英国では近年の大規模な粉飾決算が頻発する社会の批判の高まりを受け、政府による監査制度の改革が進められています。昨年12月の総選挙が保守党の圧勝に終わり、ジョンソン政権の下で政府、ビジネス・エネルギー・産業戦略省(Department for Business, Energy and Industrial Strategy, BEIS)が立法化に向けた作業を進めています。当時の報道によると議会による審議は2020年の秋頃ではないかと推測されています。
総選挙直後の12月18日には監査改革を進めるために政府の委託による3つ目、つまり最後の報告書として、ロンドン証券取引所の元チェアマンであるドナルド・ブライドン卿によるいわゆる「ブライドン・レビュー」(Brydon Review)の最終報告書「監査の質および有効性:独立レビュー」(The quality and effectiveness of audit:independent review、以下、「報告書」。)が公表されました。
先行する他の2つですが、規制当局である財務報告評議会(Financial Reporting Council, FRC)の改革に関する「キングマン・レビュー」(Kingman Review)、監査市場の改革に関する「競争・市場庁(Competition and Markets Authority, CMA)によるレビュー」(CMA Review)であり、それぞれ2018年12月、2019年4月に公表されました。他方、今回の報告書ではこれまでの監査、特に財務諸表監査に対する見方を根底から覆しかねない論点が多く検討され、またこれらに呼応した60を超える提言が続いています。
ここでは報告書の概要についてご紹介いたします。これは監査の領域における先進国であり、グローバルにも大きな影響力を持つ英国における制度改革を扱っており、グローバルにも注目度が高いことによります。また、テーマとして監査の質および有効性を扱った直近の提言であり、監査の対象としての企業による情報開示の観点からも、また、監査人自身による情報開示の観点からも注目に値すると考えるためです。
なお、本稿における意見にわたる部分については筆者個人のものであり、所属するPwCあらた有限責任監査法人の公式見解ではないことを申し添えます。
報告書の扱うテーマは「監査の質および有効性」ですが、派生して検討されている項目は非常に多岐にわたります。期待ギャップの分析、監査とその目的の再定義から始まり、監査委員会およびリスク委員会の役割までと、監査論テキスト1冊にも匹敵する論点が取り上げられています。
まず、報告書の表題ですが、「評価、保証、伝達」(ASSESS, ASSURE AND INFORM)となっています。これは後に述べる新しいモデルにおける監査の3つの要素となっています。
次に、1章の冒頭では、“Language Matters.”「言葉は重要である」との書き出しから報告書が始まります。監査がどのように説明されるのかは、それがどのように実施され、受容されるのかに大きく影響します。とりわけ「伝達」の要素の重要性が示され、またそれを専門用語ではなく、広く理解可能な平易な言葉で伝えることを目指しています。
3章の冒頭では、オックスフォード大学ラマンナ(Karthik Ramanna)教授がPwCに対し提出した報告書Building a culture of challenge in audit firms(September 2019)からの引用で、「自由を維持し、繁栄を生み出すために市場資本主義(market capitalism)よりも優れたシステムを私は知らない。そして、市場資本主義は堅固な監査の機能がなければ機能しない。今、もし監査を救済しなければ、資本主義を救うことはできない」としています。最近の監査の失敗事例に関する新聞記事より「監査人が企業の抱えるビジネスの脆弱性を指摘できないとすれば、雇用、貯蓄、年金、そして税収を失う結果を招くこととなる」ことも指摘しています。今回の報告書が資本主義を守る社会的な要請に応える「公益」(public interest)の観点から書かれたことの証左です。
また、コーポレートガバナンス機能強化の観点からは、特に新しい規制機関としての監査・報告・ガバナンス庁(Audit, Reporting and Governance Authority, ARGA)に対する期待が随所にて指摘されています。
さらに、報告書は今から30年近く前、1992年に提出された「マクファーレン報告書」(MacFarlane Report)の重要性を再考することを提唱しています。これは当時設置されたばかりの監査実務審議会(Auditing Practices Board, APB)により公表され、例えば、監査人に期待されている役割と現実に実行されている役割との差、すなわち期待ギャップの存在や、監査人は株主だけでなくより広いグループの利害をも認識すべきことなどが指摘されました。今回の意見募集で得られたコメントの多くと内容的に重なっており、未だに実現されていないことへの「いら立ち」すら感じられたとします。
現在、図表1のとおり、監査をめぐって数多くの声部が奏でられる状況が継続している状況にあると分析され、それらの協和を進めていくことの必要性が唱えられています。
報告書は「一人称」(“I”)で書かれています。また、最終的にはブライドン卿個人による意見であることも明示されています。とはいえ既に政府および業界の支持を得ており、他の2つの報告書をも含めた立法化が進められることとなります。
また、英国内でも報告書については非常に哲学的(philosophical)なアプローチであるという評価があります。監査がひとえに株主だけでなく、公益に資する機能であることを求められています。このため、少々抽象的で小難しい議論が展開されていたと、考えてもやむを得ないかもしれません。
