
真の成長に向けた「育て方」「勝ち方」の変革元バレーボール女子日本代表・益子直美氏×PwC・佐々木亮輔
社会やビジネス環境が急激に変化する中、持続的な成長が可能な組織へと変革を遂げるには、何が必要なのでしょうか。元バレーボール女子日本代表で、現在は一般社団法人「監督が怒ってはいけない大会」の代表理事としてスポーツ界の意識改革に取り組む益子直美氏と、PwC JapanグループでCPCOとして企業文化の醸成をリードする佐々木亮輔が変革実現へのカギを語り合いました。(外部サイト)
サイボウズ株式会社代表取締役社長
青野 慶久氏
PwCあらた有限責任監査法人 パートナー
カルチャー変革リーダー(CCO)
ナレッジマネジメントリーダー
鈴木 智佳子
未来を創るDX
~デジタルが加速させる社会のトランスフォーメーション
DXで日本が世界に後れをとっている要因の1つに、「デジタル人材の不足」が指摘されています。足りないならば、育てなければなりません。リスキリング(学び直し)やアップスキリング(スキルの向上)はいま、日本企業にとって喫緊の課題です。そこで今回は、キャリア支援のためのユニークな施策により、社員自らがリスキリングするカルチャーを醸成することに成功しているサイボウズ株式会社代表取締役社長の青野慶久氏をお迎えしました。PwC JapanグループでDX社内推進リーダーとして職員のデジタルスキル向上プロジェクトをリードする鈴木智佳子と、デジタル人材の育成やDX推進に向けた企業の課題、必要な諸施策、デジタル時代における経営者のあり方について議論します。
鈴木:
いま多くの企業でデジタル人材が不足し、デジタルスキルを身に付けるためのリスキリングやアップスキリングが求められています。総務省の『令和3年版情報通信白書』では「組織内でICT人材の育成・確保ができていない」と指摘されており、政府は個人のリスキリングを支援するために5年間で1兆円を投じる方針を打ち出しました。日本のこの現状を、青野さんはどうご覧になりますか。
青野:
「気づくのが遅い」というのが率直な感想です。コンピューターやデジタルテクノロジーが暮らしを一変させ、企業も社会もそれに対応しなければならないことは、DXが叫ばれるはるか前から自明だったはずです。にもかかわらず、プログラマーのようなデジタル人材が重宝されることはなかったというのが、日本の直近30年間でした。
その結果、いまになってデジタル人材の内部育成が大きな課題となってきました。しかし、場当たり的にプログラマーを育てようとしてもうまくいくはずがない。例えば組織内の中堅・ベテラン社員が今からプログラミングを習得するのは容易ではありません。
ただ日本の企業は、ICTに長けた人材が内部に乏しい一方、終身雇用制度の遺産として、自社の各業務に通暁したベテラン人材は今も豊富です。例えば、プログラミングの知識やスキルがなくても業務に必要なシステムやウェブアプリケーションを開発できる「ノーコード」ツールを活用することで、そうしたベテラン社員たちに業務をシステム化する力を身に付けてもらう。そうすれば、日本社会のデジタル化や企業のDXが一気に進む可能性があります。
鈴木:
特定の担当者だけが業務の進め方を把握している「属人化」は、しばしば組織の課題として語られます。ですが、デジタルツールをてこにした、ある種の逆転の発想ですね。「属人化をDXの起爆剤とすべし」とのご提言、示唆に富んでいて大変興味深いです。
「デジタル人材」の獲得には2つの方向性があると思います。1つは、データサイエンティストやソフトウェアエンジニア、プログラマーなど、高度なデジタルスキルを身に付けた人を新たに雇うこと。もう1つが、青野さんがおっしゃったように、個々の業務に専門性のある人材がDXの重要性を理解し、リスキリングやアップスキリングを経てデジタルを活用できるようになること。私がPwC Japanグループで取り組んでいるのも、後者のデジタルアップスキリングです。全スタッフがデジタルマインドセットを備えて自らのデジタルスキルを向上させる──そんな組織を目指し、さまざまな施策を行っています。
青野:
具体的にはどのような取り組みをなさっているのですか。
