2021年3月期から強制適用となる監査基準委員会報告書701「独立監査人の監査報告書における監査上の主要な検討事項の報告」(以下、「監基報701」)は、監査人に対し、監査報告書において「監査上の主要な検討事項」(以下、「KAM」)を報告することを求めています。KAMの記載にあたり、関連する財務諸表における注記事項がある場合には、当該注記事項への参照が求められています(監基報701第12項(1))。また、KAMの記述を検討する際に、その他の記載内容(例えば、有価証券報告書における財務諸表以外の情報)などを考慮することもあります(監基報701のA38項)。このように、KAMは、企業により行われた開示と密接な関係があります。
わが国における企業情報の開示に関する諸制度は、この数年で着々と整備されてきました。これらは企業情報の開示の充実を目的とするものであって、KAMのために整備されたものではありません。しかしながら、KAMについて正しく理解するには、これらの諸制度についての理解も必要不可欠です。
このため本稿では、KAMと関連する会計基準・開示制度について解説をしていきます。
なお、文中の意見にわたる部分は、筆者の私見であることをあらかじめお断りしておきます。
KAMは、監査人が監査役等とコミュニケーションを行った事項のうち、監査の実施時に監査人が特に注意を払った事項であり、その中からさらに、当年度の財務諸表の監査において、職業的専門家として特に重要であると判断した事項です(監基報701第8項および第9項)。KAMとされる事項にはさまざまなものが考えられますが、2020年3月期におけるKAMの早期適用の状況を調べてみると、その多くは次のいずれかでした。これは、すでにKAMの実務が開始されている海外諸国と同様の傾向を示しています。
一般に、会計上の見積りは、見積りの不確実性を伴うため、たとえ企業が最善の見積りを行っていたとしても、翌年度に金額が確定した際または再見積りを実施した際に、当年度の見積額とは異なる金額となるリスクがあります。このため監査人は、会計上の見積りに対して慎重に監査を行います。
また、企業はその事業活動の中でさまざまな取引を行いますが、必ずしもこれらの取引すべてについて会計基準の定めがあるわけではありません。関連する会計基準の定めが明らかでない場合、企業は当該取引に対して適用する会計方針を自ら策定します。このような場合、監査人は、企業が策定した会計方針(以下、「企業固有の会計方針」)が適切かどうかを慎重に判断することが求められます。
会計上の見積りや企業固有の会計方針に関する事項がKAMとして選ばれることが多いのも、これらについては、より慎重な監査が必要となるためであると考えられます。
これまで見てきたように、しばしばKAMは会計上の見積りや企業固有の会計方針と関連して記載されます。わが国においては、会計上の見積りや企業固有の会計方針に係る企業情報の開示について、ここ数年で次のような会計基準・開示制度が整備されました。以降、それぞれ詳しく見ていきます。
2021年3月期に向けて
当該開示において記載すべき事項の全部または一部を有価証券報告書の「経理の状況」に記載した場合は、その旨を記載することによって、当該注記において記載した事項の記載を省略することが認められています。このため、後述する企業会計基準第31号「会計上の見積りの開示に関する会計基準」(以下、「見積開示基準」)の適用後は、当該会計基準に基づく注記の内容を参照する事例が増える可能性があると考えられます。
見積開示基準は、2021年3月31日以後終了する連結会計年度および事業年度の年度末に係る連結財務諸表および個別財務諸表から適用されます。また、公表日以後終了する連結会計年度および事業年度における年度末に係る連結財務諸表および個別財務諸表から早期適用が認められています。
開発にあたっての基本的な方針
見積開示基準は、国際会計基準(IAS)第1号「財務諸表の表示」(以下、「IAS第1号」)第125項において開示が求められている「見積りの不確実性の発生要因」の定めを参考に開発が行われました。IAS第1号第125項に基づく開示では、重要な会計上の見積りについて、その内容と金額が記載され
