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2020-12-11
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の拡大により、社会や人々の生活は大きく変化しました。物理的に「場所を共有する」ことが激減した一方、バーチャル空間を使って「時間を共有する」ことが当たり前になりました。その結果、東京を生活拠点とする意味や、中央集権的な都市化を進める意味が問い直されています。本稿では建築家の豊田啓介氏を迎え、PwCコンサルティング合同会社の三治信一朗と馬渕邦美が、人々の行動変容や人間拡張、未来の都市モデルについて3回にわたってお話を伺いました。後編では、仮想空間と現実空間における人間の身体的な体験とそこに潜むリスクに焦点を当てます。
(左から)馬渕 邦美、豊田 啓介氏、三治 信一朗
対談者
豊田 啓介氏(写真中央)
noiz パートナー
三治 信一朗(写真右)
PwCコンサルティング合同会社 テクノロジーコンサルティング パートナー
馬渕 邦美(写真左)
PwCコンサルティング合同会社 テクノロジーコンサルティング マネージングディレクター
※法人名、役職、インタビューの内容などは掲載当時のものです。
noiz パートナー 豊田 啓介氏
三治:
前回は、「今後は人々の離散化・流動化が進み、生活拠点が分散化する」とのお話を伺いました。そうなると、今後は休暇や旅行に対する捉え方も変わってきますね。
豊田氏:
以前は「旅行=身体を移動させること」でしたが、コモングラウンドが社会実装されて人間が量子化すると、「身体の移動を伴わない旅行」という楽しみ方も考えられるようになります。
旅行から得られる価値の捉え方は、人によって異なります。例えば、「非日常を味わう」ことが価値だとすれば、これまでは休暇を取得して南国に行っていたのを、仕事の休憩時間にVRゴーグルを使って海や砂浜を5分間楽しむだけで、部分的だとしても非日常を味わうことができるようになります。
さらに、没入型VRと蒸気と香りを利用して温泉地巡りをしたり、友達同士でアバターを使い、会話や移動もしながら仮想のイベントで遊んだりすることもできる。そうして旅行を構成する要素を分解して再編集していくと、楽しみ方の選択肢も増えるのではないでしょうか。100%の完全パッケージを求めればどうしようもないですが、70%だけ、20%だけの「旅行」を許容すれば、情報の移動は、ある程度身体の移動を代替もしくは増幅できる可能性を持ち始めます。
馬渕:
これまでの旅行は、未知の空間に身体を置くことで感じる「不安」や「新鮮な警戒感」なども相まって非日常が演出されていたように思います。今後はより安全な環境で、「何を」「どのように楽しむか」を自分の好みに応じて選択できる可能性が増えるわけですね。
豊田氏:
こうした社会の変化に人間は適応していくでしょうし、5分から可能なオンライン旅行は新たな産業プラットフォームになり得ます。また、建築家として、自分がこうした編集された旅行という新しい環境と体験の在り方をどうデザインできるかを考えるのも楽しみです。ただ、仮想空間での旅行がどんなに流行ったとしても、物理空間での旅行の価値が消えるわけではありません。むしろ、こうした情報要素は実体験を増幅する可能性を持つので、基準となる歴史性や物語性を強く持っているほど、そうした増幅効果も高まります。だからこそ、前回も述べた通り、各都市や地方などは歴史や文化などを基調にした、そこならではの、不特定多数や時間の蓄積でしか生じえない強いアイデンティティをいかに凝縮、抽出するかを戦略的に考える必要があるのです。
三治:
人間の量子化が最も進んでいるのは、エンターテインメントの世界ではないでしょうか。最近、オンライン・ゲームのユーザーが集まるバーチャルイベント「Astronomical」に参加したのですが、衝撃を受けました。
このイベントは人気ラッパーのバーチャルコンサートも兼ねていて、全世界から1,200万人以上がアバターとして同時接続で参加したのですが、コンサートの途中で、自分がコントロールしていたアバターが、突然空中に吸い上げられてコントロール不能になるのです。自分の運動感覚が乗っ取られるような感じで、これまでの日常はもちろん、旅行でも味わえない「超非日常」でした。
豊田氏:
Astronomicalは、旅行・イベント・スポーツといったエンターテインメントの要素が全て統合された、新しい体験をデザインしたものだと感じました。
