KAMに対する財務諸表利用者の期待

はじめに

2020年中に公表された有価証券報告書に添付される監査報告書において、いわゆる早期適用として「監査上の主要な検討事項(Key Audit Matters:KAM)」が記載された事例社数は、同年9月末日時点で49社(非上場3社を含む)でした。

2020年がCOVID-19禍にあったことを考慮すれば、この事例社数は決して少なくありません。むしろ財務諸表利用者の観点から、「KAMとは何か」、「KAMをどう読むべきか」をしっかりと把握する上で、少数精鋭の好事例に巡り合えたと前向きに捉えています。好事例と評価されるKAMの要件としては、①企業固有の記載、②数値や前提を示した記載、③財務諸表との連携の明示、④具体的な見出し、などがあります。

筆者は、2021年に公表される有価証券報告書に添付される監査報告書では、これまでの好事例も参考にしながら、さらに創意工夫をこらしたKAMが記載されると期待しています。そして、投資家が投資先たる企業との対話(エンゲージメント)を深化させる過程において、公表されたKAMを題材に、企業経営者や監査役等とのコミュニケーションが積極化する可能性を感じます。

本稿では、これまで公表されたKAMの早期適用事例を題材に、投資家が期待するKAMの姿について私見を整理し、ご紹介します。なお、本稿における意見に関する部分は、筆者独自の見解であり、筆者の所属する法人や組織を代表する見解ではないことを申し添えます。

1 KAM早期適用事例を踏まえた注目点

まず、これまでのKAMの早期適用事例に関して、筆者が注目している点をいくつかご紹介しましょう。

1. 会計上の見積りに関するKAMの記載

監査領域別の記載事項個数は、その数え方によって認識が異なる可能性がありますが、おおむね、49社合計で104個とされています。その意味では、1社あたり2.12個となります。記載事項個数の最大値は5個で、最頻値は2個でした。1社あたり個数が、財務諸表利用者の投資判断に当たって十分な水準かという判断は読者の皆様にお任せしますが、欧州企業のKAMは2.5個程度、米国企業のCAM(Critical AuditMatters)は2個以下と伝え聞くので、日本企業の記載事項個数は国際的にも遜色ない水準と言えます。

記載事項個数より重要な視点は、記載された監査領域です。記載事項を監査領域別に見ると、「固定資産の評価」、「のれんの評価」を代表格として、「貸倒引当金の見積り」、「引当金の見積り(貸倒引当金以外)」などが、比較的多く確認されました。総じて、会計上の見積りに関する項目が上位を占めているようです。

会計上の見積りに関しては、企業会計基準委員会が、2020年3月31日に、企業会計基準第31号「会計上の見積りの開示に関する会計基準」を公表しました。偶然にも、当該会計基準の強制適用時期(2021年3月31日以後終了する連結会計年度及び事業年度の年度末に係る連結財務諸表及び財務諸表)は、監査人の監査報告書におけるKAMの報告が強制適用される時期と一致しています。

筆者は、当該会計基準の公表によって、企業が会計上の見積りを開示する上でのより明確な基準を得たと考えており、会計上の見積りについて、積極的な開示が行われることを期待しています。すでに、KAMの早期適用事例に掲げたいくつかの3月期決算企業において、2020年3月期有価証券報告書における有形固定資産の減損損失や無形資産の評価に関する財務諸表注記の記載が、2019年3月期の注記の記載と比較して、具体的で詳細に記述されている事例が散見されました。

また、有価証券報告書における「事業等のリスク」や「経営者による財政状態、経営成績及びキャッシュ・フローの状況の分析」においても、のれんの減損損失を計上する可能性等に関する言及が充実する事例も見られました。

今後とも、こうした企業の開示姿勢の一層の積極化を受けて、監査人によるKAMの記載内容の充実が期待されます。

2. 「減損までの距離」

会計上の見積りに関する所見を冒頭に指摘した背景は、財務諸表利用者が企業業績を見通す際に、固定資産(特にのれん)の評価が重要な留意事項となるからです。一部の財務諸表利用者は、固定資産(特にのれん)が減損するリスクの大きさについて、「減損までの距離」という表現を用いているようですが、こうした「減損までの距離」を推察するにあたって、記載されたKAMが参考になる場合もあると考えます。

