電力事業者の市場取引リスク管理

  • 2023-08-25

はじめに

2016年4月に電力の小売全面自由化がスタートしてから、約7年が経過しました。その間、小売電気事業者が新たに開放された電力市場に多数参入し、2023年3月末時点で721の小売電気事業者が登録されています。また、太陽光発電や風力発電といった再生可能エネルギーの導入が進む中、発電事業者の参入も相次いでいます。

一方、昨今の燃料価格の高騰、円安の進行などにより、燃料価格や、日本卸電力取引所での電力取引価格が上昇傾向にあります。その結果、固定価格での販売、変動価格での調達を行っている小売電気事業者は、販売価格と調達価格の逆ザヤによる採算悪化で、市場退出を余儀なくされるケースが増えています。

このような状況を受け、経済産業省・資源エネルギー庁は、小売電気事業者・発電事業者が事業のリスク管理を実施する必要性を説いた「地域や需要家への安定的な電力サービス実現に向けた市場リスクマネジメントに関する指針(2021年11月制定〔2022年3月最終改正〕)」(以下「市場リスクマネジメントに関する指針」という)※1を公表しており、その後の審議会でも議論が行われています。

このような事業リスクの管理においては、適切なリスク量測定に基づいたヘッジ手段の導入が考えられますが、ヘッジ手段としてデリバティブ取引を行うには、内部統制の整備・運用ならびに会計処理の検討が必要となります。

なお、文中の意見に係る記載は筆者の私見であり、PwCあらた有限責任監査法人および所属部門の正式見解ではないことをお断りします。


1 小売電気事業者・発電事業者を取り巻く環境変化

ロシアのウクライナ侵攻などによる原油、石炭、LNGといった燃料価格の高騰や、日本銀行の金融緩和政策の継続による円安の進行などを要因として、日本の火力発電事業者の燃料調達価格、ならびに小売電気事業者の相対取引での電力調達価格および日本卸電力取引所での電力取引価格が上昇しています。例えば、小売全面自由化が始まった2016年、原油価格の代表的な指標の1つであるドバイの年ベースの価格は1バレル当たり41.20米ドルだったのに対し、直近の2022年では97.05米ドルにまで上昇しています。為替レートも、2016年4月は1米ドル106.2円でしたが、2023年5月には134.5円にまで上昇しています。これに連動する形で、日本卸電力取引所での市場取引価格も上昇傾向にあり、年平均で2016年は8.46円/kWhであったのに対し、2021年は13.46円/kWh、2022年は20.41円/kWhとなっており、電力の需給ひっ迫が生じやすくなっています。さらに、高騰する電力調達価格を販売価格に転嫁できない小売電気事業者の離脱が進んでいる状況です。

こうした状況を受け、経済産業省・資源エネルギー庁は、小売電気事業者・発電事業者が事業のリスク管理を実施するポイントについて「市場リスクマネジメントに関する指針」として公表し、当該ガイドラインに沿った事業運営を推奨しています。

スポット市場での取引は大きな価格変動リスクを伴います。自社の経営体力を超えたリスクを抱えた状態で、実際に市場価格の高騰などの要因により、電力サービスの提供を途絶させることは望ましくありません。地域社会や需要家に安定的な電力サービスを提供するために、電気事業者はスポット市場が大きな価格変動リスクを伴う市場であることを再認識し、適切にリスクマネジメントを実施すると同時に、適切な情報開示が必要となります。経済産業省における電力・ガス基本政策小委員会や電力・ガス取引監視等委員会の制度設計専門会合等の審議会の中でも、事業者による市場リスクマネジメントの取り組みの重要性や、需要家への情報開示のあり方についての提言が議論されているところです。

2 ビジネスリスクの評価

「市場リスクマネジメントに関する指針」では、小売電気事業者、発電事業者のリスク評価・管理について、望ましい行為を挙げています(図表1)

