気候変動リスクへの関心が急速に高まっています。世界のESG投資の規模感は約31兆ドル*1と世界全体の投資残高の3割程度を占めていると言われており、その中心的なテーマが気候変動です。また、2020年10月に行われた菅義偉首相の所信表明演説でも「温室効果ガス2050年実質ゼロ」を達成すると表明されており、気候変動リスクへの対応がさらに加速されることが想定されます。実際に、ここ数年、日本では、巨大な台風が上陸し大きな被害を発生させており、気候変動リスクが高まっていることを身近に感じている方も多いのではないでしょうか。
一方で、気候変動リスクは対象期間が長期にわたり、かつ不確実性も高いため定量的な評価が難しく対応に苦慮している企業も多いものと考えられます。ここでは、気候変動リスクの概要を説明し、その定量的な評価方法のひとつであるシナリオ分析について紹介します。
シナリオ分析に関するサービスについては下記リンク先をご覧ください。
リスク耐性強化のためのシナリオ分析整備支援
本節では、気候変動リスクの概要を記します。まず、気候変動リスクへのグローバルな対応状況を整理します。次に、気候変動により見込まれる将来の影響を整理し、最後に既存のリスクとの違いを中心に気候変動リスクの特徴について説明します。
気候変動リスクへの関心が高まる中、その対応がグローバルに進んでいます。まず、国連が主導となって進めた国際的な枠組みである「パリ協定」(2015年採択)があります。これは、世界の平均気温上昇を産業革命前と比較して+2℃未満の+1.5℃に抑える努力をすることと、そのためにできる限り早く世界の温室効果ガス排出量をピークアウトさせ、21世紀後半にはバランスさせることを目標としています。2019年末時点で197か国が協定を締結しています。
また、パリ協定と同じく2015年9月に行われた国連サミットではSDGs(持続可能な開発目標)が採択されました。2030年までに持続可能でよりよい世界を目指すために17の目標を設定しており、気候変動に関しても「SDGs目標 13:気候変動に具体的な対策を」として明確に盛り込まれています。
このようなグローバルな動向にあわせ、さまざまなガイダンスやイニシアティブが示されています。まず、金融機関向けの動きとして、国連の国連環境計画・金融イニシアティブ(UNEP FI)が公表した「責任投資原則(PRI)」「持続可能な保険原則(PSI)」「責任銀行原則(PRB)」の金融3原則があります。これらは主に金融サービスを提供する企業に対して長期的なサステナビリティの視点を重視した行動を取るよう求めています。日本では年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)がPRIに署名したことを契機に多くのアセットオーナーがESG投資にかじを切っています。
また、気候変動関連の開示の枠組みも整備されてきています。中でも特に重要なものとして、気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)があります。これはG20傘下の金融安定理事会(FSB)が2015年に設置したもので、2017年6月に最終提言を公表しました。この提言では、企業に対して、「ガバナンス」「戦略」「リスク管理」「指標・目標」の4項目について、自社への財務的影響がある気候関連情報を開示するよう勧めています。TCFD提言は、気候変動の影響を各企業の財務的なインパクトに落とし込んで開示することを推奨していることに特徴があり、その具体的な手法としてシナリオ分析を推奨しています*4。
日本では、2020年12月24日時点で332の企業・機関がTCFD提言に賛同しており、経済産業省、環境省、金融庁等の政府当局も「TCFDガイダンス」の公表、「TCFDコンソーシアム」の設置、「TCFDサミット」の開催等を通じて強力に支援しています。TCFDの他にも、CDP、GRI、SASBといった機関も開示の枠組みを整備しており、気候変動リスクに関する開示を進める際には、TCFDと併せて確認していく必要があります。
気候変動の原因となる地球温暖化は温室効果ガス(greenhouse gas:GHG)の増加によるものと考えられています。IPCC(気候変動による政府間パネル)では、産業革命以降にGHG排出量が増加したのは人間活動の拡大による影響である可能性が極めて高いと結論づけており、前述のとおりGHG排出量を削減するグローバルな枠組みが整備されてきました*3。