ます。このため見積開示基準の開発にあたっては、個々の注記を拡充するのではなく、開示を求める目的について包括的に定めた原則を示し、注記情報を作成するにあたっては、当該原則に照らして、開示する具体的な項目やその記載内容について判断することを求めるという方法が採られました。ここでいう「原則」は、見積開示基準では「開示目的」と呼ばれています。「開示目的」は、すべての企業に画一的な開示を求めるのではなく、その企業にとって重要な情報を開示することを求める、原則主義的なルールです。
開示目的
見積開示基準では、当年度の財務諸表に計上した金額が会計上の見積りによるもののうち、翌年度の財務諸表に重要な影響を及ぼすリスク(有利となる場合および不利となる場合の双方が含まれる)がある項目における会計上の見積りの内容について、財務諸表利用者の理解に資する情報を開示することが目的とされました(見積開示基準第4項)。
企業は、この開示目的に照らして、①自社における「翌年度の財務諸表に重要な影響を及ぼすリスクがある項目」を識別し、②①で識別した項目のそれぞれについて「財務諸表利用者の理解に資する情報」の内容を検討し開示する必要があります。
開示する項目の識別
見積開示基準では、開示する項目として、当年度の財務諸表に計上した金額が会計上の見積りによるもののうち、翌年度の財務諸表に重要な影響を及ぼすリスクがある項目を識別することが求められています。
ここで、翌年度の財務諸表に重要な影響を及ぼすリスクがある項目を識別するにあたっては、影響の金額的な大きさおよびその発生可能性を総合的に勘案して企業が判断するとされています(見積開示基準第5項および第21項)(図表1)。
したがって、金額的に大きな影響があり、かつ、その発生可能性が高い項目は、開示対象として識別されることになります。また、例えば、発生可能性が高くはないものの、金額的に大きな影響を及ぼす可能性がある項目や、影響の金額的な大きさは大きくないものの、その発生可能性が高い項目についても、開示対象として識別される可能性があります。
考慮すべき将来の期間
見積開示基準では、「翌年度」の財務諸表に及ぼす影響を考慮することとされています。しかし、翌々年度以降の財務諸表に影響を及ぼす可能性がある項目は、一般的に、翌年度の財務諸表にも影響を及ぼす可能性があると考えられます。このため、必ずしも「翌年度」にのみ対象を絞るのではなく、「翌年度以降」の影響も考慮することが、上述の開示目的からも適切と考えられます。
何が開示対象となり得るか
見積開示基準において、識別する項目は、通常、当年度の財務諸表に計上した資産および負債であることが明示されています(見積開示基準第5項)。
例えば、固定資産について減損損失の認識は行わないとした場合でも、見積りと実績との差異または見積りの更新による差異が翌年度の財務諸表に重要な影響を及ぼすリスクを検討したうえで、当該固定資産を開示する項目として識別する可能性があります。
また、翌年度の財務諸表に重要な影響を及ぼすリスクがある場合には、次のような項目を識別することは妨げられません(見積開示基準第23項)。
これらの項目ごとの具体的な例として、例えば(1)については工事進行基準に基づく収益の認識やストックオプションの費用処理額の見積りなど、(2)については未計上(未認識)の引当金など、(3)については金融商品や賃貸等不動産の時価情報などが考えられます。
このように、開示対象は必ずしも「当年度の財務諸表に計上した資産および負債」に限定されるものではなく、開示目的に照らして判断することが適切と考えられます。
注記事項
見積開示基準では、開示対象として識別した項目について、それぞれ次の事項を注記することが求められています(見積開示基準第6項および第7項)。
これらは独立の注記項目として記載し、識別した項目が複数ある場合には、それらの項目名は単一の注記としてまとめて記載します(図表2)。
(2)および(3)の事項の具体的な内容や記載方法(定量的情報もしくは定性的情報、またはこれらの組み合わせ)については、上述の開示目的に照らして判断します。
なお、(2)および(3)の事項について、他の注記として財務諸表に記載している場合は、当該他の注記事項を参照することにより当該事項の記載に代えることができます。
当年度の財務諸表に計上した金額