まず、小売電気事業者については、その事業特性として、季節的に需要が変動するため、需要に応じた最適な供給力を確保する必要があります。しかし、多くの小売電気事業者がショートポジション(需要に対して少量の供給力を確保する)を取った場合、夏や冬などの需要が高まる時季には不足分を市場から調達するため、スポット市場の価格が高騰するというリスクがあります。逆に、多くの小売電気事業者がロングポジション(需要に対して多量の供給力を確保する)を取れば、春や秋などの低需要期には余剰電力を市場に売却するため、スポット市場の価格が下落するリスクがあります。いずれの場合も、需要家への販売メニューは市場価格連動型でない限り販売価格へ市場価格高騰を転嫁することができないため、調達取引において価格変動によるリスクがあります。実際にこのような事態が発生し、調達価格の大幅な上昇による逆ザヤが発生し、小売電気事業者の自己資本を超える負担が生じることとなれば、信用力の下落、追加の証拠金差し入れや事業資金借入条件悪化による収支圧迫、加えて債務超過に陥り、地域や需要家へのサービスの継続が困難となる可能性があります。その結果、地域や需要家に対して安定的な電力サービスを実現する観点から、小売電気事業者においては、スポット市場の価格や需要の変動リスクを定量的に評価し、そのリスク量が経営体力の範囲内に収まっていることを定常的に管理することが望ましいとされています。

次に、発電事業者のリスク管理について見ていきます。小売電気事業者が安定的な電力サービスを実現するためには、電力システム全体で必要な供給力が確保されていなければなりません。そのために電源アセット運用の最適化を目指すことが、①発電事業者の利益確保につながり、②小売電気事業者に電源アクセス機会をもたらし、③電力システム全体の需給バランスの平準化にも資することになります。電源アセット運用を最適化するには、運用における不確実性(リスク)を把握した上で、利益を確保するためにリスクを取るのか、リスクをヘッジするのかといった意思決定を行うことが重要であり、それによって、リスクの所在や取り得るリスク評価・管理策も異なってきます。加えて、電力自由化が進んでいる現在の発電事業環境では、さまざまな市場が形成され、発電事業者がさらされるリスクやリスク評価・管理策は変化・多様化しています。このような現状を踏まえ、自社におけるリスクの所在とリスク評価・管理策を随時検討・見直すことは、最適なリスク管理のために重要となります。したがって発電事業者は、発電事業における自社のリスクの所在を明らかにし、それぞれのリスクに対してリスク評価・管理を実施し、最適な電源アセット運用を目指すことが望ましいとされています。

「市場リスクマネジメントに関する指針」と同時に公開された「地域や需要家への安定的な電力サービス実現に向けた市場リスクマネジメントに関する参考事例集」(以下、「参考事そこでPwCあらたは、2030年に向けた新たな挑戦として、今後アシュアランスに求められるであろう3点(図表2)に対して、テクノロジーを活用したアプローチを行っています。このアプローチにより、次世代にも利用できるサステナブルな監査テクノロジープラットフォームを構築することで、「信頼のバトン」を次世代に渡すことができると考えています。大限に発揮し、監査に関わる全てのステークホルダーが心身ともに健康的な状態で活躍することで実現される監査です。 VUCA(社会やビジネスにおいて、環境が目まぐるしく変化し、将来の予測が難しい状態)の時代に、社会に信頼を築き
図表1: 市場リスクマネジメントに関する指針の必要性および対象リスクの全体像

「市場リスクマネジメントに関する指針」と同時に公開された「地域や需要家への安定的な電力サービス実現に向けた市場リスクマネジメントに関する参考事例集」(以下、「参考事例集」という)※2では、小売電気事業者・発電事業者におけるリスクマネジメントの大まかな流れを次のように示しています。

① 自社が抱える取引数量・価格・期間における固定されている部分と変動する部分(ポジション)の定量的な把握

② 把握したポジションをもとにリスク量を算出し、そのリスク量を経営体力等と比較

③ ①②を踏まえた、リスクヘッジの実践

「市場リスクマネジメントに関する指針」にも示されているように、燃料市場・電力市場の価格変動のリスクに対しては、リスク管理の考え方を用いた対策が必要となります。まず、電力の需給予測に基づいた需給計画を策定し、自社がどの程度のリスクにさらされているかを適切に把握することが大前提となります。特に需要に対する調達側については、固定価格での相対契約をどの程度締結できるのか、残り部分の価格変動リスクがある契約・市場調達分について、どの程度固定化のニーズがあるのかを踏まえた検討が必要となります。また、発電事業者と小売電気事業者のリスクに対する考え方の違いを踏まえたリスク対応が必要となります。