ここでは、のれんの評価に関連する1つの気づきをご紹介しましょう。筆者は今回のKAMの早期適用事例において、のれんの評価におけるKAMの記載事例を16社ほど確認しました。このうち、減損損失を認識しているケースが7社、していないケースが9社と二分されています。すなわち、企業が減損損失を認識しているか否かにかかわらず、KAMにおいて、監査人からさまざまな記載が行われていることが確認できました。このことは、財務諸表利用者にとって、重要な示唆を与えるものと考えます。

企業は、注記において、さまざまな開示の工夫をこらしています。例えば、減損テストにおいて公正価値の算定に用いた割引率として加重資本平均コスト等を明示している企業があります。割引率がどの程度上昇すると減損損失が認識されるかの情報を開示する企業もありました。

一方の監査人は、企業が作成した財務諸表の注記等を参照しながら、KAMの内容および決定理由、監査上の対応を、手続きに則って過不足なく記載しているようです。これに対して、財務諸表利用者からは、一部の事例において、監査上のリスクの所在やKAMの選定理由が具体的でわかりやすく記述されている、被監査会社固有の手続が明示されている、といった高評価を与えた一方、より具体的な案件やテーマの記載、評価を行う上での整合性確認における数値の記載を望む声も聞かれています。

筆者は、今後とも、企業が発信する注記情報の深化、企業開示情報を受けた監査人による充実したKAMの記載が望ましいと考えています。

3. 収益認識に関するKAMの記載

続いて、収益認識に関するKAMの記載について考えてみましょう。筆者の認識では、収益認識に関するKAMの記載事項個数は11個です。収益認識は、ほぼすべての企業にとって重要な影響を与える会計処理と考えられますが、KAMの記載事項個数という意味では、やや少なかったとの印象を有しています。

国際財務報告基準や米国会計基準を適用する企業において、収益認識に関しては、IFRS第15号やASC Topic 606の適用によって、複雑な会計処理プロセスが求められるようになりました。特に、いわゆる工事進行基準を適用する取引や変動対価の見積り等を必要とする取引においては、収益認識の判断が論点となる可能性があると考えています。

本稿で検討対象としているKAM早期適用事例49社のうち、国際財務報告基準や米国会計基準を適用する企業は24社ですが、このうち収益認識に関するKAMの記載は5社に留まりました。

欧州企業のKAMや米国企業のCAMの状況を見ても、収益認識に関する記載事項は、重要な位置を占めています。具体的には、欧州では「資産の減損及び回収可能性」に次いで、米国では「のれん及び無形資産」に次いで、ともに2番目の記載個数に位置づけられているとの調査もあります。

2020年10月末日時点で、国際財務報告基準または米国会計基準を適用する日本企業は230社程度と予想されます。KAMの報告が強制適用となる2021年3月期以降、収益認識に関するKAMの記載事項が、こうした企業群においてどの程度示されることになるのか注目していきたいと思います。

今後、日本会計基準を適用する企業においても、企業会計基準委員会が公表した企業会計基準第29号「収益認識に関する会計基準」(2018年3月30日公表、2020年3月31日改正基準公表)を適用することで、国際財務報告基準や米国会計基準適用企業とほぼ同様の会計処理が求められるようになります。当該会計基準の強制適用時期は、2021年4月1日以後開始する連結会計年度および事業年度とされています。

本稿で検討対象としているKAM早期適用事例49社のうち、日本会計基準を適用する企業は25社ですが、収益認識に関するKAMの記載は6社に留まりました。「収益認識に関する会計基準」が強制適用を迎える2022年3月期以降、収益認識に関するKAMの記載事項の事例がどのように示されるか、こちらの企業群においても注目していきたいと思います。

4. その他

①ITシステムの信頼性やIT統制の評価に関するKAMの記載

今後の企業経営にとって、ITシステムの信頼性やIT統制の評価は、ますます重要性を高めていきます。こうした中、今回のKAM記載事例では、当該分野に関連した記述が3社程度と少なかった印象があります。サイバーセキュリティの強化、会計不正リスクの低減に向けた企業努力の過程で、企業・監査人の双方にとって、当該領域に対する取組みの高まりとその積極的な開示に期待したいところです。

②リスク情報の可視化

今回のKAM早期適用事例の中から、リスク情報の可視化について、リスク項目を整理し、各々について3段階評価を行うなど、注目できる事例がありました。

まず、監査人からの情報提供です。監査報告書において、監査役と監査人とが行った連結財務諸表における潜在的な重要な虚偽表示リスクや当連結会計年度に発生した重要な事象が監査に与える影響のうち、監査役と監査人がコミュニケーションを行った事項がリストされ、潜在的影響額や発生可能性などの評価を開示する事例が見られました。

