「イノベーションのためのM&A」では、海外のヘルスケア事業の買収に成功した化学メーカーでディール後の事業統合まで深く関与した二名とヘルスケア分野を専門とするPwCの戦略コンサルタントをパネリストに迎え、PwCアドバイザリー合同会社 パートナーの岩嶋 泰三がファシリテーターを務めた。セッションでは、異業種への参入を意図したM&Aの成功ポイントについて議論された。
岩嶋は、「テクノロジーが加速度的に進化し、自社が持つ領域だけで競争優位を保つことは難しくなっている。産業の垣根を越え、自社にない技術領域や異業種への進出を考えなければグローバル競争に打ち勝つことは困難だ」と切り出した。近年、ヘルスケア領域のM&Aでは当該産業セクター以外の企業を買い手とする案件が増えている。これを踏まえ、異業種を社内に取り込み成長させるための鍵を、三つの視点から探っていくのがセッションの狙いだ。
ファシリテーター PwCアドバイザリー合同会社 パートナー 岩嶋 泰三
買収先の選定で重視したのは事業の安定性と成長性、そして経営者の資質だ
第一の視点は「戦略」である。旭化成は2012年に米国の医療機器メーカー、ZOLL Medicalを買収。それ以前から旭化成ではヘルスケア事業を手掛けていたが、ZOLL社が取り組む救命救急領域は新事業だったという。当時グループ経営戦略に従事していた、旭化成株式会社 UVCプロジェクト 副プロジェクト長、GM Strategy & Business Developmentの氷上 英夫氏は戦略的背景についてこう説明した。「我々の事業ポートフォリオはマテリアル事業が中核を占め、住宅事業がこれに次ぎ、ヘルスケア事業は非常に小さなウエイトだった。しかし、ボラタリティ高いマテリアルと成熟した住宅に加え、ヘルスケア事業が第三の柱になるのかを検討した結果、既存のヘルスケア事業にある医薬品や人工透析以外のアプローチで新たなプラットフォームになる事業を始めようと議論が始まった」
ZOLL社の買収は約1,800億円に上るメガディールだった。社内の承認を得ることは相当ハードルが高かったのではないかと問われた氷上 氏は、「非連続的な成長に対する抵抗が少ない企業文化があったことが大きい。戦略を定め、それに合致した企業のロングリストをつくってショートリストに絞り込み、ZOLL社に行き着いた。段階ごとに経営トップの承認を得ながら進めたことで、案件の実現に至った」と答えた。
一方、日立化成は米国の再生医療ベンチャー、PCTを買収。2016年に約20%出資して技術提携を結び、2017年に残りの約80%を買収し完全子会社化した。PCTから技術とノウハウの供与を受け国内での再生医療事業の立ち上げに取り組むのが、日立化成株式会社 ライフサイエンス事業本部 再生医療事業部 副事業部長の古石 和親 氏だ。約10年間大学で教職に就き、2000年にビジネスサイドに転身。外資系ライフサイエンス企業で事業部のマネジメントを経験後、日立化成に入社したという経歴を持つ。
PCTは再生医療等製品の受託製造で20年に及ぶ経験と実績を持ち、CEOのRobert Preti 氏は業界団体のチェアマンを二期務めるなど業界に対する影響力も大きい。古石 氏によれば、「2016年から2017年に、再生医療事業の市場化が一気に加速し、それまで登録されている治験製品は累計780件に対し、2017年の一年間でバイオベンチャーが当局に申請した治験件数は約180件に上る市況があった。日立化成がマイノリティ出資から始め一年後に完全買収に踏み切った背景には、市場のリスクと成長性を客観的に見据えた日立化成経営陣の冷静な判断によるものであったと思う」という。
第二の視点は、ディールの実行フェーズだ。旭化成、日立化成のいずれもクロスボーダーM&Aを通じて、異業種への参入を果たしている。そこにはどのようなチャレンジや学びがあったのだろうか。
この点を、氷上氏は次のように話した。「ZOLL社の買収は上場会社に対するTOB(株式公開買い付け)だった。日々株価が変動する中、事業価値を見定め納得できる価格で買収の可否を判断することは困難で、主力商品の除細動器「LifeVest」の保険償還価格引き下げの見通しから株価が大きく下落する局面もあった。結果的に償還価格は下がらないということで株価は持ち直したが、環境変化があってもディールがブレークしないように維持しながら最終的な合意を取り付けることは、本当に大変だった」
一方、古石氏は、日本の大手企業が従業員150人程度のバイオベンチャーを買収する際に両者の多様な違いに直面し、「企業規模も言語も文化も違う。中でも一番の違いは、意思決定のスピードだ。トップが承認したら物事が決まっていた会社に、日本の一部上場企業のコンセンサスを重視した意思決定プロセスに則った事業運営を理解してもらうことに日立化成の事業統合(PMI)チームは今も苦労している」との声があるという。
異業種への参入にはリソースの確保が重要。人材の流出は最も避けなければならない
これからのヘルスケア業界は、異業種との協働により新たな価値を創出できる
第三の視点は、ディール実行後の事業統合(PMI)である。氷上氏は、「現地任せの経営にしないためにZOLL社の経営トップときちんとコミュニケーションが取れるガバナンス体制を構築した他、資金の動きを常時把握できる人材を日本本社から送り込んだ。さらに、いかにグループの中で自由に事業運営できる体制をつくるかに注力した」と説明した。旭化成による買収以降、ZOLL社の売上高は年平均15%で成長、従業員は2,000人弱から倍増。最も大きな成功要因は、「チェーン・オブ・サバイバル」という事業ドメインが明確だったことにある。旭化成がテクノロジーとサービスを追加していくことで事業戦略はさらに強化され、成長は加速していったのだった。
また、買収から一年が経ち、PMIフェーズの最終段階を迎えている日立化成の古石氏は、「一番の学びはコミュニケーション。米国企業のマネジメント層は、意外とヒエラルキーを重視する傾向にある。階層を超えたコミュニケーションに抵抗がある場合もあり、彼らを不安にさせないように配慮している」と話した。
ヘルスケア業界の現状について、PwCコンサルティング合同会社 常務執行役 ヘルス・インダストリー・アドバイザリーの堤 裕次郎は、「フォーチュン50の企業を見ると、約半数がヘルスケア業界に異業種から参入している。多くの企業がヘルスケア業界を成長産業と位置付け、自社の経験やアセットを生かしての新規参入やM&Aが相次いでいる」と説明した。従来はヘルスケア業界の中でも、製薬業界に収益の源泉があった。しかし、環境変化に伴い、今後はどこに収益の源泉があるのかをしっかり見極めた上で新規参入やM&Aを進めていく必要があるという。加えて、堤はこう提言した。「事業買収を行い、自社グループ単独でビジネスを展開するだけでは限界がある。“芸風”の異なる企業とコラボレーションして、新たな価値を創出していくような取り組みも必要だ」
最後に、岩嶋は「買収対象企業の選定や信頼関係の構築、PMIの体制づくり、経営トップの関与など、海外事業買収の成功要因が、共通項として見えてきた。パネリストの貴重な体験を、ぜひビジネスに生かしてほしい」と総括した。
※登壇者の役職・企業名などは、2018年5月17日現在のものを記載しています。
※全セッションでグラフィックファシリテーション(議論の内容をグラフィックで可視化する手法)が用いられ、グローバル メガトレンド セッションではライブQ&Aが実施されました。