
2040年 未来シナリオ―「望ましい未来」をつくる技術戦略より(7)「予測ではなく、描き、実現する未来を」
未来に登場する個々の技術や個別の事象は、時として実現しなかったり、別のものに置き換わったりする可能性があります。しかし、私たちが伝えたかったことは、「未来を予測し、当てにいく」ことではなく、「望ましい未来を描き、実現していくこと」にあります。
2021-07-16
多発する自然災害や感染症の流行などによって事業環境は一変し、不確かな時代に入ったことで、従来のように現在を起点とした将来予想は困難を極めています。
PwCでは、未来を見通し、そこから導かれる複数のシナリオから次の一手を見定め、迅速に行動を起こすことが、これからの企業の発展に不可欠であると考えます。本シリーズでは、現在の延長線上にある「おそらく起こる未来」に加え、今後登場が期待されている技術を起点にした「より望ましい未来」の双方向から、2030年から2040年時点の立場で未来シナリオを提示し、その実現の鍵となる重要なドライバーを解説します。
読者の皆様に未来を見通すヒントと幅広い可能性を提示できれば幸いです。
さて、今回はどのような未来が待っているでしょうか。
人類(ホモサピエンス)は約20万年前の誕生から20世紀初頭まで、飢饉、疫病、戦争の3つにより、その多くの命が失われてきました。ユヴァル・ノア・ハラリ氏は人類史上最も死者を出してきた問題としてこれら3点を挙げており(1)、 同じく古代書『ヨハネの黙示録』も四騎士(災いをもたらす権威)のうち三騎士に、戦争、飢饉、疫病を描いているとされます。2030年の達成を目標としたSDGsの枠組みでは、それらの撲滅・解消に加え、災害や環境汚染に起因する死に対しても具体的なターゲットを定め、実行し、先進国・途上国に関わらず世界レベルで多くの不運な死を削減、または回避することに一定の成功を収めました。
SDGsの枠組みに限らず、近年の人口増加と平均寿命の伸びは目覚ましいです。人間の寿命については諸説あり、アルバート・アインシュタイン医科大学のシャオ・ドン氏らが125歳と分析する一方、オーストラリア連邦科学産業研究機構の分子生物学者、ベンジャミン・メイン氏はDNAに基づく推定寿命は38歳であるとしていますが、人類は科学技術を駆使することで、生き過ぎることによる身体の破壊・消耗を防ぐ対策を着々と実現してきました。2020年時点の主な死因は、世界ではがんや心疾患といった非感染性疾患、エイズウイルス(HIV)やマラリアといった感染性疾患、および道路交通障害であり、日本ではそれに加えて老衰や自殺が実績の上位に入っていました。疾病に対してはAI(人工知能)、ロボットやゲノム編集技術1などを活用した予防・治療技術の進歩、感染症に対しては疫学的進歩に加え遺伝子工学を活用したワクチン開発・製造の迅速化、そして交通事故に対しては高度な危険予知判断技術や危険回避技術を備えた自動運転システムの開発が、身体の破壊・消耗のリスク低減に貢献してきました。2019年に内閣府は2030年時点の日本の平均寿命を男性が82.4歳、女性が88.7歳と予測(2)していましたが、こうした科学技術の恩恵を受け、日本の平均寿命は2030年に 世界最速で90歳に到達しました。
10年前の2020年時点でも既に、生前のSNS上の投稿や音声データから故人の特徴を分析し、チャットボットとして再現するサービスはいくつか実用化されていました。例えば、土地不足から墓地をサイバー化して故人をバーチャルアバターとするサービスや、自分の人格に似るように成長するチャットボットなどが挙げられます。また、当時放送されたSFドラマでは、故人の生前のSNSや写真・映像データを基にAIが音声チャットボット化するサービスが登場し、主人公の女性が違和感を覚えつつも、突然死した恋人と電話越しの通話に没頭する様子が描かれました。