意見募集では、監査領域のみならず会計基準やそれに基づく会計数値の作成に対する不満も多く聞かれたとされています。しかし、この報告書では既存の会計基準については所与であり、会計基準の変更を提言することは今回のレビューの範囲を超えるとされています。他方、コーポレートガバナンスの観点から、取締役、監査委員会、株主、規制当局の行動様態についてはここでの議論の範囲に含め、それらの行動がより質の高く有効な監査を可能とする監査環境の形成に影響を与えるものとして検討されました。
公表されている最終報告書は表紙を含む全体で138ページあり、利害関係者による諮問会議(Advisory Board)、および監査人諮問グループ(Auditors’ Advisory Group)における議論とサポートを受けまとめられました。
2019年4月10日より意見募集が行われましたが、120通のコメント提出があり、総ページ数は2,500ページとなっています。監査の未来について考える上で主要なステークホルダーによる意見が反映されていると言えるでしょう。
ここで、提言にあたり、監査が行われているコンテクストと、監査人、監査プロセス、監査人以外の主体との相互作用について考慮することが必要と考えられたことは注意が必要です。監査はもとより監査人だけで完結することはなく、多数の市場参加者、ステークホルダーとの相互作用を常に必要としています。
報告書における提言の項目数は60を超えています。ここでは特に重要とされている内容について、報告書第2章にあるサマリーの分類に沿いながらご紹介します。
なお、原文にはありませんが、[企業(経営者)による開示に対する監査人の保証の拡大に関する事項]の末尾には「※」を、[監査人自身による新たな開示に関する事項]の末尾には「★」を付しています。「伝達」(INFORM)という要素が今回の改革においていかに重視されているのかうかがい知ることができます。
監査の目的は、「企業に関する相応の信用(confidence)を確立し、それを維持する助けとなること」であるとします。ここで企業に関する信用には、取締役に関する信用、およびその取締役が報告責任を有する情報(財務諸表はその一つ)に対する信用も含みます。(※)
この観点から、従来型である図表2の監査モデルに対して、図表3のとおり監査概念を拡大した新たな監査モデルを提案しています。
ここで、監査人においては、監査報告書の利用者に対しその意思決定に有用な情報を提供する必要性があることを明確化し、その機能強化を提言しています。重要なことは、場合によっては情報に利用者の意思決定に重要な影響の及ぶ独自の情報(つまり、監査対象企業が開示のために作成したものではない情報)が含まれなければならないということになります。(※)
ARGAはコアとなる諸原則を基礎とした企業監査に関するプロフェッションを企画、設置し、そのプロフェッションについての常設の規制当局となります。また、その過程で財務諸表に対する制度監査に限定されない、企業監査に関する首尾一貫したフレームワークである「企業監査に関する原則」(Principles of Corporate Auditing)を開発することが求められます。
また、ARGAは職業的専門家による判断について現行の定義を見直し、監査における判断の利用をより強化、実証する視点を持つことが求められます。
まず、会社法における「真実かつ公正(true and fair)」という文言は「多くの重要な点において適正に表示している」(present fairly, in all material respects)と置き換えられるべきとします。(★)
次に、監査人は連続する会計期間の監査報告書の間における継続性を確保すべきとします。会計上の見積もりにおける相違点に関する透明性を高め、いわゆる「段階的な発見事項」(graduated findings)の開示についても検討することを求めています。(★)
さらに、公開された情報における不整合について注意を促すべきであるとし、その際外部におけるネガティブなシグナルと、それが監査人に対してどのように伝えられたのかを参照することを求めています。(★)
まず、取締役が株主に対して3年ごとに「監査および保証に関するポリシー」(Audit and Assurance Policy)を提出することを求めています。これに関連して、取締役は主要なリスクと不確実性に関する文書を毎年の監査の範囲を決定する前に公表し、株主等が重要視している点に関して主体的に意見を求めなければなりません。(※)
また、取締役は「レジリエンスに関する文書」(Resilience Statement)を公表します。これは2年以内の短期では企業の持続可能性に関する意見、2年から5年の中期ではレジリエンスに関する文書を、5年超の長期的にはレジリエンスに対するリスクの考慮を包含するものであるとされます。(※)
さらに、取締役は「公益に関する文書」(Public Interest Statement)を年次で公表することを求められますが、これは公益に関する義務についての会社の見方を、それらが制度によるものか、自主的に決定したものなのか、それ以外の義務によるかの別を説明するものであり、前年にこうした公益に適うようにどのように行動したかについても述べるものとされます。(※)
なお、監査委員会は年間の保証業務に関する予算(assurance budget)について合意するものとします。監査報酬について交渉し合意に至る一義的な責任を負いつつ、その他の保証業務に関する企業の支出のフレームワークを設定するとともに、監査報酬に関する透明性をより強化することが求められます。(※)
株主が監査においてカバーして欲しい点につき提案する正式の機会に関するプロセスを構築することを求めています。企業の株主総会において、監査委員会の議長および監査人に対する質問を許可するため、監査についての議題を設けるとします。
