世界経済フォーラム(World Economic Forum:WEF)は、2020年1月に「グローバルリスク報告書2020年版」を公表し、今後10年間に起こりうる世界的なリスクの発生確率の高さに関して、初めて上位5位すべてを環境関連のリスクが占めたと報告しています。これらは順に、「異常気象」「気候変動の緩和・適応の失敗」「自然災害」「生物多様性の損失と生態系の破壊」、「人為的な環境災害」となっています。実際に日本においても自然災害による被害が甚大化しており、国土交通省や各地方公共団体はハザードマップを作成するなど、広く自然災害に対する備えを呼び掛けています。
特に、自然災害に関するリスクの対処としてBCP(BusinessContinuity Plan:事業継続計画)については多くの企業が取り組んでいますが、自然災害による財務インパクトの影響度についてはまだ十分に把握できていない状況にあります。
TCFD※1の取り組みに応え、移行リスクを開示する企業は増えている一方で、物理的リスクについては開示を検討している企業も増えてきていますが、まだ十分とは言えません。
このような環境下にあることから、企業としてはERM(EnterpriseRisk Management:統合型リスク管理)の高度化に取り組む良いタイミングと考えられます。本稿では、自然災害による被害が増加している状況を踏まえ、事業リスク管理の取り組みについて紹介します。
なお、文中の意見に係る部分は筆者の私見であり、PwCあらた有限責任監査法人および所属部署の正式見解でないことをあらかじめご理解頂きたく、よろしくお願いします。
自然災害の発生がここ数年で増加し、甚大化しています。図表1は火災保険におけるペリル別の支払保険金の2008年度から2017年度までの推移を示したものです。これからもわかるとおり、2011年以降は自然災害による支払が増加しています。
図表1には2018年度と2019年度の災害が含まれていませんが、2018年度および2019年度においては、台風などを原因とする風水害の被害が大きな年となりました。当該年度を含む自然災害(風水害)の保険金の支払状況を図表2に示します。
2018年度および2019年度に大型で強い台風が複数回上陸し、大きな被害が生じたのは記憶に新しいところですが、図表2に示すとおり、2019年度までに発生した自然災害(風水害)による被害額の上位10災害のうち半分はこの2年の災害で占めていることがわかります。特に、2018年台風21号は近畿エリアで甚大な被害が発生し、2019年台風19号でも千曲川の氾濫により新幹線の車両が浸水するなど、被害も広範に及んでいます。
2020年度は、台風10号および台風14号については、海水温の上昇の影響によってこれまでにない規模の台風に発達し、大きな被害が出る可能性がある旨、気象庁から事前に発表されました。結果的に、台風が一度も上陸しなかったため大きな被害は免れましたが、7月の豪雨により球磨川や飛騨川が氾濫し、台風10号により九州地方において被害が生じています。近年は台風の規模や最大風速がこれまでの台風と比べて巨大、強力になっているのが特徴的と言えます。
図表1で示したとおり、2011年以降は大きな自然災害による被害が続いており、台風による風災被害のみではなく水災による被害も増加しています。これは、温暖化による海水温の上昇が日本での降水量を増加させていることに起因します。特に図表3で示した線状降水帯の発生は局所的に継続的な大雨を降らせ、内水氾濫等の被害がもたらされています。線状降水帯による過去の被害としては、2014年8月豪雨による広島市の土砂災害、2015年9月関東・東北豪雨、2017年7月九州北部豪雨、2018年7月豪雨(西日本豪雨)、2020年7月豪雨などが挙げられます。
風水害以外にも、森林火災、雪災、震災などの自然災害がありますが、日本は地震リスクが極めて高く、リスク管理の観点から地震リスクの評価を欠かすことはできません。
巨大な地震を引き起こすプレート型の地震は、過去に発生した時期が判明しており、周期性があると考えられているため、どの地域の地震をリスク管理の対象とするかを検討することも可能です。2011年に甚大な被害をもたらした東日本大震災の再現期間は400年以上と考えられていますが、南海トラフ地震については図表4で示しているとおり、およそ100~200年の間隔で発生しており、地震調査研究推進本部の発表では、30年以内に地震が発生する確率は70~80%と予想されています。
