
フィリピンは平均年齢が20代半ばの非常に若い国であり、増加する人口に比例するように近年は高い経済成長を遂げています。豊富な若年人口を背景とした生産拠点としての魅力にとどまらず、経済成長による中間層の拡大に伴い、昨今は消費市場としての魅力も日々高まっています。また、日本の主要都市からフィリピンの首都マニラまで飛行機で約4時間と地理的にも非常に近いうえ、日本とフィリピンの関係は黄金期と呼ばれるほど安定しており、経済や安全保障などの分野で両国の関係は今後も深まっていくと見込まれています。
一方で、このような好条件が揃っているのにもかかわらず、近年、日系企業を含む外資企業のフィリピンへの直接投資はあまり伸びていないのが実状です。特に製造業の分野では、この数年間、大型の新規進出が少ない状況が続いています。
このような、フィリピンへの投資が停滞している背景には、さまざまな課題の存在があります。ビジネスのしやすさという観点から見て、特に深刻なのが税務面での問題です。コロナ禍以降、過去最悪の水準にまで増大した政府債務を受け、税務当局である内国歳入庁(Bureau of InternalRevenue:BIR)による税務調査の執行は極めて厳しくなっており、その対応に多くの進出済み日系企業が苦慮しています。また、2021年4月に優遇税制の大幅改正(CREATE:企業復興税優遇法)が行われ、それ以前に輸出型製造業が享受できていた税務インセンティブの一部が削減されたことも、製造業の新規投資が停滞している一因と考えられます。
本稿では、足元のフィリピンの厳しい税務環境の実態をお伝えするとともに、今後の明るい材料として、2024年11月の投資環境改善に向けた具体的な法改正(CREATE MORE)の内容についても併せてお伝えします。なお、文中の意見に係る記載は筆者の私見であり、PwCフィリピンおよび所属部門の正式見解ではないことをあらかじめお断りします。
フィリピンの人口は2024年には1億1,500万人を超えるとされており※1、ASEANではインドネシアに次ぐ第2位の人口規模を誇り、今後も増加傾向は続くと予測されています。また、日本とは異なり、若い年代ほど人口の多い山型の人口ピラミッドになっていることも、将来の大きな経済成長のポテンシャルを感じさせます(図表1)。
図表1:日本とフィリピンの人口ピラミッド
出所:国連「世界人口推計」をもとにPwC作成
2022年の実質GDP成長率は7.6%と1976年以降で最高の成長率を記録し、2023年も5.6%と高い水準を維持し、今後も6%前後の高い成長が続くことが見込まれています※2。経済を主にけん引するのは個人消費で、フィリピンの場合、OFW(Overseas Filipino Worker)と呼ばれるフィリピン国外在住のフィリピン人労働者からの送金がGDP比で10%近くにも達し、旺盛な国内個人消費を下支えしているのが大きな特徴です。英語が公用語のフィリピン人にとって、フィリピン国外で働くことのハードルは低く、OFWは世界中に広がっています。
また、海外に働きに出るだけでなく、オンラインで国外へサービス提供を行うBPO(Business Process Outsourcing)産業(コールセンター等)も発展しており、若い英語人材の豊富さとそのコスト競争力から、多国籍企業がフィリピンにシェアードサービスセンターを設置する事例が多くみられます。2016年に就任したドゥテルテ前大統領は、フィリピンの脆弱なインフラの改善を政権の最重要政策に掲げ、「ビルド・ビルド・ビルド(Build Build Build)」と呼ばれる大規模インフラ整備計画を強力に推し進めました。2022年に政権を引き継いだマルコス大統領のもとでもこの政策は継承されており、「ビルド・ベター・モア(Build Better More)」と名称は変更されたものの、フィリピン各地で空港、道路、鉄道等のインフラ整備を精力的に進めており、経済成長のエンジンの1つとなっています。インフラ整備については、日本政府も資金面、技術面でサポートを行っており、フィリピン初となるマニラ首都圏地下鉄の円借款事業をはじめ、さまざまなインフラプロジェクトに多くの日本企業が関わっています。
※1 国連「世界人口推計」
※2 フィリピン統計庁