故人をバーチャルに再現するボットサービスは多様化し、一般に受け入れられつつあり、2029年には、より精緻に故人を再現する商品のプロトタイプが開発されました。自律型AIによる思考の精緻性と高度なAR/VR50による再現性が、この商品の特徴です 。数々の近未来SF映画で描かれてきたような、AIによるハックや暴走を回避する仕組みを含めた技術上の問題、倫理上の問題(過去の個人データをもとに故人を疑似的に復活させることが可能となっているものの、Digital Employment After Deathの調査では60%以上の人がデジタルによる復活を望んでいないとの結果もある(3))、法制度上の課題を解決した上で2032年の商品化が期待されています。
生きている者からすれば、故人が生前と同様の文調でメッセージを投稿し、生前と同様の声色で語りかけ、生前と同様の外見でそこに現れ、香りや感触も変わらなければ、故人を生きているものと認識することができるかもしれません。故人自身は生きているわけではありませんが、周囲からはまるで生きているように扱われるのです。すなわち、社会的には死んでおらず、デジタルの世界で故人は生き続けるということになります。2032年のサービス実用化までにクリアすべき課題は数多くありますが、デジタルやバーチャルによる社会的な不死の一般化が確実に近づきつつあります。
身体の不死を志向する試みとしては、テクノロジー進化による対症療法に加え、惑星間移動を扱ったSF映画に頻繁に登場するコールドスリープ技術、「人工冬眠」がその一翼を担うでしょう。
2030年、人工冬眠はほぼ実用化の目処がつきつつあります。以前から医療現場では代謝抑制と臓器保護のため、患者を一時的な低体温状態とする医療が行われています。そして、NASA(アメリカ航空宇宙局)は10~14日間の冬眠状態と、2~3日の覚醒状態を繰り返しながら火星に向かうフライトプランを提唱(4)してきました。2020年以降、そうした人工冬眠技術は進化を遂げ、安全性は飛躍的に向上しました。冬眠状態の長期化が可能となり、2030年の現在は、半年から1年程度の人工冬眠が可能となっています。
人工冬眠の実用化にあたっては、高度な体温管理・状態監視が求められるため、実際に導入するとなると専用設備を持つ医療機関や冬眠サロンに限られます。人工冬眠状態ではエネルギーの消耗を最小限に抑え、低代謝な状態を維持できるため、老化や身体機能の低下、病の進行を完全に止めることはできませんが、覚醒状態に比べその進行を圧倒的に抑えることが可能となります。SF映画に登場するような、冷凍保存による10年、100年単位での状態維持が実用化されるのはまだ何十年も先の話ですが、人工冬眠の実用化により、余命わずかと宣告された患者が数カ月後の子どもの結婚式に参加する、病気の進行を遅らせつつ人気外科医による手術を待つ、といったケースが格段に増えるでしょう。
より将来的な話としては、一部で進められている老化研究がさらに進展し、10年以上の単位で人工冬眠を維持できる技術が開発されれば、身体の崩壊や死を最小化、または無効化し、科学・医学の進歩を待つだけでなく、実際に未来の世界を自分の目で見ることが可能となるでしょう。また、老化を完全に防ぐ技術が開発されれば、出生した時代にかかわらず、若い状態のまま生きる時代を選択することも可能となります。これは未来へのタイムトラベルといえるでしょう。
文字の発明以降、人類は木や紙、そして現在はハードディスクドライブやクラウドに代用されるような、さまざまな記録媒体に自らの精神・知を記し、残してきました。それらは本人の死後もデータとして残され、例えば高齢化が叫ばれる職人の世界でも、デジタルを活用することで勘や熟練の技術といったノウハウ、暗黙知の喪失が回避されています。
スペシャリストの思考と技術をAI化し、未来に継承する取り組みもその一つと言えるでしょう。熟練者の知見・思考を、標準用語化・数値化し、後世が活用しやすい形態に構造化・モデル化することで、AIが自己学習し、有用な知見検索エンジンを作り上げることが可能となります。弟子が師に答えを求め、助言を仰ぐように、ビギナーはスペシャリスト思考ならぬAIエンジンを利用することで問題を解決できるのです。技術継承が課題だった製造業に限らず、建設業、アグリテック(アグリカルチャーとテクノロジーを掛け合わせた造語)、アスリートの育成など、2030年の現在では、さまざまな分野でこの技術が活用されています。