面白いのは、同イベントへの参加以前にゲームに参加し、「アバターの操作性やバーチャルの世界に没頭する感覚を脳と体が覚えていること」が前提になっていることです。一度それを体験していると、肉体とアバターが同期する感覚を脳が学習します。それによってアバターの操作性が乗っ取られた感覚を、あたかも自分の肉体の一部が乗っ取られた感覚として実感できる。先ほど三治さんは「自分の運動感覚が乗っ取られるような感じ」とおっしゃいましたが、事前にゲームをしていた体験があったからこそ、新しい体験が増幅されるんです。
三治:
仮想空間が物理空間を支配し得るというのをまざまざと感じました
豊田氏:
そう考えると、テクノロジーが人間の身体能力を拡張することが実感できますよね。身体と言うと、当然自分の皮膚で閉じた100%コントロールできる肉体の部分で、その内側と外とは明確に対立しているというのが一般的な理解ですが、実は脳の拡張性や自意識などの領域を丁寧に読み解いていくと、そんなに単純かつ明確に分けられるものではないことが分かってきています。例えば近年開発が進んでいる筋電義手は、自分の筋肉が発する微弱な電流を使って高度に機械的な義手の複雑な操作を可能にする技術です。ここで重要なのは、一度こうした技術が可能になれば、身体の部分的な欠損を補うだけでなく、3本目の手、4本目の手といったこれまでの常識を超えた拡張も技術的には等価だということです。人間の脳は非常に拡張性が高いので、そうした義手は2本である必要もないし、肩に付いている必要もない、隣の部屋の机に付いていても動かせるし、または義手でなくてドアでも照明でもテレビのチャンネルでも、原理としてはトレーニングさえすれば脳が操作できる対象になり得ます。これまで身体とその外側の環境という明確な二項対立に疑問を持つ必要がなかったような図式でも、自分の身体と環境との境界は具体的な技術ベースでどんどん曖昧になっていきます。その分かりやすい第一歩が仮想空間でアバターを操作する感覚で、早晩われわれ人類は、自己の身体性を環境や他人の身体にも拡張することに慣れていくし、そのためのさまざまな技術やプラットフォームはこれからの重要な領域になっていくはずです。
三治:
COVID-19の拡大を機にオンラインでアバターを用いた交流が一気に広がりましたから、今後は仮想空間での交流が、物理空間での交流と同じような手軽さと感覚でなされるようになるのではと感じます。
豊田氏:
ただ、仮想空間に適応した身体的な感覚を現実の物理空間に持ち込んでしまうことには危険も伴いますからそれについても触れておく必要があります。面白い例を紹介しましょう。私は昨年、解体が決まった昭和の名建築、都城市民会館という公共建築を、レーザースキャンの会社やフォトグラメトリ(写真から3Dモデルを生成する技術)の専門家と一緒に3Dスキャンで立体的に記録するプロジェクトに参加しました。そのデータはその後公開されて、クリエイターの方が自由に創作に使えるデータとして公開しています。先日、とあるワークショップで参加メンバーと一緒に、仮想空間上の市民会館に集まって見学会をしました。VR上のデータなので、現実には行けない屋上や階段の上などにも行けてしまいます。VR空間なのでもちろん落ちてもけがはしないので、屋上から飛び降りることもできます。ただ、一度VR空間内での身体性を獲得しているので、仮想空間だと分かっていても、高い屋根から飛び降りることは、最初は怖く感じます。しかし、一度飛び降りるとその感覚が面白くて、何回も飛び降りてしまうんですね。本当に楽しいんです。ただ、おそらくその感覚は脳にある程度残ってしまうので、現実世界に戻った時、似たようなシチュエーションでふっとそのままジャンプしたくなるような感覚が戻ってきて、ハッとすることがあります。スキーに行った後、駅の階段の上からふっと滑り降りたくなるような、あの感覚です。特に運動感覚や身体感覚のような領域は、脳の無意識の部分に深く依存しているので、われわれのコンシャスなコントロールだけでは十分な制御ができない可能性は大いにあるとあらためて感じました。
三治:
仮想空間での身体感覚を脳が覚えてしまうと、それを現実にも拡張させてしまいそうになるのですね。仮想空間を開発する側にも今後、そうした配慮が必要になりそうです。
PwCコンサルティング合同会社 マネージングディレクター 馬渕 邦美
PwCコンサルティング合同会社 テクノロジーコンサルティング パートナー 三治 信一朗
馬渕:
仮想空間やデジタルがもたらす人間の身体的な感覚の拡張はリスクを伴うことが分かりました。コモングラウンドやスマートシティを実現する上でも視野に入れておく必要があるのではないでしょうか。
豊田氏:
