自然災害モデルの具体的アプローチ

はじめに

近年、世界的な気候変動による自然災害の増大や、TCFD(気候関連財務情報開示タスクフォース)提言を受けて企業活動にも変革が求められています。また、地震大国である日本では、南海トラフの巨大地震や首都直下型地震といった将来起こりうる巨大地震への関心も高く、南海トラフ巨大地震対策検討ワーキンググループ等で検討が進められています。

通常、台風や地震等の自然災害リスクを定量的に把握するのに工学的な数理モデルである自然災害モデルを使用しますが、自社のリスク実態に合った計量化を行うためには、モデルの仕組みや限界を理解し、モデルのどの部分にどのような調整を行うべきか詳細な検討を加えなければなりません。また、自社のリスク管理への活用を見据え、各用途に合った情報を入手する必要があります。

本稿では、自然災害モデルにおけるリスク定量化の具体的アプローチをモデルの仕組みに沿って解説し、自然災害リスクのモデル化において必要な事項を提示します。

1 リスクの評価方法

1. 自然災害モデルの概要

自然災害リスクを評価するには、自社の契約ポートフォリオや事務所・工場等のリスク計測対象が、台風や地震等の自然災害によって被災した際に被る金額的影響を計測します。この評価で使用されるのが自然災害モデルです。リスク計測対象のデータを入力とし、モデルの中で台風や地震等の自然災害を仮想的に発生させ、リスク計測対象が受ける被害の金額的影響を出力します。自然災害モデルは、災害の種類によらず共通して、「ハザードモジュール」、「脆弱性モジュール」、「ファイナンシャルモジュール」の3つの基本モジュールで構成されます(図表1)。各モジュールにおける機能は以下のとおりです。

ハザードモジュール

ハザードモジュールでは、台風や地震等の自然災害の種類別に自然災害シナリオのリスト(以下、シナリオリスト)が定義されます。シナリオリストには、災害シナリオごとに発生地点・経路・規模・強度のほか、年間発生確率の情報が付与されています。これらは、過去に発生した自然災害の統計データや、科学的研究に基づいた物理的なメカニズムを考慮して設定されます。

このシナリオリストに基づき、想定する災害シナリオを発生させます。発生方法は、シナリオリストの年間発生確率に基づいて数万本~数十万本のシナリオを発生させるシミュレーション法と、200年に1回等のある特定の規模の災害を具体的に仮定し発生させるシナリオ法があります。この発生方法に基づき、各シナリオが発生した際の、リスク計測対象が影響を受ける災害の物理的な強度(罹災度)を計測します。

例えば、台風の場合はリスク計測対象の各地点における最大瞬間風速など、地震の場合は発生地点からの距離や地盤等を考慮した揺れの強さとなります。

脆弱性モジュール

脆弱性モジュールでは、ハザードモジュールで計算した災害ごとの物理的な強度(罹災度)とリスク計測対象への損害の程度を決定します。災害の強度とリスク計測対象への損害の程度の関係は、自社における過去の統計データ・一般統計データや工学的研究に基づいて評価された脆弱性曲線を用いて表され、損害の程度は再調達価額に対する損害額(修理費)の比率等で評価されます。

例えば、リスク計測対象が建物の場合、構造・用途・建築年・階数等により脆弱性曲線は異なります。建物以外にも、家財、設備・什器や動産等の脆弱性曲線を用いて評価します。また、特定の災害の強度に対する損害の程度には不確実性が存在するため、その不確実性(発生確率)に基づいて複数のシナリオを発生させ評価する場合や、期待値で評価する方法があります。

ファイナンシャルモジュール

ファイナンシャルモジュールでは、脆弱性モジュールで計算したリスク計測対象の被る損害の程度に基づき、金額的影響を計算します。計算には、リスク計測対象の再調達価額のほか、保険契約・再保険契約・キャットボンド等のリスクヘッジによる損害の軽減効果も考慮します。

例えば、リスク計測対象に保険契約の効果を考慮する場合は、リスク計測対象の損害額を計算し、保険契約の支払条件や支払限度額・免責金額に基づいて最終的な金額影響を計算します。

2. 直接損害・間接損害について

自然災害リスクによる損害には、直接損害と間接損害があります。この2つは、自然災害モデル中の脆弱性モジュールおよびファイナンシャルモジュールにおいて考慮されます。直接損害とは、災害が発生した際にその被災地点における建物・設備等の損傷被害を表します。例えば、地震による建物の損傷被害は、震度別に全壊や半壊等の被害区分の発生率として表現します(図表2)。