職人技をモーションキャプチャーなどにより行動解析し再現する、いわゆるデジタルを活用した身体知の可視化、継承も一般化しつつあります。かつて科学技術・学術政策研究所が五感センサー/ディスプレーの2020年代の実現を予想(5)した通り、職人の高度な技術について、動き・タイミングといった動作はもとより、音、感触、匂いといった感覚までもデジタルに落とし込めるようになりました。この技術を応用すれば、AR(拡張現実)で再現した匠の技と自らの動作を重ねることで技術を修正し、高めることができます。
このように、匠の勘をデジタル化して保存することは可能となっているものの、それら全てをアウトプットする技術の実現はもう少しの先の未来となるでしょう。また、脳と機械のインターフェース、ブレイン・マシン・インターフェースによる技術継承への貢献も期待されています。
人が考えた証をデジタルで残せるような仕組みができ上がりつつあります。これにより、企業は先人の知的資産と経験値を生かした事業を検討することが可能になります。また、人の死によって生じる資産の継承といった問題も、テクノロジーとルールの在り方を考えることで解決し、人の今ある営みをより良くすることへの貢献に取り組めるようになります。
『「望ましい未来」をつくる技術戦略 社会課題の解決に貢献する有望技術105 望ましい2040年へのシナリオ』(日経BP刊)では、2040年をターゲットとした「12の望ましい未来」を描くとともに、社会課題の解決に貢献し得る、有望な105の技術を抽出し、技術解説や研究の動向を示したうえで、生み出す市場、その規模、市場化の課題を分析しています。
【引用文献】
(1) ユヴァル・ノア・ハラリ著, 柴田裕之訳, 2018.『ホモ・デウス―テクノロジーとサピエンスの未来』河出書房新社
(2) 内閣府, 2019.『令和元年版高齢社会白書』
(3) Digital Employment After Death (2020年6月28日閲覧). https://dead.work/
(4) NASA, 2013. “Torpor Inducing Transfer Habitat For Human Stasis To Mars” (2020年6月28日閲覧) https://www.nasa.gov/content/torpor-inducing-transfer-habitat-for-human-stasis-to-mars
(5) 科学技術・学術政策研究所, 2015.『第10回科学技術予測調査』
【参考:文章上の関連技術の定義・説明】
技術名 |
概要 |
---|---|
遺伝子治療 | 一般に患者の細胞に治療用の遺伝子を導入し、その遺伝子の情報を元に作り出されたタンパク質の生理作用により、疾患の治療を行う方法を指す。厚生労働省「遺伝子治療等臨床研究に関する指針」では、「遺伝子治療等は疾病の治療又は予防を目的とした(1)遺伝子又は遺伝子を導入した細胞を人の体内に投与すること、(2)特定の塩基配列を標的として人の遺伝子を改変すること、(3)遺伝子を改変した細胞を人の体内に投与すること、のいずれかに該当する行為」とされている。 |
ゲノム編集 | 細胞内へ目的の遺伝子を導入し、その遺伝子が細胞のDNA塩基配列に組み込まれる遺伝子組み換えのことを指す。医療分野以外にも、家畜や植物などの品種改良などでも利用される。 |
危険予知判断技術/危険回避技術 | 高齢者の運転能力の低下をバックアップし、事故を回避する自動運転知能を持つ自動車の研究開発とその市販化を目的としたセンシング技術を指す。さまざまな研究領域・技術が有機的に融合しており、高精度の道路環境センシング技術(画像、LIDAR、レーダー、GNSS)、デジタルデータ(地図データ、周辺映像データ)、自律運転知能化技術(周辺認識、知識データベース、リスクポテンシャル予測)、高齢運転者診断技術(ドライバモデル、ドライバ受容性)、運転操作系HMI最適化技術などが挙げられる。 |
自動運転 | 人間が運転操作を行わなくとも自動で走行できる自動車、走行を指す。自動運転車におけるハード(クルマ)市場においてはセンシングとADAS(Advanced Driver-Assistance Systems:先進運転支援システム)が鍵となると考えられている。 |