IPCCでは温暖化により今後発生する影響を示す4つのシナリオ(RCP8.5、RCP6.0、RCP4.5、RCP2.6)が作成されています。これらのシナリオのうち、政府によるGHG排出量緩和策がほとんど行われない前提であるRCP8.5シナリオでは、21世紀後半における世界の平均気温上昇を+4.3℃程度、平均海面上昇幅を84センチ程度と予測しています。一方で、GHG排出量緩和策が早期に実行され、二酸化炭素排出量が2020年度以降減少に向かう前提のRCP2.6シナリオでは平均気温上昇が+1.6℃程度、平均海面上昇幅が43センチ程度まで抑えられると予測されており、早期の気候変動対応により、将来に与える負の影響を大幅に緩和できると考えられます。
気候変動の拡大に伴い、企業活動にさまざまなリスクと機会が生じます。ここでは、特にリスクに焦点を当て、気候変動リスクを分類する際によく用いられる「移行リスク」と「物理的リスク」という区分に従って整理し、最後に気候変動リスクと既存リスクの違いについて記します(図表1)。
気候変動を緩和することを目的とした低炭素社会への移行は、政策、法律、技術、市場の変化を伴うため、企業の財務やレピュテーションにさまざまな影響を与える可能性があり、これらのリスクは「移行リスク」と呼ばれます。後述するTCFD提言によると「移行リスク」はさらに「法や規制に関するリスク」「テクノロジーリスク」「市場リスク」「レピュテーションリスク」の4つに分類されます。
低炭素社会への移行にあたっては、炭素税の導入、再生可能エネルギーや電気自動車に対する優遇措置など法や規制の変化により、税負担や座礁資産化による資産償却といった財務的なインパクトが発生する可能性があります。また、企業に対して気候変動関連で損害賠償が発生する可能性もあります。例えば、気候変動に関して適切な開示を怠り株主から訴えられる場合などがこれに該当します。なお、損害賠償リスクについては「移行リスク」や「物理的リスク」と別の区分を設ける考え方もあります。
テクノロジーリスクは低炭素社会の移行に備えたテクノロジーの急速な進歩に乗り遅れるリスクです。例えば、再生可能エネルギー、蓄電池、エネルギー効率の改善、炭素回収・貯留(CCS)等のテクノロジーの進歩に乗り遅れた場合、企業にとってリスクになる可能性があります。
低炭素社会への移行に伴い、特定の商品やサービスに対する需要が変動し、企業にとってリスクになる可能性があります。
低炭素社会への移行にうまく適応できない企業は顧客や社会からのレピュテーション(評価・評判)が低下するリスクがあります。
気候変動による災害等により顕在化するリスクを物理的リスクと言います。物理的リスクはさらに個別の気象事象による「急性リスク」と気候パターンの変化による「慢性リスク」に分類されます。
大規模降雨、洪水、高潮、干ばつ、山火事等の突発的な気象事象の発生により、企業の財務に負の影響を及ぼす可能性があります。企業の生産拠点が被災し復旧にかかる費用が発生するといった直接的な被害の他、サプライチェーンの寸断による売り上げの減少といった間接的な被害等が想定されます。
気温上昇、雪氷圏の減少、海面上昇といった長期的な気候パターンの変化により、企業の財務に長期間負の影響を及ぼす可能性があります。
気候変動リスクは既存のリスクと異なる4つの特徴があり、リスクを管理するには考慮する必要があります。
1点目は、気候変動リスク同士が依存関係にある点です。上述のとおり、気候変動リスクは大きく「移行リスク」と「物理的リスク」に分類されますが、これらは決して完全に独立ではなく相互に依存、もしくはトレードオフの関係にあります。例えば、RCP8.5シナリオでは、政府のGHG排出量緩和策が実行されない前提であるため、移行リスクが即時に顕在化する可能性は低いものの、中長期的には温暖化の進行により、物理的リスクは高まることが想定されています。一方でRCP2.6シナリオでは急速に低炭素社会に移行するため、移行リスクは短期的に上昇するものの将来的な物理的リスクを低下させることになります。したがって、これらのリスクは個別に管理するのではなく、双方のリスクを一体的に管理していくことが必要となります。
2点目は、気候変動リスクがリスクドライバーとして機能する点です。気候変動リスクはそれ自体が負の影響を生み出すだけではなく、既存のリスクを増幅させることにより負の影響を拡大させるという特徴があります。例えば、炭素税は二酸化炭素排出量の多い企業の倒産確率を拡大させるため、当該企業に融資する銀行にとっては既存のリスクである信用リスクを悪化させます。また、急性リスクのひとつである水災頻度の上昇は、損害保険会社にとって既存リスクである保険引受リスクを拡大させます。このように気候変動リスクは単独のリスクとしてではなく、既存リスクのドライバーとして機能します。
