地政学リスクの潮流と経済安全保障に関する主要国の重要政策【後編】

2021-12-14

2021年に入り、各国首脳による国際会議の議題や国別の重要政策において「経済安全保障」が頻繁に取りざたされています。日本でも、2021年10月に発足した岸田内閣が経済安全保障を重要政策の1つに掲げ、経済安全保障担当大臣のポストを新設しました。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の拡大がようやく踊り場に来ているこのタイミングで、なぜ「地政学リスク」「経済安全保障」が注目を集めているのでしょうか。

近年、経営戦略上の対応すべき重要リスクとして急速に存在感が高まる地政学リスクおよび経済安全保障について、本稿前編では背景にある3つの大きな潮流を、中編では米国・中国における優先アジェンダを紹介してきました。後編ではEUと日本の政策動向を概観し、各企業が今後検討すべき視点に関する示唆を提供します。

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EU(欧州連合)における重要政策アジェンダ

対立を続ける米中の間で、どちらに傾倒することもなく、独自の動きを見せているのがEUです。EUでは近年、「開かれた戦略的自律性(open strategic autonomy)」を意識した政策的な動きが活発化しています。「開かれた戦略的自律性」とは、多国間主義に基づく国際協調を尊重・支持しつつも、EUの価値および利益を擁護する考え方です。EUはこのような概念のもと、産業の保護・育成、通商に関する政策を積極的に施行し、それらに関連した国際的なルールメイキングを牽引しています。米中が経済規模を梃に国際的な影響力拡大を図る一方で、EUは独自の規範や原則を打ち出すことで関係国との連携強化を模索しています。

背景には、トランプ前政権の自国第一主義によって米国の国際的影響力が低下し、米欧関係が軽薄化したことがあります。米英豪は2021年9月にインド太平洋地域における新たな安全保障の枠組み「AUKUS」を発表しましたが、EU加盟国への事前共有などはされておらず、米欧関係の冷え込みが明らかとなりました。加えて、EU域外からの供給に依存する重要物資がCOVID-19のパンデミック時に不足したことなども、域外依存に対するEUの危機感を高めました。

欧州委員会はEUの開かれた戦略的自律性強化を目的に、2月には新通商戦略を、5月には新産業戦略の更新版を公表しました。①開放的な市場、②持続可能性、③EUの利益の主張の3本柱から成る新通商戦略は、EUの環境政策やデジタル政策を貿易によって推進していく方針を前面に掲げています。加えて、世界貿易機関(WTO)のルールを現実に即した形で改定することや、持続可能性やデジタル貿易に関するイニシアチブの推進など、現在機能停止に陥っているWTOの正常化やアップデートをリードしていくことも提言しています。

新産業戦略は、COVID-19危機からの復興や、パンデミックによって明らかになったEUの脆弱性への対応などを目的に更新されました。とりわけパンデミック下におけるバリューチェーンの混乱を教訓に、戦略上懸念されるEU域外への依存に対処する必要があると指摘しています。欧州委員会はこうした現状を踏まえ、バッテリーや水素といった特定分野の官民協働アライアンスを支援し、国際的なサプライチェーンの多様化などにも取り組むとしています。

EUではこうした通商・産業戦略のもと、図表1に示す通り、特に環境政策やハイテク・デジタル政策に関連した動向が活発化する見込みです。トランプ前政権下で発生した米欧貿易摩擦や、中国の政治的・技術的影響力の拡大、昨今の半導体の供給不足などを背景に、「デジタル分野における主権(Digital Sovereignty)」の強化を急ぐ動きが見られます。

図表1 EUにおける「開かれた戦略的自律性」の強化

例えば、EUは2021年3月、次世代のハイテク・デジタル産業育成を目的に、2020年代中に1,500億米ドル以上を投じることなどを定めた政策方針「デジタルコンパス2030」を公表しました。同方針では、2030年までに次世代半導体生産高の少なくとも20%をEU域内で生産することも目標の1つとしており、先端技術分野で先行する米中に追いつくことが狙いと見られます。

EUは、中国をはじめとする諸外国へのハイテク・デジタル技術の流出にも警戒感を強めています。欧州委員会は2021年5月、外国政府からの補助金などの支援のもと、EU域内企業の買収・合併が行われる際に、事前通知を求める規制案を発表しました。同規則案は、中国などを念頭に、外国政府の補助金を受けた企業がEU単一市場内で不公平な競争をすることへの対処の一環であり、違反企業による買収・合併を阻止できるほか、資産売却や年間売上高の10%(最大)の罰金といった制裁が科される可能性もあります。

一方、EUが環境政策において注力する循環型経済の実現も、開かれた戦略的自律性強化の一翼を担うでしょう。欧州委員会は、2020年3月に「欧州グリーンディール(2019年12月発表)」を推し進めるための具体策を盛り込んだ「サーキュラーエコノミー行動計画」を発表しました。同計画には、サプライチェーンを含む経済全体を循環型へ移行することで、第三国の情勢や意思決定に依存しない自立した経済圏の確立を目指す側面があります。同時に、グローバルレベルでの主導的な取り組みについても提案されており、循環型経済に関しても国際的なルールメイキングを主導したい姿勢がうかがえます。

環境政策においては、2021年7月に発表された気候変動対策パッケージ「Fit For 55」や、EUにおいて同年10月から発行されたグリーンボンドを巡る動向なども注目です。「Fit For 55」は、2030年までにCO2排出量を1990年比55%以上削減することを目標としており、実現のためのさまざまな具体策を提案しています。中でも、国境炭素調整メカニズムの導入は、戦略的自律性の強化の一環と解釈できます。同制度は特定の輸入製品に対してEU域内製品と同様の炭素価格の支払いを義務付けるもので、CO2削減規制が緩いEU域外への生産拠点の移転や域外からの輸入増加などを防ぐ目的があります。