前述のとおり、フィリピンは成長が見込まれる魅力的な投資先でありながら、ベトナム等の他の東南アジア諸国に比べて日系企業の進出は相対的に少なく、在マニラのフィリピン日本商工会議所の会員企業数を見ても、2024年10月現在でも700社に満たない状況です。フィリピンは人件費の上昇が他国に比べて比較的緩やかであるため、ワイヤーハーネスなど労働集約型の製造業にとってはコスト競争力があり、実際に多くの日系企業が進出していますが、他の主要な東南アジア諸国と比較するとサプライチェーンが非常に脆弱であるため、産業の集積が進んでいません。
また、前述したOFWはフィリピン経済を下支えしていますが、OFWの多さはフィリピン国内の雇用環境が十分でないことの裏返しでもあり、雇用を吸収する産業基盤が国内に十分に存在しないことを物語っています。タイやマレーシア等の東南アジア諸国では、外資を誘致し、工業化を進め、雇用、所得、輸出を拡大させて経済成長してきました。一方で、フィリピンは、インフラ整備の遅れ、複雑かつ非効率な行政手続き等を要因として、他の東南アジア諸国に比べて外資企業の進出が伸び悩み、外国直接投資(FDI)の水準もコロナ禍後も大きく伸びているとは言い難い状況です(図表2)。後述するように、フィリピン政府は、今般優遇税制の大幅な改正(CREATE MORE)を行い、外資製造業の積極的な誘致を進めようとしていますが、その中で、税務の問題が現在は大きなネックとなっています。そこで、次にフィリピンの税務問題について概説します。
図表2:フィリピンの外国直接投資(FDI)の推移
出所:フィリピン中央銀行の統計データをもとにPwC作成
フィリピンの税務で特徴的なのが、頻繁に変更されるルールです。税法の他に税務当局(BIR)から公表される歳入規則や税務通達等を合計すると年間に200ほどの数になります。全ての税務通達が実務に大きな影響を与えるわけではありませんが、中には大きな影響を与える通達もあり、しかも公表から即日適用または15日後から適用など、十分な猶予期間を与えず、すぐに適用開始となります。そのため、納税者が新しい税務ルールをタイムリーに把握していない場合、適切な税務処理を行うことができず、後日税務調査を受けた際にペナルティを受ける可能性があります。
最近では、2024年1月10日にBIRから公表された税務通達(RMC No. 5-2024)が大きな物議を醸しています。RMC No. 5-2024は、国外事業者とのクロスボーダーサービス取引の税務上の取り扱いについてBIRの見解を示したものです。フィリピンの税法上は、フィリピン国外でサービス提供が行われたものについてはフィリピン国外源泉となり、基本的にフィリピンで課税されることはないという規定になっています。しかしRMC No. 5-2024では、役務提供地のいかんにかかわらず、コンサルティング、ITサービス、金融などほぼ全てのクロスボーダーサービス取引がフィリピンでの課税対象になると読み取れる内容であるため、税務専門家、経済団体、また納税者からも多くの疑問の声があがっています。しかし、BIRは同通達の見解を2024年10月末現在でも維持しており、撤回はされていません。さらに、同通達が公表される以前の過年度の税務調査でも、同通達を根拠に納税者が源泉税漏れの指摘をされるケースが数多く出てきており、改正ルールの遡及適用ともいえる取り扱いが大きな波紋を呼んでいます。
また、経済特区に立地する輸出型製造業の付加価値税(VAT)インセンティブの取り扱いについても、2021年以降混乱が続いてきました。冒頭でも触れましたが、フィリピンでは、2021年4月にCREATEと呼ばれる大幅な優遇税制の改正が行われ、税務インセンティブの適用範囲の見直しが行われました。CREATE施行より前は、輸出型製造業のフィリピン国内仕入についてVATが課税されることは基本的になく、一律VATゼロレートという扱いになっていました。ところがCREATEでは、輸出型企業の国内仕入でVATゼロレートとなるのは、当該輸出型企業の「本業に直接的かつ排他的に使用」される物品・サービスのみで、それ以外の管理目的等の国内購入については「本業に直接的かつ排他的に使用」とはみなされず、12%VATの対象になります。一方で、何が輸出型製造業の「本業に直接的かつ排他的に使用」に該当するかという点について必ずしもルールが明確でなく、BIRの判断により「本業に直接的かつ排他的に使用」と認められなかった事例が数多く発生していました。進出企業にとって、これは税務コストの上昇にほかならず、このような突然の方針転換は、予見可能性および法的安定性のあるビジネス環境という観点からも問題であり、外資企業のフィリピン政府に対する信頼性の低下につながっていました。