3点目は、気候変動リスクの対象期間が長く、不確実性が高い点です。既存のリスクは対象期間が長くても数年程度であり、影響範囲も限られる一方で、気候変動リスクは対象期間が10年以上になり、影響範囲も経済活動のみならず広く社会生活や生態系にまで影響を与えるため、不確実性が高くなっています。
4点目は気候変動リスクの計測モデルがまだ十分に確立されていない点です。既存のリスクは十分なデータをもとに確立された手法で試算することが可能である一方で、気候変動リスクは認識され始めてから期間が浅いため、リスク計測モデルが確立されておらず、データアベイラビリティも限定的です。
以上のとおり、気候変動リスクは既存のリスクと性質が異なるため、管理するには工夫が必要です。しかし、気候変動リスクは認知されてからの期間が浅いため、まだその管理手法はまだ十分に確立されておらず、今後の知見の蓄積が待たれる状況と言えます。
1で述べたように、気候変動リスクは時間軸が長期である上に影響範囲も広いため、既存リスクと比較して不確実性の高いリスクになります。また、気候変動がリスクとして認識され始めたのが最近であるため、リスク分析に活用するデータのアベイラビリティも十分ではありません。
そういった状況の中で、気候変動リスクを企業戦略やリスク管理に応用する手段として、TCFD提言ではシナリオ分析が有効とされています。TCFD提言が公表されて間もない時期にはゼロから分析プロセスを策定しなくてはならず、困難な道程でしたが、近年徐々に開示事例や他の国際機関によるシナリオ分析案も提示されるようになってきており、シナリオ分析を実施するハードルは年々下がっています。以下では、シナリオ分析を行う際の実施プロセスの例を紹介します(図表2)。
まずは、シナリオ分析の目的を設定し、戦略やリスク管理上の位置づけを明確化する必要があります。目的を明確化することで重要性の高い対象の分析に集中することが可能となります。また、シナリオ分析の目的を経営陣が納得することで、後の工程をスムーズに実施することが可能となります。
ここでは、各企業の気候変動リスクへのエクスポージャーを地域、事業セクター、拠点といった区分で評価し、詳細な分析を行う対象を特定します。例えば、ある企業にとってエネルギー事業が全事業に占める割合が多い場合、その企業は移行リスクの影響を強く受けると考えられます。また、水災の多い東南アジアの河川流域に大規模な工場を持つような企業の場合、その工場が営業停止となると財務的なインパクトは大きいと判断できます。
このようにして気候変動リスクが大きい対象を、すべての事業について網羅的に、可能であれば定量的に評価することで企業の気候変動リスクに対するエクスポージャーの全体像を把握できるようになります。さらに、この手続きを踏むことで、その後、個別のシナリオ分析を行う際に重要度の高い地域や事業セクターに集中できるようになるため、後の工程を効率的に実施することが可能となります。
次に、シナリオ分析に用いる気候変動シナリオを設定します。シナリオ分析で用いるシナリオにはさまざまなものがあります。TCFD提言では代表的なものとして、移行リスクの分析に用いるIEA(国際エネルギー機関)シナリオと物理的リスクの分析に用いるIPCCシナリオを中心に紹介しています。企業はそれらのシナリオのうち、産業革命以降の気温上昇が+2℃未満になるシナリオを中心に複数のシナリオで分析を実施する必要があります。最近では、シナリオの種類も増加しており、イングランド銀行やNGFS(気候変動リスク等に係る金融当局ネットワーク)では、移行リスクと物理的リスクを統合し、リスクの発現時期まで言及したシナリオも考案されています。今後、当該シナリオのパラメータについて公表されることが待たれます。
次のステップでは、重要度の高い地域やセクターを中心に詳細なシナリオ分析を実施します。
事業会社を対象とした分析の場合、まずは、重要度の高い地域やセクターにおいて、気候変動シナリオのパラメータがどのような財務インパクトを生むか把握します。次に、そのパラメータにシナリオを反映させ、財務インパクトの変動を試算することで気候変動による影響額を把握します。例えば移行リスクの場合、まずは、気候変動シナリオのパラメータのひとつであるエネルギー価格が財務にどのように影響を与えるかを把握します。次に、シナリオが想定するエネルギー価格をパラメータに反映させることで、気候変動による影響額を試算できます。また、物理的リスクの場合は、まず、現時点で想定される被害額の期待値を算出します。その後、気候変動シナリオで想定されているパラメータを適用した後の被害額の期待値を算出し、現時点での期待値との差分を取ることで影響額を算出します。