鈴木:一例が、デジタル時代を担うリーダーの育成を目的とした「Digital Accelerators」と呼ばれるトレーニングプログラムです。対象者をグループの各部門から募り、デジタルツールを用いたビジネス分析・データ分析などのほか、人工知能(AI)やデジタル自動処理化などに関する訓練も実施します。メンバーは自らのアップスキリングのみならず、各部門のデジタル変革を推し進める役割も担います。
また、ファームの共同経営者であるパートナーを対象とした「Digital Upskilling for Partners」というプログラムもあります。デジタルツールやテクノロジーに関するパートナーの学びを、デジタルリテラシーの高い若手メンバーがメンターとなってサポートします。パートナーにとっては、デジタルやテクノロジーの知識獲得に加え、若手の視点への理解を深める機会になります。一方の若手メンバーにとっては自分の知識を再確認するとともに、パートナーの知見や視座に触れられる機会になっており、いずれの側からも好評です。
サイボウズでも、リスキリングやアップスキリングにつながるような、キャリア支援のためのユニークな施策を打ち出されていますね。
青野:
そうですね。例えば「大人の体験入部」という制度では、他部門への一時的な異動、または兼務を希望することができます。体験期間終了後の兼務や異動を視野に入れ、自分のキャリアを検討し直すことや、他部門での体験を現在の業務に生かすことを目的に、海外を含む全拠点が配置対象になります。「Myキャリ」は、自分が「できること」と「やりたいこと」を社内に公開し、チームとのマッチングを検討する制度。現状の知識とスキルを「棚卸し」して、将来のキャリアを自発的に考える機会にもなります。最長6年間、サイボウズへの復帰が確約された状態で退社できる「育自分休暇」という制度もあります。別分野への転向や海外への長期渡航など、新たな知見の獲得と視野の拡大に意欲的なメンバーに、「サイボウズに復帰できる」という安心感をもって挑戦してもらえます。
これらの制度は、リスキリングやアップスキリングだけのために導入したものでは必ずしもないのですが、社内の研修制度などの効果も相まって、結果的にデジタル人材の育成につながっています。例えば、受注処理を担当していた社員がプログラマーに転身したり、人事部に所属していた人がデジタルスキルを身に付けてデジタル関連の部署で活躍した後、再び人事部に戻って人事のシステムを開発したり、といったケースがあります。
鈴木:
素晴らしい成果ですね。サイボウズのそんな先進的なキャリア支援制度は、どのような背景と狙いで導入なさったのでしょうか。
青野:
狙いは2つあります。まず1つは「社員の定着」のため。当社は1997年の創業以来順調に売上を伸ばし、業容も拡大してきた半面、2005年には離職率が28%に達してしまい、大きな課題に直面しました。そこで、「100人100通りの働き方」という考えに基づき、メンバーそれぞれが望む働き方を実現できるよう、組織や評価制度を見直したのです。ワークライフバランスに配慮した制度や、社内コミュニケーションを活性化する施策を実施した結果、現在、離職率は4~5%にまで改善しました。「大人の体験入部」「Myキャリ」「育自分休暇」は、そうした流れのなかで導入された施策です。
もう1つは、「競争力の向上」のためです。IT業界は米国のビッグテックが圧倒的な競争力を誇ります。日本企業が彼らと張り合うには、全社員の能力を最大限に引き出すことが不可欠です。「一人ひとりが自分で考え、自ら学ぶ」ように会社が後押しすることは、当然のことなのです。さらに、私が個人的に「一人ひとりが自律し、自分で意思決定し、自分で動く」という“自律分散型の組織”を志向しているということもあります。
鈴木:
共感を覚えます。「100人100通りの働き方」という多様性重視の考え方は、PwC Japanグループが目指す「インクルージョン&ダイバーシティ」(I&D)に通じるものがあります。
「全社員の能力を最大限に引き出す」という狙いにも、PwC Japanグループが取り組むデジタルアップスキリングと響き合うものを感じます。私たちも「スタッフ全員がデジタルマインドセットを有し、自らのデジタルスキルの向上を常に可能とする組織づくり」を志向しているからです。
