デジタル社会の実現と企業による持続可能なイノベーションに向けて── 産業アーキテクチャの転換と企業によるアジャイル・ガバナンス

はじめに

デジタル化の進展によって、企業のイノベーション創出の機会が増大する一方で、その背景にある産業アーキテクチャは従来は業種別の縦割り型の構造でしたが、現在は機能別にレイヤー化されネットワーク型への組み換えが進み、企業あるいは企業が提供するサービスと外部との間に明確な線引きを行うことが困難になりつつあります。このように産業構造変化を伴いながらデジタル化およびネットワーク化が進む社会で企業が持続的なイノベーションを実現するためには、システム※1内外のステークホルダーと連携しながら、システムを規律するアーキテクチャを不断に見直しする必要があります。また、これを実践するために、企業が自らの組織においてアジャイル・ガバナンスという考え方を適用していくことが重要となります。

本稿は、デジタル化による産業構造変化を捉えてビジネススケールを構想している方のみならず、システムに関わるすべての読者に対して、これまでのテリトリーや境界を超えてシステム全体の視点から企業への期待事項を改めて眺めるためのきっかけとなれば幸いです。

1 デジタル社会におけるイノベーションの特徴

デジタル社会において、企業活動は高度なデジタル技術に支えられています。例えば、特定のアプリケーションの機能やデータを他のアプリケーションから呼び出して利用するための仕組みであるAPIによって、企業間でのデータ連携を行い、他企業が持つノウハウを活かしてコストを抑えながらサービス開発や改良を加速させたりすることが可能になります。また、デジタルサービスの開発プラットフォームとしての役割を果たすクラウドサービスが普及することで、従来のように長期間にわたって大量の経営資源を投じなくても、短期間でサービス開発を行い、検証と改良を繰り返しながらサービスの完成度を高めることが可能となります。さらに、膨大かつ複雑なデータを非線形的に処理するAIによって、さまざまな予測・分析サービスが実現可能となります。

さらに、これらのシステムはネットワークを介して相互に接続され、1つの大きなシステムとして機能することで、単独のシステムでは実現できなかったイノベーションを可能にし、多様化するユーザーニーズに応えることができるようになります。これも、デジタル社会におけるイノベーションの特徴の1つです。同時に、業界や業種といったテリトリーや境界を超えてシステム構成機能が結びつくことで、継続的かつアジャイル(俊敏)に産業のアーキテクチャの組み換えが生じることとなります。具体例として、金融機関と電気通信事業社等が連携してユーザーに提供しているオンライン決済サービスがあります。

2 何が問題になるのか

デジタル空間上で多数のステークホルダーが相互につながり、1つのシステムとして機能する大きなシステムは、私たちの社会に新たな価値をもたらす一方で、その特性から導かれる新たな戦略的課題をはらんでいます。

例えば、AIの挙動を予測することが困難であることがしばしば指摘されますが、そのようなAIを含むシステムが多数のステークホルダーの間で運用される場合、システム参加者の間で誰が何に対して責任を負うべきか、その分界点を合意することがさらに困難になります。高度に相互接続された多数の構成システムで組成されたシステム(システム・オブ・システムズ)において責任分界が曖昧な状態のまま放置されてしまうと、インシデントが発生した際に誰がどこまで対応を行うべきかの合意が明確になされていないため、誰も手を差し伸べず、間に落ちたまま一向に問題が解決されない状態が生じる可能性があります。また、システム同士が相互に接続されているため、インシデントは容易にシステム・オブ・システムズ内で広範囲に伝播し、その影響がシステム・オブ・システムズ全体に拡大する恐れもあります。

さらに、システム・オブ・システムズ自体は複数のシステムあるいは企業から構成されていますが、ユーザーからは1つのシステムとして機能しているように見える点も事態を難しくします。例えば、バリューチェーン全体に関わる問題が発生した場合に、ある企業は、自社としては必要十分と考える対応を行っていたとしても、システムに参加する他社が十分な対応を行っていない場合には、ユーザーから見ると問題が解決されていない状態が続き、バリューチェーンを構成するすべての企業の信頼が損なわれる可能性があります。このため、企業は、自社に関わるリスクのみならず、バリューチェーン全体の信頼づくりに対するコミットメントを必然的に果たさざるをえなくなるのです。

3 産業アーキテクチャにおける対応

このような社会が実現されていく中で、その構造設計である産業アーキテクチャにおいてはどのような対応が求められるのでしょうか。特に、高度に相互接続された多数のシステムで構成されるシステム・オブ・システムズについて考える場合のポイントとして、以下のような点が考えられます。