コロナ禍以降、フィリピンの税務調査の環境は納税者にとって非常に厳しいものとなっています。政府歳入の大半を税収に頼るフィリピンでは、政府債務の増大がBIRへの強い徴税プレッシャーにつながっている面は否定できず、実際にBIRの2024年度の税収目標は過去最大の3.05兆フィリピンペソ(約8兆円)とされています。これは2023年度の税収実績2.53兆フィリピンペソと比較しても21%増と、極めて高い目標設定となっています。また、税務調査を受ける頻度は企業によってまちまちですが、現在は2期連続、3期連続で税務調査を受ける企業が多数みられ、その中には、複数年度の税務調査が同時並行で進んでいるケースも多く、2024年はその傾向がより顕著になっています。
フィリピンの税務調査では、初期のBIRによる机上調査の段階から、数億フィリピンペソを超える巨額の追徴指摘を受けるケースが往々にしてあります。また、フィリピンの税務調査の特に難しい点として、BIRの指摘内容について納税者側に立証責任があり、納税者は膨大な根拠証憑やデータ等を準備して反証する必要があるため、これが大きな事務負担となっています。また、税務調査官との交渉は以前にもまして厳しくなっています。例えば、納税者の反論書や説明のために提出したサポート資料が調査官に考慮されることなく、当初NOD(差異の通知)の数億フィリピンペソを超えるような巨額な指摘金額からほぼ減額されることなく、FDDA(最終決定通知)が発行されるような事例も散見されています。こうした場合、納税者は税務裁判所(Court of Tax Appeals:CTA)に提訴するしか選択肢がありませんが、その場合、少なくとも5年を超える裁判期間を覚悟する必要があり、また裁判費用や提訴費用も納税者に重くのしかかります。それでも、税務調査が行政レベルでは解決できず、CTAに提訴する在フィリピン日系企業の事例も、以前に比べると確実に増えている印象を受けます。
フィリピンの税務調査プロセスは、LOA(Letter of Authority:税務調査開始通知)の発行によって税務調査が正式に始まり、その後、NOD(Notice of Discrepancy:差異の通知)、PAN(Preliminary Assessment Notice:予備的評価通知)、FAN(Final Assessment Notice:最終評価通知)、FDDA(Final Decision on Disputed Assessment:最終決定通知)という順序で、BIRから公式な評価通知が発行されるプロセスになっています。それぞれの書面を受領してから納税者が反論できる期限等が税務調査ガイドラインで明確に定められているため、規定された期日内に反論することが最も重要なポイントとなります。また、実際にLOAを受領して税務調査が始まった場合には、迅速な対応が非常に重要です。現行の税務調査ルールでは、NODを受領してから反論書と資料の提出までの期限が30日以内と非常にタイトであるため、対応の遅れは深刻な結果につながりかねません。また、LOAの要求に基づいて提出した資料が、調査官の解釈によって思わぬ多額の指摘につながるケースもあるため、自社で税務調査対応の経験が乏しい場合は、LOA受領の段階から調査対応経験の豊富な税務専門家に相談することをおすすめします。
前述のとおり、フィリピンにおける税務の実務対応は非常に難しく、このような不確実な税務環境が、外資進出の大きな足かせになっていることは疑いようがありません。一方で、フィリピン政府も、特にCREATE施行後に起こっているさまざまな税務問題が外資進出の停滞を招いていると認識しており、ビジネス環境の改善のためにはCREATEの改正が不可欠という流れが生まれました。この流れを受けて、2023年8月からCREATEの改正案の審議が国会で始まり、2024年11月11日にマルコス大統領が署名し、CREATEの改正法であるCREATE MORE(共和国法第12066号)が成立しました。CREATE MOREは、CREATEによる不明確なルールが投資家心理を悪化させたとの認識から、透明性と予見可能性をより高めるという目的で優遇税制の規定が再び改正されたもので、2024年11月28日に発効しました。
CREATE下での最大の懸案事項であった輸出型企業のVATインセンティブの取り扱いは、CREATE MOREの下で図表3のように改正されました。
図表3:輸出型企業のVATインセンティブの取り扱い
出所:PwC作成