次に、企業側からの情報提供です。有価証券報告書の「事業等のリスク」において、経営者が連結会社の財政状態、経営成績及びキャッシュフローの状況に重要な影響を与える可能性があると認識している主要なリスクについて、その影響度と発生可能性の評価を行い、リスク項目ごとに、関連する機会とリスク、主要な取り組みを開示した事例が見られました。

これらは、その情報発信主体が異なるものの、財務諸表利用者が企業のリスクを判断する上で、有用な情報を取得するケースとして注目に値します。

2 財務諸表利用者に評価されるKAM

以上、早期適用事例から注目点をいくつかまとめてみました。ここでは、監査報告書におけるKAMの記載が強制適用時期を迎えるにあたって、財務諸表利用者が期待するKAMの記載に関する切り口を考えてみましょう。

1. 明確・具体的な見出し

財務諸表利用者がKAMを読み込むにあたり、今回の早期適用事例でもいくつか散見されたような、特定の事業セグメントや案件を明記した具体的で明確な見出しが記載されることを望みます。個別具体的な見出しが明示されることで、当該テーマに対して、財務諸表利用者の関心を引き付けることも可能になるでしょう。

2. KAM記載項目の重要性の具体的な記載

KAM記載項目として決定した理由を示すにあたっては、当該項目の重要性の記述は具体的に示されることが望まれます。その際に、例えば、金額的な重要性を示すという意味で、その絶対額、総資産・純資産や当期純利益に対する比率などの記載があると、重要性がより明確に伝わるようになります。

3. 具体的な監査対応の記述

例えば、固定資産(のれんを含む)の評価がKAMとして指摘されている場合、将来キャッシュフロー予測、割引率、成長率等の妥当性の検証が注目点となることは、多くの財務諸表利用者にとって一致する見解と思われます。こうした論点に対して、どのような方法論を用いて妥当性を検証したのかに関する具体的な記載が示されると、財務諸表利用者にとっても有用な情報が提供されることになります。

KAMの強制適用時期を迎えるにあたって、財務諸表利用者が懸念する論点として、事例が飛躍的に増加する一方で、企業固有の事情に関する記載が希薄な一般的な記述(ボイラープレート化)の浸透があります。この点に関しては、監査人が企業と十分なコミュニケーションをとり、企業固有のKAMが記載されるようにすべきでしょう。

3 いくつかの提言

最後に、財務諸表利用者の立場として想定される要望を2点挙げておきます。

1. 好事例集のとりまとめ

有価証券報告書における記述情報の充実化の流れを踏まえ、金融庁は「記述情報の開示の好事例集」を公表しています。このほか、各種団体によるアニュアルレポートや統合報告書の表彰制度などが存在し、企業開示分野での好事例が紹介されています。

監査報告書におけるKAMの記載が上場会社および非上場の有価証券報告書提出会社(一定規模以下の会社を除く)で幅広く行われる2021年3月期以降、これらのKAMの内容を分析することで、財務諸表利用者の参考に資する好事例が監査報告書の分野でも見つかるかもしれません。監査報告書の記載内容と監査の品質は必ずしも一致しないかもしれませんが、監査報告書の分野でも好事例が取りまとめられることにより、財務諸表利用者の監査報告書に対する注目度合いが増し、資本市場の透明性を高めることにもつながります。

2. 財務諸表利用者と監査人のコミュニケーションの促進

投資家を中心とする財務諸表利用者が企業との対話(エンゲージメント)を活性化する流れの中で、投資家が投資先企業の監査人とのコミュニケーションの機会が活性化するならば、その傾向は資本市場の透明性を高めることの一助となることでしょう。

また、投資家と投資先の監査人との間で、当該投資先に関する意見交換を行うことは難しい場合でも、投資家と監査人とが、監査報告書のあり方について、一般的な議論を深める機会を重ねることは、資本市場全体の品質向上に向けた有意義な機会となります。

4 おわりに

本稿で見てきましたように、監査報告書にKAMが記載される今回の制度対応は、財務諸表利用者が投資先企業を評価するのに大いに役立ち、大きな改善と位置づけられます。さらに、財務諸表利用者が、今回の制度対応を契機として、企業・監査人との対話を一層活性化させることは、資本市場の透明性をより高めます。監査報告書へのKAMの記載が強制適用となる2021年、今まで以上に多くのKAMに関する好事例が公開されるものと楽しみにしています。


執筆者

PwCあらた有限責任監査法人
PwCあらた基礎研究所
主任研究員 野村 嘉浩