これも私の体験から話をさせてください。少し前にドイツのアウトバーン(高速道路)で、レベル4の自動運転車に試乗しました。「レベル4」は、高速道路などの特定の場所ではシステムが全ての運転操作をします。つまり人間は何もしなくてよいのです。
自動運転に切り替わる前は、私もアウトバーンでの運転は初めてだったので、恐る恐る運転していました。そして、ある場所から自動運転に切り替わり、車の指示に従ってハンドルとペダルから体を離したところ、私よりも自動運転のほうが運転が上手いのですよね(笑)。素早く加速して、どんどん車線変更をしていく。自動車が自律的に走るのを見るのが楽しくて、自動運転で走行している間は笑いが止まりませんでした。そして、自分でも驚いたのですが、自動運転に切り替わってから30秒ぐらいで、車が自律的に走ることに私の感覚が慣れてしまったのです。
ここでのポイントは自律走行の技術ではなくて、30分ぐらい自動運転を楽しんで再び手動運転に切り替えた時、自分の運転の反応が鈍くなっていたことです。ハンドルもペダルも自分で操作しなければならないと当然頭では理解していても、必要な状況でもブレーキを踏んだりハンドルを切ったりといった動作がどこか他人任せというか、ちょっと遅くなる感覚が残るんです。駐車場に停まる時も半分ぐらいオーバーランしてしまいました。
馬渕:
機械が行動を代替してくれることで、人間の身体能力が鈍くなるということですか。怖いですね……。
豊田氏:
この体験から、「次世代型スマートシティのプラットフォームが実現した際、自分と環境の能力のあまりに複雑なOn/Offの制御に付いていけず、制御環境の共通性という点でボトルネックになり得るのは人間のほうだ」と気づかされました。
三治:
全ての場所でシステムが完全操作するレベル5が実装されたら、人間の運転能力はおろか、安全や危険を察知する能力まで鈍化する可能性があるのですね。
豊田氏:
いえ、むしろその意味では、人と人工知能(AI)の制御が混在するレベル4という期間が問題で、一気に社会全体でレベル5にジャンプする必要があると考えています。中途半端に選択肢が多く、判断するべき状態があまりに多すぎることで、人間が対応できなくなるのではないかと。今後、日常の中にさまざまなAI搭載デバイスや自律系システムが普及していくでしょう。そして、「どのシステムが」「どのレベルで」自動化されているかは誰にも見えないことが普通になっていきます。われわれはどうしてもまだ「人が」制御するほうが安全だ、という固定観念の世界で生きています。ただ、それは日常がわれわれに理解できる複雑度の範疇に収まっていた世界での話で、これからのわれわれの理解をはるかに超えた制御や判断が前提になった世界では、特定の領域ごとに思いきって諦める、委ねるという感覚や判断がとても重要になっていくだろうと考えています。中途半端に従来の感覚で人間の手や制御を残すことは、むしろ新しいシステムの可能性を殺し、結果としてリスクを高めることになるのではないかと思うのです。
人工生命の研究者である池上高志氏が以前とあるレクチャーでおっしゃっていたのですが、次の社会を考えると「Human is the Bottleneck」だと。こうした視点を、ロボットに支配されるディストピア的なものとして短絡的に捉えるのではなく、まさにコモングラウンドという考え方の前提のように、人とさまざまなデジタルエージェント、それぞれの視点と環世界、特性をフラットに捉えた上で、いかに合理的な役割分担とシナジーをデザインしていくかという発想の転換が、最終的に人がより高度な受益者になるために必要なことだと思っています。ゲームの世界では、NPC(Non-Player Character)という概念があって、プレイヤーが操作をしないキャラクターを制御することでゲーム世界をいかにインタラクティブで楽しいものに作るか、というアプローチをしています。物理学や数学、天体望遠鏡などの技術発展があったコペルニクスの時代に人類は天動説から地動説へと大きな視点の転換を経験したわけですが、それと同じくらいのレベルで、NHA(Non-Human Agent)への視点の拡張と、それに基づく世界の技術的かつ概念的なデザインが求められていると感じています。コモングラウンドとは、そのための新しい汎用世界なのだと考えています。
三治:
そうなると、今後は「スマート化に対応できない人間をサポートするシステム」が必要になりますね。利便性の裏にあるリスクまでを考慮した開発が必要であることを実感しました。3回にわたり都市全体の在り方から人間の身体感覚まで、非常に示唆に富むお話をいただき、ありがとうございました。
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