例えば、貸借対照表に投資有価証券の残高が100百万円と表示されていた場合、そのうち観察できない重要なインプットを用いて算定した投資有価証券の残高が20百万円あり、当該20百万円の投資有価証券の評価について、翌年度の財務諸表に重要な影響を与えるリスクがあるため会計上の見積りの開示の対象項目として識別したときには、会計上の見積りの開示において記載する金額は「20百万円」とすることがより適切と考えられます。
このため見積開示基準では、「当年度の財務諸表に計上した金額」について、財務諸表に表示された金額そのものではなく、会計上の見積りの開示の対象項目となった部分に係る計上額が開示される場合もあり得ることが明確化されています(見積開示基準第27項)。
会計上の見積りの内容について財務諸表利用者の理解に資するその他の情報
見積開示基準では、「会計上の見積りの内容について財務諸表利用者の理解に資するその他の情報」について、IAS第1号第129項の定めを参考に、次の3つの事項が例として挙げられています(見積開示基準第8項)。
このうち(1)や(2)に関する情報の開示は、財務諸表利用者が当年度の財務諸表に計上した金額について理解したうえで、企業が当該金額の算出に用いた主要な仮定が妥当な水準または範囲にあるかどうか、また、企業が採用した算出方法が妥当であるかどうかなどについて判断するための基礎として有用な情報となる場合があります。
(3)の「翌年度の財務諸表に与える影響」に関する情報の開示は、当年度の財務諸表に計上した金額が翌年度においてどのように変動する可能性があるのか、また、その発生可能性はどの程度なのかを財務諸表利用者が理解するのに有用な情報となる場合があります。翌年度の財務諸表に与える
影響を定量的に示す場合には、単一の金額のほか、合理的に想定される金額の範囲(レンジ)を示すことも考えられます。
これらの情報は、単に会計基準等における取扱いを算出方法として記載したり、会計基準等における取扱いに基づく結果としての影響を翌年度の財務諸表に与える影響として記載したりするのではなく、企業の置かれている状況が理解できるようにすることで、財務諸表利用者に有用な情報となると考えられます(見積開示基準第29項および第30項)。
また、企業の置かれている状況に加えて、企業による当該状況の評価に関する情報を開示することも財務諸表利用者が財務諸表を理解するために有用であると考えられます(見積開示基準第18項)。
2021年3月期に向けて
見積開示基準の適用にあたっては、具体的にどのような開示を行うべきか、実務上の困難さが伴うものと考えられます。特に、会計上の見積りはKAMとして報告される事項となる傾向が高いため、期中の段階から監査人とコミュニケーションを取り、見積開示基準に基づく開示をどのようにすべきか、KAMではどのような内容を記載するのか等について、相互理解を図りながら検討を進めていくことが望ましいと考えます。
一方、日本基準では、「企業会計原則」において重要な会計方針の開示について定められているものの、上述のような場合の会計方針の開示の定めが会計基準において明らかではなく、開示の実態も様々です。さらに、今後、会計基準等の開発時に想定していなかった新たな取引や経済事象が出現した場合に、それらに関連する会計基準等の定めが明らかでないこともあり得るため、そのような会計方針の開示に関する取扱いの明確化は有用であると評価されました。
改正企業会計基準第24号「会計方針の開示、会計上の変更及び誤謬の訂正に関する会計基準」(以下、「会計方針開示基準」)は、基準諮問会議における以上の評価結果を踏まえ、日本基準における注記情報の充実を目的として、「企業会計原則」の定めを引き継ぐかたちで公表されました。
開示目的
会計方針開示基準において、重要な会計方針に関する注記の開示目的は、財務諸表を作成するための基礎となる事項を財務諸表利用者が理解するために、採用した会計処理の原則および手続の概要を示すことにあるとされました(会計方針開示基準第4-2項)。
なお、「公表の経緯」で述べたとおり、会計方針開示基準は、関連する会計基準等の定めが明らかでない場合における重要な会計方針の開示に関する取扱いを明確化することも目的とされていたことから、上述の開示目的は、会計処理の対象となる会計事象や取引に関連する会計基準等の定めが明らかでない場合に、会計処理の原則および手続を採用するときも同じである旨が付記されています(会計方針開示基準第4-2項)。
