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新興技術(エマージングテクノロジー)は社会に浸透することで、望ましい未来のデザインを可能とし、また国際的な課題を解決しつつ「あるべき姿の実現」を目指すデマンドプル型経済活動と融合することで、社会変革を加速させています。この融合は、研究開発とイノベーションに関わる研究者、企業、政策立案者など全ての関係者に対し、イノベーションプロセスの変革を求めるものです。
本コラムシリーズでは、欧州で議論が先行する「責任ある研究とイノベーション(RRI)」の実践が作り出す社会経済の好循環を読み解きます。第3回では、新興技術への期待値と社会的影響のコントロールに向けた欧州におけるRRI導入の具体化をレビューし、日本におけるRRIの実践に向けて政府や企業などが取り組むべきことについて考察します。
※本コラムは大阪大学社会技術共創研究センターとの共同研究の成果に基づくものです。
責任ある研究とイノベーション(RRI)に関する議論が活発化している背景には、新たな産業革命のトリガーとして注目される量子技術への政策投資の増加があります。2023年の量子技術開発に対する世界の政府投資額は合計で約390億米ドルに上っており1、またさまざまな国が量子技術の国際的な拠点、あるいはハブとしての地位を確立することで自国の経済力を高め、社会を豊かにしようとしています。しかしその一方で、人文社会科学的な知見を導入し、量子技術への期待値とその社会影響をコントロールする方法を構築することは欠かせないものとなっています。
世界に先駆けて2014年から量子政策を推進する英国では、2019年に新興技術と現行法や規制との適合性を評価し、必要な規制改革について政府に公平かつ専門的なアドバイスを提供する独立した専門委員会(Regulatory Horizons Council)が設置されました2。経済と社会に大きな利益をもたらす可能性のある製品、サービス、ビジネスモデルを優先的に扱い、それらの迅速かつ安全な社会導入を促進するために必要な規制改革(政策立案者や規制当局による法律、規則、指導のコンサルティング、試行、導入、実施、評価など、規制改革に関連する全ての活動)を広範囲に調査・分析し、提言を行っています。
欧州連合加盟国の中でも特にRRIの導入に積極的なオランダでは、2020年に発足した「量子デルタNL(Quantum Delta NL)」内に「量子と社会センター(Center for Quantum & Society)」が設置されています3。同センターは、RRIの中核となる社会的価値観を維持するためのガバナンスの構築に向けて、産学連携により量子技術の影響に関する倫理的およびに法的な枠組みや、効果的なコミュニケーションに関する学術研究を促進しています。また2023年には、研究開発の初期段階における十分な情報に基づいた意思決定を支援するためのツールを公開しています。
オランダや英国におけるこうした施策や、第2回コラムで紹介した欧州委員会によるRRIに関する先駆的な取り組みは、米国やカナダなどにも影響を与えています。2022年11月、米国のワシントンD.C.において、18カ国の政府代表および量子技術関連企業の関係者およそ計700人が参加して第1回世界量子会議(Quantum World Congress)が開催されました。そこでは量子ガバナンスの早期構築に向けた提言が発表されましたが4 、利益へのアクセスの民主化を中心的価値観として採用することや、倫理的な量子産業の発展に向けて分野を超えたオープンな対話を推奨することが盛り込まれるなど、RRIの重要性が強調されています。
カナダは、2022年に国家量子戦略(National Quantum Strategy)を発表し、カナダが量子イノベーションにおいて国際的リーダーシップを発揮し続けるために取り組むべきミッションを定めました5。研究推進、人材確保、商業化という3つの柱事業を推進するうえで、テクノロジーの成熟とともに明確になりつつある「好機」と「課題」を認識し、国内の利害関係者および同様の考えを持つ国々と継続的に対話することの重要性を指摘しています。カナダ政府の取り組みで特徴的な点は、産、官、学、民の関係者がそれぞれに果たすべき役割について広範な協議に基づき整理していることです。また、社会科学・人文科学研究評議会(Social Sciences and Humanities Research Council)が、量子技術の社会的・倫理的考察に関する研究に資金を提供することも提案されています。
こうした海外の国々における新興技術の研究・開発に対するRRIガバナンス導入に係る動向から明らかなことは、今後、日本企業がグローバル経済の中で新興技術によるイノベーションと社会課題の解決に取り組み、企業価値とビジネスの持続性を確保するためには、RRIガバナンスを積極的かつ早期に取り入れていくことが重要だということです。
欧州連合を中心に進むRRIガバナンスは欧州特有の価値観に基づく部分を含みます。RRIガバナンスの中核をなす社会的価値観は、国および地域の文化や政治経済的な背景を色濃く反映しており、それはまた新型コロナウイルス感染症のパンデミックのような予期せぬ突発的外力の影響を受けて経時的に変化します。したがって、国内において産官学民による連携体制を速やかに構築し、国際的な議論の枠組みに早期に参加する必要があるのです(図表1)。
RRIガバナンスは、技術革新によって生じるおそれのあるリスクを軽減することに加え、社会に有用なイノベーション、実験、起業家精神を妨げず、それらを促進するために設計されるものとされています6。近年のAIやロボットに関連した国内の規制についての議論は、その視点が社会に対する負の影響に強く向けられる傾向があり、イノベーションの有用な側面を強化促進するための議論が不足しています。製品やサービスの開発に係る大部分を担う民間企業が適切なRRIリテラシーを持つとともに、誰が何に対して責任を負うのか、RRIはバリューチェーンに沿ってどのように統合されるのか、を実践的に明らかにし、有用なイノベーションを阻害する要因を排除するために官学と連携して議論をリードすることが重要です。
PwCコンサルティング合同会社は、産学連携を活用し、公共セクターにおけるRRI推進体制の構築と企業へのRRIガバナンスの導入を支援します。
2 Regulatory Horizons Council (RHC). Accessed December 20 2023.
3 Center for Quantum and Cociety. Accessed February 25 2024.
4 Quantum World Congress. Accessed Dicember 10 2022.
5 Canada’s National Quantum Strategy (20229. Accessed March 21 2024.
6 岸本充生, 2023. イノベーションに資する規制に向けて―英国とカナダの独立諮問委員会の取り組み. 2024年3月5日