この他にも、地震における液状化による建物への被害、工場の生産設備やユーティリティへの被害、水道・電気・ガスこの他にも、地震における液状化による建物への被害、工場の生産設備やユーティリティへの被害、水道・電気・ガス等のライフラインへの損傷被害も直接損害に当たります。

一方、間接損害とは、災害が発生した後に、経済活動に支障を伴う被害や建物・設備等への直接的被害により、経済活動が停止または効率性が低下するなどの影響を指します。例えば、地震により稼働が停止し、平時の稼働に戻るまでの停止期間に対応した逸失利益として表現されます(図表3)。

このほかに、工場の生産設備やライフラインへの被害に伴う操業停止や、原材料や部品、資材等のサプライヤーや提携先の被災、物流システムの被災に伴う操業中断も間接損害に当たります。特に、後者についてはサプライチェーンリスクとして知られています。サプライチェーンリスクの把握には、自社がスコープとしているサプライチェーンにおける関係者・要素(サプライヤー、提携先、物流施設等)の構造を分析し、自然災害によって被害を受ける関係者・要素の特定とそれによる操業停止時間・自社への生産体制等への影響度の評価をする必要があります。サプライチェーンの構造をあらかじめ特定しておくと、自然災害モデルを活用したサプライチェーンリスクの評価を迅速に行えます。

2 リスク計量化の手法

1. ハザード

台風・高潮

台風については、気象庁や一般社団法人気象業務支援センターから過去の台風データが公表されています(図表4)。台風データには、年間上陸・接近数、台風進路、上陸後の中心気圧の推移・最大風速・暴風域半径・強風域半径などが豊富に蓄積されており、これらをもとに仮想の台風シナリオを設定できまます。例えば、過去の年間上陸・接近数のデータを確率分布に当てはめ、台風進路や中心気圧の不確実性、および最大風速・暴風域半径・強風域半径との相関性を考慮してシナリオを設定します。ハザードモジュールで計算される地点ごとの台風の罹災度は、最大瞬間風速や暴風域・強風域滞在時間などで計測します。

高潮については、国土交通省が日本三大湾(東京湾、伊勢湾、大阪湾)のハザードマップを公表しています(図表5)。例えば、東京湾における大規模高潮浸水想定では、潮位の初期条件、想定する台風の規模・経路、海外保全施設の条件、水門の開閉により、シナリオを作成しています。ハザードモジュールで計算される地点ごとの高潮の罹災度は、シナリオごとに設定される想定浸水深となります。

地震・津波

地震については、文部科学省管轄の地震調査研究推進本部が作成した「確率論的地震動予測地図」が公表されており、「地震ハザードステーション」(防災科研)のウェブサイトでヒートマップ形式で閲覧できます(図表6)。確率論的地震動予測地図では、地震活動の評価に際し、日本列島で発生する地震を「主要98断層帯に発生する固有地震」、「海溝型地震」、「その他の地震」に分類し、各地震に対して、平均発生間隔・地震発生確率、規模やその地震による特定の地点における揺れの強さの確率を評価しています。なお、南海トラフの巨大地震は、海溝型地震に分類されます。評価にあたり、震源の位置、マグニチュード、震源からの距離による減衰や表層地盤の性質を考慮しています。ハザードモジュールにおいて計算される地点ごとの地震による揺れの強さは、震度や最大加速度で表されます。

津波については、都道府県等の公的機関から浸水想定(津波高および浸水域)が公表されています(図表7)。浸水想定図では、想定する地震における断層面が滑る領域や堤防条件によりシナリオが設定されています。ハザードモジュールにおいて計算される地点ごとの津波の罹災度は、シナリオ別に設定される津波浸水深となります。

水災(洪水)

国土交通省および都道府県では、想定し得る最大規模の降雨により水防法で指定した河川が氾濫した場合に浸水が想定される区域を指定し、指定の区域および浸水した場合に想定される水深、浸水継続時間を洪水浸水想定区域図として公表しています(図表8)。

計画降雨のシナリオ(河川を整備するために策定される計画の立案に使用される計画上の想定降雨)ごとに、地点別に5~7段階の浸水深区分が設定されています。さらに詳細なデータとして、河川事務所ごとに想定最大規模の降雨(1000年に1回程度)発生時の想定浸水深データを作成しています。このデータでは、想定している破堤点、各破堤点を想定した洪水における浸水地点別の想定浸水深等が含まれています。ハザードモジュールにおいて計算される地点ごとの水災(洪水)の罹災度は、河川ごとに破堤点のシナリオ別に設定される想定浸水深となります。