第1に、ステークホルダー間での合意と情報共有の仕組みです。ネットワークで相互接続・組成されたシステム・オブ・システムズでは、ステークホルダーが不断に入れ替わりながら、そのゴールや機能が絶えず見直され、更新されていきます。このような複雑かつ動的なシステムを法的拘束力のあるハードローによって適時、適切に制御することは困難であり、システムに参加するステークホルダー間での合意によって、その時々で、システムにとって最適なルールを見出していく必要があります。例えば、複数の企業が連携して1つのサービスを提供する場合、そのサービスの与えうる正負のインパクトや重要度(クリティカルネス)、各社のサービス提供範囲、責任範囲について常時コミュニケーションをとり、ポテンヒットになるエリアや、期待される対応レベルに対する乖離(ギャップ)が識別された場合には、誰が主体となって対応を行うのか、また、どのように対応改善するかを合意する仕組み(バリューチェーン全体にエンド・ツー・エンドでサービスガバナンスを実施する仕組み)が必要となります。同様に、システム内でのヒヤリハットやインシデント情報をタイムリーに共有し、合意しているリスクへの対応内容を常に見直すことも重要です。

第2に、透明性とインターオペラビリティの確保です。多くのステークホルダーが関与し、サービスの開発や運用、改良をさまざまな境界を超えて推進・展開していく上で、アーキテクチャの透明性とインターオペラビリティの確保が必要不可欠となります。

前節で述べたとおり、システム・オブ・システムズは高度かつ複雑に相互接続されたシステムから構成されています。相互接続されたシステムの難しさとして、個別の構成システム単位ではその挙動やリスクを把握することができたとしても、それが複数連なった場合に、必ずしも個別の構成システム単位で把握していたとおりに挙動するわけではないという問題があります。

このような課題に対する解決策の1つとしては、少なくともシステム・オブ・システムズのすべての参加者は自らが責任を負うシステムに関して、何をリスクと捉え、そのリスクに対してどのような対応を取っているのかという点について、ユーザーを含むステークホルダーに対して開示し、不確実性を可能な限り排除する仕組みを設けることです。また、開示のプロセスが客観的に妥当なものであることを検証するためのプロセスを設計段階からシステムに組み込むことも、アジャイルに変化するシステムの中で透明性を確保するのに有益です。

加えて、ネットワーク上では国境や言語とは無関係にコミュニケーションがなされるため、データの表現形式や処理プロセスを標準化し、インターオペラビリティを確保することも重要です。

4 企業に求められる対応──企業レベルでのアジャイル・ガバナンスの実践

では、デジタル社会で持続的な成長を実現するために企業にはどのような対応が求められるのでしょうか。
第1に、企業はステークホルダーとの対話を今まで以上に積極的に行うことが求められることになります。この議論を行うにあたって、複雑に変化し続ける社会におけるガバナンスモデルであるアジャイル・ガバナンス※2という考え方を参照することにします。このモデルでは、サイバー空間とフィジカル空間が高度に融合した変化し続ける社会を実現していくためには、企業・法規制・インフラ・市場・社会規範といったさまざまなガバナンスシステムにおいて、「環境・リスク分析」「ゴール設定」「システムデザイン」「運用」「評価」「改善」といったサイクルを、マルチステークホルダーで継続的かつ高速に回転させていく、アジャイル・ガバナンスを実践していく必要性が提唱されています(図表1)。
図表1 アジャイル・ガバナンスの考え方

このガバナンスのサイクルは、政府を含むマルチステークホルダーで運用させていくことが前提ですが、ここでは、特に企業によるステークホルダーとの対話が果たす役割の重要さに着目したいと思います。すなわち、環境・リスク分析結果からゴールを設定し、そのゴールに向かってシステムを運用し、さらには、その運用過程が適切であることについての評価を行うという一連のプロセスが具体的にどのように行われ、どのような結果が得られたのかについて企業が開示を行うことで、初めてステークホルダーはその取り組みを評価し、フィードバックを与えることが可能となるのです。そして、このフィードバックを受けた企業は、サービスの普及促進や持続的な展開に向けて一連の取り組みを改良するとともに、サービス価値の維持・向上に向けたさらなるガバナンスのサイクルに進むことができるのです。このように、企業によるステークホルダーとの対話が、ガバナンスのすべてのプロセスのトリガーとなって、動的なシステムの中でステークホルダー間での合意を確認しあうプロセスを機能させ、信頼を積み重ねていくことにつながるのです。