また、現在のおおむね監査人により主導されている「監査品質フォーラム」(Audit Quality Forum)」について、新しい「監査利用者レビューボード」(Audit Users Review Board)に置き換え、投資家組合(Investment Association)と共同で監査利用者の多くの層を参加させるための調整を提案しています。
「企業監査に関する原則」には、監査人が公益のために行動し、株主の利益を超えて監査報告書の利用者の利益を考慮するとの文言を含めるものとします。監査報告書には、取締役による会社法172条に基づく文書が観察された実態に基づいているかどうかにつき、監査人がその企業およびそのプロセスに関する知識により述べる新しいセクションを設けるものとします。(★)
取締役はいかなる監査の活動に関することでも従業員の意見を積極的に求め、それらの意見がどのように考慮されたかをフィードバックすることが求められます。他方、法定監査人は公益開示法(Public Interest Disclosure Act)における指定機関(prescribed persons)のリストに含められるべきであるとします。さらに、サプライヤーに対する支払実績に関する任意および制度上の現行の企業開示は年次報告書にも取り入れられるべきであり、「企業の監査および保証に関するポリシー」の記載に従い一定水準の監査に服させなければなりません。(※)
重要な不正を防止し発見するために取られている各年の行動につき、取締役の報告義務を新たに設けることを求めています。これに対応する監査人側の義務として、監査報告書において取締役による重要な不正に関する取締役報告書をどのように保証したかについて、また、関連する統制の有効性を評価し、そうした不正を発見するためにどのような追加的なステップが取られたかについて述べるとします。(※★)
また、監査人は不正会計や不正の発見について初度の、また継続した定期的な研修を実施しなければならず、ARGAは企業不正の詳細について登録した公開のケーススタディへアクセスできる仕組みを整備しなければならないとされています。(※★)
さらに、独立した「監査人による不正パネル」(Auditor Fraud Panel)を設立し、監査人の有責性について判断することが求められます。これは「買収および合併に関するパネル」(Panel on Takeovers and Mergers)と同様の方法により進められます。
企業の最高経営責任者(CEO)および最高財務責任者(CFO)は取締役会に対して企業の財務報告に関する内部統制の有効性に関する年次の宣誓書を提出しなければならないとします。新たな内部統制報告の原則により規定されるこの宣誓は、「監査委員会議長による独立フォーラム」(Audit Committee Chairs Independent Forum)により開発され、ARGAにより執行されます。(※)
企業はいつ重要な内部統制に関する失敗が発生したかにつき公表しなければならず、公表された失敗はCEOおよびCFOによる宣誓に関して向こう3年間にわたって監査の対象とされます。(※)
取締役は配当支払を提案する場合、支払がいかなる方法でも企業の存続に対し、例えば2年間は影響を及ぼさない旨、また、配当が配当可能利益の範囲内である旨を文書により述べなければなりません。(※)
配当可能利益が配当の提案額と金額的に「近い」(similar)とされる可能性が高い場合、配当は会社法における取締役の義務に合致し、前述の「レジリエンスに関する文書」とも整合している場合にのみ提案することができるとします。こうした場合に配当可能利益は監査対象となります。(※★)
監査事務所においては、監査報酬を交渉するチームと監査を実施するチームを明確に区分しなければなりません。また、監査事務所は監査業務からの収益性について公表しなければならず、また、「上級法定監査人」(Senior Statutory Auditor)の報酬およびその報酬に関係する出席情報(attendant performance)の指標も同様です。(★)
他方、監査人は監査報告書において個々の監査について監査チームの従事時間を職階ごとに公表しなければなりません。辞任、解任、再テンダーへの不参加のいずれの場合においてもその理由が明らかにされなければならず、企業は株主総会における関連の質問に回答しなければならないとされます。(★)
既に述べたとおり報告書は他の2つのレビューとトライアングルをなし、全体として英国における監査改革の基礎を形作ることが期待されています。また、「継続企業の前提」の監査に関わる現FRCにおける検討などもさらなる議論に役立つとしています。長年にわたる主要なレビューの終了にあたり、今後は具体的な立法上および規制上の行動が続いていくことが予想されています。
3つの報告書における提案がどのように実行されたのかを検証するため、2025年にフォローアップのレビューが実施されることとなっています。適用にはおよそ5年間のタイムラインが設定されていることを指摘しておきたいと思います。
監査実務の発祥の地であり長い歴史を持つ英国の動向は、日本を含めグローバルに大きな影響を及ぼす可能性を秘めています。企業情報開示のあり方への示唆として、企業による開示内容に対する監査の強化とともに、監査人自身による開示の充実へ向けた多彩な仕掛けが報告書には含まれ、適用動向を見守っていく必要があると思います。
参考文献
Donald Brydon, ASSESS, ASSURANCE AND INFORM IMPROVING AUDIT QUALITY AND EFFECTIVENESS REPORT OF THE INDEPENDENT REVIEW INTO THE QUALITY AND EFFECTIVENESS OF AUDIT (December 2019)
所長, PwCあらた有限責任監査法人 PwCあらた基礎研究所