CREATEでは、VATゼロレートの対象となる「本業に直接的かつ排他的に使用」の範囲を巡って、不明確な状況が続いていましたが、CREATE MOREの下では、「本業に直接帰属(Directly Attributable)する」ものがVATゼロレートの対象とされ、より広範囲な取引についてVATゼロレートの対象になることが明確化されました。従来は、BIR通達の中で、清掃、警備、金融、コンサルティング、マーケティング、その他管理業務のために提供されるサービスはVATゼロレートの対象にならないと規定されていましたが、CREATE MOREでは、これらの管理に関連するサービスも含めてVATゼロレートの対象になると定められており、これは輸出型企業にとって非常にポジティブに捉えられる変更です。また、物品およびサービスの購入が本業に直接帰属するかどうかの最終判断を、BIRではなく、企業の登録する投資促進機関(Investment Promotion Agencies:IPA)が行うと定められたことも極めて重要な変更点です。従来のCREATEでは、「本業に直接的かつ排他的に使用」の判断をBIRが行っていたことにより、さまざまな問題が発生していたため、今後BIRによる解釈が介入しないことは、輸出型企業にとっては安心材料といえます。
CREATE MOREでは、フィリピンの国内市場を対象にしたビジネスについて、従来より長い期間の優遇税制を与えることも規定されています。従来のCREATEの下では、国内市場向け企業に対する優遇税制は立地・産業によって法人所得税免税(ITH)が4~7年、その後5年間にわたり追加控除というインセンティブルールが適用されていました。一方で、CREATE MOREでは、ITHの期間に変更はありませんが、追加控除インセンティブの期間が10年間に変更されており、控除できる項目もCREATEに比べて増えています。また、ITHの適用の代わりに、プロジェクト開始時から追加控除インセンティブを選択することも可能になり(合計14~17年)、事業者の選択肢の幅が広がっています。また、投資額が150億フィリピンペソを超える等、一定の要件を満たす国内市場向け企業については、最長で27年間の法人税インセンティブを受けられることも新たに規定されています。CREATE MOREでは、輸出型企業向けの優遇措置だけでなく、拡大するフィリピン消費市場を狙う国内市場向け企業に対しても優遇範囲および優遇期間が拡充された点は注目すべきポイントです(図表4)。
図表4:国内市場向け企業の優遇税制
地域 | ティア1 | ティア2 | ティア3 |
NCR(マニラ首都圏) | 4ITH+10EDRまたは14EDR | 5ITH+10EDRまたは15EDR | 6ITH+10EDRまたは16EDR |
メトロポリタンエリア、NCR近郊の州 | 5ITH+10EDRまたは15EDR | 6ITH+10EDRまたは16EDR | 7ITH+10EDRまたは17EDR |
その他地域 | 6ITH+10EDRまたは16EDR | 7ITH+10EDRまたは17EDR | 7ITH+10EDRまたは17EDR |
(注)ITH:法人所得税免税、EDR:追加控除
(注)産業によってティアが定められている
EDR(追加控除)-法人所得税率20%
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出所:PwC作成
CREATE MOREの施行により、これまでの税務問題が全て解決するわけではなく、また現下の厳しい税務調査環境がすぐに変わるとは思えません。とはいえ、フィリピン政府がビジネス環境を改善して外資を積極的に呼び込むという姿勢を見せており、実際に法改正が行われたことは非常にポジティブな動きと捉えられます。冒頭で触れたとおり、フィリピンには若い人口が多く、今後も高い経済成長が続くことが見込まれています。これまでも、高いポテンシャルを持つと言われながらそのポテンシャルが発揮されていないのが現状ですが、CREATE MOREはビジネス環境改善に向けての大きな一歩であり、フィリピンへの投資が増えることで、より一段高い成長の実現に近づくと考えられます。その過程で、日本企業にとってのビジネスチャンスも多くあるはずで、今後日本企業のフィリピン進出がさらに増えることを期待してやみません。
PwCフィリピン
日系企業部プリンシパル 東城 健太郎
PwCフィリピン
日系企業部ディレクター 林田 俊哉