図表5は、関東圏で発生した地震の規模と発生時期を示しています。この図表から、首都圏直下地震については元禄関東地震と大正関東地震の間は220年あり、地震直後の100年間ではそれほど大きな地震は発生せず、巨大地震発生前の100年間においてはM7前後の地震が比較的近い年度で複数回発生していることがわかります。
図表6は富士山の噴火の発生時期を示しています。過去に350年ほど噴火が起こらなかった時期もありますが、すでに宝永の大噴火から300年以上を経過しており、過去の周期を踏まえてもいつ発生してもおかしくない状況にあります。
図表7はリスクマネジメントにおけるリスク対策の方法を整理したものです。自然災害リスクに対しても、この対策の方法を当てはめることができます。例えば工場などを建設する場合、水災リスクや土砂災害リスクを回避するため、そのリスクが低い土地を選定し、建物等についても風災に耐えられるような建築方法を選択することで、損失の防止や軽減を図ります。これは「リスクコントロール」に該当します。また、このような対策を行ったとしても一定のリスクは残るため、これを保険として保険会社にリスク移転するという対策が一般的に行われており、これが「リスクファイナンス」に該当します。
前述のとおり、自然災害の被害が増大している状況にあることから、このリスク軽減・移転等のコストは増加しており、また、将来的にも増加する傾向が続くと考えられます。現状においても火災保険の保険料は特に自然災害部分について増加傾向が見られています。さらに、より災害に強い構造にする、水災の被害がないように盛土をするなどの対策を実施すると、それに応じてコストも増加することとなり、潜在的なリスクは増加しています。
企業において、前述の自然災害に対するリスク管理のような直接的な取り組みばかりではなく、持続可能な社会に関する社会全体としての取り組みについても求められるようになっています。
SDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)は、国連が2015年に定めた世界的な目標で、17の目標が定められています。そのうち、環境に関連する目標として、「気候変動に具体的な対策を」というものがあります。これは、地球温暖化現象が招く世界各地での気候変動やその影響を軽減することを目標としており、具体的な対応策として温室効果ガスの排出削減が挙げられています。
2015年に採択されたパリ協定でも、次のような世界共通の長期目標を掲げているため、企業に対しても温室効果ガスの排出削減に取り組むことが求められています。
ESG投資とは、財務情報だけでなく、環境(Environment)、社会(Social)、ガバナンス(Governance)といった要素も考慮した投資のことを指します。最近は年金基金などの多額の資産を超長期で運用する機関投資家を中心に、企業経営のサステナビリティを評価するという概念が普及しています。また、日本においても、投資にESGの視点を組み入れることなどを原則として掲げる国連責任投資原則(PRI)に、日本の年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が2015年に署名したことなどを背景として、ESG投資が広がっています。
そのため企業においては、気候変動などを念頭においた長期的なリスクマネジメントや、企業の新たな収益創出の機会(オポチュニティ)を評価する仕組みが重要視されるようになっています。
企業に対して気候変動による財務情報を開示するという取り組みも求められています。2019年10月にTCFDコンソーシアムが発表した「グリーン投資の促進に向けた気候関連情報活用ガイダンス」においては、「環境と成長の好循環」の実現のために必要な要素として、次の3つが掲げられています。
この提言では、気候変動に関するリスクと機会を把握し評価することが求められています。また、TCFD提言に沿って投資家等が読み解くべき視点も示されています(図表8)。
TCFD提言では、気候関連のリスクとして、低炭素経済への移行に関連したリスク(移行リスク)および気候変動の物理的影響に関連したリスク(物理的リスク)の2種類を確認することを求められ、物理的リスクについては、急性リスク(例:異常気象の増加等)と慢性リスク(例:海面上昇等)があるとされています。
物理的リスクを実際にどのように評価するかについては、手法などが明確になっているというわけではなく、現状においては発展途上にありますが、気候変動による直接的な損害のみではなく、間接的な被害も把握することが重要です。間接的な被害を把握するためには、サプライチェーンリスクなども評価する必要があります。すべての商品の仕入れから出荷までの流れを把握し、多様で複雑なシナリオを想定し、どの地点で損害が生じた際にどのように連鎖するかを見極めることで被害額を推定することが可能となります。