関連する会計基準等の定めが明らかでない場合
「関連する会計基準等の定めが明らかでない場合」とは、特定の会計事象等に対して適用し得る具体的な会計基準等の定めが存在しない場合をいうとされています(会計方針開示基準第4-3項)。
より具体的には、次のような例が示されています(会計方針開示基準第44-4項および第44-5項)。
開示すべき会計方針
従来、わが国では、会計方針の開示について、企業会計原則注解(注1-2)において「財務諸表には、重要な会計方針を注記しなければならない」と定められており、会計方針開示基準が改正される以前においても、関連する会計基準等の定めが明らかか否かにかかわらず、重要な会計方針について開示を行うことが求められてきました。ただし、会計方針それ自体の重要性(どの会計方針が重要な会計方針なのか)について、具体的な考え方を示した会計基準等はありません。
重要な会計方針に関する情報は、財務諸表利用者が財務諸表の作成方法を理解し、財務諸表間で比較を行うために不可欠な情報であると考えられます(会計方針開示基準第44-2項)。このため、実務上は、開示目的に照らし、「財務諸表を作成するための基礎となる事項を財務諸表利用者が理解するために必要な情報は何か」を検討したうえで、開示すべき会計方針を検討することが必要です。
重要な会計方針に関する注記において記載すべき内容
財務諸表には、重要な会計方針を注記します(会計方針開示基準第4-4項)。これにより、企業が採用した会計処理の原則および手続の概要を示すことを目的としています(会計方針開示基準第4-2項)。
ここで、会計処理の原則および手続の概要とは、「どのような場合にどのような項目を計上するのか、計上する金額をどのように算定しているのか」であるとされています(会計方針開示基準第44-2項)。これは、いわゆる認識規準および測定方法について、企業が採用した方針を注記することが求められているものと考えられます。
代替的な会計処理の原則および手続が認められていない場合
会計方針開示基準では、企業会計原則注解(注1-2)の定めを引き継ぎ、会計基準等の定めが明らかであり、当該会計基準等において代替的な会計処理の原則および手続が認められていない場合には、会計方針に関する注記を省略することができる旨が定められています(会計方針開示基準第4-6項)。
このような省略を認めている目的は、財務諸表利用者が会計基準等で定められている会計処理の原則および手続を理解していると想定され、会計基準等と同じ内容を繰り返して注記した場合に開示が冗長になることを回避することであると考えられます。
しかしながら、上述の会計方針開示基準第4-6項はあくまで容認規定であり、省略が強制されるわけではない点に留意が必要です。開示目的に鑑みれば、財務諸表利用者の理解のために有用であると判断される場合には、当該会計方針も開示されることになると考えられます(「企業会計基準公開草案第69号(企業会計基準第24号の改正案)「会計方針の開示、会計上の変更及び誤謬の訂正に関する会計基準(案)」に対するコメント」No.12)。
2021年3月期に向けて
会計方針開示基準では、関連する会計基準等の定めが明らかであるか否かにかかわらず、企業が採用した重要な会計方針については開示すべき旨が再確認されました。このため、各企業は、例えば、次のような観点から会計方針の開示を再検討することが必要です。
特に、企業固有の会計方針がある場合には、KAMとして報告される事項となる可能性があるため、会計上の見積りと同様、早期から監査人とのコミュニケーションを開始し、開示内容等について、KAMとの関連性も踏まえつつ、検討を進めていくことが望ましいと考えます。
本稿で見てきたとおり、わが国における企業情報の開示に関する諸制度は、この数年で次々に整備されました。「はじめに」において述べたとおり、これらは企業情報の開示の充実を目的としたものであって、KAMのために整備されたものではありません。しかしながら、企業情報の開示の充実と監査人によるKAMの報告は、いずれも企業と財務諸表利用者との間の建設的な対話に役立つものです。企業価値の向上、ひいては資本市場のさらなる活性化のため、今を機会と捉え、企業情報の開示の充実を図っていただけることを切に願います。
PwCあらた有限責任監査法人
第1 金融部(銀行・証券)
ディレクター 小西 健太郎