今回紹介するシェアードサービスセンターは、多くの欧米企業が業務の効率化、安定化等の目的で利用していますが、東南アジアの日本企業の子会社の間ではあまり利用されていません。東南アジアでは、マレーシアをはじめとして、インド、フィリピンなどにも欧米企業のシェアードサービスセンターが林立しているにもかかわらずです。それはなぜでしょうか。これは、日本企業が自前主義に固執している、あるいはこれまでグローバルな視点で経営ができていなかったことに理由があるのかもしれません。欧米企業が企業経営で実施してきたことを日本企業が10年から20年後に後追いしてきたという過去の歴史を振り返ると、そろそろ日本企業もシェアードサービスセンターの設置を考える時期に来ているのではないでしょうか。また、本稿で論じていくマレーシアひいては東南アジアの日本企業の子会社にとって、現在直面しているさまざまな問題点をうまく長期的に克服する特効薬になる可能性もあると考えています。ここでシェアードサービスセンターと筆者が定義しているのは、自社グループの中にシェアードサービスセンターとしての業務を行うための子会社を設立し、自社グループ内のバックオフィス業務を移管することです。なお、文中の意見に係る記載は筆者の私見であり、PwCあらた有限責任監査法人および所属部門の正式見解ではないことをお断りします。
マレーシアに赴任してから21年が過ぎましたが、いまだに「マレーシアってどんな国?」という質問を多く耳にします。
観光地としてもビジネスを行う地としても、マレーシアという国は日本では残念ながらあまり有名ではないようです。一般的には、「シンガポールの隣にある東南アジアの国」など漠然としたイメージしかないようです。まずはマレーシアについて簡単に紹介します。
マレーシアは「東南アジアの優等生」と呼ばれた時期もあるほど経済発展を遂げており、1人当たりGDPではASEANでシンガポール、ブルネイに次いで3位の国です(出所:World Bank, World Development Indicators database)。日本からは、東南アジアの一国として発展途上国という印象があるかもしれませんが、国の分類としては先進国には入っていないものの、都市部の生活圏は先進国並みのインフラを備えています。クアラルンプールはガーデンシティとも呼ばれ、緑豊かな熱帯雨林が街の中にも広がっている一方で、一時は世界一の高さのビルとなったペトロナスツインタワーを含め高層ビルも数多い、自然と都会が調和した美しい都市です。
また、マレーシアは多民族国家としても有名であり、ブミプトラと呼ばれるマレー系を中心にしたグループが人口の約65%、残りは中華系が約25%、インド系が約10%弱と多くの民族が調和し共存している国としても知られています。観光地としてはペナンやマラッカといったユネスコ世界遺産となっている都市がある一方で、美しいビーチや熱帯雨林のジャングルも多い自然豊かな国です。中でも、日本からの観光客が多く訪れる観光地としては、ランカウイ島などのビーチリゾートやアジア最高峰のキナバル山が有名です。
産業としては天然ガスやパームオイルなどの天然資源輸出などのエネルギー系事業が盛んであるとともに、多くの工場があり工業化が進んでいます。日本企業の進出例としては、伝統的に電子部品等の工場の進出が多く見られます。クアラルンプール近郊やペナン近郊の工業団地には数多くの日本企業が1980年代後半から90年代初頭にかけて進出し、現在は初期投資の償却が済んだ安定した製造拠点として利用されているケースが多いようです。欧米企業では、シリコンバレーの下請として多くの半導体関連の工場が、特にマレーシア北部のペナン州やケダ州に進出しています。
他の東南アジア諸国に比べて政治的に安定しており、治安が良く、親日的で英語も通じるという意味で、日本企業にとって好ましい製造拠点と言えるでしょう。一方、労働者の賃金はそれほど安くなく、また人口が3,300万人の小国であることから国内で労働者を調達、確保するのは容易ではありません。往々にして外国人労働者に依存する必要があり、その外国人労働者採用のための政府の承認プロセスも複雑で時間がかかるなどの問題があります。したがって、製造拠点の労働者安定確保、低コストでの工場運営では他の東南アジア諸国、例えばベトナムやインドネシアなどより見劣りする面はあります。