また、EUによるグリーンボンドの発行には「持続可能な投資」の広がりに対応するだけでなく、米ドルへの依存度を下げ、米国の情勢や政策に影響を受けにくい経済を構築する狙いがあります。米国が中国やイランといったさまざまな国家と緊張関係にある現状は、米ドル建てでビジネスを行うEU企業にとって懸念すべき事業リスクとなるおそれがあるためです。

EUが戦略的自律性を目標としてこれら独自のルールメイキング戦略をとるなか、欧米がどこまで協力して対中包囲網をつくるかで、今後のグローバルでの地政学リスクのあり方が変わってくるでしょう。

日本における政策動向

最後に、日本における地政学リスク・経済安全保障の動向と、今後の方向性について解説します。

日本でも、2018年以降の米中貿易摩擦およびハイテク覇権争いを受けて、地政学リスクへの対応と米中間における日本の立ち位置について関心が集まっていました。そこにコロナ危機が起き、グローバルサプライチェーンに過度にもしくは局所的に依存している日本経済の脆弱性と、いち早く回復した中国が展開するワクチン外交などの戦略的な影響力伸展の動きへの懸念が高まり、地政学リスク・経済安全保障リスクへの国家的な体制構築が加速しました。図表2に、日本の公共・民間セクターにおける主な動向をまとめています。

図表2 日本における地政学リスク関連の主な動き

具体的には、2019年6月に経済産業省に「経済安全保障室」、同年10月に外務省に「新安全保障課題政策室」が設置されました。2020年4月には、安倍政権下で外交・安全保障政策を担当する国家安全保障会議の事務局として設置されていた国家安全保障局に、経済安全保障を担当する「経済班」が新設されました。さらに、同年6月には、当時、自民党政調会長だった岸田首相が、コロナ禍を経た新たな国際秩序における日本のあり方を検討する場として「新国際秩序創造戦略本部」を立ち上げました。

法整備の面でも、2020年5月に、安全保障上重要な企業に対する外国資本による投資を規制する改正外為法が施行され、同年6月には、安全保障上重要な土地の利用・取引を規制する重要土地利用規制法が成立しました。

これと連動するように経済界でも、地政学リスクを特に経済安全保障のレンズでとらえ、向き合う機運が高まっています。2021年4月に経済同友会は「強靭な経済安全保障の確立に向けて―地経学の時代に日本が取るべき針路とは-」と題した提言を発表しました。

こうした流れの中で2021年10月に発足した岸田政権は、経済安全保障を重要政策の1つに掲げています。新国際秩序創造戦略本部で事務局長を務めた小林鷹之氏が新設の経済安全保障担当大臣に就任しました。

日本の経済安全保障戦略の要となるのが、対外依存度を減らし自国の経済基盤を高める「戦略的自律性」の確保と、国際産業構造において自国が必要不可欠とされる分野を保有する「戦略的不可欠性」の維持・強化・獲得です。新国際秩序創造戦略本部は2021年5月に「中間とりまとめ」を提出し、エネルギー、情報通信、交通・海上物流、金融、医療の5分野において上記2つの目標実現に向け提言を行いました。

岸田政権は同報告書の内容をもとに経済安全保障政策を策定し、2022年通常国会での経済安全保障一括推進法案の成立を目指す見通しで、10月末の衆議院選挙を経て発足した第2次岸田内閣では、経済安全保障に関する関係閣僚会議を新設して、法案準備を加速すると見られています。

世界における日本の立ち位置と、今後日本企業に求められること

とはいえ、本稿でここまで解説してきたように、日本を取り巻く国際情勢は混迷を極めています。ハイテク覇権争いやデカップリングが進むなかでも、気候変動対策などの共通利益の分野で協力を探る、米中の「競争的共存」。対中戦略や環境などの分野で米国と連携しつつも、自国産業が有利となるようなルールメイキング戦略を展開する、欧州の「開かれた戦略的自律性」。欧米を含む外需を取り込みつつも、自国産業基盤や共産党支配の強化を通じた経済発展を目指す、中国の「双循環政策」。いずれも相反した内容を含んでおり、単純に欧米vs中国という構造とはなっていません。米中欧の3極いずれも、安定的なバランスを失ったまま走り続けているのがコロナ後の姿です。地政学・経済安全保障リスクへの対応、対中経済関係の重要性、地球規模の課題に対する国際協力の必要性、独自の競争戦略の確立など、多岐にわたる側面を同時に考慮する難しい舵取りが求められます。

この明確な答えのない地政学的環境の中で日本が競争力を維持していくためには、伝統的な軍事的国家安全保障を超えて、官民が一体となった経済安全保障の確立を目指すことが必要です。日本企業としても、自社事業に影響を及ぼす地政学リスクの最新動向把握やシナリオ分析による対策準備に加え、経済安全保障担当役員の設置や重要分野における産業政策上の官民連携など、今後さまざまな対応が求められるでしょう。

このことは特に、海外事業を展開する企業にとって切実な課題です。地政学的な状況変化によって、撤退を迫られたり、減損に追い込まれたりなど、甚大な影響がもたらされる可能性があります。一方で、ルール形成に参画することで、自社の大きな事業機会の成長を実現することもできます。そのためにも、市場環境、競合環境の変化だけでなく、地政学的な変化もマーケットインテリジェンスの重要な1要素として組み込み、全社事業や海外事業の戦略を推進するメカニズムを構築するべきだと言えます。

執筆者

ピヴェット 久美子

ディレクター, PwC Japan合同会社

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