group, 2019. “Non-Financial Report 2018”
https://www.db.com/ir/en/download/Deutsche_Bank_Non-Financial_Report_2018.pdf[English][PDF 782KB]

※13 リスクカルチャーとは、従業員のリスクに対する考え方や認識、行動の総体を指します。本稿では、リスク管理を主に「守り」の側面から語ってきましたが、リスクカルチャーはリスクをどうテイクしていくかという「攻め」の側面も含むものであり、組織文化やガバナンスの根幹を成すものと言えます。


執筆者

大野 大

PwCあらた有限責任監査法人 ガバナンス・リスク・コンプライアンス・アドバイザリー部 マネージャー