上述したように、多くの日本企業がマレーシアに製造拠点を構え始めたのが1980年代後半から90年代初頭です。現在は、当時に入社したローカル従業員が50代半ばから後半になっている会社が多く、頼りがいのある生え抜きのベテランローカル従業員が揃っている会社が多数存在します。そういった意味では今マレーシアにいる日本人駐在員は、ベテランローカル従業員に全面的に頼ることができ、一番楽ができる時代を経験していると言っても過言ではありません。一方、そのベテランローカル従業員の後継となる中堅、若手ローカル従業員が十分に育成されていないケースが多数見受けられます。日本人駐在員は従業員育成に関する問題意識を持ちながらも、日々の業務に忙殺され、自身の駐在年数がそれほど長期にわたらないことも相まって、中長期的な現地法人の課題に十分に向き合えていないケースが散見されます。また、これはマレーシアに限った話ではありませんが、若手ローカル従業員は、1つの企業に長期間在籍するというスタイルではなくなってきています。特に転職を重ねることで自身の役職と給与をアップグレードしていく慣習のあるマレーシアでは、若手ローカル従業員を長期間在籍させることがより困難になってきているように見えます(図表1)。
さらに、当地の日系企業では、長期間在籍したとしても、ローカル従業員に対するキャリアパスが決まっていないことが多いので、従業員が頑張ったとしても現地会社の役員や社長に昇進したり、本社マネジメントに就任したりする可能性は高くありません。ローカル従業員としては、日系企業に長期間在籍するというインセンティブが働きづらい結果、すぐ辞めてしまう、もしくは勤務を継続するとしてもそれなりに大過なく業務をこなすことが目的となるケースが多く見られます。
一方、シンガポールを中心にアジアに地域統括会社を設置している日系企業に目を向けてみましょう。筆者が見るところ、本来、地域統括会社設立によって達成しようとした目的に沿って活動できている会社は必ずしも多くはなく、役割達成に苦労している状況のように思われます。地域統括会社の方の悩みとしてよく耳にするのは、情報の質の均一性、タイムリーさが各拠点の人材の優秀さに大きく依存し、一定の事項を東南アジア各国で比較することや、そこから意思決定することが難しいという点です。つまり、優秀なローカル従業員を有する国の情報は分かりやすく、意思決定にも使えますが、ローカル従業員のレベルがそれほど高くない場合は、時として情報が不十分で、結果として意思決定に使えないということです。これは各拠点のローカル従業員の優秀さだけでなく、各国が同様の問題に対して、それぞれ異なる管理システム、フォーマットやレポートを用いて情報を管理していることも大きな理由であると言えます。
従来は請求書発行等を含む会計財務、人事、コンプライアンス、IT、顧客サービスなどの業務は各国の現地法人ごとに行うことが一般的でした。東南アジアの日本企業の子会社においては、いまだにこのスタイルが主流であるように見受けられます。一方、上記のような業務は業務の国際化に伴い標準化されてきており、各地でのローカル規制対応等の部分は若干あるにせよ、多くの業務が一拠点でまとめてできるようになってきています。
マレーシアは英語が堪能な人材が多いことに加え、中国語(北京語、広東語など)を話せる中国系マレーシア人、タミール語、ヒンディ語を操るインド系マレーシア人がいます。また、マレー語とインドネシア語は極めて類似していることから東南アジアでも最も多言語を操れる国ということで、2000年代初頭から多くの欧米企業がマレーシアで世界もしくはアジア地区の会計財務、コンプライアンス、人事、IT、顧客サービスなどの業務を集約したシェアードサービスセンターを設立しています。その数は500を大きく超えると言われています(出所:The Malaysian Reserve、2021年5月3日)。