「自律」を重視するという点にも共通性があります。当グループには「オープン・エントリー・プログラム」(OEP)という制度があり、自らの意志で異動・転籍を申し出ることが可能です。OEPには、いわゆる「片道切符」だけではなく、“お試し”のようなかたちで、再び戻ってくることを前提としたものもあります。また、メンバーを選抜して海外のPwCメンバーファームに派遣する「グローバルモビリティ」と呼ばれる制度もあります。プロジェクトベースの短期派遣から長期に及ぶ赴任まで、メンバーの希望に基づき、さまざまな選択肢が用意されています。
ただ、多様性を重視したり、デジタルアップスキリングを奨励したりすることは、組織内に遠心力を生むおそれも内包しています。この点についてはどうお考えでしょうか。
青野:
サイボウズのメンバーは「チームワークあふれる社会を創る」という理念を全員で共有しています。そもそも当社はビッグテックを追う立場であり、その意味で社員たちに「自分を買いかぶる」ような慢心はありません。共有する理念と、業界における自らの立ち位置が原動力となり、多様性を保ちながら組織が結束し、自ら考え、自ら学ぶモチベーションを高く維持できています。
とはいえ、企業間でデジタル人材を奪い合うような状況下では、デジタルアップスキリングが転職につながる面も当然あるでしょう。ただ、サイボウズから人材が“卒業”することは、決して悪いことばかりではありません。当社を辞めた人材が、起業してサイボウズ製品の販売・開発・教育などを行うコンサルティングパートナーになってくれたり、そういう企業に転職したりする場合もあります。社外でさまざまな経験を積んで大きく成長した後に、再びサイボウズに戻ってくるケースも実は珍しくないのです。
鈴木:
同感です。PwC Japanグループを巣立った人材が新たなフィールドで活躍し、当グループのファームと連携して仕事するケースはしばしばあることです。クライアント企業に転職したケースもあります。仲間の輪が広がると考えれば、“卒業”を前向きにとらえることができますね。
鈴木:
従業員が直面する状況は人それぞれで多様です。リスキリングをサポートするため、経営層は何をなすべきか、または、何をしてはいけないとお考えでしょうか。
青野:
リスキリングに限ったことではありませんが、サイボウズではポリシーとして、社員に対する“強制”を一切しません。強制は効率が悪いからです。自発的なモチベーションを欠けば、何をやっても本人の身に付かず、物になることもありません。逆に、社員のモチベーションが高いと判断したことに対して会社は積極的に投資し、さまざまな施策を打ちます。「これをやりたい」との声を聞き、その環境を整えるべく努めるのです。
鈴木:
経営層としては、社員の選択肢を十分に用意することや、自律をサポートする仕組みを整えておくことが大切ですよね。サイボウズの「Myキャリ」もそうした施策の代表例なのだと思います。PwC Japanグループでは、さまざまなキャリアプラン、およびそれに必要なケイパビリティ・業務経験を示して、職員が中長期のキャリアプランを考えるデベロップメントプランを用いています。また、職階が上の職員がコーチとして成長をサポートする「コーチ制度」もあります。一人ひとりに応じたケアを実施し、短期的な育成にとどまらず、将来を見据えたキャリア実現に向けて対話を通じてサポートし続けています。
青野:
コーチは重要ですね。先ほどお話のあった「Digital Upskilling for Partners」というプログラムでも、若手がパートナーをサポートされているとのことでしたが、サイボウズの従業員も年齢層が広がり、世代間で補完し合う制度が必要になってきています。
鈴木:
人数が増えると、一人ひとりのモチベーションを十分にすくい上げるための仕組みが必要になります。キャリアや働き方について視野が狭くならないようにしたり、アクションに向けて背中を押してあげたりするための「話し相手」になるという意味でも、コーチは重要だと思います。
社員にはリスキリングを無理強いしないとのことですが、経営者のリスキリングについては、どのようにお考えでしょうか。
青野:
経営者のデジタルアップスキリングは当然のことです。「学び」そのものを常にアップデートし続けることも大切です。実は私も現在、社会人向けのビジネススクールに通い、生徒として演劇や作曲を学んでいます。アートとビジネスは無関係と感じる方も多いでしょうが、ロジカルシンキングや情報処理といった「左脳的」なスキルと、感性や創造性で物事をとらえる「右脳的」なスキル。その両方を鍛えることは、めまぐるしく変化する諸課題への対応が求められる今、ぜひとも必要な学び直しだと考えているからです。