発電事業者は、プロジェクトファイナンスによって大型投資の資金調達を行うとともに、投資を回収するにあたっては固定価格での相対契約が好ましくなります。燃料調達手段、販売価格設定の見直しなど、リスクへの対応方法も複数考えられますが、燃料価格の変動、販売側での相契約における価格変動ならびに卸電力取引所市場での価格変動に対して、一定の固定化によりリスクヘッジを行う場合には、発電事業者では、燃料先物、電力先物などのデリバティブ商品を用いてヘッジを行うことが想定されます。

小売電気事業者は、変動する需要に合わせて調達取引も変動させる場合、調達と販売のポートフォリオを近似させることで一定のリスクヘッジが可能となります。小売電気事業者側でも、リスクへの対応方法として、調達手段や販売メニューや販売価格の見直し、需要家へのデマンドレスポンス(DR)働きかけなど、多様な手段が考えられます。購入側および販売側での相対契約における価格変動、卸電力取引市場での価格変動等に対して、一定の固定化によってリスクヘッジを行う場合は、小売電気事業者でも電力先物、燃料先物等のデリバティブ商品を用いてヘッジを行うことが想定されます。

発電事業者・小売電気事業者が市場価格の変動リスクに対応するため、デリバティブ商品を用いてヘッジを実施する場合は、社内の組織や規程類、手続き・プロセスの策定、モニタリングデータの作成の仕組みなど、体制整備も併せて必要となります(図表2)

図表2 :小売電気事業者に課されている義務と必要となる体制整備の関係図

3 内部統制への影響

価格変動リスクをヘッジする目的で行う電力先物・燃料先物取引などのデリバティブ取引では、投機的な取引を防止し、適切なリスク管理を行うために、リスクの定量化を含めた内部統制の構築が必要となります。内部統制の組織設計は、取引を実行するフロントオフィス、リスク管理を行うミドルオフィス、出納・記帳などを行うバックオフィスの3つに分かれ、特にフロントオフィスの業務を重点的にチェックする仕組みになっています。

フロントオフィスは、デリバティブ取引の実行計画を策定する際に、ミドルオフィス部門にリスクの定量化を依頼します。ミドルオフィスは、VaR(Value at Risk)などの方法を用いて、リスクの定量化情報をフロントオフィスに提供します。フロントオフィスでは、これらの情報をもとに取引計画を策定し、取締役会などの経営陣の承認を得ます。このとき、経営陣がすでに年度ベースでの取引枠について確認済みの場合は、取締役会などで個々の取引の承認を省略することもできます。

取締役会などで承認を受けた取引計画に基づき、フロントオフィスが入札等の取引を行い、契約を締結します。バックオフィスは預託金管理、出納処理、会計処理などを通じて、不正取引防止の観点からフロントオフィスの業務をチェックします。ミドルオフィスは、リスク管理情報を定期的に経営層やリスク管理委員会に報告し、リスク管理の中核として機能します。さらに、フロントオフィスが実行しているデリバティブ取引のリスクをモニタリングします。損失限度、ポジション極度額等が当初承認された枠の100%(ハードリミット)あるいは 80%や75%等(ソフトリミット)などのアラームポイントの水準を超える可能性がある場合は、適時に新たな対処に関する協議・検討を行っていきます。

このように、リスク管理体制は、ミドルオフィスとバックオフィスがそれぞれ異なる立場からフロントオフィスを牽制する仕組みになっており、これら3つのオフィスが適切に機能しているかをチェックする内部監査機能を設けるのが一般的です。内部監査機能は、各オフィスが想定されている役割・機能を適切に果たしているかをチェックし、継続的な改善を促す役割があります。(図表3)は、リスク管理体制における各オフィスの主要な役割を示したものです。