これにより、シェアードサービスセンターを別子会社として設立した欧米企業は、多くの国のグループ会社の管理業務をマレーシアで一極集中して行うことにより、各地のローカルスタッフの退職等による業務の中断等もなく、管理対象業務の効率化を図り、結果として情報の均一化を図ることができています。従来は各国で行っていた会計監査などもマレーシアでかなりの部分が実施できるため、グローバルでの会計監査の効率化や費用削減にも寄与している会社もあります。私たちのクライアントでもマレーシアに設立した子会社のシェアードサービスセンターに、多くの海外子会社の会計監査業務を移管しているケースが数多くあります。この場合は、グループ監査はマレーシア以外の拠点も含めて、監査を実施した拠点の監査結果をPwCマレーシアから親会社所在地のPwCメンバーファームに報告するだけで済み、大幅な工程削減が見込めます。また各地の法定監査等はそれぞれの拠点地のPwCメンバーファームからの指示に従った作業結果を拠点地のPwCメンバーファームに報告後、当該拠点地のPwCメンバーファームで必要なレビュー、現地対応のための追加作業などを実施し、拠点地のPwCメンバーファームが監査報告書を発行するという流れになります。
シェアードサービスセンターの設立は、最終的にはグループの管理コスト削減に長期的に寄与します。しかし、筆者としては単にコスト削減手段として考えるのではなく、転換期にあるマレーシアを含めた東南アジアもしくは世界の複数の子会社を戦略的に管理することを目的に利用するべきであると考えています。
今、世界の企業を巡る情勢はかなりのスピードで様変わりしており、経営管理および経営意思決定を素早く適切に行うことは、企業経営にとって重要な課題です。このためにはマネジメントが求める情報が即時に提供できる体制となっており、情報の質が要求水準を満たしていることが重要となります。グループ内にグループ会社の特定の管理業務等を実施するシェアードサービスセンターを設立することで、同じ指揮命令系統の監督下にあるチームが業務処理を行うため、必要な情報を収集する際には均質化された情報をタイムリーに入手できるようになります。
世界中で事業を行っている日系企業において、全ての重要な経営意思決定を日本の本社で行うのは、スピーディな意思決定の観点から問題があります。また、地域ごとの特性を勘案した決定を行う必要があります。この点で適切に本社から権限移譲された地域統括会社(東南アジアであれば、シンガポールに設置している会社が一番多く、次に多いのがバンコクであると思われます/出所:ジェトロシンガポール事務所
「アジア大洋州地域における日系企業の地域統括機能調査報告書」2020年5月)が意思決定するのは非常に重要になると思います。上述したように現在は地域統括会社に集まる経営管理や経営意思決定のために必要な情報の質が一定の水準に達していない状況が多いことから、シェアードサービスセンターの利用によって地域統括会社が質の高い情報提供を行うといったサポート役を果たせると思われます。
上述したとおり、マレーシアをはじめ東南アジア諸国の日系企業では、ベテランローカル従業員の大量定年退職を間近に控え、次世代の頼れるローカル従業員を育成することが喫緊の課題となっています。同時に、若手ローカル従業員はなかなか会社に定着しないという問題を抱えているのが、多くの日系企業の実情でしょう。もちろん、できるだけ若手ローカル従業員が定着するように、さまざまな施策を考え、それらを実践していくことは有効な手段です。しかし現実問題として、若手ローカル従業員が一定の割合で退職していくのは避けられないでしょう。シェアードサービスセンターでも当然従業員の退職はある程度発生しますが、業務の標準化を行い、複数国での同様の業務を同時にこなしていく形になるため、各国でローカル従業員がそれぞれの管理業務に従事している場合に比べ、退職の影響を受けない体制を構築できるようになります。
上記のようにシェアードサービスセンターの設置は、東南アジアで日本企業の子会社が直面する課題を抜本的に解決できる可能性がありますが、一方、その整備と運用を間違うとコストだけ発生して、それに相応するベネフィットが享受できなくなります。一般的には、以下のような点に留意する必要があると思われます。