銀行を対象とした分析の場合には、融資先企業の気候変動による財務インパクトを銀行自体の財務インパクト(与信費用の増加額等)に反映させなければなりません。そのアプローチとしては、ボトムアップアプローチとトップダウンアプローチの2つが考えられます。ボトムアップアプローチでは融資先個社ごとに気候変動の影響額を算出し、通常使用している信用リスクモデルに反映させることで銀行自体への財務インパクトを算出します。一方、トップダウンアプローチでは、国や業種といったカテゴリーごとに気候変動に対する感応度を算出し、その感応度を貸付ポートフォリオ全体に適用することで財務インパクトを算出します。
アプローチとしては上記の2つがありますが、通常は組み合わせて試算します。上述した重要性評価の結果から、重要度の高い国や業種についてはボトムアップアプローチで対応し、重要度が相対的に低い国や業種についてはトップダウンアプローチで対応すれば、対象に合わせて効果的なシナリオ分析を行うことが可能になります。銀行のシナリオ分析手法については、国連環境計画・金融イニシアティブ(UNEP FI)で継続的に検討されているので、必要に応じて確認することをお勧めします。
シナリオ分析の結果得られたアウトプットは、当初定めた目的や位置づけのとおり、戦略やリスク管理に応用し、将来の経営判断に活かす必要があります。また、シナリオ分析のアウトプットは投資家にとっても、投資先の気候変動に対するレジリエンスや気候変動リスクをどのように捉えているかを知るのに重要な情報となります。そのため、分析の前提についても記載したうえで、TCFD等の開示フレームワークを参照して適切な開示に努める必要があります。
本節の冒頭に記したとおり、シナリオ分析に取り組むハードルは下がっているものの、依然として発展途上と考えられます。これは、気候変動リスクが長期にわたるリスクで不確実性が高いことや、分析に使用可能なデータが少ないことなどに起因します。
一方で、バーゼル銀行監督委員会*5が2020年1月に発表したグリーン・スワン報告書*6でも示されているように、気候変動リスクによる負の影響は不可逆的であり、一斉に顕在化する危険性があります。そのため、今使える情報をもとに重要度の高い箇所からシナリオ分析を徐々に進めていく必要があります。
気候変動リスクは既存リスクと特徴が大きく異なることから、多くの企業がその取り扱いに苦慮しています。一方で、その重要性は加速度的に高まっています。まずは重要度の高い対象から簡易な手法で分析を始めていき、徐々に精緻化し、戦略やリスク管理に応用してみてはいかがでしょうか。
*1 Global Sustainable Investment Alliance, 2019. “2018 GLOBAL SUSTAINABLE INVESTMENT REVIEW”
http://www.gsi-alliance.org/wp-content/uploads/2019/06/GSIR_Review2018F.pdf
*2 藤井健司,2020.『金融機関のための気候変動リスク管理』中央経済社[本稿を執筆するうえで参考にした書籍]
*3 IPCC, 2014. “AR5 Synthesis Report: Climate Change 2014”
https://www.ipcc.ch/report/ar5/syr/
*4 Task Force on Climate-related Financial Disclosures, 2020. “Recommendations of the Task Force on Climate-related Financial Disclosures”
https://assets.bbhub.io/company/sites/60/2020/10/FINAL-2017-TCFD-Report-11052018.pdf
*5 Bank for International Settlements, 2020. “Basel Committee on Banking Supervision”
https://www.bis.org/bcbs/publ/d502.pdf
*6 Patrick Bolton, Morgan Despres, Luiz Awazu Pereira Da Silva, Frédéric Samama, Romain Svartzman, 2020. “The green swan” Bank for International Settlements.
https://www.bis.org/publ/othp31.pdf
PwCあらた有限責任監査法人
第二金融部
ディレクター 横井 繁忠
PwCあらた有限責任監査法人
第二金融部
マネージャー 小林 直樹