取締役会などで承認を受けた取引計画に基づき、フロントオフィスが入札等の取引を行い、契約を締結します。バックオフィスは預託金管理、出納処理、会計処理などを通じて、不正取引防止の観点からフロントオフィスの業務をチェックします。ミドルオフィスは、リスク管理情報を定期的に経営層やリスク管理委員会に報告し、リスク管理の中核として機能します。さらに、フロントオフィスが実行しているデリバティブ取引のリスクをモニタリングします。損失限度、ポジション極度額等が当初承認された枠の100%(ハードリミット)あるいは80%や75%等(ソフトリミット)などのアラームポイントの水準を超える可能性がある場合は、適時に新たな対処に関する協議・検討を行っていきます。情報の信頼性についても担保されていなければなりません。
図表3: リスク管理体制図と各オフィスの主要機能

4 会計への影響

日本基準では、ヘッジ手段として実施するデリバティブ取引等については、「金融商品に関する会計基準」(企業会計基準第10号。以下、「金融商品会計基準」という)ならびに「金融商品会計に関する実務指針」(会計制度委員会報告第14号。以下、「金融商品会計実務指針」という)などに照らした会計処理の検討が必要となります。

まず、ヘッジ手段として利用される取引が、デリバティブ取引として金融商品会計基準の適用対象となるかどうか確認する必要があります。金融商品会計基準の適用対象となる場合には、時価をもって貸借対照表価額とし、評価差額を当期の損益として処理することが原則となります(金融商品会計基準第25項)。当該時価評価方法も論点となります。

次に、ヘッジ手段として実施する取引にヘッジ会計が適用されるのは、次の要件が全て満たされた場合となり、この要件を満たしているかどうか確認する必要があります。

1つ目としては、ヘッジ手段としての取引が、ヘッジ取引時において企業のリスク管理方針に従ったものであることが、以下の①または②のいずれかの方法によって確認できることが挙げられています。

① 当該取引が企業のリスク管理方針に従ったものであることが文書により確認できること

② 企業のリスク管理方針についての明確な内部規程および内部統制組織の存在から、当該取引がこれに従って処理されることが期待されること

2つ目は、ヘッジ取引時以降において、ヘッジ対象とヘッジ手段の損益が高い程度で相殺される状態またはヘッジ対象のキャッシュフローが固定され、その変動が回避される状態が引き続き認められることによって、ヘッジ手段の効果が定期的に確認されていることです(金融商品会計基準第31項)。

これら2つの要件を両方とも満たす場合には、ヘッジ会計の適用を行うことができ、原則として、時価評価されているヘッジ手段に係る損益または評価差額を、ヘッジ対象に係る損益が認識されるまで純資産の部において繰り延べる方法による(金融商品会計基準第32項)こととなります。

ヘッジ会計の適用の有無にかかわらず、公正価値による時価評価が必要となるデリバティブ商品の期末ポジションについては、市場価格が存在しない場合、関連する情報に基づいて独自に公正価値評価を算出しなければならないことがあります。関連する情報をもとに独自に算出した公正価値評価の適切性に対して、どのような検証が必要となるのか、また、どのような評価方法が会計上・監査上ともに妥当な処理と認められるのかを検討する必要があります。

日本基準における会計では、ヘッジ会計を適用せずにヘッジ取引を実施している場合においても、ビジネス目的でのヘッジの効果を定期的に確認することは、内部統制上の観点からも有用であると考えられます。投機的な取引の実施を回避する、ヘッジ対象に対する適切なヘッジ手段の選択が行われていることを定期的にモニタリングしていくことで、予見しない損失の発生等を予防することができると考えられます。

5 おわりに

昨今の事業環境の変化により、小売電気事業者、発電事業者ともに市場リスクへの対応が特に重要となってきています。「市場リスクマネジメントに関する指針」や「参考事例集」を活用しつつ、適切な市場リスクマネジメントを実施できる体制を構築していくことが求められています。


執筆者

PwCあらた有限責任監査法人
財務報告アドバイザリー部
エネルギー・資源、電力・ガス、金属・鉱業 インダストリー
シニアマネージャー 雨田 耕太郎