鈴木:
それはおもしろいですね。当グループのパートナーたちにも勧めてみたいと思いました。
鈴木:
リスキリングやアップスキリングについて、多くの経営者は必要なものだと認識はしています。ただ、実態としては「やっている感」にとどまっているケースも少なくありません。緊急時に備えて「訓練はやった。もう心配ない」では意味がないのと同じです。リスキリングもアップスキリングも、実際に一人ひとりの日々の業務に反映され、DXにつながっていかないと、本来の「目的」を見失いかねません。
青野:
ご指摘の通りですね。リスキリングやアップスキリングに努めるか否かは、もちろん個人の自由です。ただし、これからの時代、デジタルという道具を活用せずに“稼ぎ”を続けることは難しいはずです。新しい道具について学び、その技術を採り入れていかなければ、DXについても外形だけデジタル化する「D」で終わってしまい、真の目的である「X」、つまり「変革」は起きません。デジタルという道具はこれからも進化し続けます。それを武器として使いこなせる組織であるためにも、リスキリングやアップスキリングは必要なのです。
鈴木:
今のやり方で稼げているからうちの会社は大丈夫――では、気付いた時にはすでに手遅れになってしまいますよね。技術が進歩するスピードは速いので、それを使いこなせない、十分に理解しきれない世代が出てくるのは仕方がない面もあります。だからこそ、リスキリングやアップスキリングが必要なわけですし、デジタルに不慣れなメンバーをリテラシーの高い若手がサポートするなど、誰かの足りない面を別の誰かが補うという仕組みづくりや組織の多様性が重要なのだと考えます。
青野:
DXを成功させるカギは、若手が主導できるかどうかにあります。デジタルに疎い経営者に「DXに習熟せよ」とまでは求めませんが、少なくとも若手を邪魔しないでいただきたいですね。
鈴木:
若手の力を最大限に生かす、そのために誰もが声を上げやすく手を挙げやすい、風通しのよいフラットな風土をいかに醸成するか、ということがポイントだと思います。本日は貴重なお話をありがとうございました。
リスキリングやアップスキリングにつながる先進的な取り組み、組織の根底にある思想など、共感を覚える点がいくつもありました。青野さんは表情も常に穏やかで、お話しぶりは飄々としているのですが、その舌鋒は鋭く、言葉の端々からは「Do the right thing(正しいことをする)」「会社を変える、社会を変える」という熱い思いがあふれていました。そうしたトップの熱意があるからこそサイボウズでは、自ら考え、学ぶ社風が醸成されているのでしょう。社内文化の革新を進めるという意味でも、トップマネジメントの言葉や振る舞いの重要性を再認識しました。
中学2年生のときにプログラミングを始め、大学では情報システムを専攻。卒業後には企業に就職するも、1997年8月にサイボウズを起業してからは、プロダクトマーケティングを中心に活動。経営では自律分散型の組織づくりを目指す。社内の働き方改革を進め、最高で28%に及んだ離職率の大幅な低減に成功。また、3児の父として3度育児休暇を取得。
総務省、厚生労働省、経済産業省、内閣府、内閣官房の働き方変革プロジェクトの外部アドバイザーを歴任し、SAJ(一般社団法人ソフトウェア協会)の筆頭副会長を務める。
PwCあらた有限責任監査法人パートナー
カルチャー変革リーダー(CCO)
ナレッジマネジメントリーダー
PwC Japanグループ フィンテック&イノベーション室 Co-Lead
PwC Japanグループ DX Internal Lead
PwCあらた有限責任監査法人 執行役(カルチャー変革推進担当/人財DX担当)
暗号資産交換業者に対する財務諸表監査、分別管理監査、ガバナンス態勢の構築、内部統制体制整備アドバイザリーに係る業務をリード。国内外で、銀行・証券会社の日本会計基準・国際財務報告基準・米国会計基準に基づく監査、および、IFRSや金融規制、内部統制などに関するアドバイザリー業務を提供。英国駐在時には、グローバルに金融ビジネスを展開する投資銀行などに対する監査業務に従事。
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