AR/VR | ARは、人が知覚する現実世界をコンピュータにより拡張する技術およびコンピュータによって拡張された現実世界を指す。(1)位置情報の認識・画像認識・空間認識などの認識技術と、(2)テキストや画像・動画・3DCG・音声などを認識した空間に対応させて表示する技術、の主に2つから構成されている。 |
コールドスリープ技術/人工冬眠 | 宇宙船での惑星間移動などにおいて、人体を低温状態に保ち、目的地に着くまでの時間経過による搭乗員の老化を防ぐ装置、もしくは同装置による睡眠状態を保つ技術を指す。和製英語であることから、冷凍睡眠や長期冷凍睡眠にはハイバネーション(冬眠)などの語句も使われる。 |
身体知の可視化と継承 | 身体知とは、心理学や人工知能の研究対象として1980年代から隆盛してきた身体や生活や社会の文脈と結合させた知の概念を指す。 熟練技術者、熟練工から伝えるべき技能などを可視化技術により数値化、比較分析することで、後継者が理解し習熟することを支える技術群であり、製造業や伝統文化としての太鼓の叩き方などに関する可視化手法も研究が進められている。また普段意識をしない筋肉や脳の活動に基づき後継者に習熟させることを目指す研究も進められている。 |
ブレイン・マシン・インターフェース(BMI) | 人間の脳(ブレイン)と機械(マシン)を直接つなぐ技術(インターフェース)の総称を指す。ブレイン・コンピュータ・インターフェースと呼ばれることもある。BMIによって、脳の信号を解析し機械を操作・制御することや、機械からの入力によって脳機能の増強・改善することが可能となる。 |
【参考文献】
経済産業省, 2019.『2019年版ものづくり白書』
小松研吾, 板倉龍, 2020.「『死ぬ』とはどういうことか」『Newton』 2020年7月号, pp.22-39
日本経済新聞, 2019.「三大死因に初めて『老衰』死亡診断書の書き方変化?」(2020年6月28日閲覧) https://www.nikkei.com/article/DGXMZO45934830R10C19A6000000/
橋井明広, 清永怜信, 2019.『まんがでわかるクライオニクス論 ―未来を拓く新技術 実用的クライオニクスへの挑戦』文芸社
ベンジャミン・メイン, 2018.「生物の寿命はDNAに書き込まれている。それによると人間の寿命は38年」(2020年6月28日閲覧). https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/12/dna38_1.php
レイ・カーツワイル著, NHK出版編, 2016.『シンギュラリティは近いー人類が生命を超越するとき』NHK出版
Antonio Regalado, 2016.「グーグルは15億ドルの不老不死研究で何を知ろうとしているのか?」(2020年6月28日閲覧)https://www.technologyreview.jp/s/18419/googles-long-strange-life-span-trip/
WHO, 2004. “Global Burden of Disease”
Xiao Dong, Brandon Milholland & Jan Vijg, 2016. “Evidence for a limit to human lifespan” (2020年6月28日閲覧). https://www.nature.com/articles/nature19793
未来に登場する個々の技術や個別の事象は、時として実現しなかったり、別のものに置き換わったりする可能性があります。しかし、私たちが伝えたかったことは、「未来を予測し、当てにいく」ことではなく、「望ましい未来を描き、実現していくこと」にあります。
教育の分野にフォーカスし、望ましい未来とそれを実現する技術を考察します。
街づくり・モビリティの分野にフォーカスし、望ましい未来とそれを実現する技術を考察します。
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