ERMとは、企業全体の事業リスクを把握したうえで、収益性を追求する事業経営プロセスですが、ここでいう収益性は単なる資本対比という観点のみではなく、リスク量を考慮した収益性を意味しています。
企業がさらされるリスクは従来と比べ大きく増加しており、自然災害以外にもサイバーリスク、人権リスクやパンデミックリスクなど、これまで企業が対処してきたビジネスリスクとは大きく異なるリスクに対しても管理が必要です。
また、リスクについては、直接的な損害のみではなく、サプライチェーンリスクも含めた間接損害についても適切に把握しなければなりません。人権リスクについては、海外からの材料や部品などの調達先について人権デューデリジェンスを実施し、児童労働、強制労働などの深刻な人権侵害がないことを確認する必要があります。
リスクを評価する際、一般的には事故頻度、損害規模の多寡などを定性的に評価することから始め、金額的な重要性があり、評価するべきリスクについては計量化するステップに進みます。
計量化に際し、外部情報を用いることも必要となりますが、自社データを整備することが肝要です。過去の災害等にあった際の災害の要因、被害の内容、復旧までの日数などのデータは直接損害を推定するには不可欠ですが、特に間接損害を推定するためには、通常の活動における生産量、在庫量、製品等の搬送日数など、間接的な損害額を想定するためのデータは多岐にわたるため、必要な情報を自動的に記録し保存されるための環境整備も必要となります。
災害時のデータについては、すぐに準備ができるものではないため、長期間かけて蓄積する必要があります。また、後でデータ項目を追加することになると、その対応に多大な手間が生じるため、データ整備に際しては、詳細な計量化の手法を意識し、データ項目とインプット情報について詳細なルールを策定することも重要となります。
このようにデータ整備を推進することでリスク量の計測が可能となりますが、確率論的な計量化が難しい場合は、ストレスシナリオなどの一定のシナリオに基づき評価する方法もあります。
いずれにしてもリスク量を計量化することが可能となれば、ERM経営のもとでは単に収益性という観点のみでなく、リスク量を考慮したROR(Rate of Return)、ESR(EconomicSolvency Ratio)などの指標でも施策などの評価を行うことが可能となります。
TCFD提言で提唱している物理的リスク評価の普及により、対象となる風災や水災などの自然災害リスクにおいては計量化するノウハウが蓄積されることが想定されます。そのノウハウを拡げて他のリスクにおいても同様の対応を行うことで、多様なリスクについての計量化が可能となり、ERM経営がより現実的なものになっていくものと思われます。
事業リスク管理においては、リスクを負の影響として捉えるだけではなく、機会と考え、正の影響を与えるものとして捉えることも必要です。TCFD提言における投資家の視点として、リスクと機会をセットで考えることが重要である旨記載されており、気候変動による機会についても併せて検討することが求められています。
IFRS財団は2020年9月にTCFDを含むサステナビリティ情報開示の基準化検討主体となる動きを見せ始め、英国は同年11月にG20初のTCFD情報開示の義務化を導入することを公表しています。また、COP26(第26回気候変動枠組条約締約国会議)は2020年11月から2021年に延期されたものの、米国新政権ではパリ協定への復帰が公約となっており、TCFD提言に関する取り組みが今後世界的に進展する可能性があります。
企業にとってリスク管理は重要な経営課題のひとつですが、ESG投資が普及する中で、TCFD提言の要件を満たす財務諸表開示が一層求められようになっています。これまでよりも自然災害に対して高度なリスク管理や開示が求められています。
また、新型コロナウイルスのようにこれまでに経験したことがないリスクやサイバーリスクなどの新たなリスクも顕在化しています。幅広く企業を取り巻くリスクを見直し、ERMの高度化を図るよいタイミングではないでしょうか。そのような取り組みがなされる企業が増えることを祈念しつつ、私たち自身も皆さまと一緒にその流れに少しでも貢献できればと考えています。
*1 Task Force on Climate-related Financial Disclosuresの略。気候関連財務情報開示タスクフォース。
PwCあらた有限責任監査法人
第二金融部
ディレクター 横井 繁忠