ここで、対話を行う上で企業が準拠するルールに関して、従来の仕組みとの違いを見てみたいと思います。従来のガバナンスシステムでは、例えば、国が定めた法規制等のハードローに準拠しているかどうかを点検し、その結果を国に対して報告することにより、企業は許認可を得て、ビジネスへの参入と継続の根拠としてきました。一方、ネットワークを介して相互接続されたシステムはデータが相互にやり取りされるため、従来であればガバナンスを行う側とガバナンスされる側との間に存在した情報の非対称性が解消され、場合によってはユーザーのほうがより多くの情報を保有するケースも発生します。加えて、ユーザーニーズ自体も日々変化し、多様化する中で、ニーズとのギャップもタイムリーに解消しながらサービス提供していかなければなりません。このような状況を踏まえると、ハードローのように一度制定してしまうと容易に修正できないルールに準拠していては、多様化し、変化するニーズに対してタイムリーにテーラーメイドの対応を行うことができなくなります。普遍的に守らなければならない価値についてはハードローによって堅牢に守り、それ以外の特に変化の激しい価値については、システムの参加者間での合意に準拠しながらユーザーをはじめとするステークホルダーと対話を行いながら最適なルールを都度見出していくことが求められます。ソフトローは、企業がシステム内での合意を履行するために順守しなればならないものであると同時に、アジャイルなイノベーションを実現するための鍵でもあるのです。その意味で、企業の持続的なイノベーションとガバナンスは表裏一体の関係にあります。

第2に、企業による産業レベルのアーキテクチャに対する積極的な関与が求められます。

前項で述べたとおり、システム・オブ・システムでは、個別の構成システムの信頼性は、そのシステムを管理する個々の企業の取り組みによって担保することができますが、構成システム間をつなぐインターフェイスの信頼性を誰が担保するのかが問題になります。そして、このインターフェイスの信頼性がひとたび損なわれると、ネットワークを介して接続されたシステム全体にその影響が伝播し、バリューチェーン全体の信頼性が損なわれる可能性があります。

ここで重要なことは、インターフェイスになる部分というのは、業界や業種といったテリトリーや領域を超えてシステム構成要素が結びつく接点でもあるため、新たなユーザーニーズが生まれるポイントでもあるということです。そのため、アーキテクチャの設計や展開、改良に積極的に関与することで、ポテンヒットになるところをどう埋めていくかの合意においてリーダーシップを発揮することは、単に責任の範囲だけを拡大するということではなく、同時に、新たなニーズを見極め、取り込むことで、産業構造変化を捉えて持続的なイノベーションを実現することにつながるのです。バリューチェーンのアーキテクチャデザインあるいはガバナンスに関与することは自社を守ることにもなり、さらには成長の機会でもあるという意味で、やはりイノベーションとガバナンスは一体であると言えます。

5 おわりに

デジタル化によって企業を取り巻く環境は日々変化し、その変化に伴って生じる課題を解決していくことが企業のイノベーションの大きな源泉となります。イノベーションには常に新たなリスクが伴いますが、それを動力源としながらイノベーションの先にあるゴールに向かって行くためには、ステークホルダーの期待に応じたトラストが必要であり、それを積み上げていくためのガバナンスが必要になります。マルチステークホルダーによって運用される動的なシステム・オブ・システムズにおいて、企業はこれまでにない複雑な課題に取り組んでいかなければなりません。PwCはステークホルダーの一員として、企業のアジャイル・ガバナンスの実践をサポートし、トラストの実現に向けて取り組んでいきます。


※1 ここでいうシステムとは、定義された⽬的を成し遂げるための、相互に作⽤する要素(element)を組み合わせたものである。これにはハードウェア、ソフトウェア、ファームウェア、⼈、情報、技術、設備、サービスおよび他の⽀援要素を含む。
参考:International Council on Systems Engineering, INCOSE Systems Engineering
Handbook
https://www.incose.org/products-and-publications/se-handbook

※2 Society5.0における新たなガバナンスモデル検討会「GOVERNANCE INNOVATION
Ver.2: アジャイル・ガバナンスのデザインと実装に向けて」(2021年2月)
https://www.meti.go.jp/shingikai/mono_info_service/governance_model_kento/
20210730_report.html


執筆者

宮村 和谷

PwCあらた有限責任監査法人
システム・プロセス・アシュアランス部
パートナー 宮村 和谷

佐藤 円香

PwCあらた有限責任監査法人
システム・プロセス・アシュアランス部
シニアアソシエイト 佐藤 円香