なお、河川ごとにリスクを評価する必要があるため、国土交通省の洪水浸水想定区域図より自社における各河川の重要度を踏まえ、重要度が高い河川における河川事務所ごとのデータを使用することにより詳細なリスク計測が可能となります。

その他

上記の台風・高潮、地震・津波、水災(洪水)以外の災害については、工学的な評価が十分になされていません。例えば、内水氾濫・土砂災害、雪・ひょう・竜巻・突風などの災害については、自然災害モデルのように各モジュールで計算することは困難なため、過去の統計データに基づいて理論的な確率分布に当てはめて評価したり、仮想のシナリオを設定して分析します。

なお、確率分布に当てはめを行う場合は、計測する災害の性質に応じて適切なものを選択します。

2. 被害の測定方法

台風や地震等のハザードが与える建物・設備等の損傷被害は自然災害モデル中の脆弱性モジュールで計測します。その際に、ハザードと損傷被害との関係をあらかじめ設定する必要があり、過去データの分析や工学的知見から定式化します(図表9)。

台風による建物被害

ハザードモジュールで計算された最大瞬間風速や暴風域滞在時間・強風域滞在時間をもとに、脆弱性モジュールで建物や人に対する被害を評価します。建物構造や用途・階数等の特性を考慮し、脆弱性を設定します。また、脆弱性の入力となるハザードは、最大瞬間風速や暴風域滞在時間・強風域滞在時間以外に、雨台風・風台風といった台風の種類、台風進路の左側・右側の被害の較差、上陸地域といったものがあります。そして、これらの特性と建物被害との相関性を分析し、どの要素が大きな影響を与えるかを特定し、モデル化する必要があります。

地震による建物被害・人的被害

ハザードモジュールで計算された最大加速度や震度をもとに、脆弱性モジュールで建物や人に対する被害を評価します。例えば、地震の揺れによる建物被害は建物構造(木造・非木造)と建築年によって被害率曲線が評価します(図表10)。

また、液状化による地盤沈下量が与える建物全壊率への影響も考慮が必要です。建物構造は、非木造を鉄骨造やコンクリート造などに細分化してモデル化することもあります。建築年は、建築基準法の基準による影響が大きく、耐震性に関わる建築基準の変更に応じてグループ化して計算します。加えて、この他の区分として、建物用途(住宅・工場等)や階数等による特性を考慮することも考えられます。

地震の揺れによる人的被害については、想定する季節・時間帯によって建物内の滞留率や移動者の割合が異なることから、これらの要素を考慮して評価します。

さらに、地震によって引き起こされる建物火災については、火気器具・電熱器具からの出火や電気機器・配線からの出火に関して、季節・時間帯別に出火率を設定し、評価します。

水災(洪水)・高潮・津波による建物被害

ハザードモジュールで計算された浸水深をもとに、脆弱性モジュールで建物や人に対する被害を評価します。建物構造や用途・階数等の特性を考慮し、脆弱性を設定します。また、脆弱性の入力となるハザードは、浸水深以外にも表層地盤における勾配や各水害の被災建物と破堤箇所との距離、被災建物が立地する地形、氾濫継続時間等によって変化し、これらをモデル化する手法を考える必要があります。

間接損害

間接被害は、災害の種類別にハザードモジュールで計算された災害の物理的な強度(罹災度)ごとに、災害発生からの経過日数と復旧率の関係性に基づいて評価します。この関係性は、所在地や業種のほか、主要な供給拠点からの距離や道路ネットワークに応じて変化します。

また、自社の事業継続計画(BCP)に基づいて代替供給先を確保するなど、業務に与える影響も考慮する必要があります。操業停止に伴う損害には、事故がなければ得られた営業利益や経常費といった逸失利益のほか、営業収益の減少を防止または軽減するために発生する費用も含まれます。

3 おわりに

自然災害モデルを有効に活用するためには、モデルの仕組みや限界を理解し、自社のリスク特性に合った計量化ができるように調整を行う必要があります。この調整には一般統計データのほかに工場や倉庫等の建物・設備といったリスク計測対象の自然災害による被害データが必要であり、自社で被害実績データを長年にわたって蓄積しなければなりません。

また、モデルをいったん構築したらそれで終わりではなく、モデルの有効性を継続的に確保するために、計量化、検証、改善のサイクルを繰り返す必要があり、時間をかけて精緻化していくことになります。実効的な自然災害リスク管理の実現の第一歩として、まず自然災害モデルの構築の検討から始めてみてはいかがでしょうか。


執筆者

横井 繁忠

PwCあらた有限責任監査法人
第二金融部
ディレクター 横井 繁忠

實石 晃洋

PwCあらた有限責任監査法人
第二金融部
マネージャー 實石 晃洋