シェアードサービスセンターの設置により、達成すべき目標を明確にすることが必要です。前述したように、往々にしてコスト削減を目標にするとうまくいかないことが多いと言われています。業務効率化、品質向上などを大目的として、さらにその目的を詳細化する必要があります。コスト削減はそれらが達成された後の副産物として得られると考えるべきでしょう。
各拠点の類似した業務をできるだけ標準化する必要があります。各拠点の声を聞くことは大切ですが、各拠点の現在の業務をそのままシェアードサービス拠点に移管しただけでは業務効率化、品質向上などの目的は達成できません。ローカル対応の部分は詳細に議論し、本当に必要な部分だけを残すべきです。
業務の標準化を進める際にはグループ内からの抵抗が予想され、グループ全体を明確な目標達成に向かわせるためには、シェアードサービスセンターのプロジェクトを進める強いリーダーシップが必要です。その意味では、本プロジェクト担当者については通常の日本企業の人事配置サイクルより長いスパンでの人事政策を講じるのがよいでしょう。また、担当者がプロジェクトの目的と業務に精通していることが成功のカギとなるため、特に立ち上がり期においては十分なトレーニングが必要です。
一定のボリュームの業務を効率的に処理するには、それに対応できるITインフラが必要です。東南アジア諸国の日本企業の子会社は十分なITインフラがないことが多いため、各社に導入する場合に比べ、ITインフラのコストを合理的に抑制できると考えられます。
グループ内の各拠点との作業範囲と責任を明確化しないと、各拠点とシェアードサービスセンターとの間で無用なコンフリクトや重複した作業が発生したり、不測の事態が発生した際に、誰が責任を負うかが不透明になったりします。こうした問題を防ぐためにも、サービス契約を締結すべきです。
上記(1)で設定した目標が工程表に基づいて達成されているか、達成されていないとしたら何が課題か等を定期的にモニタリングし、目標達成に向けて必要に応じて対応を調整していくことが大切です。また、外部環境の変化等に応じて業務範囲、内容等を適時に変更していく必要があります。
多拠点間のコミュニケーションは電子メールやウェブ会議になることがほとんどですが、定期的に十分なコミュニケーションが取れるように週次、月次などの会議を設定し、お互いの認識に齟齬が発生しないようにします。時には、対面のミーティングを企画するなどして、チームの一体感を高めることも重要です。
シェアードサービスセンターにはグループの重要な情報が集積するため、これらの情報が一部滅失したり、流出したりしないように、バックアップ体制も含め、十分な対策を講じる必要があります。
筆者はマレーシアで長年、監査実務を行っていますが、ローカルの多くの同僚が数多くのシェアードサービスセンターの設立支援や会計監査業務で忙しく働いているのを見ています。また同僚たちからも「なぜ日本企業は東南アジアでシェアードサービスセンターを積極的に取り入れないのか?」とよく問われます。その理由は各社さまざまでしょうが、いずれにせよ各拠点に全てのファンクションを有した現在の経営スタイルが、今後も有効な形で長期間にわたり維持できるとは到底思えません。
もちろんシェアードサービスセンターも万能というわけではありません。5で言及したような事項に十分留意して体制を整備・運用しなければ、努力が水泡に帰す可能性もあります。しかしながら、欧米企業がシェアードサービスセンターを設置することで業務の効率を大幅に向上させており、シェアードサービスセンターが日本企業の東南アジア子会社が直面しているいくつかの問題を解決する有効な処方箋となり得ることを踏まえると、日本企業の本社は今後の東南アジアにおける子会社運営、管理の施策として積極的に取り組むべきです。マレーシアにおいても、外資の誘致は従来型の製造業に対するものからサービス業へと徐々にシフトしてきています。日本企業がマレーシアにシェアードサービスセンターを設立することでその流れがさらに加速し、日本企業とマレーシアがWin-Winの状況になることを、マレーシアに長期間駐在する者として希望しています。
PwCマレーシア
日系企業部門統括/監査部門
パートナー 杉山 雄一